folks‐lore 05/06



366


おまじないで体育倉庫に閉じ込められるというアクシデントはあったものの、俺は足をグランドの片隅にあるバスケットコートに向けた。


そこは、懐かしい場所だ。


渚が俺と一緒にバスケをしようと言って、雨に打たれながらずっと俺を待っていた。かつて、そんな日があった。


バスケ部に3on3を挑もうと春原が言い出して、ちぐはぐに揃った俺たちがここで練習をした。昔、そんな日もあった。


今はもう、俺の記憶の中にしかない風景。


バスケットコートの風景。


この時間に舞い戻り、日々の暇は気を取られていて、俺はここに戻ってくるのが随分遅れた。


そこに近付き、ボールが地を叩く音がする。


バスケ部部長が先に来ていて、こちらに背を向けてボールをいじって待っていた。


ボールを手に持ち、そのまま流れるようにフリースロー。


一瞬、間。


ぱすん、と小気味いい音と共にボールはネットを潜り抜けていた。


部長がゴール下にボールを拾いにいって、顔を上げると俺を見た。


「よう、きたか」


「ああ、待たせたな」


俺たちは、軽く言葉を交わした。


バスケットボールをもう一度。


俺は再び、ここに立っている。


部長が俺に、ノーバウンドでパスを回す。


ばすん、と心地よい音をたててボールが俺の手の中に入った。


「こいよ、岡崎」


部長が、楽しそうに笑った。


俺は何度かボールをバウンドさせる。


懐かしい気持ちになる。


鼓舞されているような気分になる。


俺は笑った。


「ああ、いくぜ」



…。



これは試合ではない。


単なるお遊び。


だから、互いに得点などは数えていない。


だが、それでも俺たちの点差は恐ろしく開いているはずだった。


俺は数えるほどしか点を入れていないし、相手は数え切れないほど点を入れていた。


実力差は、歴然。


それに俺は、右肩が上がらない。攻撃の方法は、おのずと限られてくる。


不公平な戦いだ。


片や、バスケットボール部の現役キャプテン。片や、中学で怪我で引退したぐうたらの俺。


勝てる見込みなんてない。既に立つ土台が違うのだ。


さっさと切り上げて終わらせてもおかしくはないし、ここまで負けがこんでいると喧嘩になっても不思議ではない。


だけど俺たちは、いつまでもふたり、バスケットを続けた。


…楽しかった。


久しぶりのバスケットは、楽しかった。


こんな気持ちは、久しぶりだ。


俺はずっと、バスケットを憎んでいたはずだ。それが渚と出会って、少しだけ、その気持ちに折り合いをつけることができた。だがそれでも、複雑な気持ちは付きまとっていた。


まるでそれが、今はもう失ってしまった過去の栄光のように。


俺はバスケットボールに、引け目を感じていたのだ。


それなのに、どうして今は、こんなに自然に体を動かせているのだろうか。


溢れるように、色々な記憶が思い出される。


中学時代の、楽しかった思い出。


渚や春原とチームメイトを探し回ったこと。


3on3でバスケ部に勝利したこと。


「…どうしたっ、岡崎っ」


俺ははっとする。


気付くと自分はボールを持って部長と対峙していた。


お互い、汗だくだ。


「もうへばったかっ」


「…はっ」


俺は吐き捨てるようにそう言って、笑う。


まさか。


まだ、これから楽しくなるのだから。


俺は、進んでいくのだ。


そう決める。


その瞬間、何故か体が軽くなったような気がした。


散々ドリブルをカットされた部長の脇側。


今はそこに、隙があるように見えた。


俺は体をしならせる。


空気が止まったような感じ、全能感にも似た高揚感。


今はただ、鋭く早く。


「なっ」


部長の声が、背後に聞こえる。


俺は堅牢なディフェンスをその瞬間、かわしてすり抜けていた。


ゴール下。


左側からのレイアップ。


…ぱすん、とボールがネットを揺らしていた。


その瞬間、ぱちぱちぱちと拍手が聞こえた。


俺は顔を上げる。


見ると、いつの間にか部員たちがコートの脇に集まっていた。


いつからいたのか、全然気が付かなかった。


「ナイスシュート」


バスケ部部長の男が、俺に言う。


「そろそろ、終わるか」


「…いいのか?」


こういうのは、自分の得点を決めて終わるほうが気持ちよく終われることを知っている。


だから、俺が点を決めて終わりにするというのは、俺へのはなむけということになる。


「ああ」


相手は、そう言って頷く。


ボールをもらうような素振りを見て、俺はその手にボールを投げる。


「おまえは部活だろ」


「ああ、まあな」


「片付けはやっとくよ」


「そりゃ…悪いな」


「いや。楽しかったよ」


「俺もな」


俺は踵を返す。歌劇部の部員のもとへ歩き出す。


「…おい」


「あん?」


話しかけられて、顔だけ振り返る。


俺と同様、汗だくになった部長がニヤッと笑った。


「さっき、いい目してたぜ。おまえ、まだできんじゃないか」


俺はそれに、笑顔を返した。


「無茶言うなよ」


右肩を叩きながら、そう言う。


俺は今度こそ歩き出す。


バスケ部部長の元を去り、歌劇部部員が待つ場所へ。







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「さっきのシュート、とってもカッコよかったですっ」


「ああ、ありがと」


興奮した様子で渚が話しかけてくる。悪い気はしない。


他の部員たちも口々にさっきのプレーを褒めてくれる。


「というか、なんでおまえらここにいるんだ?」


一頻り話をして、俺はその疑問をぶつけた。


「教室の中で声を出すのと、外で声を出すのは違うからのぅ。一度、外でやってみるのもいい経験になる」


幸村がそう答える。


なるほど。たしかに、言われてみればそうかもしれない。


本番は体育館で屋内。残響などはあるだろうが、広さが広さなので教室の中での声出しと勝手は違う。


そう考えれば、たしかに大切かもしれない。ここでやればある程度人目もあるし、度胸試しにもなりそうだ。


「あと、ことみちゃんのヴァイオリンの練習をやろうと思いまして」


「うん。発表会の練習」


椋の傍ら、ことみは先日のヴァイオリンのケースを持っていた。


なるほど、被害が少ないところで練習をしようということか。


多分、本人には秘密の特訓とでも言って言いくるめているのだろうな。


「椋ちゃんと、春原くんと一緒なの」


「春原も?」


「まぁね…。暇だろうからってさ」


春原は泣きそうな表情だった。


「暇じゃん、おまえ」


「それでも選びたい作業はあるよっ」


「陽平、さっき渡した耳栓、最初っから使ったらあんたのことこれから虫って呼んであげるから」


「杏、それじゃご褒美だ」


「とんだ変態ね」


「いや普通にそんな呼ばれ方したくないよっ」


途端に騒がしくなる。


いつもの空気だった。


それから、ことみは椋と春原を引き連れて練習へ。


ことみと春原、随分おかしな組み合わせに見えるが、意外にかみ合っているのだろうか。


初めの頃の互いの頑なな距離感は、今ではもう感じなかった。


それは、いいことだろう。


いつまでもこの学校を、そして生徒たちを憎んでなんてはいられないのだから。


俺はそんな関係に胸を撫で下ろし、殺人ヴァイオリンの珍道中を思うと少し頬が緩んだ。


で、残された面々は渚の演技を見たり、合唱の練習をしたり。


合唱の三人組は勝手に練習をしていて、渚と幸村はマンツーマンで指導中。


風子はプレゼントでも配っているのかここにはいない。俺と、杏と、宮沢が取り残されていた。


俺たちは三人並んで手近なベンチに座り、ぽつぽつと会話を交わす。


「さっき、あの子が選挙の演説をやってたわよ」


「智代か?」


「そう」


「もう明日には投票日ですから、今日が最後の追い上げですね」


「そうか、明日が投票か…」


俺は嘆息するように呟いてそのことについて思いをめぐらす。


いつの間にか時は過ぎ、生徒会長選挙の時期も終わりに近付いているようだった。


しばらく前に、智代の選挙ポスターに落書きをされた。


暴力女、不良女。


そんなそしりを受ける一因に、きっと俺の存在もある。


俺はあいつのために、何かできただろうか。


もっと大きく動いて、何かしてやれたのではないかという気もする。


「当選すればいいな」


「…ねぇ、あんた、まだ落書きのこと気にしてるの?」


「そりゃ、そうだろ。俺のせいで、あいつが会長になれないかもしれないんだし」


俺の言葉に、杏は呆れたようにため息をついた。


「ほんと、ネガティブね」


「朋也さんは、悪くないですよ」


宮沢がフォローしてくれる。


「朋也が思ってるほど、あの子の選挙には影響ないと思うけど」


「それに、朋也さんが他の生徒の方から悪く言われるなんて、あまりありませんよ。わたしのクラスの方も、朋也さんのことをすごいって言っていましたから」


「有紀寧、それ、頭の悪さがすごいとか、そういう話じゃなかった?」


「それはむしろ、正直にすごくないと言ってほしいんだが」


「いえいえ、違いますよ」


宮沢は笑顔で受け答える。


「なんでも、朋也さんはアニマルマスターだとか」


「…」


俺はどこで出会った生徒からの話なのか、それで見当がついた。


いつか中庭で一緒にボタンを囲んだ下級生のひとりなのだろう。


「アニマルマスター?」


だが、そのことを知らない杏は首をかしげる。


「ボタンがこないだ来た日があっただろ。その時七つ芸をちょっとやらせてみたんだよ」


「あぁ、そんなことがあったの」


杏はそれで納得がいったようだ。だが、すぐにくつくつと笑い始める。


「それで、アニマルマスターね」


「全然褒めてないと思うんだが…」


「いいじゃない。不良なんかよりはマシでしょ」


「どうだかな…」


「わたしも、とても素敵だと思いますよ。これから、そう名乗られてはいかがでしょうか」


「…」


アニマルマスター、岡崎朋也です。今後ともよろしく。


「…正直、失笑ものだと思うんだけど」


「とてもお似合いだと思いますよっ」


「…」


宮沢は褒めてくれているのだろうが、褒められている気がしない。


しかし、彼女らのおかげで俺の心は少しは凪いだ。


智代の生徒会長選挙。


俺はそれについて、あれこれと考えすぎなのだろうか。


未来について、本来の流れを知っているからこそ、思い悩んでしまうこともある。


俺はまだまだ、自分の中にあるその記憶とうまく折り合いをつけることができていないのかもしれない。





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