388
暗くなった空の下、母屋の脇にひっそりと佇む物置へとやってくる。
俺と渚はふたり、物置をあさる。
中には今は使っていないような古いおもちゃや、たまにしか使わないような工具やら器具が詰め込まれている。
ほとんど手を入れるようなこともないから、埃っぽい。
この古河家にも、こんな手をつけていない場所があるというのがなんだか不思議な感じさえしてしまう。
…いや、あえて手をつけないでいた、という側面もあるのだろうな。
「小さい頃に読んでいたような絵本とか、そういうものがあればいいんですけど」
「ああ…」
渚が真剣に中を整理しているのを、俺は緊張して見ていた。
下手に、オッサンたちの過去に関わるものが出てきたら困りものだ。こちらとしては、適当なところで切り上げてしまって、結局見つからなかったということで話を済ませてしまいたい。
「あっ」
不意に渚が声を出す。
「何か見つかったのか?」
「はいっ。見てくださいっ」
表情を強張らせる俺に、渚がなにかを見せてくる。
母屋から漏れる明かりに、ぼんやり照らされたそれは…
「…キーホルダー?」
だんご大家族のキーホルダーだった。
「小学生の時、ランドセルにつけていたんですっ。とても懐かしいですっ」
俺はずるーーーっとその場を滑っていく。
「本筋を見失ってるだろっ」
「はい?」
「…帰る」
「あっ、あっ、待ってくださいっ」
踵を返した俺の腕を取る。
「あの、ちゃんと探しますから」
「ああ…」
まあ、本気で帰ろうとしたわけでもないが。こういうやり取りは、なんだかいつもの感じで心が和む。
…まあ、さっさと切りをつけたいというのは本心だけど。
再び、俺たちは揃って中を物色する。
…。
「そんなところで、何をしている?」
しばらく探し物をしていると、ふいに声をかけられる。
振り返ると、怪訝な顔をしたオッサンが立っていた。
「あ、お父さん」
「渚よ、おまえ、ここで何か探しているのか?」
オッサンの口調の端に、かすかに緊張感を感じるような気がする。それは、自分が真実を知っているからそう感じるだけなのだろうか。
もしかしたら、渚が真実に手が届いてしまうかもしれない、という。
オッサンはちらりと視線を物置にやって、再び俺たちを見る。
「はいっ。演劇の元になったお話がうちにあるかと思って、岡崎さんと一緒に探していたんです」
「お話…? こないだ聞かれたアレか」
「はい」
「そんなもん、そこにはない」
「でも、忘れているだけかもしれないです」
「忘れてなんてねぇ。俺はこの家のことなら何でも知っている。渚、おまえのパンツが何枚あるかまで全部知ってるぜ」
「そうなんですか…って、お父さんエッチですっ」
渚が照れたようにオッサンに食って掛かって、オッサンはドヤ顔だった。
「…」
俺は父と娘のアホアホトークを間抜け面で眺めていた。
「ほら、家に戻るぞ。ここにいたって、何も出てこない」
「いえ、まだ探し始めたばかりですから」
「ちっ…」
オッサンは渋い顔をしてボリボリと頭をかく。
「よし、わかった。渚よ、おまえがそこまでして探したいなら、止めたりはしない」
「ありがとうございます」
「だが、俺も手伝う。こんなところで小僧とふたりっきりにしておいたら、乳繰り合いを始めるかもしれないからな」
「ちちくり…って、そんなこと、しませんっ」
渚が真っ赤になって頭を振って慌てて否定をする。
「残念だったな小僧。これからは父親同伴だぜ」
「もうどうでもいいっす」
…こうして、オッサンを加えて三人での作業になる。
オッサンからの要望で、中のものを調べるのをオッサンと俺、渚は外に出した物をあらためる係になる。不用意に箱を開けられて危険なものを見られないように、ということなのだろう。
中の作業は物を動かしたりと肉体労働だから、理にかなっているし。その提案は、俺としては助かる。
「おっ」
しばらく無言で作業をしていると、オッサンが声を上げた。
「何か見つかりましたかっ」
渚が物置の中を覗きこむ。
「おうっ。これを見てみろっ」
オッサンが笑顔でそう言って取り出したのは…
「…」
「…」
…オマルだった。
俺と渚は呆然とそれを見つめた。
あれは汐のオマル…。そうか、オッサンがくれたのはそういやこの家のお下がりだったんだな…。
「ん? どうした?」
「あの、お父さん…それって…」
「ああ、その通りだ」
オッサンは、やけにいい顔をして言った。
「オマルだ」
「…」
「…」
「渚、昔おまえが使っていたやつだよ。覚えていないか?」
「言われてみれば、見覚えがあるような気がします…」
「ああ、懐かしいな。これを見ていると、おまえがオマルに跨っていた姿が目に浮かぶようだぜ」
「って、浮かべなくていいですっ」
渚が恥ずかしそうにツッコミを入れた。
「さぁーて、渚のオマルも見つかったことだし、家に入るかっ」
「わたしそんなの探してないですっ」
颯爽と去っていこうとするオッサンの腕をつかむ渚。
「ちっ…。まだ探すのか?」
「もちろんです」
迷いない言葉に、オッサンは肩をすくめて見せた。
…。
「あっ」
オッサンが取り出して脇に置いたノートを見て、渚が声をあげて手に取る。
「あん? どうした?」
「これ、わたしの小さい頃のノートです」
見てみると、幼い字で『古河渚』と書かれている。
「…自由帳か?」
特に何かの教科で使っていたノートというわけではなさそうだ。
「はいっ。とても、懐かしいです」
渚はにこにこ笑いながらページをめくる。
「…あっ、わたしが昔自分で作っただんご大家族の歌がのっています」
小さい頃から、そこまでだんご大家族に入れ込んでいたか…。まあ、知っていたけど。
「ほぉ、なかなかよくできてるじゃねぇか」
オッサンがそれを覗き込む。
「多分、まだ歌えると思います」
渚は懐かしそうに、指で持って書かれた歌詞をなぞっていく。
「…どんな曲なんだ?」
俺は恐る恐る、そう聞いてみる。
「えぇと…それでは、歌いますっ」
マジかよ。
俺の内心の動揺を余所に、渚は肩を揺すらせて、リズムを取った。
そして、歌い始める。
「だんごっだんごっだんごっだんごっだんごの家族はだいかーぞーくっ」
「…」
「…」
「いつでも楽しいーっ、だいかーーぞくーっ」
渚が…。
渚が楽しそうに歌っている…。
俺とオッサンはそれを見守った。
…。
独唱が終わった。
だんごの家族が徒競走をしたり、だんごプリンを食べたりする斬新な歌だった…。
「渚…」
何も言えなくなっている俺を余所に、オッサンがぷるぷると震えている…。
「おまえの歌のセンスは…最高だ…!」
ぐっと親指を立てる。
ええー…。
「ありがとうございますっ」
「おうっ。これから、この歌をだんご大家族劇場版と呼ぶことにする」
「劇場版はどこからきたんだ…?」
アホアホトークを横目に見ながら、俺はため息をついた。
…。
涼しく吹く風を感じて、オッサンは顔をしかめた。
「結構寒くなってきてるから、もう少しやったら切り上げるぞ。いいな」
「はい、わかりました」
「よし」
作業を再開する。
オッサンが言う通り、まだまだ五月の夜風は肌寒い。
渚にとって、今は創立者祭本番前で大事な時期だ。こんな時に体調を崩すわけにはいかない。
さっさと終わらせてくれるならありがたい限りだ。
そんなことを考えながら、作業をしていると…
俺はオッサンが動きを止めているのに気付く。
手元の箱の中身を覗き込んだまま、硬直している。
「何見てるんだ?」
俺はひょい、とそれを覗き込む。
…そのダンボールの中には、ビデオがぎっしりと詰まっていた。ラベルには、公演の名前が書かれていた。そしてその脇に、額に入った公演の写真。
…オッサンと早苗さんの昔の写真だった。
「あ…」
俺たちふたりは、ぼんやりとそれを見ていた。
「何か見つかりましたか?」
俺たちが見入っているのを見て、渚が物置の外から声をかける。
「やべ」
オッサンが小さく舌打ちをする。
「それ、なんですか?」
ひょい、と中を覗いて俺とオッサンが見ているダンボールに気付かれる。
「いや、何でもない。大したものじゃねぇ」
オッサンは動揺を隠すように、ダンボールに蓋をしてしまう。
「ああ。渚は見ないほうがいい」
「?」
さすがに、渚は不思議そうな顔をする。
まずいな…。どうごまかせばいいのだろうか。
一瞬、沈黙。
「…渚」
俺はふと思いついて、声を低くして彼女に声をかける。
「実はあの中身は、ぎっしり詰まったエロ本だったんだ…」
「ええっ」
「だから、おまえは見ないほうがいい」
「…お父さん、エッチですっ」
「おま…!」
オッサンは俺に一回言い返しそうになるが、すぐに得心したような顔になる。
「俺の若かりし頃の思い出だな。ま、勲章みたいなものだぜ」
「…」
まあ、嘘は言っていないと思うが…。
俺は呆れた目でオッサンを見る。
渚はこっちの言い分を信じたようで、それ以上中身について問いただすことはしなかった。
そうこうしているうちに物置を調べるのには一区切りがついて、再び家の中に戻ることになる。
その途中。
オッサンが渚に気付かれないようにこっそり耳打ちをしてくる。
「小僧、礼を言うぜ。さっきは助かった」
「いや…」
「あの中身、渚には秘密にしてくれ」
「わかったよ」
「…なんのお話ですか?」
小声で会話をする俺たちを振り返り、首をかしげる渚。
「いや、大したことじゃねぇ。こいつにうちの娘を頼むって言ってただけだ。…って、うちの娘を狙ってるのか、てめぇーーーーっ!!」
「あんたが勝手に言ってるんだろ、おいっ!」
「お、お父さん、なに言っているんですかっ!」
「三人ともーーー、夜遅いですから、お静かにお願いしますねーーー」
…家の中から早苗さんに注意をされる。
「お母さんに注意されてしまいました」
「小僧、てめぇのせいだぞ。罰として、これから三食早苗のパンを食わせるぞ、コラ」
「…」
ああ、よっぽど早苗さんに今のセリフを密告してやりたいところだ…。
俺たちはバタバタと、再び家の中へと戻った。
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その後、しばらく雑談をして俺と風子は古河家を辞した。
帰り道、俺はさっきのことを風子に話してみる。
「なるほど…風子が眠っている間に、そんなことがあったんですね」
「ああ。オッサンたちのことを渚に知られると、ショックが大きいからな」
今は大切な時期だ。
あいつの心を乱すようなことは避けたい。
「…でも」
「?」
「これでいいのかっていう気もしないわけじゃないんだよ」
「??」
隣で風子は首をかしげた。
「ほら、前も話したけど、渚は本番の前の日にオッサンの昔のビデオを見ちゃったんだよ。でも、このままだとそんなこともなさそうだ」
「はい」
「そうしたら、未来が変わる」
「そうですけど…」
俺の言葉に、風子は戸惑うように言葉尻を濁した。
「そのために、岡崎さんはがんばっているんじゃないですか」
「ま、そうなんだけどな…」
これからの先行きがわからないこと。
それは、随分心理的なプレッシャーになる。
渚に真実を知られない未来も、知られる未来も、俺はどちらも選びかねているのだった。
俺の心には、迷いがある。
この世界に迷い込んで、あの瞬間から今まで、俺はずっと戸惑い続けているのだった。
自分の芯が、まだ定まっていないかのようなあやふやな感覚を抱き続けている。
周りを取り囲む少女たちの本気の気持ち。
俺はそれを、眩しく見ているばかりだった。