folks‐lore 05/06



360


「よろしければ、どうぞ」


休み時間。ひとり廊下を歩いていると、ヒトデを配っている風子の姿があった。


「どうぞ」


俺はその姿を、遠目に眺める。


…一生懸命な姿だった。


ここは三年生のクラスのある階だ。


風子にとっては、プレゼントを断られてきた相手の階。


それでも、尻込みした様子もなく生徒たちに話しかけている。


さすがに無視する生徒はいないが、プレゼントを受け取らずに歩いていってしまう生徒もいるのが見える。


「ねぇ、今の風子ちゃんでしょ」


「お姉ちゃんの結婚式のために頑張ってるんだってね」


「一生懸命で、なんだか可愛かったね」


傍らを、女子の一群がそんな会話を交わしながら通り過ぎていった。


プレゼントを受け取らない奴もいれば、好意的に受け止めている生徒もいる…という感じのようだった。


「…あの子のプレゼントもいい感じじゃない」


「おまえ、どこから出てきた?」


いつの間にかすぐ後ろに杏がいた。背後霊みたいな奴だ。


「あはは、朋也がいるのが見えたから」


驚かそうとでもしたのだろうか。


俺は呆れた息をつく。


「最初は三年がもらってくれるか心配だったけど、割と調子はいいのね」


「そうかもな」


先ほどの女子生徒たちの様子を思い返す。


俺は少しずつ風子の努力が実を結び始めていると思えた。


創立者祭が近付いて、浮つき始めた学校の雰囲気。


しばらくずっとプレゼントを配り続けている風子の姿が認知されたのもあるだろう。クラス展の準備に関わって、一緒に活動している風子に親近感を感じている生徒が増えたこともあるだろう。


そうして少しずつ、風子の周囲の輪が大きくなっているのを感じた。


「あの、よろしければっ」


風子が、またひとりの生徒に話しかける。


…が。


相手は風子にちらりと一瞥を投げかけると、そのまま早足に傍らを通り過ぎてこちらの方へ歩いてくる。


風子は足を止めて、口を止めて、その姿を見送った。


…その男は、サッカー部の部長だった。


俺とは、ずっと分かり合えない距離感がある男。


男は、俺と杏の目の前を早足に歩いていく。


俺たちに気付いた様子ではあったが、一瞥を投げかけることさえない。


「…荒れてるわねぇ」


杏が苦笑しながらぽつりと呟く。


「インハイ予選でもう負けたらしいわよ」


「うちのサッカー部、そんな弱くはないだろ」


「今年は、調子が悪かったみたいね」


「ふぅん…」


風子からしたら、相手が悪く、タイミングも悪かったということか。


ぼんやりと去っていく後姿を見ていると…そこに駆け寄る女生徒がいた。


「…椋?」


杏が、その様子を見て意外そうに呟く。


「?」


俺も同様に、驚いた。


何日か前に好きでもない奴から告白されるのは…と俺を同伴してサッカー部長と相対したことはあった。


だが、椋が慌てた様子で男に何か話しかけている。


「なんなの?」


「さあな」


俺と杏は頭の上に疑問符を浮かべたまま、二人の元に近付いた。


「あの、お願いしますっ」


椋が、サッカー部長に頭を下げる。


「風子ちゃんは、一生懸命頑張って、お姉ちゃんの結婚式を祝ってくれる方を集めているんです。ですから、プレゼントを貰ってあげてください」


「なんで、わざわざそんなことしなきゃいけないんだよ。サッカー部が試合に負けて暇になったから、結婚式に出る余裕があるとでも言いたいのかよ」


「そ、そんなことは…」


「じゃ、なんなんだよ」


椋に対して、凄むような口調だった。


荒れているのは、気持ちは少しわかった。俺だって、随分昔だが中学の頃は試合に負けるとどうしようもなく不機嫌になったりすることはあった。


だが、だからといって見過ごすつもりはなかった。


俺はふたりの会話に割って入ろうとする。


しかし、それは椋自身の言葉によって遮られた。


「わ、私は、サッカー部のみなさんが遅くまで一生懸命部活をしているを知っています」


「…」


強い口調で反論されて、部長は少し尻込みしたように何も答えない。


あいつも椋の性格は知っているだろう。そんな彼女が、一生懸命に話をしているのを無理に止めようとまでは思わないようだ。


「だから、お願いです。風子ちゃんの一生懸命も、わかってほしいんです。サッカー部のみなさんみたいに、風子ちゃんも一生懸命ですから」


うちの学校は、部活動が盛んだ。


だから、放課後は遅くまで練習をする部活はたくさんある。


サッカー部もそんなひとつだ。


一生懸命に何かに打ち込んでいるのなら、同じように一生懸命に目標を目指している人の思いはわかるはずだ。


椋の言葉は非常にシンプルで、とても真っ直ぐなものだった。


「…ふん」


部長は小さく鼻で息をすると、踵を返す。


すぐ傍に控えていた俺と杏を見ると、挑発的に一瞥を加えてすぐ脇を歩いていく。


そして、気を取り直して他の生徒を物色している風子の元へと戻り、何事か話しかけた。


ぶっきらぼうに手を差し出して、風子はおずおずとそこにヒトデのプレゼントをのせた。


サッカー部長は手に持ったヒトデをちらりと見ると、またこちらに戻ってくる。


その姿を、風子は深く礼をして見送っていた。


「勘違いするなよ」


男は、すぐ傍までやってくると言う。俺に向かって。


「俺はおまえたちの能天気な活動を認めてるわけじゃない。ただ、藤林に頼まれたからな。それだけだ」


「ありがとな」


弁解するように言葉を続ける男に、俺は素直に礼を言った。


こいつと俺は、正直関係も悪いし、気も合わないだろう。


だが、それでも、ただただ認めていないというわけではない。


こいつはこいつで、少しは分かり合える可能性があるのかもしれない。


俺の言葉に、相手は今にも吐きそうな表情を作る。侮蔑するように肩をすくめて見せて、通り過ぎていく。


「あのっ、ありがとうございますっ」


「いや…」


椋の言葉には、少し戸惑ったようにそう言って、歩いて行ってしまう。


俺たちは、その後姿を見送った。


「…実は、意外にいい奴なの?」


「どうだろうな」


俺と杏は戸惑った調子でそう言い合う。


「いい人ですよ、きっと」


椋がにっこりと笑ってそう続けた。


「お姉ちゃんも岡崎くんも、どうしたんですか?」


「いや、たまたま通りかかった」


「椋こそ、どうしたの?」


「わ、私もたまたまです。そうしたら、風子ちゃんがプレゼントを渡しているのが見えて…」


偶然、あの場面を目撃したということか。


「一回フラれてるくせに、椋には素直に従うのね〜」


「きっと、風子ちゃんに悪いことをしたっていう気持ちもあったんだと思います。だから、また貰いに行ってくれたんですよ」


「椋って、本当にいい子ね。ねっ、朋也。今時こんないい子はなかなかいないわよっ」


どうしてそれを俺に振る。


「ああ、そうだな…」


「いえ、全然、そんなことは…」


俺たちはそんなくだらない話をしながら、頑張ってプレゼントを配り続ける風子の姿を見守っていた。







361


「さあ、岡崎、行こうか。僕らの心のオアシスへっ」


三時間目が終わると、横で寝ていた春原が目覚めて急に元気になった。


「どこだよ」


「資料室だよ、もちろん。いやぁ、随分真面目に授業を受けたから、僕もう限界」


一時間目から爆睡していた奴が、よくそんなことを言えるものだ。


「行ってもいいけど、宮沢はどうせ授業だろ。誰もいないぞ」


「いいじゃん。ここで授業を受けるよりは有意義だろ」


学生の本分を一ミリもわかっていない奴がここにいた。


「ほら、行こうぜ」


席を立って歩き出している。


俺はひとつ息をついた。仕方がない奴だ。


二人、教室を出て行く。



…。



資料室に入ると、案の定中には誰もいない。


「うーん、やっぱり資料室に来ると帰ってきたって感じがするねっ!」


春原は呑気にそう言って笑った。


「大して来てもないくせに、よく言うな。…よしっ、資料室をラグビー部部室に変えてみろ」


「ラグビー部部室に来ると帰ってきたった感じがするねっ!」


素直な奴だった。


「ていうかラグビー部の部室なんて行ったことないんスけど!?」


「それじゃ、帰ってきたをあの日のことを思い出すに変えてみてくれ」


「ラグビー部部室に来るとあの日のことを思い出すねっ」


「おお、なんか迂闊に聞いちゃいけない感じになったな…。先頭にふたりでを付けて深刻な口調に変えてみてくれ」


「ふたりでラグビー部部室に来ると、あの日のことを思い出してしまうんだ…」


「…」


「…」


「「おええーーーっ!!」」


俺たちはふたり揃ってこみ上げる気持ち悪さを吐き出した。


「変なこと言わせるなよ」


「ああ、気持ち悪いだけだったな」


俺たちは互いに席につく。


放課後でもないから、旧校舎は静かなものだった。


「ねぇ岡崎、なんか面白いもんない?」


「知るかよ。そこの棚でも見てみればどうだ? たしか生徒から没収された本とかが入ってたはずだし、探せば漫画とかあるだろ」


「マジ? それじゃ、エッチな本とかあるかなっ」


いきなり元気になる春原。


「あるわけないだろ」


「へへっ、もし見つけたら、一緒に見ようぜっ」


何が悲しくて男ふたりで並んでエッチな本を見なければいけないのか…。


俺は張り切って棚を物色する春原を見てため息をついた。


結局ここに来ても、やることは馬鹿話だった。


と、そんな時。


がらがらー、と緊張感のない音をたてて引き戸が開いた。


俺は教師でも来たのかと一瞬身構えるが…ひょこりと顔を覗かせたのは宮沢だった。


「あ…いらっしゃいませっ」


いらっしゃったのはおまえだ。


宮沢は中にいる俺と春原を見ると、笑顔になって入ってくる。


「あれ? 有紀寧ちゃん、どうしたの? 今もう授業でしょ?」


「実は、今日も自習になったんです」


「なんだか運命みたいだねっ」


「そうかもしれませんねっ」


宮沢は笑いながらもコーヒーの用意を始めてくれる。


「悪い」


「いえいえ」


そして、いつものように資料室のお茶会。



…。



「いやー、やっぱりこうしていると落ち着くねぇ」


「春原さんもここが気に入ってくださったなら、とてもうれしいです」


「僕、ここが好きだからね」


「ありがとうございますっ」


「いや、ここにいる有紀寧ちゃんが好きなのかもしれないね…」


「ありがとうございます。ですけど、春原さんにはもっと素敵な方がいると思います」


「…」


普通に振られて、春原の顔が強張った。


「この会話、昨日も見たような気がするんだが」


「うるさいやいっ。この、このっ」


ショックのあまり幼児退行している…。


「ねぇねぇ有紀寧ちゃん、なんかいいおまじないないの?」


「はぁ、どんなものでしょうか」


「女の子が僕のことを好きになっちゃうようなおまじないとか」


「すげぇ都合がいいおまじないだな」


「はは、見てみますね」


宮沢は笑って、いつものおまじないの本をぱらぱらとめくってみる。


「というか春原、おまえ、まだおまじないをやるんだな」


「え?」


「こないだ、それで校内五週しただろ」


「…うわあああぁぁーーーっ!!」


思い出したようだった。


「ですけど、今回は新しく素敵な方を見つけるおまじないですから」


宮沢が笑ってフォローする。


「そんな都合がいいおまじない、さすがにないだろ」


「岡崎から聞いたんだけどさ、女の子とふたりっきりで体育倉庫に閉じ込められるようなおまじないとかあるんでしょ?」


「そんなこと、お前に言ったっけ?」


「こないだ聞いたよっ」


「ふぅん」


あまりよく覚えていない。


「ああ、これですね」


ぱらぱらとページをくっていた宮沢の手が止まる。


「閉ざされた体育倉庫にふたりっきり。果たしてふたりは無事脱出できるか!? というおまじないなんですが」


「ドアが開かない時点で、呪いだと思うんだが」


「ただ、危機的状況で生まれた恋は、長続きしないので、注意が必要だそうですよ」


「んな注意書きもあるのか…」


「いや、きっかけさえあればこっちのものだね」


俺と宮沢の会話を黙って聞いていた春原が、ニヤッと笑って口を開く。


「僕のワイルドな生き抜く知恵と野生の感性で、女の子はメロメロだね」


「おまえにワイルドさを感じたことなんてないんだが」


「やりますか?」


「やりますねっ」


こっちの話は聞いちゃいなかった。


「ではまず…」


宮沢はちらりと本に目をやる。


「10円玉を縦に立ててください」


「昔やったことあるよ。そういうの、得意なんだよねっ」


春原は財布から10円玉を取り出し、そっと机の上に立てる。


「ほらねっ」


「立ちましたら、さらにもう一枚、縦に立ててください」


「ようしっ……って不可能ですよねそれ!?」


「でも、そう書いてあるんです。できないと、おまじないは完成しないですよ?」


「さすがに、魅力的な内容だけあって、難易度が高ぇ…ひゅー」


やってやるぜ、と背中を丸めて必死に10円玉を縦に並べようとする。


かなり間抜けな姿だった。


(あほくさ…)


そんな春原を見ていると、宮沢が笑いながら俺に声をかける。


「朋也さんは、しないんですか?」


「二枚なんて立つわけないだろ」


「ギザギザの10円玉なら、立つかもしれませんよ」


「ああ、そうかもしれないな」


「それだっ」


春原は猛然と財布を探り始める。


「くそぅ、ねぇやーっ」


悔しがる春原を尻目に、俺も自分の財布を見てみた。


…あった。しかも二枚。


「…」


とはいえ、これを使っても難易度が高いことに変わりはないだろう。


「あ。二枚ありますね」


「ああ…」


「どうですか。やりますか?」


「ま…どうせ無理だろうけど、一応やってみるよ」


そんなに気乗りもしないが…。


俺も腰をかがめて、机に向き合う。



…。



そっと…手を放す。


それでも、俺の目の前、二枚の10円玉は縦に積みあがって動かなかった。


「あ、すごいですね」


「ああ…成功しちまった…」


「ええぇーーーっ!」


「その状態のまま、スピードノキアヌリーブスノゴトクと三回唱えてください」


「スピードノキアヌリーブスノゴトク…スピードノキアヌリーブスノゴトク…スピードノキアヌリーブスノゴトク」


「はい、いいですね」


なんだか、恐ろしいイベントに首を突っ込もうとしているような気がしてきた…。


「それでは、一緒に閉じ込められたい人の名前を思い浮かべてください。そうすれば、10円玉は崩れ落ちて、おまじないは完成です」


「閉じ込められたいって…」


「大丈夫ですよ。ちゃんと、解呪の呪文もありますから」


やっぱ呪いじゃねぇか。


しかし、閉じ込められたい人ねぇ…。


俺の頭の中に、いくつか選択肢が思い浮かぶ。


そして…。



…。



カチャーーーーン…


頭の中に思うかんだひとつの名前。それと同時に。


資料室の中に、乾いた音が響いていた…。





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