folks‐lore 05/06



368


しばらく渚の演技練習を見る。


渚は、最近はずっと声を出し続けるような練習になっていて、途中で飲み物を飲んだり飴をなめたりしながら小休止をいれる。それは、合唱の三人組も同じようだった。


「少し、休憩するかの」


幸村がちらりと時計を見やって、今日何度目かの休憩を告げる。


「はい」


渚はそう言うと、少しリラックスした様子でグラウンドへ続く階段に腰掛ける。


幸村はその間合唱の指導に向かい、俺たちは渚を囲んでまた話。


「なんだかあたしたち、いるだけでゴメンね」


杏がすまなそうにそう言う。


実際、見ているだけだからな…。


俺と杏と宮沢はぼんやりと渚ががんばっている姿を見ているだけで、申し訳ないような気分になる。


「いえ、そんなことないですっ。いてくださるだけで、わたし、とても心強いです」


「何かできればいいんだけどな」


「そうですねぇ」


俺たちはぼんやりとしばらく考え込み、やがて杏が思いついたように顔を上げる。


「ねぇ、それじゃあさ、朋也がロボットの役でもやってみれば?」


「はあ?」


突拍子もない提案に、俺はぽかんとする。


ロボット役?


…そんなものはない。


この劇は渚の一人芝居で、ロボットと会話をするようなジェスチャーはあるが、配役などはないのだ。


「ああ、相手が実際に立っていたほうが、演技がしやすい、ということでしょうか」


「そうそう」


「はぁ、岡崎さんがロボットさんですか…」


渚も面食らったような顔だった。


俺にお伺いを立てるような目を向ける。なんとなく、渚はそれに乗り気のような態度だった。


共演者がいるというのは、不安を払拭してくれるのかもしれない。隣に立つのが俺という大根役者なら、確かに気は楽だろうけど。


…というか、杏に向かっておまえがやれよ、と言いたい。まあ、言ったとしても原作を知っているのは俺だけだと一蹴されるような予感がしたので、口には出さないが。


「ていうか、ロボットは子供くらいの背の高さって設定じゃなかったっけ?」


俺がやると、渚は少し見上げるような体勢になる。


それではあまり演技指導にはならないのではないだろうか。


「そうですけど…でも、もし岡崎さんがよろしければ…わたし、やってみたいです」


「ええ?」


戸惑いがちだった渚は、心を決めたようだった。


俺がロボット役?


内心、心が揺れる。


「ふたりでのお芝居って、わたし、やったことないですから。ですので、やってみたいです」


「まあ、そういうことなら、別にいいけど」


断る理由はなかった。


俺の了承に、渚はにこりと笑う。


「ありがとうございますっ」


そんな感謝されるほどのことでもない。


だが…。


俺が、ロボット役か。


そう考えて、胸が疼く。


頭の奥底に、残り火のようなものが小さく輝く。


何かが。


何かが、俺の脳裏に焼きついている。


形を成さないかすかな残像。


忘れてしまった、大切な思い出のように。


それは俺の記憶の泉の奥深くに沈み込んでいて、それでもたしかにそこに存在している。







369


ロボットにセリフはない。


当然だ、その役は誰にも振っていないのだから。


俺が渚の補助役を務めるといっても、実際には立って少し体を動かして見せるのみだ。


だから、大した役でもない。


俺は台本を手にして立ち尽くしている。


そんな姿を、杏と宮沢は興味深そうに見守っている。なるほど、役者をやるというのは結構恥ずかしい。見知った奴らに見られるのは気恥ずかしいし、見知らぬ客に見られるのは緊張するだろう。


幸村はまだしばらくは合唱の指導に行ったままだ。俺がロボット役をやってみることを聞くと、試してみるがいい、という一言のみだった。


そして。


目の前の渚は、少し緊張したような様子だった。


手には、もう台本はない。セリフはきちんと覚えているのだろうか。台本を渡してそう日は経っていないはずなのだが。


いや、それはいい。


問題は俺だ。


「えぇと、それでは、一番初めからやってみます」


「ああ…わかった」


そうして、渚の演技が始まる。


物語は少女の語りから始まり…


そしてやがて、この世界を垣間見たひとつの魂が、幻想世界の少女の作り上げたロボットの中へと入り込む。


俺の出番がきた。


体を手に入れたばかりのロボットが、歩く練習をしてみる場面。


俺はじっと、目の前の少女を見た。


彼女は、うかがうような表情で、小さく手を叩きながら、俺を呼んでいた。


この世界に紛れ込んだばかりの俺は、まだまだうまく体を動かすことができない。


うまく、足が動かない。


進もうとするけれど、前のめりに倒れてしまう。


そのたびに、少女は手を引いて体を起こしてくれる。


何度も、何度も。


ようやく、少女の前までたどり着くことができる。


彼女は僕の体に手を回し、温かな手のひらで抱きしめてくれる。


よくできたね、と言ってくれる。


ぬくもりだ。


この世界でたった一つの。


自分が求めていたもの。


俺は促されるように、少女の背中に手を回した。そっと彼女を抱きしめた。


「「ちょーーーっぷ」」


「いてっ」


杉坂と原田に同時に頭をはたかれて、俺は我に返った。


ふと見てみると、俺はいつの間にか渚を抱きしめていた。


渚が、俺の腕の中で真っ赤になって体を縮ませていた。


「悪い、つい」


そう言って背中に回した手を離す、その瞬間に感じた…殺気!?


俺は後ろを振り返り、迫り来る何かを真剣白刃取りの体勢で受け止めた。


…漢和辞典だった。


こんなの直撃してたら死ぬぞ。


そう思って顔を上げた瞬間。


俺の目の前に、靴の裏と、純白の何かが見えた。


…ガスン!


それがなんなのか認識する前に、吹っ飛ばされる。


杏の飛び蹴りだった。


「なに自然にセクハラしてるのよ、このスカタンがッ!」


「きょ、杏ちゃんっ?」


さすがに渚が、慌てたような声を上げた。


「岡崎さん、大丈夫ですかっ」


「渚、あんた大丈夫? ヘンなところ触られなかった?」


「いえ、特にそんなことは…」


「さすが杏先輩…その容赦ない蹴りにしびれるっ。杉坂さん、私たちもあれくらいやればよかったのかな」


「いや、さすがにそれはかわいそうだと思うけど…。あの、大丈夫ですか?」


杉坂に肩を揺すられる。


「大丈夫なわけないだろ…」


まあ、さすがに今のは自分が悪いのは認めるが。というか、こいつらはいつの間にか合唱の練習を中断して劇の趨勢を見守っていたようだ。


俺は頭を押さえて体を起こす。杏の奴、本気でドツいてきたよな…。


「まったく、油断も隙もないわねっ」


「あの、わたし、気にしてないですから…」


渚は腕を組んで憮然とする杏を落ち着かせようとしてくれる。


そして、ふと俺の方を振り返って、はにかむように笑った。


「…」


なんだか俺は気恥ずかしくなり、黙り込むしかない。


…何故か自然に、あんなことをしてしまった。


まるで俺がこの時間に舞い戻った朝の再現のような、それとは少し違うような。


俺を突き動かしたそれは、ある種の懐かしさだった。痛みにも似た、懐かしさ。


まだまだ、俺はこの時間を生きていることに馴染んでいないのかもしれない。


ふとした瞬間に、あらゆる時間を飛び越えて、体が勝手に動いてしまう。


その違和感を、俺は未だに、拭うことができない。


そしてきっと、これからも拭い去ることはできないだろう。


…などという俺の心中の葛藤はともかくとして。


ひとり芝居をふたり芝居にするというこの話は、俺のセクハラによって終止符を打たれたのであった。


…少し反省することにする。






370


「お、岡崎…僕、もう死にそうだよ」


「くたばれ」


「あんためちゃくちゃ友達がいがないですねっ」


「元気そうじゃねぇか…」


しばらくして、ふらふら状態になった春原と椋、そしてにこやかーなことみが帰ってくる。


そんな状態を見て、向こうがどういう状況になったのかは聞くまでもない。


「で、どうだったんだよ」


とはいえ、一応聞いてみることにする。


「天才少女も、音楽の才能はないみたいだね」


まだ頭がガンガンするよ、と手で押さえながら春原。


「まあ、おまえの場合は頭の中身が詰まってないから、余計反響するよな。辛かったな」


「十分中身詰まってるよっ!」


「マジで!?」


「そんなに驚くの!?」


「いや、だって…。一体何が詰まっているんだよ?」


「えぇと、そりゃ…」


少なくとも知識は詰まっていない。春原も自覚があるのか、困った顔になった。


「夢とか、希望とかねっ」


「はははっ!」


「おまえのそんな爽やかな笑い、初めて聞いたくらいなんですけど!?」


「いや、悪い悪い。ありえなくて、笑っちまった」


「僕の未来、夢も希望もないのかよ…」


まあ実際、そんなことはないと思うが。


「で、発表会はできそうか?」


「…」


春原はふるふると頭を振った。


まあ、そうだろうな。


「ことみ、どうだった?」


俺は他の奴と話していたことみに声をかける。


ことみはぱっと表情を明るくして、頬を染めてにっこりと笑う。


「うん、ばっちりなの」


「…」


隣で聞いていた椋が苦笑している。


「椋ちゃんも春原くんも、とっても素敵だって」


「そ、そうか…」


椋はそうだろうが、春原も結構優しいんだな…。


俺は生暖かい視線を春原に向けてしまう。


その視線を追って、ことみも春原に顔を向けるとにこりと笑った。


「春原くん、練習に付き合ってくれて嬉しかったの」


「そ、そりゃよかったよ…」


「うん…。明日も、一緒に頑張って練習」


そう言うと、ぐっと拳を握る。


「ひいいぃぃぃぃーーーーー……」


春原がぶるぶると震えている…。


「椋ちゃんも、ねっ」


「は、はい…。わ、私でよければ…」


椋も大変だな…。


ことみの中では、ふたりは専属マネージャー的に思われているようだった。


そんな姿を見て、俺は笑ってしまう。


ことみ、椋、春原。変な組み合わせだ。


だが、もしかしたら、いい組み合わせなのかもしれない。






371


帰宅して、いつものように夕食を作り、食べる。


その後、俺は自室にこもってぼんやりとしていた。


普段は風子の手伝いをしたりするのだが、今日はそんな気になれなかった。


自分の頭の中に、ぐるぐると渦巻くひとつの思い。


それは、今日の部活で渚とふたり演技をした時の感覚だ。


俺がロボットの役になって、演技をしてみた。


その時の、有無を言わせぬ衝動。


自我も我慢も何もなく、自分を突き動かした何か。


…それは一体、なんなのだろうか。


あの時に感じた、圧倒的な懐かしさ。


俺はその感覚を知っているのだろうか。


考えても、答えは出ない。


俺はどうして、この時間に戻ってきたのだろうか。


そして、未来は一体どうなってしまうのか。


様々な疑問が、いつまでも頭の中に残っていた。





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