folks‐lore 05/04



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適当なところでクラス展の準備を切り上げて、解散になる。


杏と椋はまだ残ってやることがあるらしいが、クラスからは撤収しなければいけないということで、俺たちは先に帰ることにする。


春原と別れ、渚と別れ、ことみを見送る。


風子とふたりで夕方の道を歩いて帰途につく。


「なあ、俺、今日も墓参りするつもりなんだが…先に帰ってるか?」


そろそろ日が赤く染まろうかという頃合。まだ夕方にもなっていないくらいの時間だ。母親の墓を簡単に改めるくらいのことはできるだろう。


「風子、いると迷惑ですか?」


「いや、そういうわけじゃないけど」


俺を見上げて、少し不満そうに口を尖らせた風子に俺は頭を振って答える。迷惑などというものではない。ただ、行って楽しい場所ではないというだけだ。


「なら、行きます。岡崎さんのお母さんに昨日お祈りしたおかげでみなさんがたくさんヒトデをもらってくださったので、ぜひお礼をしたいです」


「…」


そんな礼をされても、母親は天国で困惑するしかないと思うのだが。というか、今日三井がヒトデをもらってくれたりしたのは、いつの間にか俺の母親のおかげになってしまっているのか。


俺の母親のキャラクターが、ヒトデの守り神みたいにされそうだからやめてほしい。


話ながら道を歩いていて…俺たちは足を止める。


行く手に、暗闇に溶け込むようにひとりの人が立っていた。


それは、季節外れのコートを身につけた、中年の紳士。ことみに『わるもの』と言われた人。


「あ…」


風子も、小さく声を上げた。目の前の人物か、誰かわかったようだった。


相手も、顔を上げてこちらを見て、近付いてくる。


「こんにちは。君は先日ことみ君と一緒にいた…」


「はい」


彼の落ち着いた話しぶり。とても悪者とは思えない。


「ことみなら、家に帰っているはずですけど」


「いや…」


俺の言葉に、相手は頭をふった。


「ここからは、どうも足が進まなくてね」


「そうなんですか…」


「君たちは、ことみくんの友人かい?」


「はい」


「そうか…。内気な子だとは聞いていたが、君たちみたいな友人がいてくれるなら、よかったよ」


「あの、失礼かもしれませんが、あなたとことみはどういう…?」


「ああ、こちらこそ、失礼した。まだ名乗っていなかったね」


そう言うと、男は自分の名を名乗る。聞いたことのない名だった。


「まあ、簡単に言えば、彼女のご両親の友人だ」


紳士は、一ノ瀬夫妻のことを簡単に説明してくれる。


立派な人であり、偉大な研究をしていた…。


俺はぽかんとその話を聞く。一生自分には縁がなさそうな話題だった。


「…ああ、すまない。突然こんな話をしてしまって」


「食べ物が途中で出てくれば、興味はあるんですけどね」


冗談を言うと、紳士はにっこりと笑顔を向けて俺を見た。


が、すぐに真剣な表情になって俺の顔をまじまじと眺める。


「どうかしたんですか?」


「いや…だが」


言葉をかけると、瞳が揺れた。俺の顔を見て何かを思い出しかけているような表情。


紳士はしばらく考え込んで…視線が再び俺に戻ってくる。


「君は、もしかして…あの時、ことみ君と一緒にいた子ではないか?」


「はい?」


あの時?


言葉の意図がわからない。


「この間、会った時ですか?」


「いや、そうじゃない。あの日だ。ことみくんの家で、燃える一ノ瀬博士の書斎で、あの子と一緒にいたのは…」


「…」


頭の奥が、がんがんと音をたてた。


警鐘のように、けたたましく鳴り響いたような気がした。


「…」


ことみと一緒にいた?


俺が?


燃える、書斎…?


記憶の奥から、声が聞こえてきた。


わんわんと泣く少女の声。泣いている声。ぱちぱちと、火の粉がはぜる音。ばたばたとした、足音。少女の声。泣いている少女の声。


頭を押さえる。


何かを思い出せそうな気がする。何かを忘れているような気がする。


「…いや、すまない、私の勘違いかもしれない」


「いや…」


俺は、頭をふった。


「俺は、少し前にことみと会って、ずっと違和感を感じていたんです。俺は初めてあいつに会ったと思っていたんですけど、向こうはずっと昔から俺を知っていたような態度をとっていて…だから、昔にあいつと会っていたのかもしれないって思ってたんです」


「そうか…」


紳士は、俺の言葉に何度も頷く。


「あの、よければ、教えてくれませんか? 多分、あなたの言う子どもっていうのは、俺だと思うから」


「…ことみくんは、前に君に会っていると言ったのかい?」


「そういう素振りは」


「言葉では?」


「いや、あいつは何も…」


「そうかい。…それなら、私からは何も言えない。すまない」


ぎゅっと目をつぶり、俺に頭を下げた。


そこまできっぱりと言われてしまえば、俺は何も言えない。


「そうだ、あの日のことを…忘れてしまうのは無理もない…」


紳士は小さな声で呟いた。それは独白のような口調だった。


しばらく思い悩んだ様子だったが、やがて顔を上げて再び俺を見た。


「君は、また彼女の友人になってくれたんだね」


「それは…変わってるけど、いい奴ですし」


「そうか…」


目じりに皺を寄せて頷いた。


「君が、ことみくんの友人でいてくれて、とても嬉しいよ。他でもない、君が」


「…」


その言葉に、表情に。俺は確信する。


やはり俺は、ことみと出会っていたのだ。


そして、残酷にも、その時のことを俺は忘れている。


時折扉が開くように何か思い出せそうになるが、それは結局おぼろげな感覚でしかなかった。


不思議な違和感だけを、手にしているのみ。


それから、紳士は話を聞いてくれた礼を言うと去っていった。


俺は、その後姿をいつまでも眺めていた。







339


紳士との会話はしばらく俺の頭の中をことみ一色にした。


だが、それをきっかけに何か思い出せるということはなく、ひとまずは今まで通りことみと接するしかないな、と結論を出す。ただ、今までより少し、優しくしてやろうとも思った。 それくらいしか、俺にできることはない。


考えを切り替える。


今日の墓参り。


昨日墓を訪ねた時、結構荒れていたのが気になった。


なので今日は、一旦家に帰り、掃除用具を持っていくことにする。


とはいえ、大したものが必要ではない。


墓石を磨くたわしに、ペットボトルに入れた水。あとは雑草を捨てるためのビニール袋、軍手というところか。スコップも一応持ち出す。


家に帰ってすぐにとんぼ返り。再度夕暮れの町を歩く。


「岡崎さんとことみさんは、お知り合いだったんですね」


ぽつりと風子が言った。


あの紳士と別れてからしばらく互いに無言だったが、俺と同様、風子もそのことを考えていたのだろうか。


「みたいだな。俺は正直、自分じゃ覚えていないけど。でも、ことみの俺への態度とかを見るとな」


「忘れてしまったんですか?」


「ああ」


「叩けば、思い出すかもしれません」


「アホになるだけだ」


「これ以上アホになりようがないです」


「おまえ、失礼だな」


「すみません、つい思っていることが口に出てしまいました。風子、とても正直者なので」


撤回するつもりはないようだった。憎たらしい奴だ。


「こういうのは、ほっとけば思い出すってものでもないだろうからな」


なにせ、渚と結婚して汐を育てて…という将来、自分の少年時代についてわざわざ回想することはあまりなかった。


仮に昔を思い出すことがあっても、自分の記憶の一幕に、一風変わった天才少女の姿は影すら出てこなかった。


今後ことみと色々接するうちに、もしかしたら記憶の扉が開くかも、という程度だ。思い出せない可能性も充分ある。


しかし、忘れたままでもいられないと思う。


あの紳士の口ぶりを思い出す。


俺が忘れたことみの記憶。それは、多分、ことみの大切な部分に直結しているような気がする。


ことみと出会ってからずっと引っかかっていたことだ。しばらくは不思議に思いながら捨て置いていた問題ではあるが、実は意外に大切なことなのかもしれない。


沈んでいく燃える太陽を眺めながら、俺はそんなことを思った。







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昨日に引き続き、墓地を訪れる。


真っ直ぐ、母親の墓へと進んだ。


見捨てられているかのように、うらぶれていた墓だ。


簡単に掃除するくらいしかできないが、何もしないよりはマシだろう。


そう思いながら自分の家の墓の前に立つ。


が。


「…あれ」


目の前の墓石。


文字を見ると、やはり岡崎家の文字がある。うちの墓、だよな。


だが、そこは昨日とはうって変わって、墓は綺麗に整えられていた。花も供えられている。


周囲の草はとられているし、墓石も水で洗い流した様子がある。


地面を見ると、まだ土をいじってあまり時間は経っていないような感じがする。


「誰かが、綺麗にしてくれたんでしょうか」


風子がその様子を見て言った。


「誰かって…」


俺の声は、戸惑いに揺れていた。


この墓を、綺麗にするような人間。外部の人間ではありえない。


それは言うまでもなく、岡崎家の人間だろう。


…そんな人は、俺以外では、たった一人しかいない。


「…」


親父が、ここに来たのだろうか。


ここは昨日までは、打ち捨てられているような様子だったけれど。


墓にはひと束の花が供えられていた。


花弁が風に揺れている。俺はそれをじっと見つめた。


「…」


気付くと、隣の風子は目を閉じて手を合わせていた。


たしかに、まずは手に合わせるくらいはしたほうがいいかと思い、俺もそれに習う。


ふたり並んで目を閉じて、風の音にだけ耳をすませていた。



…。



その後、俺と風子はもう少しだけ墓の手入れをした。


せっかく綺麗にする道具を持ってきたのだから、使わなければもったいない。


とはいえ、大して時間もかからずにそれも終わった。


俺たちは、ちらりと墓を振り返り、その場を辞した。


日は沈んで、空には星が輝いていた。


夕飯の食材を買って、家に帰る。


俺は、どんな顔をして親父で会おうかと考えながら。







341


夕飯は、焼き魚、野菜炒め、豆腐。


俺と風子と親父、三人で食卓を囲む。


芽衣ちゃんがいなくなったから、話に花が咲く食卓というわけではなくなった。


時折言葉を交わすくらいのものだ。


テレビを見ながらぽつぽつと話して、箸を動かす。


とはいえ、あまり不快なわけではない。


渚の実家くらいわいわいと喋っているのはむしろ特殊なほうだろう。


言葉を多く交わさずとも、それなりに場が持つ。それが長く一つ屋根の下で暮らしてきた家族というものだった。


やがて食事もすみ、風子が洗い物に台所に立つ。居間には俺と親父が残された。


テレビの音声と、食器を洗う音だけが聞こえる。


「朋也くん」


「ああ」


声をかけられ、俺と親父は視線を合わせた。


「木下に、会いにいったんだね」


「…ああ」


「そうかい…」


食卓の上では他愛のない話ばかりが交わされて、俺が本当に聞きたいと思っていたことは語られずじまいだった。


だからといって、我慢できるものではない。


いつ切り出そうかと考えているところに、親父も同じ用件の話を口にのせた。どうやら、同じことを考えていたようだった。


「あいつは、あまり親切な奴じゃなかっただろう」


「いや…そんなことはなかったよ」


胸のうちがざわざわと揺れる。緊張している。


「なぁ、親父。今日、母さんの墓参りに行った?」


俺の言葉に、親父はしばらく言葉を止めた。


「どうして、それを?」


「俺も、今日行ったんだ。そしたら、前に見た時より綺麗になってて」


「そうかい…」


親父は呟いて、茶をすする。


テレビの音も家事の音も遠のいて、俺は親父とふたりぼっちになったような気分だった。


「木下に連れ出されてね。今日、あいつの墓参りに行ったんだ」


「ああ」


「随分、久しぶりでね…。墓がボロボロになっていて、驚いたよ。ふたりで慌てて掃除をする道具を買いに走ってね…はは、こんなんじゃ、あいつに笑われてしまうな…」


親父が母親のことを話題に出すのを、初めて聞いた。


「おれたちはお互い掃除なんてからっきしでね…ちゃんと、綺麗になっていたならいいけど」


「ちゃんと綺麗になってた」


「そうかい。それなら、よかったよ」


「…なあ、親父」


「なんだい」


「今度の日曜、うちの学校、創立者祭があるんだ」


「…」


「文化祭みたいなものでさ、部活で演劇をやるんだ。俺は、裏方なんだけど。親父、もしよければ、それを見に来てくれないか?」


「…」


親父はそれを聞いて、しばらく黙っていた。


顔を伏せて、湯飲みのお茶を覗き込んでいた。そこに答えでもあるかのような、表情だった。


だが、やがて顔を上げる。俺の目を見る。


「部活は、楽しいかい?」


「ああ、楽しい。部活だけじゃなくて、クラスの方も」


「そうかい…」


ずず、と茶をすする。


「おれが、見に行ってもいいんだろうか?」


まるで自問でもするような聞き方だった。


「俺は、来てほしいって言ってるんだぜ、親父」


「そうか…そうだね…」


俺は、親父に心を開いているつもりだ。


あとは、親父が俺に対してどう思うか、というのが大きな問題。


親父はしばらく考えた素振りだったが、何度も茶を飲み、湯飲みが空になると席を立った。


「…そう言ってくれるなら、演劇を見に行ってみるよ」


「…ああ。ありがとう、親父」


「ちょっと出かけてくるよ…。それじゃあね…」


親父は呟きながら、居間を出て行く。


俺は最後の言葉を、呆然と聞いていた。




それじゃあね、朋也。




親父は確かに、そう呟いていた。俺は、親父の出て行った廊下を見つめた。


一瞬、聞き間違いかと思った。


いや、そんなことはない。たしかに、言った。


いつも俺を朋也くんと他人のように呼んでいた親父が、小さな声で朋也と呼んだ。


…俺は親父に心を開いているつもりだ。


そして、親父も俺を受け入れてくれるなら。


俺たちは、もう一度家族に戻れるのかもしれない。


親父の胸の内に、どんな心の震えがあったのかはわからない。


だが、俺たちは…


家族の繋がりを、やっとこの手に手繰り寄せることができたのだ。





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