folks‐lore 05/09



412


宮沢との約束。不良たちが集まる集会。彼女の兄に関わる話。


俺は、何日か前に彼女と墓で顔を合わせたことを思い出す。風子と一緒に母親の墓参りに行った時のこと。ばったりと宮沢と顔を合わせて、でもなんとなくそこで会ったことの気まずさに、きちんと話はしなかった。


「お墓参りに行くんです。今日は、わたしのお兄さんの命日なんです」


「そうか…」


俺は何度も、彼女やその友達から兄の話は聞いていた。その話は、いつも少し、特別なものを話すような調子を持っていたことを思い出す。


それがどうしてそう感じたのか、今になってわかる。


彼女の兄は、もういない。


故人を語っていたから、少し距離のあるような語り口になっていたのだろうか。


「すみません。こんなこといきなり言ってしまって…」


「いや…」


申し訳なさそうな宮沢。


だが俺は頭を振る。


むやみやたらと、言いたい話でもないのだろう。


それに…。


俺は、なぜか、その話に大して驚かなかった。


それがどうしてなのかはわからない。俺は彼女の兄が死んでいるのかもしれない、などと考えたことは一度もないのに、なぜか奇妙に腑に落ちる。


どうしてか、俺はそのことを知っているような気がしたのだ。


…言葉の節々から、感じ取っていただけかもしれない。なんとなくそう結論付ける。


「なあ、ひとつ、聞いてもいいか?」


「はい」


「なんで、俺も一緒に行こうって言ってくれたんだ。おまえの兄貴は、あの不良たちの友達でさ、その仲間たちが集まるんだろ。部外者の俺が入ってもいいのか」


誘ってくれたのは宮沢だし、彼女の友達の奴らも俺にくるなと言うことはなかった。


俺は確かに部外者だ。だが、無効に拒絶されているわけではないことはわかっている。


それでも、だからといって俺がそこに顔を並べていいのだろうか。


「前に、聞いたことがある。俺が少し、おまえの兄貴に似てるって。でも、そんなのが誘われた理由じゃないよな」


「…」


宮沢は、しばらく黙っていた。考え込むような素振り。


「悪い、なんでもない。おまえを困らせたいわけじゃない」


「いえ、そう思われるのは、もっともですから」


笑顔はいつもよりぎこちない。


「わたしも、きちんと説明はできないのかもしれません。ですけど、なんとなくというわけじゃないです」


「ああ…」


それはそうだろう。


なんとなく誘うには、きっと彼女にとって兄の存在は大きいものだ。


「わたしが、朋也さんを誘ったのは…」


宮沢は難しい問題にでも取り組んでいるかのような顔をしながら、髪の先をくるくると手でいじった。珍しい仕草。


「きっと、朋也さんに、わたしのことを知ってほしかったからだと思います」


「宮沢…」


俺たちふたりの視線が重なる。


「たぶん、そういうことじゃないでしょうか」


宮沢が、恥ずかしそうに微笑んだ。


…随分、俺のことを買ってくれているようだ。こちらまで、照れくさくなってしまうほどに。


ガラッ!


「!?!?」


突然、資料室の窓が開いた。


そこから、ぬっ、と見覚えのある男が顔を覗かせていた。


「あー、悪いが、時間だ」


「そうですか」


突然の闖入者。


男は憎々しげに俺に一瞥を送った。


…なんとなく、もっと前に来ていて、外に潜んでいたんじゃないだろうか、などという疑問が浮かぶ。だが、さすがにそれを素直に聞くほど俺は命知らずではなかった。


「いくぞ、有紀寧」


「はいっ」


「そこのカス野朗もだ」


「…」


間違いない…。


こいつはさっきまで外で聞き耳を立てていたはずだ…。


「そんなこと言っちゃダメですよっ」


「ちっ…。てめぇもいくぞ、岡崎」


「ああ…」


ま、飛び掛ってこられないだけマシだと思うことにする。


男は先に校門の傍で待っているらしい。俺と宮沢は、並んで下駄箱の方へ向かう。



…。



靴を履き替え坂を下り、俺たちは道を歩く。


青空広がる昼下がり。


制服姿で歩く俺や宮沢の姿を見て、すれ違う人が不思議そうな顔を向けたりする。


当然だ、今は授業時間だからな…。


「よぉ、ゆきねぇ」


「あ、新井さん」


黙々と歩いていると、別の道から花を持った男がやってくる。


こいつも見覚えのある男だが、元気がない。


当然か。友達の墓参りに行って、元気がでてくることはないだろう。



…。



「ゆきちゃん」


「草刈さん、ここで待っていてくれたんですか」


「うん、一緒に行こうと思ってさ」


「はい、一緒に行きましょう」


「これ、あいつが好きだった菓子」


「ありがとうございます、きっと喜ぶと思います」


道々、俺たちを待っていたりして何人も合流する。


彼らはみんな、宮沢の兄の友達なのだ。


随分たくさんの奴らが、彼の死を悼んでいる。


俺は彼らの後姿を見ながら、集団の最後尾を歩いていく。


「久しぶりね、岡崎君」


「あんたは…」


ひとりの女性が声をかけてくる。


髪形が違うから一瞬わからなかったが、以前部員で集まったことのある、宮沢の友人がやっているという喫茶店の店員だった。


「あなたも、和人さんの墓参りに来たのね」


「ああ、宮沢が誘ってくれてな」


「そうなの」


そう言うと、視線を宮沢に向ける。


宮沢は、ここより少し前方で、他の不良どもに囲まれて話をしていた。


ここらだと、随分遠くにいるようにも見える。


よくも知らない奴らに囲まれて、話をしている姿。


「ゆきねぇ、いい子よね」


「そうだな…」


「やっぱり、ぺろぺろしたくなるわね」


「とりあえず、ぺろるな」


俺は少し女性と距離をとる。


だが相手は、それを気にした素振りもなかった。


「部活はどう?」


「まあ、ぼちぼち」


「当日、私たちも学園祭見に行くから」


「そりゃ、どうも」


「あなたとゆきねぇの活躍も、見たいしね」


「俺も宮沢も、劇じゃ裏方だ」


「あら、そうなの」


残念そうな顔をされる。


「でも、いいわ。せっかくだし、劇は見に行くわ」


「そりゃどうも」


「それじゃあね」


そう言うと、女性は宮沢の方に話しかけに行ってしまう。


宮沢の周囲の人の輪を、俺は好ましい気分で眺めていた。







413


墓地に着く。


すでに何人もそこで待っている奴がいた。彼らは宮沢の姿を見ると彼女の名を呼ぶ。


どうやら、俺たちが最後らしい。


俺は少し離れたところから様子を見る。


お参りに来ていた奴らは、それぞれ墓石に供え物を置きながら、『今』の報告をする。


沢山の生活が、語られていく。


専門学校に通いなおしている…。結婚して、子供が生まれた…。仕事が大変だ…。


そんな話をひとりひとりが先に逝った友人に捧げながら、線香が一本一本、増えていく。


細い煙が、風にたなびく。ぽつぽつとした言葉が、幾つも風にとかされて、消える。


少し離れて見ていても、俺には煙が目にしみる。彼らの姿が、にじんでしまう。


悲しい光景だ。だが、それでも…。


「朋也さん」


いつしか、宮沢が俺の前にいた。その手には、赤く火のついた線香が一本握られていた。


「これを、お兄さんに供えていただけますか」


「ああ…」


俺は彼女に促され、輪の中心…宮沢の兄の墓へ向かう。


墓の前には、色とりどりの供え物が並んでいた。線香立てにも、びっしりと線香がささっている。


俺はそっと手に持った一本を供えると、手を合わせて、目を閉じた。


…俺は今供養を捧げている相手に会ったことはない。顔だって、知らない。


そんな相手に報告できる『今』。


――あんたの妹は、毎日頑張ってるよ。


それは、当然、彼女のことだった。


宮沢、有紀寧。


彼女は毎日を強く生きている。俺は何度も彼女に助けられ、救われた。


きっと、他の奴らだってそうだ。


普段、面と向かっては言えない彼女への感謝を、俺は兄への手向けとして向けた。



…。



「話を聞いてくれますか」


不意にかけられた言葉に、目を開ける。


墓石にすぐ傍に立っている宮沢が、集まった奴らを見ていた。


その相手はてんでばらばらな格好をして、お世辞にもまともという感じではない。


そんな一同が、静かな目をして宮沢を見ていた。


視線を受け止めて、宮沢はゆっくりと語り始める。


それは俺の知らない、兄妹の話。


仲のよかった兄妹の話。


宮沢和人と、宮沢有紀寧。


小さい頃はべったりとくっついていて離れないくらい仲良しだった。


だが、いつしか兄が外に仲間を作り、次第に家族との折り合いが悪くなっていった。


たまに家に帰ってくると、親とはいつも口論をしていた。


ただ、妹には変わらず笑顔を向けてくれた。


彼は、家は最悪でも外は最高だと言っていた。


当時の彼女は普通の女の子で、兄の友人たちというのは、ただ単純に、怖かった。


だが…。


兄は事故に遭って、帰らぬ人となった。


その葬儀には、兄の友達が沢山きていた。


彼らは見るからに不良で、態度も悪かったが…兄の前では、真剣な目をしていた。


それを見て…彼女は、彼らに初めて声をかけた。


宮沢和人の妹です、と。


…その人たちは、兄に似ていた。


彼らの間には、ぽっかりとおきな穴があいてしまったのがわかった。


だから彼女は、彼らと一緒に過ごすようになった。


初めはうまくいかなかったが…


それでも次第に、彼らは心を開いてくれて。


そこは暖かな、大切な場所になった。


そこは…


「わたしの、もうひとつの居場所です」


宮沢はそう言って、言葉を切った。


そんな彼女の周りには、多くの人が集まっていた。


そう、ここが…。


多くの人に囲まれているここが、彼女の大切な場所だった。


風が吹く。


周りの奴らの表情は、随分宮沢に元気付けられた様子だった。


いや…。


…俺もそのひとりか。


そうだ。


人の集まる場所が…とても大切なところなのだ。






414


そして。


いつまでも墓場にたまっているわけにもいかない、とこの集会はお開きになる。


集まった連中は名残惜しそうだったが、一人また一人と、帰っていった。


これだけの人数を集めるのは、大変だっただろう。それでも、それぞれが都合をつけて今日ここに来た。それはきっと、かけがえのないことなのだろう。


全然別の光景だが…俺は、なんとなく、渚の卒業式を思い出していた。


たくさんの人が集まる場所。それはとても大切なところ。


「朋也さん…今日はありがとうございました」


「いや。おまえこそ、がんばったな」


最後に、俺と宮沢だけが残された。


宮沢は俺を見上げると、ほんの少し微笑む。


「ありがとうございます」


風が優しかった。


春の暖かな日差しが、将来を照らしているように見えた。


「あの…朋也さんには、もうひとつ一緒に来ていただきたいところがあるんですけど、いいですか?」


「ああ、もちろんだ」


そう言うと、宮沢は嬉しそうに微笑んだ。


俺たちふたりは歩き出す。


春の空の下。


授業をサボって、並んで歩くというのはとても幸福な気分だった。



…。



商店街の花屋で花束を買う。


それを持って、俺たちは商店街の脇の小道に入った。


「ここです」


「ここ…?」


そこは、商店街脇の小道。


大して広くもない場所。


そして、何の変哲もない道路わきの辺りに、幾つも花束がそえられている場所があった。


「…」


俺は、先ほどの宮沢の話を思い出す。


彼女の兄が、仲間を庇って事故に遭った、と話していた。


「そうか…」


俺は呟く。


「ここが…」


「はい…」


不意に思い出す。


何度か…宮沢と商店街を歩く際に、わざわざ遠回りをしながら目的地に向かう時があった。


その理由が、今になってわかる。


彼女は、この路地に入らないようにしていたのだ。


兄が事故に遭ったこの場所に。


「朋也さん」


そう言うと手を差し出す。俺はそこに、先ほど買い求めた花束を持たせた。


宮沢はにっこりと笑うと、手にした花束をそっと、他の供え物の隣に置いた。そして、手を合わせる。


「…わたしはずっと…ここに来ることができなかったんです」


宮沢は独白するような調子で言う。


傍らに立つ俺は、何も言わず言葉を待つ。


「心のどこかで、わたしは兄がまだ生きていると思いたかったのかもしれません。兄が仲間を庇って事故に遭ったというこの場所に来なければ…ずっと、お兄さんはわたしの傍にいてくれると、思っていたのかもしれません」


ですけど、と彼女は言う。


「それじゃ、いけないんだって、わかりました。お友達のみなさんは、兄の死を悼んでくれました。今でも、兄のことを大切なお友達だって言ってくださいます。ですけど、同時に、みなさんは今を生きていて、前を向いています。昔のことを考えて…兄の思い出と一緒に立ち止まっているわけじゃ、ないんです」


だから、と彼女は言う。


「わたしも前を向かないといけないって思いました。わたしのせいで、みなさんに迷惑をかけちゃいけないって…」


宮沢の言葉が震える。


だから、と彼女は言う。


宮沢の肩が震える。


「だから…今日、きちんと言わないといけません。あの時の思い出はとても楽しかったけど、今でもわたしにとって大切なものだけど…ずっと、そんな思い出とばかり一緒にいることはできません」


だから、と彼女は言う。


だから、だからと小さく続けて…彼女は言葉を続ける。


「だから…今日、お別れを言わないといけません…っ」


手を合わせて事故現場を見ながら、宮沢の瞳にぶわっと涙が溢れた。


固く結んだ唇が、わななくように震えていた。


「お兄さん、今までありがとう…っ」


そして、と、彼女は言った。


「さようなら…っ!」


それはきっと…


ずっと胸のうちで渦巻いてしまっていて、外に出すことができない言葉だった。



…。



仲のいい兄妹がいた。


ふたりは恋人同士のように、互いを大切に思っていた。


それぞれの過ごす居場所がずれていっても、その気持ちに偽りなどはない。


しかし、そんな時間は終わりを迎える。


兄が、交通事故に遭って帰らぬ人となった。


妹はその死を悲しみ、兄の居場所にその身を寄せた。


だがそれは…兄の死を受け入れたからこそ、という意味だったのか。


兄の友人たち、その心の穴を埋めたいという気持ちに偽りなどはない。


それでも、同時に、自分の心を救う手立てでもあった。


彼らと共に過ごすようになったのは、兄の死を受け入れるためだったのだろうか。それとも、兄の死をごまかすためだったのか。


もちろん、彼女にとってそれはどちらかというものではない。


だが結局、彼女はその輪の中に入って、だが事故にあったその場所からは目を背け続けていた。


兄はもう、いなくなってしまった。


そんな事実を、心のどこかでごまかそうとしていたのかもしれない。


だが、それでも、彼女の周囲にいる兄の友人たちは、それぞれの道を歩み始める。


彼らは、後ろを振り返ることをやめたわけではない。


しかしそれは、前に進むことを諦める理由になりはしない。


一度立ち止まるのは、いいだろう。


息つくことは必要だ。


だがそれでも、その次の一歩を忘れてしまうことはできない。


人はそうして、大人になっていくのだろうか。



…。



宮沢が嗚咽を漏らして肩を震わせる。


俺はそっと、彼女の肩を支えた。


小さな彼女の温かさ。


それを感じながら、俺は空を見る。


先ほど捧げた兄への言葉。


俺はもう一度、心の中でそれを繰り返していた。


――あんたの妹は、毎日頑張ってるよ。


そして。


――あんたの妹は、とても強い奴だよ。


――だから、安心してくれ。


もし死んだ彼が俺たちを見ていたら、どう思っただろうか。


彼が、俺たちを見て、少しでも安心してくれればいい。


そして。


温かく、見守ってくれればいい。




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