folks‐lore 05/07



377


午後になる。今日は最後の授業はなく、代わりに生徒会長演説会がある。


全校生徒が体育館に集められ、生徒会長候補生の演説を聞かされる、素敵なイベントだ。不眠に困っている奴ならば、枕を持っての参加をおすすめしたい。


生徒会長選挙期間に候補生の演説を聞かされる生徒は多いだろうが、それでも全員の話を聞けるわけでもないし、そもそも興味ないから積極的に聞こうとは思わない、などという生徒も相当数いるだろう。


そんな奴らにも一通り各候補の主張を聞かせる思惑もあるのだと思う。


かくいう俺も、候補者の演説などまったく聞いていない。演説しているのを目にすることはあるが、さして気にすることもなく素通りしていた。


智代の演説すら聞いていないくらいだからな。まあ、彼女の主義主張みたいなのは、会話の中で多少はわかっているつもりだが。


いくら人生経験が長いとはいえ、興味関心が以前と違うというわけでもない。当然のように、演説会は退屈だった。


…というか、途中から寝ていた。


おかげで智代の演説を聞き逃してしまった。


とはいえ、横の春原は初めから寝ていたから、こいつよりはマシだろう。


そう思いたい。



…。



演説会が終わると、クラスに戻ってそのまま投票になる。


大したものではなく、クラスの教壇に置かれた箱の中に名前を書いて入れるだけ。


坂上智代。


俺は迷いもなく、彼女の名前に丸をつけて、箱に投票用紙を入れた。






378


放課後、廊下に生徒が溢れる。


部活に行く者、帰る者。


俺と春原はその人ごみをかき分けて旧校舎に向かう。


その途中。


「岡崎っ」


「?」


名前を呼ばれて、振り返る。


智代が小さく手を振りながら、小走りにこちらに向かってくるのが見えた。


が、来る途中で他の生徒から話しかけられていた。


「坂上さんっ、いい結果が出るといいですねっ」


「さっきの演説、カッコよかったですっ」


「坂上さんに投票したよっ」


女生徒たちが熱心にそんなことを言っている。相変わらずの人気だった。


対して智代は少し困ったように笑って彼女らに何か言葉をかけ、すぐに手を振って暇を告げている様子。


だが、一歩踏み出すとすぐに会話が終わるのを待っていた別の奴に捕まっている。


「忙しそうだねぇ」


「ああ、まあな」


俺と春原はそんな様子を廊下の壁に寄りかかってしばらく眺めていた。


先ほどの演説の興奮冷めやらぬ様子だった。



…。



「岡崎、すまない、待たせてしまったな」


「いや、いいよ。おまえこそ、大人気だな」


しばらくしてやっとたどり着いた智代にそう言うと、苦笑した。


「うん、それはありがたいと思っている」


「でも、おまえ、女の子にばっか人気なんだねぇ」


春原がヘラヘラと笑いながら言う。実際、さっきこいつに話しかけにきていたのは女ばかりだった。


「まぁ、それは、私も感じている」


智代は少し困った様子で頷いた。


「男に人気がないわけじゃないだろ」


俺はそうフォローを入れる。


「そうなのか?」


「ああ。ぱっと見何でもできそうだから、声をかけづらいんじゃないか」


女子は憧れを持って彼女に声をかけ、男子は遠慮を感じて遠巻きに見てしまう。


まあ、そういうのも最初だけだろう。誰に分け隔てをするような奴でもないし。


「ま、実際は結構抜けてるけど」


割と危なっかしい奴でもあるけどな。


俺の失礼な付け足しのセリフに、智代はわざとらしく顔をしかめて見せる。


「抜けてるとは失礼だぞ」


言いながらだが、表情は笑顔になっていった。


「私のどんなところが抜けているんだ?」


「思ったことがすぐ口に出る」


「そうなのか…」


俺の言葉に考え込むような様子。


「そうかもしれない…」


丸め込まれている…。


むしろ、そんな素直すぎるところが心配なんだが…。


「あと、先輩に対する敬意も足りてないねぇ」


「また始まったか…」


「春原、おまえは智代にどう接してもらいたいんだよ」


「そりゃ、僕の顔を見たらジュースを買いにひとっぱしり!」


「よし、春原、ジュース買って来てくれっ」


「岡崎はタメだろ!?」


「いや、俺とおまえの学力を比べたら先輩後輩レベルの開きがあるし」


「おまえ、最近結構真面目に授業受けてるからねぇ」


「…それなら、私はふたりとも後輩扱いしていいのか?」


智代はにっこり笑って俺と春原の次元の低い争いに首を突っ込んでくる。


「…この判断基準じゃ俺たちに不利すぎるな」


多分、下級生の智代と比べてさえ、俺たちの学力は及ばないだろう。というか、俺と春原の頭を足しても相手にならないような気がする。


「まあね。ことみちゃんとかと比べたら、僕たちカスみたいなもんだからね」


「カスはお前だけだ」


「でも、ことみちゃんのためにジュース買いにいくなら、悪くないような気もしちゃうよっ」


「おい春原、お前下僕根性が染み付いてるぞ…」


ついついこいつが心配になってしまった。


「あぁ、ついつい話し込んでしまったな」


智代が思い出したようにそう言う。


「そういや、おまえ、何の用なんだよ」


「僕と岡崎は、これから楽しい部活動タイムだぜ?」


「おまえはことみのヴァイオリン練習だろ」


「……」


春原は無言で震えだした。少し怖い。


「岡崎、こいつは何をやっているんだ?」


「人間バイブの物真似」


「変態かっ」


「ていうか、おまえもこないだことみの演奏は聞いただろ」


「まさか、まだ上達もしていないのか?」


「全然」


「そうか…」


智代は顔を上げ、外の景色を眺めた。


風が吹いて、ざあっと音をたてて木々が揺れた。


「人には、向き不向きがあるからな…」


「ああ…」


俺たちは遠い目をして、外の景色を眺めていた。


「そういや、明日、ことみのヴァイオリンの発表会があるから、おまえも来てくれよ」


「岡崎。どう繋がって、私が参加になっているんだ?」


「あいつのお友達繋がり」


俺がそう言うと、智代は笑う。


「おまえは、ずるいな。そんなことを言われたら断ることなんてできない」


「ありがとな、智代」


「いや、構わない」


言葉を交し合って、俺たちは少し笑った。


「それじゃあな、智代」


「ああ…って、ちょっと待て」


踵を返して部活に向かおうとすると、肩をつかまれる。


「なんだよ」


「岡崎に話があるんだ」


「話?」


「うん。これから部活で忙しいと思うが、もしよければ、少しだけ時間を割いてもらえるとありがたい」


「そりゃ、別にいいけどさ」


「ありがとう」


「…それじゃ、僕は先に部活に行ってるよ」


傍で会話を聞いていた春原はそう言うと、ぶらぶらとした足取りで旧校舎へ歩き出した。


「ああ、渚には遅れるって言っておいてくれ」


後姿に声をかけると、春原はひらひらと手を振って応えた。






379


智代に話があると言われて連れてこられたのは、屋上だった。


屋上には誰もいなかった。


普段だと放課後はどこかの部活が使っている事が多いのだが…今日は無人。


そのせいで、少しがらんとした印象がある。


もう五月に入り、空の輝きは優しく、風は暖かい。


少し薄ぼんやりとしたような風情もある、春の陽気。


この学校は丘の上にあるから、ここからだと町が全部見渡せる。


俺は智代の後に付いて歩く。


智代は、屋上に出ると目的地が決まっているかのように端の方、校門に面した側に足を向けた。


彼女の長い髪が、風に揺れる。光を弾いて少し輝く。小さな足音がかすかに胸に痛い。


…まるで、告白でもされそうなシチュエーションだな。


俺は心中そんなことを考えて、自分で苦笑する。能天気な考えだ。智代は今は生徒会長選挙を抱えている真っ最中で、そんなことをしている場合なわけがない。


「岡崎」


屋上の端まで来た彼女が、振り返って俺を呼ぶ。


穏やかな表情。


柔らかな微笑。


匂いたつような、彼女の周囲の神々しいような雰囲気。


フェンス越しに空、そして町。


「こっちにきてくれ」


「ああ…」


俺は誘われるままに彼女の隣に並ぶ。


ふたり、フェンスに手を置いて目の前に広がる風景を眺める。


町。


俺がこれまで過ごしてきた町。


小さな頃から、今まで。そして未来のあの頃まで。


少しずつ、形を変えながらも俺の傍に寄り添っていた場所。俺が自分の足で立ち続けていた場所。


ここから見て左手、盛り上がった丘は森に覆われている。俺の家をその裏側の方にある。


前方、住宅地の中を突っ切るように商店街がよく見える。その先に駅があり、線路が一本斜めに延びている。


目印になるようないくつかのマンション。特徴的な色合いの住宅。大きな県道、くるくると回転する店舗の看板。押し込められたように木々が密集しているところは、公園だろうか。


視線を下に向けると、学生寮が見える。


もっと下、延々と続くような坂道が見えて、校門まで視線がたどり着く。


もう放課後だ、生徒たちがぞろぞろと校門を抜けて坂を降りていく姿が見える。


大した高さでもないが、こうして上から見ているとそんな姿がなんだかいじらしく感じるから不思議なものだ。


「以前」


隣の智代が言葉を話す。


ぼんやりと景色を見ていた俺は、はっと目覚めたような気分になる。


彼女の顔を見る。


智代はフェンスに手をかけたまま、少し笑って俺を見ていた。


「おまえには、話したことがあったな。私が、生徒会長になろうとしている理由だ」


「ああ…」


俺は頷く。


「あの、桜を守るためだろ?」


「うん、そうだ」


俺たちは視線を下に落とす。


この学校から、俺たちの町へと伸びる坂道。その周囲に並ぶ、桜並木。


それを伐採する計画がある。道路を広げるために。その方が、便利だからと。


今はもう葉桜となったその木々。選ばれる未来によってはなくなってしまうかもしれないもの。


「それは、家族のためなんだ」


俺は視線を戻して彼女の顔を見る。


智代は桜並木に目を注いだままだった。


俺は、彼女の横顔を見る。


その、優しい表情を。


「岡崎になら、話したいと思っていた。もっとも、おまえには迷惑かもしれないが…」


言葉を続けて、ちらりと俺を見上げた表情がはにかむ。


「聞かせてくれ」


俺は、それに対して大きく頷く。


「その、家族の話」


「…うん」


その答えに、智代は安心したようだった。


そして、智代は話し始める。


彼女の家庭の話を。


俺たちは、フェンスに手をかけて眼下の町を見下ろしながら、ふたり、ぽつぽつと言葉を交わした。



…。



智代の家庭は、温もりのない家だった。


その家庭には、何もなかった。


両親の関係は冷え、子供たちの関係も渇いていた。


そこには喜びもなく、悲しみさえもなかった。


支えもなく、寄る辺もなく…


そして、坂上智代は、荒れた。


夜の町に繰り出して、独りよがりな正義をかざして不良どもに制裁を下した。


情緒が不安定だった。


誰も彼もを攻撃し、それは家族も同様だった。


両親も。


そして。


弟も。


冷め切った関係の中で、だが、弟だけが家族の輪を取り持とうともがいていた。


そっぽ向く家族に向かって、あらん限りの言葉を尽くした。


だが。


…二年前の春。


ついに、というか、ようやく、というか…両親が離婚しようとした。


無理もない。


とうの昔に、家族は形ばかりのものになっていたから。


それが、本当になくなる。


家族が、家族でなくなる。


取り返しがつかなくなる。


そんな事態に直面し、智代の弟は…最後の手段を選んだ。


彼は、公道に飛び出した。


自ら、車にはねられた。


重傷を負い、小さな病院に運び込まれ…形ばかりの家族がそこには集まった。


両親、そして智代。


家庭など顧みなかった三者が集まり、彼らは一心に、家族の身を案じていた。


何年ぶりかに、家族の心がひとつになった。


そして、奇跡が起きた。


弟は一命を取り留めて、家族は絆を取り戻した。


そして、病院の近くの桜並木…。


それを見上げて、彼は車椅子を押す智代を振り返り、久しく見ていなかったような笑顔を見せた。


「あの桜並木の先に、その病院がある」


「ああ…なるほど」


それは、弟を押して歩いた道なのだ。


「うん。思い出の場所なんだ」


俺たちはふたり、屋上でフェンスに手を置いて町を見た。


下に伸びる、桜並木の行く先を目で追った。


「生徒会長になる、と偉そうなことを言っていても、その原動力になっているのは自分勝手な理由だ」


「そのために頑張っているんだから、いいだろ」


「ありがとう。すまない、こんなことを話してしまって」


「いや、いいよ」


「岡崎には、聞いておいてほしかったんだ、この話を。それが、私がここに来た理由だ」


智代は少しの迷いもなくそう言う。


「この学校に」


「…」


清清しいほどの言葉だった。


俺はついつい、自分のことを顧みてしまう。彼女のように、何かを選び取ってきたのだろうか、と。


俺は、ここにいる。


わけもわからないままに、この時間にいる。


だが…俺は自分がここにいる理由など、誰にも説明はできなかった。


俺のため、渚のため。


適当な言葉で形にすることはできる。だがそれがどんな答えでも、俺はその自分の答えを信じきることはできないだろう。


智代の語った家族の話に照射されるように、俺は自分の身の上について深く考えないわけにはいかなかった。


「…なんで、俺にその話を?」


「それは…」


聞き返すと、智代は戸惑ったようにさっと視線を宙にさまよわせた。


「…おまえの、家族のことだ」


「ん?」


「おまえは、父親と喧嘩しているんだろう?」


「ああ、まあ」


「だから…私の話が、少しでも参考になればいいなと思ったんだ、うん」


なんだか、歯切れが悪い。


とはいえ、それを追求するつもりもなかった。


「…そうか、心配かけてるな」


「いやっ、そうじゃないっ。勝手に私が話しただけだ。聞いてくれてありがたく思っている」


「俺だって、その話を聞けてよかったよ」


「そうか。それなら、よかった」


智代は安心したように笑った。


「行こうか。おまえも部活があるだろう」


「ああ、そうだな…」


俺たちは連れ立って出入り口の方まで歩いていく。


その途中。


校舎へと続くドアが開いて、ひとりの女生徒が屋上に顔を出した。


…というか、杏だった。


「やべ」


俺は反射的にすぐ傍の給水塔の陰に隠れる。


「どうしたんだ」


すぐに、智代も傍による。


こっそり窺うと、幸い杏はこっちに気付いた様子はない。


そわそわした様子で、落ち着きない。


「いや…なんか、隠れちまった」


「なにをやっているんだ、おまえは」


智代はやれやれと息をつく。


「でも、部活来ないで何やってる、とか言われそうだし」


「それなら、私から言っておくから安心していい」


「…」


それ、かなり情けないと思うんだが。


…などと、会話をしていると再び、ドアの開く音。


ここに加わる、もうひとりの闖入者。


俺と智代は、物陰からそっとその様子を窺った。







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