folks‐lore 05/07



383


俺と風子は言葉少なく校内を歩いた。


先ほど、彼女の姿が体育教師だけには見えていなかったことについて、話してみたいと。


が、この時期の校内は普段よりも活気に満ちている。


食堂は創立者祭の準備に勤しむ下級生の集団が押しかけていたし、校庭も運動部が活動している。


人ごみから追い出されるようにして、植物園にたどり着く。


幸い、ここに他の生徒の姿はなかった。


俺と風子はベンチに並んで座る。


風子はさっき買ってやったイチゴ牛乳の紙パックを飲み始める。


「ああいうこと、他にもあったのか?」


俺はそんな横顔を見ながら聞く。


風子はストローに口をつけて足元に目を落としたまま、こくりと頷いた。


「そうか…」


そういうことは早く言え、などと言いそうになったが、やめる。風子は俺が知っても何とかならないと思ったのだろう。そして実際、それはその通りだ。わけがわからないし、打開策が出てくるわけでもなかった。


ただ、言ってほしかった、というのが実際のところか。


「仕方がないことです」


風子はぷっと息をはいて、紙パックのジュースをぶくぶく言わせる。


「元々、風子がここにいるのがおかしいことですから。だから、仕方がないです」


「仕方がないなんてことはないだろ」


「はい」


頷く。


「風子のこと、気付いてもらえなくても…それで、他の方にプレゼントを渡すのはやめません」


「…」


俺は風子の言葉に驚く。


彼女がどうしようもなく戸惑って、立ち止まってしまっているかと思った。


だが、そんなことはないのだと気付かされる。


こいつは、自分が人に気付いてもらえないという事態があっても、それでも前を向くことに迷いはない。


彼女の本気。


今ここにいる意味。


そして、自分の未来を信じていること。


…俺にはその姿が眩しかった。


風子が。


自分にはないものを持っているように見えたのだ。



…。



その後風子と話し合ったが、どうしてあの体育教師は風子の姿が見えなかったのか原因はわからなかった。


何か決まった要因があるのかもしれないし、たまたまなのかもしれない。


風子によると自分の姿が見えない奴はほんの数人程度しか会ったことがないらしい。


ほとんどいないのなら、あまり気にしなくてもいいのかもしれないが…。


「もう、行きます」


「ああ」


話が終わると、風子はさっさと立ち上がって歩いていく。俺もその後に続いた。


歩きながら、俺の心中にふとした疑問が湧く。


数少なくとも、風子の姿が見えない人がいる。その事実に。


…今俺たちは、公子さんの結婚式のためにプレゼントを渡している。


そして、創立者祭の日には、その成果を公子さんに見てもらおうと招待もしている。


そこで、姉妹が再会できればいいと俺は思っていたが…


だが。


頭に浮かんだひとつの可能性。


もし、公子さんが…。


風子の姿を見ることができなかったら、事態はどうなってしまうのだろうか。


かすかに胸の奥をざわめかせる疑問。


俺はその疑問を口にしようとするが、風子は意外なほど早足に、すでに随分前を歩いていってしまっていた。


この時に。


浮かんだ疑問は口にされることもなく、結局、持ち越されることになった。






384


風子と別れて、部室に戻る。


今日は人が少ない。いるのは渚と杏だけだった。


渚は台本に向かって書き込みをしている。


杏もその横に座ってそれを覗き込んでいたが、引き戸を開ける音で顔を上げ、俺の姿を見ると咎めるように言う。


「あんた、部活ほっぽってどこ行ってたのよ」


「ちょっと野暮用」


というか、どこか行っていたのはおまえも同じだろ…などと先ほど屋上でのやり取りを思い出すが、馬鹿正直に言ったら覗き見がばれてしまう。


俺は話をそらすように部室を見回す。


隣の教室に合唱の三人と幸村はいた。ことみは春原と椋を伴ってヴァイオリンの練習だろう。


「宮沢は?」


彼女の姿がなかった。


「宮沢さんは、教室の手伝いをして、そのあとは用事があるみたいです」


その問いには渚が答える。


「そういや、あいつもクラスの手伝いはしなきゃいけないだろうからな…」


「はい。みなさん、お忙しそうです」


「椋も今日はクラスの方に行きっぱなしよ」


「へぇ、そうか」


となると、ことみの手伝いは春原一人か。


なんだか、変な組み合わせのような感じもするな。


まあ、練習に付き合う人数が減ったというのは犠牲者が減ったということだから、いいことかもしれない。春原は災難だが。


「あんたが遊びに行ってるから、さっきまで渚ひとりだったのよ」


「そりゃ、悪い」


ひとりぼっちというのはたしかに寂しかっただろう。


そう思うと、悪いことをしたような気分になる。


「い、いえ、全然平気ですっ。ふぅちゃんもしばらく一緒にいてくれましたから」


「そうか?」


「ちょ、ちょっとだけ、寂しかったですけど…えへへ」


小声で付け足すと、照れたように笑った。可愛い。


「ま、代わりに今日はもう用事ないから、ちゃんと最後まで付き合うよ」


「はいっ。ありがとうございますっ」


「それじゃ、朋也、バトンタッチね」


「は?」


「あたしもちょっとクラスの方を見てきたいから」


今は時期が時期だ。それは当然かもしれない。


「ああ、わかった」


「ごめんね」


杏は手を合わせて軽くわびると、さっさと部室を出て行った。


で、俺と渚だけが残される。


隣の部屋から歌声が聞こえるが、そのおかげで、かえって二人きりという感じに拍車をかけているような。


俺たちはしばらく無言で杏の出て行ったドアを見つめる。


ふたりの間に、なんだか微妙な空気が流れる、一瞬。


「…じゃ、やるか、部活」


「は、はいっ」


渚が慌てて机に向き直る。俺もその前に座った。


「さっきまで、なにやってたんだ?」


「台本を確認していたんです。手振りとかを書き込んで…」


たしかに、台本を覗き込むと赤字で色々と書き込みをされている。この台本を作成して何日も経っていないくらいだが、もう随分使い古した感じになっていた。


渚は毎日、俺たちが見ていないようなところでも手に取り、読み込んでいるのだろう。


なにせ、これは彼女にとっての夢だ。


たくさんの部員が揃って、大きくなった俺たちの目標だ。


俺は台本に向かって視線を落とす渚の横顔を見る。


文字を追って瞳が動く。口を動かしてセリフを追っている。


いつもは騒がしい部室が、今は随分穏やかな空気。


「…あの」


「ん?」


ぼんやりしていると、渚が顔を上げてこっちを見ていた。


「そんなにじっと見つめられるとなんだか緊張してしまいます…」


恥ずかしそうに言う。


「ああ、悪い」


「い、いえ、すみません」


互いに謝って…再び、渚は台本に目を落とした。


俺はぼんやりと外の様子を見る。ここからだとグランドが見えた。


色々な運動部が活動をしているのが見える。同時に、グラウンドの脇の方には創立者祭の準備をする文化部の姿もある。


…とはいえ、ずっと見続けて楽しいものというわけでもない。


俺はすぐに振り返り、部室の中を見る。


見慣れた風景。部室の風景。


渚が一人、机に向かって台本を読み込んでいた。集中しているようで、今は俺の視線にも気付かないようだ。


「…」


やばい、やることないな…。


すぐに、そんな事実に気付く。


まあ、風子の彫刻の道具が残されているのは見えるから、それでヒトデを彫っていてもいいのだが、家でもできることをここでやるというのも微妙だ。


「渚、何か手伝えることないか?」


「あ、ええと…」


声をかけると、渚は顔を上げて少し悩んだ様子。


「それでは、あの、お話をしませんか?」


「話?」


真面目な性格の渚が、やるべきことを放って遊ぶというのが意外だった。


「はい。岡崎さんに、このお話のこと、もっと聞いてみたいです」


「ああ…」


そういうことか。


「そういうことなら、何でも聞いてくれ」


「ありがとうございます」


そうして、俺たちは隣り合って座ってしばらくの間話をしていた。


俺たちふたりをつなぐ不思議な話。終わってしまった世界の女の子の話を。


ふたりともこの話の来歴は知らない。互いに、いつの間にかこの話を知っていて、魂にでも刻まれたようにこの話を覚えている。


話をしていて気付くのは、俺の方が渚よりも詳細を知っているということだ。


渚は、この物語がどうやって終わったのかを知らない。渚が覚えていたのは、少女とロボットが旅に出るところまでだ。


だが、俺はその先の結末を知っていた。


旅に出たふたりは冬に追いつかれ、雪の中で歌をうたう。そして、終わってしまった世界は結末を迎えるのだ。いや、新たな始まりを迎えるとでも言ったほうが感覚としては近いかもしれない。


「やっぱり、どこで聞いたかは覚えてないんだよな」


「はい…。あ、でも」


渚はぱっと顔を上げる。


「うちの物置に昔のものはしまっているので、もしかしたらそこを探せば何か見つかるかもしれません」


「え…」


渚の言葉に、俺は硬直する。


以前、そうして家を探し回っていて、渚は両親の過去の夢を掘り出してしまったのだ。


「いや、そこまでしてくれなくてもいいけど」


俺はとっさにそう言って話の矛先を別の方に向けようとする。


が、渚はそれには気づかないようだった。


「いえ、もしかしたら劇のヒントが見つかるかもしれません」


名案、という様子でにっこり笑う渚。


俺はそれを否定することはできなかった。


何も見つからないからそれはやめておけ、などと言うことなんてできない。それは俺の知るはずのないことなのだ。


今さら手間になるだけだから無意味だ、と言っても渚は納得しないだろう。彼女はきっと、実際に劇に活かせるかどうかというよりも、ただ調べて、知ってみたいという気持ちだと思うから。


だから俺は…


「わかった」


そう答えていた。


「それじゃ、俺もその探し物に付き合うよ」







385


部活が終わる。


あの後は、練習を終えたことみ(とげっそりした春原)が帰ってきたおかげで随分部室も賑やかになった。


ふたりでいられるのもいいことだが、やはり部室は賑やかでいてくれたほうがいい。


幸村も合唱の指導を区切りをつけて演劇を見に来てくれて、その後は渚の劇の練習が中心になっていた。


あっという間に時間が過ぎた。


本番まであと三日しか練習できる日はない。


そう思うとまだまだ練習しなくてはいけないような気もしてくる。


焦っても仕方がないし、一日一日努力するしかないのかもしれないが。


ともかく、今日の活動は終了。


先ほどクラスからこっちに来ていた杏と椋は教室にとんぼ返りのようだ。


彼女ら以外の面々で学校を出る。


そして、再び渚の家に案内される俺と風子。


今日の夕飯は、古河家でご馳走になることになりそうな予感だった。


そう思うと、俺の心は少し弾んだ。


自分が渚の家に身を寄せているわけでもないので、当然のようにあの人たちとの付き合いは前よりも少ない。


だが、一緒にいるとやはり安心するのも事実。


下手なこと言わないようにという自制は必要にはなるが、それでも楽しみだった。


「勝手に押しかけて、いいのか」


三人で帰り道を歩きながら、俺は渚に聞く。


向こうが気にしないのは想像がついていたが、聞いてみる。


「はい。うち、そういうの全然気にしませんから」


渚は屈託なく笑った。


家族の話をする時は、渚はいつも笑顔だった。


俺もついついつられて笑う。


「仲いいな」


「そうでしょうか。普通だと思いますけど。岡崎さんは、どうなんですか?」


「どうだろうな…」


仲がいいとはいえないだろう。


だが、仲が悪いとまではいわないよな、とも思う。


多少は関係改善の道を歩みだしているとも思うし。


微妙なところだ。答えに困る。


「悪くはないと思うけど。うち、母親がいなくて親父と俺だけだから、渚の家みたいな感じにはならないよ」


「そ、そうなんですか。すみません、つまらない事を聞いてしまって…」


渚は俺の答えにしゅんとなって肩を落とした。


その態度が不思議に思うが、自分が母親を亡くしていることを言ったからだと気付く。そういや、渚はまだそのことを知らないのか。


「ああ、こっちこそ悪い。まあ、物心もついてない時からいないから、気にしてはいないんだけど」


「そうなんですか」


それでも、やはりまだ少し戸惑った様子だった。


「おまえはどうなんだ?」


俺は横の風子に話を振る。


そういえば、公子さんの話は聞いても両親の話なんてほとんど聞いたことがない。


「うちも、仲良しです」


「ま、おまえを見ているとそんな感じはするな…」


ギスギスした家庭では風子みたいな性格には育たないだろう。なんとなく、そんな気がする。


「ふぅちゃん、のびのびしてますから」


渚もそう言ってころころと笑った。


「はいっ、もちろんですっ」


それを褒められていると思ったのか、風子は胸張って答えた。


実際は、若干生暖かい言葉なんだが。


しばらく能天気に言葉をかわしながら夕暮れの町を歩き、古河パンに着いた。







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