folks‐lore 05/07



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「ただいまです」


客のいない店内に入ると、オッサンがタバコをふかして暇そうにしていた。


店でタバコを吸うな。


「おぉ。よく帰ったな、娘よ」


オッサンは大きく手を広げて渚を抱きしめようとするが、渚はそれに気付きもしないように俺たちを振り返った。


「どうぞ、上がってください」


後ろでオッサンが硬直しているのが面白い。


とはいえ、このくらいでへこたれる人ではなく(傍迷惑な人だ)、すぐに機嫌よさそうにタバコをふかし始める。


まあ、娘が友人を連れてくるというのが嬉しいのだと思う。


「…あの、お邪魔します」


「あんたはこないだ来た渚の友達だっけっか? 歓迎するぜっ」


オッサンは風子に向かってそう言うと、口の端をゆがめる。


「お邪魔します」


「おっと待て小僧。今日はこれで定員オーバーだ」


「何の定員だよ…」


俺が店内に入っていくと、野球のバットを柵代わりにして立ちはだかる。


「すまねぇな、この家、三人用なんだ」


そんな家があってたまるか。


「お父さんっ。せっかくのお客さんにそんなことしちゃダメですっ」


渚が仲裁に入る。


「ちっ…」


バットを肩に担ぐと、タバコをふかす。


どうやら、通っていいようだった。


「岡崎さん、ふぅちゃん、どうぞっ」


渚が先導して店の奥…家の方まで案内する。


「おい、渚。早苗に言って、夕飯こいつらの分も用意してもらえ」


「はい。わかりました」


…歓迎しているんだかしていないんだか、よくわからない人だ。


俺はそう思って、こっそり苦笑した。



…。



「岡崎さんに、風子ちゃんっ。よくいらっしゃいましたっ」


家の奥で夕飯の支度をしていた早苗さんに挨拶をすると、笑顔で迎えられる。


「お母さん、ただいまです」


「おかえりなさい、渚。みなさんの分も、ご飯を用意しますからね」


オッサンの伝言を伝えるまでもなく、早苗さんはそう言う。このあたりはもう、あうんの呼吸という感じだった。


「あ…でも、おかずが足りなくなってしまうかもしれませんね」


三人分の食事に二人増えれば、そうなるだろう。


「わたし、買ってきますっ」


「それじゃ、お願いできますか、渚」


「はいっ、任せてくださいっ」


母と娘がぽんぽんと言葉を交わすのを、俺と風子はぽかんと眺めていた。


…やっぱり、渚は家族に囲まれると元気になるな。


そんなことを考えていると、早苗さんと話していた渚がこちらに向き直る。


「わたし、少し出かけてきますね。すぐに帰ってきますので、岡崎さんとふぅちゃんはのんびりして待っていてください」


「のんびりって…」


「それじゃ、いってまいりますっ」


…渚なのに、台風みたいな勢いだった。


俺は彼女の後姿を見て、苦笑する。


「あの、風子、どうすればいいんですか?」


「どうもこうも。言われたとおり、くつろぐしかないだろ」


「はいっ。おふたりとも、こちらへどうぞ」


早苗さんに居間に案内される。



…。



ふたり、並んで居間のテーブルの一角に座る。


テレビからバラエティー番組の笑い声が聞こえてくる。台所の方からは夕飯の支度をしている気配が伝わってくる。


なんだか、家庭に帰ってきた、という感じがする。


「岡崎さんは、この部屋もきたことはあるんですよね」


「ああ、そりゃな」


先日ここに来た時は二階の広い部屋を使ったから、風子がここに足を踏み入れるのは初めてだった。


窺うように周囲を探る風子を見て、俺は軽く笑う。


別段どうということもない和室。俺にとっては今まで何度も何度も、数え切れないほどここで家族と食卓を囲んだ。


懐かしいな。


やはり、何年も先の俺の知っている内装と比べると少しずつ小物とかが違う。周囲を見回していると、なんだか間違い探しみたいな気分になる。


「前、俺もこの家に住んでたからな」


「…あの、風子、今まで聞いてはいけないことだと思ってたんですが…」


「なんだよ」


「岡崎さん、この家で渚さんと同棲してたんですよね」


「ああ、そうだけど」


「…なんだか、エッチですっ」


風子はそう言うとぷるぷると頭を振った。


「ていうか、オッサンとか早苗さんもいるし、同居という感じだ。ほら、今おまえうちに住んでるだろ? ちょうどそんな感じ」


「あ、そうですか」


「でもその後ふたりでアパートに引っ越して暮らし始めたけど」


「…やっぱりエッチですっ」


風子はまた頭を振った。


「楽しそうですね。何のお話をしているんですか?」


早苗さんがお茶を持ってきてくれる。


「あ、ども」


「岡崎さんがとてもエッチだという話です」


「男の子ですからっ」


「…」


まさかの即答。


無茶苦茶力強く受け入れられて、俺は肩を落とした。







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やがて渚が帰ってきて、オッサンも店を閉め、夕飯も完成する。


「今日は娘が友達を連れてきたからなっ。今夜は盛大にいくぜっ」


「はいっ」


古河家と俺と風子で食卓を囲むと、最初からオッサンと早苗さんのテンションは最高潮だった。


まあ、ふたりの気持ちはわかるのだが…


渚も、にこにこと笑っている。


「あん? どうした小僧? おめぇももっと嬉しそうにしろ」


「はい、そうです。風子にヒトデをもらった時みたいに上半身裸になって踊ってもいいです」


「言っとくけど、それはお前の妄想の中での出来事だからな」


「おっ、嬢ちゃんもなかなか面白いな。ヒトデって何のことだ?」


「はい、風子、おねぇちゃんの結婚…わぷっ」


俺は隣の風子の口をふさいで、部屋の隅まで引きずっていく。


(何するんですかっ。最悪ですっ)


(おまえはアホかっ。公子さんはこの店の常連なんだから、変なこと言ったらバレるだろうがっ。ただでさえあの人たちは勘が鋭いんだからなっ)


(…はっ)


(今気付いたのかよ…)


(くっ、風子、和やかな雰囲気についつい流されるところでした…。恐ろしい家族です…!)


(いや、おまえが勝手に自爆しただけだから)


「ふぅちゃんは、お姉さんの結婚式をお祝いするためにヒトデを作って生徒のみなさんにプレゼントしているんです」


って渚ーーーーーーーっっ!!


「そうなんですかっ。おめでとうございますっ」


「姉のためにプレゼントを作るなんて、泣かせる話じゃねぇかっ」


「はいっ。ふぅちゃんのお姉さんは昔うちの高校の先生だったそうなので」


「ほぅ…」


渚のその言葉を聞いたオッサンが目を細める。


…まずい。


伊吹という苗字。そしてうちの高校でかつて教鞭をとっていたということ。それだけで、真実はもう手繰り寄せられるほどに近い。


俺は内心ハラハラしながらオッサンの言葉を待った。


「さすが、うちのお姫様の友達だなっ。なかなか面白いじゃねぇかっ」


「わたしたちも、応援していますからねっ」


全然バレてなかった!


俺はずるううーーーっ、と床を滑っていった。


「あん? どうした小僧?」


「いや…」


こんなことなら、慌てて秘密にしようなどとしなくてもよかったかもしれない…。


まあ、オッサンたちのことだから全て承知の上なのかもしれないけれど、普通にいつものノリで受け入れているだけということもありうる。よくわからない。気にしたらキリがないな。


俺は食卓に戻る。


「ほら、冷めちまうからさっさと食え」


「そりゃ、どうも」


促されて、食べ始める。


…懐かしい味だった。


それは、早苗さんの味。


そして…渚の味。


思い出の中にしか残されていなかった味だった。


俺は料理をつつきながら、かみしめる。


笑ってしまいたくなる。泣きそうになる。


それは、そんな味だった。


「岡崎さん、あの、味はどうですか?」


黙々と食べていると、渚が心配そうに聞いてくる。


「ああ、うまいよ。すげぇうまい」


「そうですか。それなら、よかったです」


俺の言葉を聞いて、安心したように笑う渚。


料理を練習してきた甲斐がありましたね、などと早苗さんが言って、渚が慌てていて、オッサンがそれを見て不機嫌そうにしている。風子は俺の心中を察しているのだろうか、窺うような顔でこちらを見ていた。


ああ…。


それでも俺は、今、周囲に気を配る余力がない。


俺は、なんて幸福なのだろうか。


涙が溢れそうになるのを、俺は努力して堪えた。



…。



夕飯を食べ終わり、なんとなくそのまま歓談。


早苗さんは台所に洗い物に立っていて、俺たちはそのまま居間でのんびりする。


「ふあ…」


テレビを見ていた風子が小さくあくびをする。


「おう、もう眠いか?」


「いえ、全然そんなことありません。風子、大人なので、こんな時間から眠くなったりしないです」


大人だから夜更かしというわけでもないと思うのだが。


「そうか、そいつは悪かったな。だが、もし眠いんだったら早苗のパンでも食うか? 一発で目が覚めるぜっ。なにせ、ありゃ刺激物だからなっ」


オッサンが笑顔でそんな軽口を言う。


俺と渚は、オッサンの後ろに立つ早苗さんの姿を呆然と見つめていた。


「わたしのパンは…わたしのパンはっ…」


「げっ」


早苗さんは涙ぐみ始める。


「眠気を覚ますためのものだったんですねーーーーーっ!」


だっ! と走り去っていった。


「早苗っ。く、くそ…」


オッサンは慌ててその後を追っていく。


「俺は大好きだーーーっ!」


後半セリフがもごもごしていたのは、口に早苗さんのパンを詰め込んでいたからだろうか。


…急に静かになった。


「すみません、うちの親、騒がしくて…」


「いや…」


渚は恥ずかしそうに肩を縮こまらせているが、俺としては懐かしいやり取りで笑ってしまう。


「その、それじゃ、探し物をしませんか」


「ああ、そうだな。風子、おまえはどうする?」


「ふあ…。もちろん、手伝います」


眠そうな表情だった。


「ふぅちゃん、眠いなら少し眠りますか? 探しものは物置ですから狭いです。三人もいなくていいですから、ゆっくり休んでいてください」


「はい、そうします…」


こっくり舟をこぐ風子に、奥から敷布団を出してやり、俺たちは家の裏手にある物置へ向かった。






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