folks‐lore 05/09



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しばらく涙を流していた宮沢だが、少しすると落ち着いたようだった。


涙に濡れた頬を拭い、恥ずかしそうに俺を見る。


「すみません、朋也さん…もう大丈夫です」


「ああ…」


涙に濡れた目は赤い。


なおも俺が心配そうな顔をしていたのだろう、宮沢はくすっと小さく笑った。


「大丈夫ですよ。ありがとうございます」


「そうか…」


宮沢はそっと優しく、最後に置かれた花束を見る。


沢山の、手向けられたもの。


大切な兄に向けられる気持ちを。


「いつまでもこうしては、いられないですね」


「ああ。学校に戻るか?」


「ええと…」


宮沢はちらりと俺の顔を見て、思い悩む素振りを見せた。


「それでもいいですけど、もしよろしければ、少し一緒に歩きませんか?」


そして、決意を秘めた表情で、彼女はそう言ったのだった。



…。



今はまだ、授業時間中だ。


商店街を歩くと不思議そうな視線が集まるのを感じた。


なにせ俺と宮沢は制服。


進学校の生徒が授業をサボって出歩いている、などと見られるのはあまりいいことではない。


宮沢も同じようなこと思ったようで、足は山の高台に向いた。


それは公園とハイキングコースを足して三で割った(二ではないところがミソ)、というようなところで、平日のこんな時間に人がいる場所ではない。


道も舗装されているわけでもないが、最近は天気もいいのでそこまで歩きにくいということもない。


俺と宮沢は山を登って、その中腹にある展望台にたどり着いた。


「そこに、座りましょうか」


「ああ…」


丸太を切っただけ、というような簡素なイスとテーブルがあり、俺たちはそこに腰掛けた。


ここからだと、町の姿がよく見えた。


空は青空、風は穏やか。


今が授業中だということも忘れて、のんびりした気分になる。


「いい眺めですね」


「そうだな…」


俺たちはしばらく、言葉も交わさずに景色を眺めた。



…。



「朋也さん。今日は、ありがとうございました」


「いや…」


しばらくして、宮沢は俺にそう言う。


だが、正直、俺は何もしていないのだ。


「俺は横にいて、見ていただけだ。がんばったのは、全部おまえだよ」


そう言うと、宮沢は首を振る。


「いえ、そんなことはないですよ。隣にいてくれたから…勇気が出てきたんです」


「…」


恥ずかしいセリフを正面から言われて、照れくさくなる。


「いつまでも、ここでこうしてはいられないな。部活に行かないと」


「はい、そうですね。でも、まだ大丈夫です」


「?」


たしかに、まだ放課後の時間になるまでは間があるだろうが…それをものともしないような宮沢の言葉に、俺は意外に思った。


彼女の顔を見てみると、思い悩むような顔をして俺を見ていた。


「…あの」


「ああ」


「実は、朋也さんにお話が…聞きたいことがあるんです」


「なんだ?」


俺は普通にそう聞き返すが、宮沢の表情は深刻だった。


…雑談、という様子でもなく、俺は思わず居住まいを正す。


宮沢は、何か大事な話があって人のいないところまで俺を誘ってきたのだろう。この状況になってみて、それがわかる。


俺に、聞きたいこと?


それが一体なんなのだろうか。


じっと宮沢を見ると、彼女は厳しい表情でその視線から顔を背ける。


「本当は…わたしなんかが聞いていいことなのか…」


「え?」


思わず聞き返すが、宮沢はこちらの反応にすら気付いていないような様子だった。


彼女はしばし、そのまま考え込んだ。


唇をかみしめたり、頭をふったり。


言葉の継ぎ穂が見つからない、という様子だった。


…不意に、空が暗くなる。


俺は上を見上げると、大きな雲が光を遮っているようだった。


一度、冷たい風が吹く。


「ええと、ですね」


やがて意を決したように、宮沢が俺を見た。それでも瞳が、不安そうに揺れていた。


「どこから聞いていいのか…」


そこで一度、言葉は止まる。俺は彼女のその先の言葉を待つ。


「朋也さん」


「…ああ」


なぜだろう、まるで鉛でも飲み込んだような気分だ。


戸惑う二つの視線が、触れ合うけれど重なり合わない。


そして宮沢は口を開く。




「岡崎、汐。このお名前に聞き覚えがありますか?」




「…!」


予想だにしない言葉が彼女の口から飛び出した。


俺は何も言えなくなる。


世界がひっくり返ったようなショックだった。


俺はぼんやりと宮沢を見る。


うかがうようにこちらを見ている彼女の表情を。


…ええ、と。


今、彼女はなんと言ったのだ?


汐と言った?


岡崎、汐と。


俺の娘の名を呼んだ。


なんで?


どうして宮沢がその名を知っている?


わけがわからない。


彼女も、実は俺や風子と同じような立場だった? 馬鹿な。


「…どうして」


俺が言えるのは、それだけだった。


宮沢は気まずそうに顔を背けている。


彼女が何を考えているのかなどわからない。


「すみません…あまり、立ち入ったことを聞くのは失礼かもしれないって、思っていたんですが…」


それは質問に対する答えではなかった。


「どうして、その名を?」


もう一度彼女に聞く。


「すみません、しばらく前に…お話をしているのを聞いてしまったんです」


「しばらく前」


俺は彼女の言葉を繰り返すことしかできない。


「まだ、わたしが部活に入っていなかった頃です。だから、すごく前です」


「…」


「朋也さんとふぅちゃんが、部室の隣の…合唱の練習で使っている教室でお話をしているのを、外で聞いていたんです。その時、ふぅちゃんが朋也さんのことを汐ちゃんのお父さんと言って、朋也さんが、どうして汐の名前を知っているんだ、とふぅちゃんの肩を掴んで…」


「…」


その話で、それがいつのことなのかわかる。その時のことを思い出す。


随分…昔のことだ。半世紀くらい前のことに感じる。


俺がまだ、自分ひとりがこの時間に紛れ込んだと思っていたころの話だ。


そんな時に、不意打ちのように風子の口から汐の名前が出てきた。ひとり公子さんのためにプレゼントを作っていた風子が、突如未来の記憶を手に入れた。


そして、俺はそれに驚愕し、彼女に詰め寄って乱暴に話を聞こうとしてしまった。


…そして、それは、宮沢に見られていた。


「朋也さんの娘で、汐ちゃん…。わたしは、朋也さんがもう単純に、子供がいるんだと思っていました。そして、ふぅちゃんに怒っているような感じだったので、それが秘密なんだと…」


「なんで…おまえはあんなところまで様子を見に来たんだ…?」


今でこそ毎日のように足を運んでいるが、旧校舎の三階の端は、この学校の僻地だ。彼女がそこを訪ねる理由は、俺の後をつけたから以外にはありえない。


「それは…あの、わたしたちが最初に会った時のことを覚えていますか?」


「そりゃ…」


俺は思い出す。


資料室を探し物をしているところに宮沢が来て、事情を説明すると探し物を手伝ってくれた。


そんな縁で、彼女との繋がりができたのだった。


「朋也さんは、わたしの顔を見た時に、わたしの名前を呼びました」


そう言って、探り出すように俺の目を見た。


「まだ、お互い、名乗っていないのに」


「…」


俺は、その時のことを思い出した。


つい反射的に彼女の名を呼んでしまった。あの時のことを。


ごまかして、その話は終わったと思っていた。俺だけは、そう思っていたのだ。


「はじめは、わたしがお互い知り合いなのに忘れてしまっているのかと思いました。わたし、時々、お会いした方の名前をすっかり忘れてしまう時があるので…」


だが、彼女はその違和感を胸のうちに持ち続けていた。


「ですけど、お話をしているとわたしのことをよく知っているようですし、それに、この学校で男性のお知り合いはあまりいません。特に、先輩方とお付き合いがあるわけでもありませんでしたし。それで、どうしてわたしのことをよく知っているのかって思って、つい…」


そのせいで、俺について詮索しようという気になってしまったようだ。


「…」


俺は彼女を責められない。


最初に馬鹿なことを言ってしまったのは、こっちだ。そして、それについて詳しく説明しようともしなかった。


今改めて考えてみれば、おかしな場面は幾つかあったのだと気付く。


いつだったか、宮沢は俺のことを『先輩』と呼んだことがあった。その時は、そう呼ばれるのは気恥ずかしいな、などと呑気なことを考えていた。


だが、真実はそうではない。その後彼女はいつも、俺のことは名前で呼んでいた。朋也さん、と。


それならば、なぜ彼女はあの時俺を先輩と呼んだのだろうか。


…それは、その時はまだ俺は彼女と自己紹介をしていなかったからだ。


彼女は俺の名前を知らなかった。だから、校章のワッペンの色を見て、ただ先輩とだけ呼んだ。


俺は勝手にすでに自己紹介を済んだものだと思い違いをして、彼女の名前を呼んでいたというのに。


そのせいで、彼女は俺を変な先輩として認識して、つい後をつけるような真似をしたのか。


「もちろん、高校生でお子さんがいる、というのは珍しいですけれどないことではないはずです。わたしのお友達でも、まだ成人していないけれどお子さんがいる方もいます。だから、そういうものだと思っていました。ですけど、ふぅちゃんの特殊な事情を聞きまして…よくわからなくなってしまったんです」


「…」


風子が自ら、その事情を宮沢に話したことがあった。眠っているはずの体が、なぜか自由に動き回っていることを。


彼女に資料室に呼び出され、三人で話をした。


だがその時、彼女が俺に試すような聞き方をしていたことも思い出されてくる。


俺はあの時、宮沢が風子の事情について話すつもりなのか、俺の事情について話すつもりなのかがよくわからず、戦々恐々としていた。


結果としては、三人で話したのは風子のことで、一致団結するような結論になったと思う。


だがその時宮沢の心中は、俺の事情に立ち入るべきか否かで思い悩んでいたのだろう。


そして同じようなことは、ゾリオンの時も言える。


彼女はあの時、俺から何かお願いがあるのだと言っていた。


結局、それは思いを翻して封じ込め、最終的には宮沢も一緒に共闘することになった。


だが。


彼女があの時俺に言ったお願い。


それは…俺に聞きたいことがある、ということだったのかもしれない。俺が彼女に隠している秘密を。


「そして、この間、みなさんで隣町に遊びに行った時です」


「…」


「朋也さんとふぅちゃんが、海でお話をしているのを少しだけ聞いてしまったんです。すぐに声をかければよかったんですが、それができなくて…」


俺は、海での会話を思い出す。


俺と風子の会話。俺たちを呼びにきてくれた宮沢。


…そうだ。


たしかその時、汐の名前の由来を話していたのだったか。


「それで、その時、その汐ちゃんという子が…朋也さんと、渚さんの間の子、と聞いたんです」


「…」


俺は墨汁でも飲み込んだような気分になる。


「ですが、朋也さんと渚さんは先日会ったばかりだと聞きました。だから、また、話が通りません。ですけど、朋也さんは渚さんのことをとても気遣っているようですし…」


宮沢の戸惑いは、もっともだ。話が繋がらない。


だが、話が繋がらないが、風子という非現実的な存在が傍らにいるせいで、もしかしたらそれをうまく繋げる道標があるのかもしれないと思えてならない。


もちろん、宮沢はただ気になるから聞きたいというだけではないだろう。


「だから、よくわからないんです。それでも、朋也さんが何か大きな問題を抱えているのは、わかりますから。ですから、わたし、もしよければお力になりたいんです」


宮沢は、真っ直ぐ俺を見ていた。


話しているうちに、彼女の心は決まったのだろう。


もう、瞳は危うく揺れてなどいない。


だが…。


俺は顔を背ける。


「隠れて話を聞いてしまったりして、朋也さんに嫌われてしまうかもしれないとも思いましたが、それでも…朋也さんは、わたしのことを助けてくれましたから、恩返しがしたいんです」


宮沢は、好奇心で首を突っ込もうというつもりなどはなく、期せずして俺の事情に関わってしまったのだから、それを支えていきたいと思ってくれているのだろう。


彼女の真剣な眼差しを見て、それは痛いほどに伝わった。


彼女は俺のことを思ってくれている。だから助けてくれようとしている。それはなんて、誇らしいことか。


「ですので…もし、ご迷惑でなければ、朋也さんのお話を聞かせてほしいです」


「…」


「朋也さん。岡崎汐ちゃん…その子は、一体、誰なんですか?」


「…」


「…」


静寂が満ちた。


そよそよと風が吹く。


分厚い雲はまだこの町を通り過ぎていなくて、さっきから周囲は暗いままだ。


宮沢の思いつめたような表情。やっと言いたいことを言えて安堵したような表情。俺の返事を待つ、不安な面持ち。彼女の表情は多くの感情に彩られていた。


普段はにっこりと笑って感情を読ませないようなところがあるが、今の彼女にそんな余裕などはないようだった。


「…」


俺の心中は、様々な思いが交錯する。


宮沢有紀寧。


彼女は大切な仲間だ。今まで何度助けられたか知らない。なんて信頼できる少女なのだろうか。


彼女ならば、俺の荒唐無稽な話も信じてくれるだろう。的確なアドバイスもくれるだろう。


初め、俺はたったひとりこの時間に迷い込んだと思っていた。


あの日、汐と旅行に行こうと手を繋いで歩いたあの時。


倒れた小さな娘を抱きしめて、俺は、この世界から見捨てられたような気分になって…この世界で目覚めた。


これから、何をしていくか想像もできなかった時、俺は風子に出会った。…いや、また、再会したのだ。


俺たち、未来の記憶を持ったまま、この世界に舞い戻っていた。


傍らに、同じく歩む、姿があったのだ。


そしてまた。


同じ記憶などは持っていなくとも、事情を鑑みこちらを信じ、寄り添うひとりの少女があった。


俺は彼女の眼差しを受け止める。


真摯で誠実なその瞳。


そうだ、彼女は信頼できる。


尊敬できる。



…。



……。



だが。


「宮沢」


「…はい」


「ありがとう、おまえの気持ちは伝わったよ。悪いな、色々悩ませて」


「いえ…」


「でも、すまない」


俺は頭を下げる。


「おまえのことを信頼していないわけじゃないんだ。それは、わかってほしい」


彼女を信頼している。尊敬だってしている。


それでも、これは、俺の事情だった。


「でも、このことは話せない」


頭を下げたままそう繋げる。


「だから、すまない」


「…」


俺には宮沢の顔は見えない。


過ぎ行く風が、冷たく感じる。


俺は宮沢の提案をありがたいと思う。彼女の言葉を嬉しいと思う。


その気持ちには、少しの嘘もなかった。


だが、それでも。


どんなに言葉を重ねても、俺が彼女に今したことは塗り替えようがなかった。


それは、つまり。


俺が宮沢有紀寧を拒絶したということだ。




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