folks‐lore 05/11



437


目覚めはすっきりとしていた。


体を起こして外を見ると、幸い天気は良さそうだ。


息をついて、天井を見上げる。


いよいよ、今日か。心の内でそう思う。


創立者祭。


今までがんばってきた成果が、今日にかかっている。


だが、緊張してどうしようもないというわけでもなく、楽しみだと心待ちにしながらこの日を迎えることができているような気がする。


多分、やれることはやってきたという自負があるのだ。


前回はほとんど渚が独力で練習をしているのを見ているだけという感じだったが、今回は部員が揃って、細かいところも練るなどして、錬度は前よりも高い。


それに物語の結末も、別のものとなっている。もちろん、それが受け入れられるかどうかは壇上でやってみなければわからないが。


今回は演劇のみならずクラスの出展などもあるし、充実した一日になりそうだった。


かつては、D組とE組の合同で喫茶店をやるなどという話はなかった。


おそらく、どこかしらのタイミングでその計画は頓挫していたのだろう。俺にはそんな話があったこと自体伝わっていなかったが。


だが、今回は軌道に乗ってここまで来ている。


あの時と一体何が違うのか、と思わずにいられない。


俺と風子が記憶を持ってこの時間に舞い戻ったことが大きな影響を及ぼしているのだろうか。


それならば、いい。


自分の存在が少しでもクラス展の進展に手を貸せたのでは、と考えるのは幸福な想像だった。


ま、あとはせいぜい、肝心の当日に足を引っ張らないようにするだけだ。


ベッドから出て、着替えをしようかというタイミングで風子が顔をのぞかせた。


「おはようございます」


「ああ、おはよ」


風子も緊張して眠れなかった、などという様子ではなく、朝からしゃんとしている。


「よく寝れたか?」


「いえ、風子、大人の女性ですので毎晩夜更かし中です」


大人の女性が全員夜更かししているというのも偏見だと思うが。


俺は苦笑する。


「今日、がんばれよ」


クラスの手伝いでヒトデを配って回ったり、昼過ぎには公子さんも渚の劇を見に来てくれることになっている。風子にとっても、今日は正念場となるはずだった。


風子は俺の言葉にこくりと頷く。


「もちろんです」


いい返事だった。


それを見て、俺はニヤッと笑う。今日一日、お互い、がんばれそうだ。


そんな俺の様子を風子はまじまじと見ていた。


「岡崎さん、朝からいい顔してますけれど、頭ボサボサです」


思わず髪に手を当てる。


たしかに結構乱れているな。昨日の夜は興奮してかなかなか寝付けなくて、布団の上でごろごろしていたからかもしれない。


「たしかにな…」


「むしろ、頭ボサノヴァです」


「いきなり陽気な感じになったな」


俺はツッコミを入れる。


いざ当日を迎えた気持ちを解きほぐすこいつなりのジョークなのだろうか。


その割に、風子は何も考えてなさそうな顔をしているが。


「いいや、さっさと準備して出かけるか。それじゃ、朝飯作るよ」


俺はそう言うと、風子の頭をガシガシと撫でてやる。


「わっ、今度は風子の頭をボサノヴァにするつもりですかっ」


「しねぇよっ! つかどんな感じだよっ!」


朝っぱらから、相変わらずに騒がしい風景だ。


だが、そんな感じは、いつの間にか嫌いではなくなっていた。






438


俺と、風子と、親父。


食卓での話題は、今日の創立者祭のことだった。


親父は、芽衣ちゃんと合流して二人で劇を見に来るらしい。


「そういや、芽衣ちゃんはいつくるんだっけ?」


「昼前に駅に着くと言っていたからね…」


芽衣ちゃんの今日の予定を教えてくれる。


昨日の夕方くらいに一度うちに電話があったらしく、家でヒトデ作りに励んでいた親父がその電話を取っていた。


慌しくこの町に来て、しかも今日は夜行で帰るらしい。大変だ。


「芽衣ちゃんに会うの、楽しみですっ」


「だな…」


このために来てくれるのだから、カッコ悪いところは見せられないな。


「というか、親父、昨日は大変だったな。結局どれくらいヒトデ作ったんだ?」


昨日は、親父は出かけもせずにヒトデを作っていてくれたらしい。おかげでずいぶんストックが増えたと風子が喜んでいた。


親父は俺の質問に遠い目をしてみせた。


「数え切れないくらいだよ…」


「そ、そうか」


自然にこの人に無理させてるようでかなり心苦しい。


「お父さんもヒトデの魅力についに気付いてくれましたかっ?」


「ああ…。おかげで、今日の夢にも出てきたよ…」


「それは素敵な夢ですっ」


それ、悪夢だと思うんだけど。


などと言うはずもなく、俺は無言で茶をすすった。


「ああ、そうだね…」


親父は困惑した様子で風子に同意する。


「風子も、ヒトデの夢だったら毎日でも見たいです。こう、四方八方に、ヒトデが……ふあ〜〜〜……」


とても素敵な妄想をしているようで、幸せそうな表情で昇天してしまった。


「はは、それだけ好きなものがあるなら、この子も幸せものだね…」


「親父、いいんだぞ、ただのアホだって言ってやっても」


「いや、本当にそう思っているよ。何よりも大切だと思えるものがあるのは、とてもいいことだからね…」


「そうか…」


「ああ…」


「でも、ヒトデだけどな」


「そうだね…」


「ふああ〜〜〜…」


黙り込む俺と親父の脇で、相変わらず風子は幸せそうな表情だった。






439


通学路、いつもよりも早く、いつもの道を行く。


五月の風は、涼しく柔らかな東風。


日曜日の朝だから、道行く人の姿はまばらだった。車の姿もあまりなく、俺たちは狭い道を並んで歩く。


俺たちが肩にかけているバッグの中から、たくさん作ったヒトデの彫刻がからからと乾いた音をたてる。


俺はなんとなく、誰かが俺たちの今の姿でも写真で撮って見せてくれないかな、などと思う。


多分、今のこの光景は、幸福なものだと思うから。


「よかったな、晴れて」


「はい」


俺たちは空を見上げる。


幸いにして、今日は絶好のお祭り日和だ。


ま、前回の創立者祭の日も晴れていたから、それは心配していなかったけど。


「絶好の演劇日和だな」


「絶好のヒトデ日和です」


「…」


「…」


同時に違うことを言って、俺たちは互いに黙り込む。


とはいえ、今日は大切な日。こんなくだらないすれ違いで喧嘩をするつもりはない。


「演劇は室内でやるので、天気は関係ないと思います」


「…」


だが、喧嘩を売られたら話は別だった。


「ヒトデだって、むしろ雨のほうがああいうのは喜ぶんじゃないのか。乾くぞ、表面」


「いえ、そんなことはないですっ」


くだらない言い争いを始める…。


ま、いつも通りというのも、それはそれでいいものかもしれないけれど。


ひとしきり言い合いを済ませると、俺たちはまた黙って歩く。からからとヒトデが音を立てる。まるでそれが笑い声のように聞こえた。


「今日、楽しみだな」


「はい」


「おまえ、ウェイトレス、ちゃんとやれよ」


「はい」


風子はぼんやりした様子だった。はいしか言えないのだろうか。


「あの…」


だが、しばらくしてから俺の方を見上げる。


「…これ、見てください」


鞄からひとつ、ヒトデの彫刻を取り出した。


見てみると、それはプレゼント用に作ったものとは少し違う。


いつも作っているのは星みたいな形をしたヒトデだ。


だがそれは、ふたつのヒトデが手をつなぐようにつながっているものだった。


「なんだそれ?」


「今日、おねぇちゃんに会えたら、渡そうと思っているんです」


風子はそれを手にもってしげしげと眺める。


「これは、おねぇちゃんと祐介さんです」


「そうか」


今日、公子さんに渡すために作ったのだろう。手を繋いだヒトデの彫刻。


…今日、彼女に会えたら。風子はそう言った。


会えたら、というのは会えないかもしれないという可能性を含んだ言葉だった。俺はそんな言葉を使った風子の心中がわかる。


芳野さんには、風子が見えなかった。ならば公子さんは?


そんな疑問であり、不安。


どちらに転ぶかわからない。


俺は、ぽんぽんと風子の頭をたたいてやる。


「よくできてる」


「ありがとうございます」


「きっと、喜んでくれるよ」


「って、子ども扱いしないでくださいっ」


急に思い出したように暴れだす。


ぱっぱっと俺の手をはたいた。


慌てたようにヒトデをまた鞄に入れると、早足になって歩いていく。


俺はその後姿を見て、苦笑する。そして、それを追いかけた。


ぴょこぴょこと揺れる彼女の長い髪。からからと音を立てる木彫りのヒトデたち。






440


今日は、特に坂の下での待ち合わせなどはしていない。


登校する時間はいつもより早い。


だが、実際坂の下に渚の姿がないのを見ると、なんだか物足りないような気分になった。


まだずいぶんと早い時間だが、先ほどから学校へ向かう生徒の姿はぐんと増えている。


おそらく、彼らもこれから最後の準備に精を出すことだろう。


ここからだと、校舎も校門も見えない。


ただ、既に坂の下には『光坂高校創立者祭』という立て看板がでている。例年使い回しているもののようで、もうずいぶんとボロボロだ。


ただ、それだけが坂の上のお祭りを示すものというわけではない。


日曜日に坂を上る生徒たちの姿はもとより、彼らの少し興奮したような仕草表情。


これから、楽しいことが始まるという予感。


幸せな気配、楽しげな雰囲気。


「行こうぜ」


「はい」


俺と風子は、坂を上っていく。


他の生徒たちと一緒に。


長い長い坂道だ。


かつては、悪夢のように思っていたもの。


だが、今ではこれも悪くないと思っている自分がいた。


カーブを曲がって、視界に校門が見えてくる。


創立者祭と書かれた大きな門。もう既にそこに集まって作業をしている生徒が何人かいる。


朝から大変だな、とも思うが、よくよく考えると自分も早く来ている人間だ。なんとなく、彼らには同族意識みたいなものを感じた。


入口の門はかなり大きい。


枠組みの組み立ては専門の業者にやってもらい、外側の装飾は生徒が行っているらしい。


花と緑で飾り立てられていて、メルヘンな雰囲気だった。使っている素材はどうにも水に弱そうだから、彼らからすれば今日がいい天気で救われたという感じだろう。


しかし、よくできている。


ついついその出来栄えを見上げてしまう。


「…おはようございますっ」


門を通ろうとすると、渚が声をかけた。


「え…渚?」


「わ、びっくりしましたっ」


陰になっていたところに隠れていたらしい。驚く俺たちの顔を見て、にこにこと笑う。


「えへへ、わたしも、早く来ちゃいました。坂を上っていたら、岡崎さんとふぅちゃんの姿が見えたので、びっくりさせようと思いまして」


「ああ、びっくりした。おはよ、渚」


「おはようございます、渚さん」


挨拶を交わす。


俺は笑う渚の顔を見て、なぜか深く安心してしまう。


その気持ちが何なのかと考えて、すぐに気がつく。


それは、渚がひとりで坂道を登っていたことに対する安心なのだ。


毎朝毎朝、渚は俺たちを待って、一緒に坂を上がっていた。


だから時折、俺は渚がまだひとりでは坂道を登ることができていないのではないだろうかなどと考えていた。助けられてばかりでは、彼女は強くなどなれないのではないかと思っていた。


そして、俺はそれについて不安に思いながらもどこか安心していた気持ちがあった。


彼女は俺を必要としていると。


俺がいなくては何もできないのだと。


だが、今朝、そんな気持ちはあっさりと覆される。


渚は、既に坂道など登ることができる。特に抵抗などもなく。


当然だ。


彼女はもう、歩き始めているのだから。とっくの昔から。


むしろ、それをしっかり見ていなかったのは俺のほうだ。


いつまでも、俺は彼女が弱いままだと思っていて、それにどこか安心してさえいたのだ。


だがもちろん、彼女の成長は歓迎すべきこと。


残念に思う気持ちなどあるはずがない。


「…ここに、こんな門があるのを見ると、昔のことを思い出します」


そんな俺の心中など知る由もない渚は、創立者祭の門を見上げると呟く。


「岡崎さん、ここって、入学式の時にもこういう門ができるんです」


「ああ、そうだっけ」


俺がこの時間に戻ってきた時には、既に入学シーズンは終わっていた。だから、俺にその記憶はない。


あったとしても、もう何年も前の古ぼけた記憶。さすがにそんなことまでは覚えていない。


「昔…」


渚は、懐かしそうな表情で門を見上げている。


「ここで、ある人にとても大切な言葉をもらったんです」


「…」


「この先の困難に負けずにがんばれって」


「へぇ…」


俺ではなさそうだな…。そんなことを言った覚えはない。


いや、でもなにか覚えがあるような、ないような…?


でも、実際に俺が彼女に言ったんだったら、渚はこんなある人なんて言い方はしないよな、多分。


俺の困惑するさまを、渚はにこにこと笑いながら見ていた。


「それは…男の方からでしょうか?」


風子がいらんことを聞く。


別に昔渚がどこかのわけのわからない男にそんな言葉をもらって、しかもそれを大切に思っているということをわざわざ気にするほど俺は狭量な人間ではない。


しかし、気にならないわけではないのだ。


というか、少し気になる。


少しだけど。


風子グッジョブ。


俺は渚の様子を伺う。


…今度は、渚が慌てる番だった。


「ええと、その…っ」


そして、ごまかすように笑う。


「それは、ですね…とっても、難しい漢字の人です」


「…」


「…」


誰だよ、と、俺は心の底でツッコミを入れた。



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