folks‐lore 05/08



404


部活を終える。


クラスの方を見に行っていた椋が部室に戻ってきて、いつものようにヒトデ配りに精を出していた風子も帰還して、合唱の三人も隣の教室から引き上げてくる。


全員そろったところで、渚の挨拶に唱和。部室を出た。


「なあ、ことみ」


「なあに?」


旧校舎を歩きながら、傍にいたことみに話しかける。


「おまえ、今日のコンサートの後他の奴らと何か話してただろ? どんなことを話してたんだ?」


俺はオッサンとその場をすぐに離れてしまったから詳しくその時の様子を見ていないが、演奏会が終わった後にことみの周囲に女子生徒が集まっていたのは目にしていた。


「ええと…色々」


ことみはその時のことを思い出しているのか、小さく笑うとそう言う。


「色々?」


「うん。ヴァイオリンを習ってたのか、とか」


「…ちなみに、なんて答えたんだ?」


「小さい頃に習ったことがあるって」


「相手の反応は?」


「すごいねって」


「そうか…」


人々は、優しいものだなと俺は思った。


「みんな、とっても喜んでくれていたと思うの」


「そ、そうか…」


「またやりたいって言ったら、笑ってくれていたし」


「…」


それは、渇いた笑いだったと思うんだが…。


まあ、全部が全部最後の曲のようにうまく弾ければいいんだろうけど。


「次はもっといい演奏を出来るように、がんばれ」


「うん」


「といっても、おまえのヴァイオリンは借り物だからな…。かといって、買うとなったら高そうだし」


元々は、音楽室に残されていたものを仁科が預かっていて、それを更に借りたような形だ。ことみに所有権があるわけではない。


だが、それに対してことみは困った顔は浮かべなかった。


「りえちゃんが、もらえないか掛け合ってみるって」


「そうか。おまえにとってももう思い出のものだし、うまくいけばいいな」


「うん」


ことみは少し頬を染めて、頷いた。


「…最後の曲は、よかったよ」


「ほんとう?」


まだ言っていなかったな、と思って感想を言うと、ことみはじっと潤んだ瞳で俺を見上げた。


なんだか、少し、どぎまぎしてしまうような視線だった。


「あ、ああ。なんていうのかな。懐かしい感じがした」


「…そっか」


ことみは少し頬を染めて、視線を下に向ける。


もじもじするような様子で、そわそわと鞄を持ち替えたりする。


「あのね、朋也くん、とってもとっても、うれしいの」


「そうか」


「そう言ってもらえるなんて、思っていなかったから…」


「…」


まだまだ未熟な演奏を褒めてもらえて嬉しい、ということなのだろうか。あるいは、俺たちの失われた思い出によるものなのだろうか。


彼女の意図がいまいち掴みきれないが、俺はそれについて深く考えることもなく、軽くそれに頷いて話を終わらせた。







405


分かれ道で一人減って二人減り、最後は俺と風子だけが並んで歩く。


「岡崎さん、喜んでください」


「やったぜ」


「あの、まだ何も言っていませんが」


「喜べって言ったじゃん」


「…」


適当に対応していると、風子は不満そうに頬を膨らませた。


「そこは、どうしたんだい、ふぅちゃん? とか、もっと聞きようがあると思いますっ」


「…」


「もっとも、岡崎さんにそんな呼ばれ方をしたら、風子、どんな反応をしていいかわからないですが」


「じゃ、んなこと言うなよ…」


俺はため息をつく。


急になんなんだ、こいつは。


さっきまでしばらく黙り込んでいたから、多分色々頭の中で考えていたんだろうが、唐突にこちらに話を振られてもよくわからない。


「で、何?」


「はい。風子、考えていたんですが、いつも岡崎さんにご飯を作ってもらうのが悪いと思いまして」


「じゃ、何? まさかおまえが飯作ってくれるの? ありえねー」


「岡崎さん、いくらなんでも失礼すぎますっ。そのまさかですっ」


「…」


俺は何も言えなくなった。


ええと…


もう一度、先ほどのこいつとの会話を思い返す。


…飯を作る?


俺は目をむいて、俺を見上げるちんまい少女を見る。


「飯?」


「はい、そうです。いつも作ってもらうのも悪いので、たまには風子も腕によりをかけて料理を作ります」


「そうか…」


「なんだか、元気がなくなりました」


「そんなことはないぞ」


俺の言葉は、ついつい棒読みになっていた。


風子はそれに対して不満そうな顔を少し向けるが、すぐに気を取り直す。


「風子の手料理を食べられるなんて、岡崎さんはとてもラッキーな人です。もしかしたら、これで一生分の運を使い切ってしまったかもしれません」


下らないことで、俺の運を使い果たさないでほしい。


「…ラッキー?」


「はい、超ラッキーです」


「手前にアンを付けてくれ」


「超アンラッキーです。…って、意味が逆になっていますっ」


いや、それで正しいんだが。


「それでですね、何か食べたいものはありますか?」


やけにぐいぐいと押してくる風子。


「そうだな…カレー」


「カレーですか。風子の得意料理です」


嘘をつけ。


「いいか、風子。カレーはカレーでもな…」


「はい」


「俺が食べたいのは、ククレカレーだ」


「はい、わかりました。それでは腕によりをかけて、今晩はククレカレーですっ」


…よしっ。


俺はうまくのせられた風子を見て、小さくガッツポーズ。


「…って、それじゃレトルトですっ! 風子、普通のカレーを作れますっ」


…ちっ。気付いたようだ。


俺のガッツポーズは、力なくしおしおと下がっていった。


まあ、カレーなら変な味にはならないだろう。


「わかったわかった。それじゃ、今日の晩飯は頼むな」


「はい、お任せください」


風子はそう言うと胸を張る。


なんだか、変なことになってしまった。


とはいえ、こいつが色々と世話を焼いてくれるというのは悪い傾向ではないだろう。


俺は意気揚々とスーパーの方へと歩く風子の背中を見ながら、ちょっと笑った。


彼女の長い髪をまとめた青いリボンがぴょこぴょこと左右に揺れた。







406


夕飯の材料を買って、家に帰る。


風子が料理するのをしばらく不安な面持ちで見守った後、ある程度見通したがったところで俺は台所を出た。


さすがに彫刻刀を毎日取り扱っているだけあって、致命的に手先が不器用という事はないらしい。


まあ、味付けセンスが最悪という可能性はあるが、カレールーの箱に書いてあるもの以外は何も入れるな、という話はつけてあるのでそれも心配していない。


その約束を破るほどアホではないだろう、多分。多分。


そして。


俺は料理が出来るまで、電話。


…その先は、春原の実家だった。


『もしもし、春原です』


「よぅ、芽衣ちゃん」


『あっ、岡崎さんっ。こんばんわっ』


久しぶりの芽衣ちゃんの声だ。とはいえ、無事に家に着いたと連絡をくれた時から今まで、一週間もたっていないが。


それでも、なんだか懐かしいような気がする。以前は同じ家にいたのが急に遠くに帰っていってしまったのだから、そう感じるのかもしれない。


『どうかしたんですか?』


「ああ、今日春原に聞いたんだけどさ、夜行で来るって?」


『あ、はい。本番、楽しみにしていますねっ』


「ま、期待に応えられるように頑張るよ…。で、当日のこと、話してないって思ってさ」


そう言って、俺は当日のスケジュールを話す。


部活の発表が昼過ぎからあることとか、朝一はクラス展の手伝いがあるけどその後ならばしばらく空き時間があることなど、多分春原が説明していないだろうことだ。


芽衣ちゃんはそんな話を、しきりに相槌をうちながら聞いていた。


…。


『…わざわざ、教えてくださってありがとうございます』


「明々後日、いつ頃着くんだ?」


『多分お昼前に着くと思いますから、ちょうどいいタイミングかもしれません』


「そうか。それじゃ待ち合わせでもする?」


『ありがとうございますっ。一回、ちゃんと時間を調べてみますね』


「そうしてくれ」


『…あ。岡崎さん、お母さんが代わってくれって言ってますけど、いいですか?』


「え…? 別にいいけど」


突然の申し出に、俺は少し驚く。


春原の母親なんて、今まで話したこともないし、当然顔も知らないのだが。


とはいえ、先方からすれば以前娘が世話になっていたということもあって、少しは話すこともあるのかもしれない。


受話器に耳を当てていると、その先から聞き取れないような話し声と、雑音。


そして。


『もしもし、お電話代わりました。陽平の母です』


「あ、どうも…。岡崎といいます」


俺はなんとなく、頭を下げてしまう。


『先日は芽衣がお世話になったそうで、きちんとお礼も言えなくてすみません』


「ああ、いや…」


あの春原の親だと思うと信じられないような落ち着いた話しぶりだが、芽衣ちゃんの親と思えば素直に受け入れられるから不思議だった。


「こちらこそ、家のことを色々世話してもらって、ありがたい限りでした。本当、助かりました」


『そう言っていただけると、ありがたいです。それに、うちの馬鹿…陽平とも仲良くやってくれているみたいで』


「…」


今、普通に息子への暴言が飛び出したようだが、気のせいだろうか?


…気にしてはいけないのかもしれない。


「いえいえ」


『いつも迷惑ばかりかけているでしょう。すみません、根は多分いい子なんですけど』


「…」


多分って…。


とはいえ、俺もそのあたりはきちんと否定できないのが悲しいところだが。


「まあ、大丈夫です」


『大丈夫ですか』


「まあ、はい」


…そのおかげで、なんとも締まりのない会話になる。


とはいえ、それでも母親を安心させる程度の効果はあったようで、声色は少し穏やかなものになっていった。


『文化祭の本番では、馬鹿なことやらないように言っておいてください』


「部活の役目は照明なんで、馬鹿なことはやりようがないと思います」


『それなら、いいですけど』


「ただ、華麗に照明をさばくとは言ってたけど」


『…とりあえず、さばくなと言っておいてください』


「そうっすね」


一度も会ったことのない春原の母親が、俺と同じようなツッコミを入れていて、少し笑ってしまう。


『これからも迷惑をかけるかと思いますが、どうぞあの子のこと、よろしくお願いします』


「はい」


『それじゃ、芽衣に代わりますね』


再び、向こうで受話器のやり取りをするような物音が聞こえる。


『岡崎さん、ありがとうございました』


すぐに芽衣ちゃんの声が聞こえてくる。


「いや、いいよ」


春原の親御さんと話すというのも、なんだか新鮮だった。


ただ、他の家族でも、子供のことを思う気持ちに違いはないなと思っただけだ。


その後も、芽衣ちゃんとたわいない話をする。


しばらくして…


ぱたぱたぱた…


「その電話、芽衣ちゃんですかっ?」


話し声を聞きつけて、風子が台所から走ってくる。


「ああ、そうだぞ」


「風子も、芽衣ちゃんとお話したいですっ」


くっついてくる風子の体が柔らかい。


ぐいぐいと受話器を掴んで揺らす。ガキかおまえは。


「…芽衣ちゃん、風子が代わりたいって言ってるんだけど、いい?」


『はい、もちろんですっ』


了解を取って、受話器を風子に渡す。


「芽衣ちゃん、こんばんわですっ」


風子は楽しそうな様子で話をし始めた。


俺はそれを見て、肩をすくめてみる。


…それにしても、あいつ、夕飯の準備は終わったのだろうか。


ふとそんな疑問が浮かんで、俺は台所を覗いてみる。


すると…。


カレーが入っている鍋が火にかかったままで、煮えたぎっていた。


危ないところだった。


ああ、まったく。幸い焦げ付いてはいないようだが。


ほとんど後片付けをしないままに料理を進めていたようで、野菜の皮や、包装材のゴミが散らばったままだ。


とはいえ、これだけ作れるならば充分及第点かとも思うが。


まあ、作ってくれたことに免じて、片付けくらいはやってやろう。それに普段は俺が食事を作っているが、洗い物とかはやってくれることも多い。そう思えば、作り手と片付け手が逆になったということだ。


片付けをしていて、カレールーの外箱を見ていて、俺は少し笑ってしまう。


その箱に書かれた辛さの基準で、それは一番甘口のカレーだった。





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