folks‐lore 05/04



335


そろそろ、三時。


会長が、最後の監督にやってくる時間だ。俺たちはその登場を待っていた。


部活の成果としての劇を見てもらう。まだ不完全な劇だけど、俺たちが真剣に部活に打ち込んでいるのだと知ってもらう。


それがどの程度あいつに影響を与えるかはわからない。だが、見てもらう価値はあるはずだ。


何日か練習して、渚は、新しい脚本で台本を見ながらならならば演技が出来るくらいにはなっていた。一応形にはなっている…というくらい。


杏のBGMも、宮沢の効果音も、何度も練習した。


狭い部室では背景も使えないし照明もないが、それでも今できる最善を尽くしてみたい。


部室の中は、緊張感が満ちていた。


相手は、堅物の生徒会長。


唐突に劇を見せられて、どんな反応をするだろうか。


「…来ましたよっ」


部室のドアから廊下を覗いていた杉坂が慌てて顔を引っ込めて、声をかけた。


「はいっ」


渚が、緊張した声で答える。


部室の中央は広く開けられていた。そこに渚が立っていた。隅では杏と宮沢がそれぞれカセットデッキとシンセサイザーを用意して待ち構えている。他の部員は、部室の後方で息を潜めて状況を見守る。


やがて、リノリウムの床をコツコツと叩く足音が聞こえた。


部室の扉が開かれる。


「いらっしゃいませ」


舞台が整えられた部室を見て、会長は戸惑ったように声をかけた渚を見る。


「な、なんですか、一体」


「あの、こちらにどうぞ」


入ってすぐのところに、イスが用意されている。突然のことに戸惑った様子の会長は渚に促され、なすがままにイスに腰掛けた。


それを見て、渚がにっこり笑う。


「それでは、ご覧ください」


瞳を閉じて、胸の手を当てた。


「わたしたちの劇。『幻想物語』です」


その言葉と共に、マ・メール・ロワの音楽が響く。


部室の空気が入れ替わったかのように、渚は堂々と言葉をつむぎだす。その姿は、まるで女優のようだな、と俺は思った。


…まあ、台本を手にしている点では、まだまだという感じもするけどな。



…。



演劇が、終わった。


大して長い劇ではない。会長は観察するような表情で、演技をする渚の姿を見ていた。じっと動かないままに。


「…見ていただいて、ありがとうございました」


渚が会長に近付いて、にっこり笑う。


「…いえ」


会長はその視線を受けず、わずかに視線をそらせて答えた。


「もう、いいでしょうか」


感想を言うこともなく、目を合わせることもなく、そう言うとこちらの反応も見ずに部室を出て行った。


渚が立ち尽くしたまま、それを見送る。


「…感想もなしかよ」


俺はそれを見て、ため息をついた。


「ですが、最後までちゃんと見てくれていましたよ」


イラついた口調を癒すように、宮沢が俺に笑いかけた。


「それで、きっと、十分ですよ」


「宮沢、おまえは本当に大人だな」


「いえ、そんなことはないですよ」


まったく、俺よりも全然落ち着いていて、年上の威厳というのを感じさせてくれない。


他の奴らは当然怒りを露わにしていたり、それでなくとも違和感を感じるような表情をしている者ばかりだ。


俺も、同様の顔をしているだろう。


だが、率先して会長をなじるわけにもいかない。なにせ副部長だし、年長者だし。


「渚、お疲れ」


ぼうっと会長が出て行った引き戸を眺めている渚に声をかける。


「あ、はい」


びっくりしたように肩を震わせて、俺を見た。


あまりのことに、彼女もボーっとしてしまっていたようだった。無理もない。


「よかったぞ」


「ありがとうございます」


「あいつも、ちゃんと最後まで見てくれたし、上々だな」


「そ、そうでしょうか」


自信がなさそうな表情になった。


まあ、当然不安な気持ちになるだろう。感想さえ言われなかったのだ。


だからこそ、こっちはそのフォローをしなくてはいけないのだが。


俺は煙に撒くように渚を褒めて、そのままの勢いで今日の部活に幕を下ろした。


これからクラスの準備をしないといけないから急いでそっちに行こう、などと話して淀んだ空気を振り払う。


会長に対する嫌悪は、それでなんとなく流れてしまえばいいのだが。


まったく、世話の焼ける奴だった。


…あいつは、劇を見て、心中どんなことを考えていたのだろうか。


それが、やはり自分も気がかりだった。







336


三年生の面々と風子はクラス展の準備がある。俺たちは教室に向かう。


他の部員たちは今日は帰るということで、明日の約束を確認して別れた。


ま、顧問も監督生もいなければ部活はできない。まあ、資料室でだらだらすることもできるだろうが。


「なんか、部活が終わったから今日が終わったって気分だな」


「えへへ、実はわたしもそんな気分です」


俺が呟くと、隣を歩く渚が照れたように笑ってこちらを見上げる。


「疲れたか?」


「いえ、そんなことはないです。会長さんに喜んでもらえなかったのは残念ですけど、おかげさまで、今日もみなさんと楽しく部活動ができましたから」


「あんまり、無理はするなよ。体が強いわけじゃないんだからな」


「はい。でも、復学してからはすごく調子がいいので、大丈夫です」


などと言いながら、創立者祭の後は体調を崩してずっと学校に行けないようになったんだよな。


せめて、創立者祭は体の調子も良く迎えてほしい。


俺に何ができるということもないから、せいぜい声をかけてやるくらいしかできないのがもどかしい。


「あの…」


後ろから、風子が首を突っ込む。


「風子がこんなことを聞いていいのかわかりませんが、渚さんは何の病気なんでしょうか?」


「えぇと…」


渚が、少し困った顔になる。


俺は、その表情の理由がわかる。彼女と長い時間を共にしてきたのだから、わかる。


この質問に不快と思っているわけではなく、渚にもうまく説明はできないのだ。


「実は、ちゃんとした病名があるわけではないんです」


「?」


渚は苦笑しながら説明する。


渚は時々、長期間体調を崩してしまうことがある。


発熱、そして倦怠感。


要するに、風邪みたいなものだ。ただそれが長引く、というだけ。体の抵抗力が弱いのだろうか。


そう話すと、風子はなるほど、と呟いて頷く。


「不治の病というわけではないんですね」


「はい、起きれなくなるだけです」


渚はなんでもないように言うが、それは相当のストレスだろうな、と思う。


オッサンも早苗さんも仕事がある。


どうしても、渚に付きっ切りというわけにはいかないだろう。


ひとりで、部屋に残される時間がたくさんある。


自分がそんな状況になったら、どんどん悪いほうに物事を考えてしまいそうだ。


「そういう時、何を考えてるんだ」


俺はふと、そう尋ねる。


かつて、渚が病床に臥せって、俺がそれを看病する時期があった。共に高校三年生だった時だ。


その頃、俺は渚に聞いてみたことがある。


俺が学校に行っている間、どんなことを考えているんだ、と。


そう聞くと、渚は少しだけ恥ずかしそうに俺を見て、答えてくれた。


朋也くんが今何をしてるかとか…体が治ったら朋也くんとお出かけに行きたいとか…そういうことを、考えています。


あの頃、俺は、その言葉だけで胸がいっぱいになった。


あまりにも真っ直ぐ前を見つめる渚を見て、俺は自分が情けなくなったのだ。


隣に彼女がいてくれないと、前を見ることすらできない。


…ああ、そして、それはもしかしたら今も同じなのかもしれない。


俺ひとりでは、未だ前を見据えることはできないのかもしれない。


そんなことを考えて、頭をふってその思いを振り払う。


隣を歩く、渚を見た。


今、彼女は元気に隣にいてくれているのだ。


それで、十分だ。


…まあ、かつての時より関係は進展していないような気もするけれど。


未だに、呼び方は苗字だしな…。


「考えているのは、色々です。病気が治ったら何をしたいとか、お友達が今何をしているかな、とか…そういうことを考えていました」


「そうか…」


答えは、相変わらず。


当然だろう、俺はあの頃の時代に舞い戻っているのだから。


「後ろ向きなことを考えることはないのか?」


「小さい頃から体が弱かったので、もう慣れてしまったんです。だから、あんまりそういうことは考えないです」


立派な奴だ。


「なるほど…」


風子も、感心したようにふんふんと頷いていた。


俺にはないものを持っている。


渚は、強い奴だ。


今も、そしてこれからも。


俺は、それを知っているのだ。






337


自分のクラスに入ると、昨日と同じような光景が広がっていた。


生徒たちが教室の後方に陣取って、各々色々な作業をしている。杏と椋はすぐに呼ばれてその輪に入っていった。


衣装を縫ったり、ビラを作ったり、造花を作ったり、看板に飾り付けをしたり、凝った装飾のメニュー表を作ったり…。


そんな作業をやりながら、わいわいと雑談を交わしている。とても受験生とは思えない姿。


そんな中に、担任も混じってビラを作ったりしていた。


「ん? おう、岡崎に春原か…。今日もきたのか」


「何やってんの?」


「見ればわかるだろ、準備だ。久しぶりに絵なんて描いたが、うまくいかないものだな」


担任はそう言うと、作っているビラを見せてくる。


喫茶・杏仁豆腐


そんなクラス展の名前と共に、開催場所とか、メニュー紹介が書かれている。


そしてその周囲…。


フリル状の皮をまとったタケノコのようなものが描かれていた。


「…これ、何?」


「何って、見ればわかるだろう? メイドさんだよ、メイドさん」


「…」


俺は黙って、もう一度担任の書いたイラストを見る。


…人間というよりは、野菜の擬人化に見えた。


どうやら、この人の芸術的な感性は限りないほどに低空飛行のようだった。


自分程度のレベルの出来で、安心してしまう。


隣では渚もニコニコと笑っていた。同族を見つけた笑みだった。


…それを担任は上々の出来だと思われている、などと感じたらしい。嬉しそうにニヤッと笑った。


「ま、久しぶりとはいえ、こんなものだよ。おまえも頑張れよ、岡崎」


随分気安く言ってくれるが、今の担任のピエロっぷりに、不快感は湧いてこなかった。


「ああ…わかったよ」


素直に答えると、担任は気を良くしたような様子で作業に戻った。


と、そこへ…


「…風子ちゃ〜〜ん!!」


変態がやってきた。


頭にヒトデマークがあるハチマキを巻いた、冴えない風貌の三人組の男子生徒だった。


「わ、わっ…」


風子が、慌てて俺の後ろに隠れる。


「風子ちゃん、こんにちは」


「岡崎くんも、どうもっ」


「ああ…」


相手の元気さに、圧倒されてしまう。


「実は風子ちゃんに報告したいことがありまして」


「はいっ」


「実は…っ」


「「「僕たちも、有志で創立者祭に出展することにしたんです!」」」


「ヒトデの素晴らしさを盛大にアピールするために、色々なヒトデグッズを作って販売する予定です」


「ヒトデのポストカードや、キーホルダーや、Tシャツとか…」


「そして、買ってくれた人には風子ちゃんのお姉さんの結婚式にお誘いしようと思っていますっ」


無駄に行動的な奴らだった。


俺はため息をつく。


そんな後ろで、風子はひょこりと顔を出した。


「あの…頑張ってください」


その一言で、男たちの顔が一斉に輝く。


「はいっ、頑張りますっ」


「風子ちゃんもぜひ、僕たちの出店に寄ってください!」


「僕たちも、風子ちゃんのウェイトレス姿を見に来ますから!」


そんなことを口々に言うと、教室から出て行った…。


「…なんだったの?」


春原が呆然として去っていったほうを見ていた。


「ちょっと、怖かったの…」


ことみの反応はある意味正しい。


「嵐みたいな方たちでした」


「まあな…」


「どうやら、この学校のヒトデ化計画は順調に進んでいるようです…」


「…」


どうなってしまうんだろうか、この学校。


少しこの学校の先行きが心配になってしまう俺だった。



…。



その後、俺たちは手近にあった造花やわっかつづりを作る生徒の輪に入って、それを手伝うことに。


「…しっかし、地味な作業だねぇ、これ」


春原は言いながら、色紙を切り、テープでくっつけて…とわっかを作る。


「そんなことないです。こうしてみんなで準備をするって、とっても楽しいです」


「うん…とってもとっても面白いの」


ことみは手に持ったはさみをちょきちょきさせて、渚に同意する。


「おまえ、はさみを使わせたら右に出るものはいないからな」


「??」


「よく本をはさみで切り取ったりしてるだろ」


「えぇと…そうかも」


少し首をかしげながら、頷いた。


また、はさまみをちょきちょきさせる。こいつが刃物を扱ってるとなんだか危なっかしいな。


あれだけ料理が作れるのだから、手先は器用なんだとは思うけど。


「でもさ、この僕がこんな地味な仕事をするなんてねぇ。もっとド派手なことをやりたいね」


「よーし、今からウヒャヒャ! って叫びながらその窓から飛び降りる仕事をおまえにやろう」


「死ぬわっ!」


「いっつも元気ね…」


一緒に作業をしていたクラスメートの女子が、俺たちを見て苦笑した。


「あぁ、悪い、騒がしかったな。今こいつを黙らせるから」


「その握った拳は何なんですか!?」


「…くすくす」


アホアホトークを続けていると、苦笑は微笑に変わった。


「やっぱり、元気ね」


「ねえねえ、岡崎くんって部活の誰かと付き合ってるの?」


「ぐあ…」


親しみやすさをアピールしたら、他の生徒がいらないことまで聞いてくる。


はぐらかして、回避する。


なおも追及されるのをのらりくらりとかわしていると…


「風子ちゃーんっ! ことみちゃーんっ!」


向こうの集団から黄色い声がかかった。


「こっち来てーっ!」


女子の集団が笑顔で手招きしていた。


「おい、呼ばれてるぞ」


「はい」


「うん」


ぱたぱたと、ふたりが歩いていく。


あいつらも、結構ここに馴染んできたよな。



…。



「はーい、注目!」


しばらく作業をしていると、やたらとテンションの高い声が教室に響き、作業をしていたクラス一同が顔を上げる。


女子生徒が満面の笑みで入口に立っていた。


視線が集まるのを見ると、廊下の方に顔を出して、中に入るように促した。


その後に、ぞろぞろとウェイトレスが続いた。


うおおおおぉぉーーーーーっ!!


一部の男子のテンションが一気に上がった。


ウェイトレスたちの中には、杏、椋、風子、ことみの姿もあった。


杏は笑顔で手を振って、椋は照れ笑い、ことみは恥ずかしそうに裾を握って、風子はぽかんとした表情。


こうして見てみると、クラスの準備も進んでいる。衣装も、当然全員分ではないだろうが、結構出来上がっているらしい。


「朋也、渚。どう?」


ひとしきり歓声を浴びた後、四人はこっちにやってきた。


杏は衣装を見せ付けるようにくるっと回る。


エプロンドレス裾が可憐に揺れる。


「杏ちゃん、とってもかわいいですっ」


「ありがと」


「な、なんだか恥ずかしいです…」


「とってもかわいい衣装なの」


「椋ちゃんもことみちゃんも、とっても似合ってます。ことみちゃんも」


「ありがとうございます」


「渚ちゃん、ありがとう」


「いえ、本当に素敵です」


「渚、おまえも着てみたかったりするのか?」


「いえ、わたしなんかじゃ、全然似合わないです」


わたわたと手を振る。


「…岡崎」


「なんだよ」


春原が小声で声をかけてくる。


「ウェイトレスさん、いいねっ」


「…ま、まあな」


ついつい素直に肯定してしまう俺だった。


「なかなかですが、ヒトデ成分が足りない気がします」


服を指でつまみながら、風子が言う。


「言っとくけど、不要な成分だからな、それ」


「なるほど、ヒトデ成分…それは盲点だったわね!」


横で話を聞いていた女子生徒が口を挟んでくる。


誰だよ、おまえは。


「風子ちゃん用に採寸したけど、たしかにそれだけじゃ足りないわね…もっと風子ちゃんの魅力をアピールするためには、ヒトデの飾りは不可欠!」


「そうだそうだっ」


合いの手を入れる男子生徒。見ると、俺の前の席の男だった。


…当初は部活をしているのを馬鹿にしていたくせに、いつの間にか休日潰してまで手伝いに来ているらしい。


「風子ちゃん、一緒にヒトデのアクセサリーを考えましょうっ」


「わかりました…。風子でよければ、お手伝いしましょう」


風子が女子生徒に連れられていく…。


「俺も手伝うぜっ」


「俺もっ」


他の男共もそこに混じっていった。


「…」


俺たちは、呆然とそれを見送った。


「なんなの、一体」


杏の呟きだけが、残っていた。





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