330
「すっごい嫌な感じね、ホント」
部活が始まって、少しして。
会長は最初の十分程度で部室を出て行き、それを見送ると部員全員にほっとしたような空気が広がった。
今日は同じ教室で渚の衣装を作っていた合唱の三人も含めて、全員が一ヶ所にまとまる。
その第一声が、杏のセリフだった。
イラついたようで、疲れたような口調でもあった。
「でも、わざわざ来てくれてるんだよ、お姉ちゃん」
「そうです。きっとお仕事も忙しいと思うのに、そんなことを言っちゃダメです」
椋と渚はそう諌める。杏は腕を組んで二人を見て小さく息をついた。
「なにか、仲良くできるきっかけがあればいいんですけれど」
「うわ、有紀寧ちゃん、マジ? あいつと仲良く?」
春原は露骨に嫌そうな顔をした。
「はい。会長さんとも仲良くすることが出来れば、きっと楽しいと思いますよっ」
「君、すんげぇお人好しだね…」
「そうでしょうか…」
「喧嘩することばかりを考えるのはよくないぞ。私も、部活をするならもっと楽しくやったほうがいいと思う」
「へっ、智代が喧嘩するなって言っても、説得力なんかないね」
いつもおまえが挑発して蹴られてるだけのような気もするんだが。
「でも、私ももっともっと、楽しく部活をやりたいの」
ことみのセリフは、もっともなことだ。
俺たちは楽しむために部活をやっているのだ。
今日も、わざわざ会長に監督を頼んでまでここで部活をやっている。それで空気が悪くなる一方では本末転倒もいいところだ。
「それなら、風子にいいアイデアがありますっ」
「却下ね」
「…あの、風子まだ何も言ってないです」
「あんたのことだから、またそのヒトデでもプレゼントしようってことでしょ?」
「杏さん、そろそろ風子のやり方がわかってきたみたいですね。…その通りです」
こいつのやり方は、ここにいる全員がわかっていると思うのだが。
杏は呆れればいいのか苦笑いを浮かべればいいのか悩んだような、曖昧な表情をしていた。まあ、気持ちはわかる。
風子はどこ吹く風だが。
「会長さんにこのヒトデを差し上げれば、一発で高感度はマックスです」
一発でマイナスに振り切れると思うのだが。
「あ、あのっ」
話がおかしな方向に行こうとしていたが、渚が声を上げる。
それぞれ考え込んでいた部員たちの視線が集中する。
渚は視線を受けて少したじろいだような様子を見せたが、胸に手を当てて言葉を続けた。
「会長さんに、劇を見てもらうというのは、どうでしょうか」
一同は考え込むように沈黙する。
劇を見せて、相手に自分たちを理解してもらおうとする。それは、一週間前に春原にやってみたことと同じだ。
「僕の時と同じかよ…」
春原が嫌そうな顔をする。
まあ、あいつと同列に並べているような感じがして、本人からすれば不服だろう。
だが…
「いいと思いますよっ」
宮沢がぽん、と手をたたく。他の連中も反対ではないようだった。
こちらにとっては練習にもなるし、ちょうどいいといえばちょうどいい。
あの会長をもてなすのが嫌といえば嫌だが、このまま互いに憎みあい続けるわけにもいかないだろう。
自分たちがなにをやっているか知ってもらう、というのは意味のあることだろう。
そう思ったのは、他のやつらも同様のようだった。
春原の二番煎じの方式と言ってしまえばそれまでだが、だから価値がないというわけでもない。
俺は春原がどう思うか、心配して様子を見る。
あいつは絶対反対という立場をとってもおかしくはないし…
「ね、春原さん、いいと思いませんか?」
「うん、有紀寧ちゃんの言うとおりだねっ」
さっそく懐柔されていた!
俺のさっき感じた心配はなんだったのだろうか。
「みなさん、頑張りましょうっ」
渚が部員に声をかける。なかなか、部長が板についてきたな。
そんな姿を見るにつけ、俺はなんだか懐かしく、嬉しい気分になった。
331
部活動は、既に軌道に乗っている。
脚本については、昨日の時点で完成といっていいだろう。これ以上あれこれ手を入れると、渚がセリフを覚える時間を削ってしまう。
背景についてもそれなりにできている。まだあと一週間もある、と余裕を持って言えるくらいには進んでいる。
創立者祭の期間中にはビラの貼り出しが自由になる掲示板が何ヶ所かあるので、そこに貼り出すためのものを用意するのが今日の主な仕事。
今回の発表は、時間にすればほんの十五分程度のものだ。超大作を作っているわけではない。
これだけの人数でことにかかっているから、主役の渚はともかく、他の部員にはある程度の余力はあった。
渚は杏、椋、ことみに見られながら劇の練習をするのは、いつも通り。
残りの俺、宮沢、智代、春原でビラを作る。
「…あれ?」
作業を始めようとすると、春原が何かに気付いたような声を上げた。
何だと思って視線を追うと、渚が演技練習をしていて…その様子を、椋がビデオに撮っていた。
ハンディタイプのビデオ。
なるほど、練習用に家から持ってきたようだ。今日は幸村もいないし、あるとないとでは大違いだろう。
「ねぇねぇ、委員長。それってビデオでしょ? ちょっと僕にも触らせてよ」
「え、す、春原くんっ?」
さっそく席を立って、遊びに行っている…。
「おまえは本当にじっとしていられないな…」
智代が呆れたため息をつく。
「いいじゃん、減るもんでもないでしょ。僕ビデオって触ったことないんだよね〜」
「練習時間が減るわよ」
「ちょっとくらいいいじゃん」
杏に文句を言われても、気にした風でもない。しょうがない奴だ。
春原はビデオを受け取ると、そのままレンズを椋に向ける。
「ほら、椋ちゃん、笑って笑って」
「えぇと、はいっ」
律儀にカメラにむかってぎこちない笑顔を向ける椋。
「それじゃ、ことみちゃん。何かやって見せてよ」
今度はことみの方にレンズを向ける。
「えぇと、なにかって?」
「これを向けられたら、面白いことをしないといけないんだよ」
どんなマイルールだ。
だが、ことみはその言葉にぱっと表情を明るくした。
「それなら、ヴァイオリンを弾くのっ」
「あんたの演奏を聞いたら、ビデオが壊れるわっ!」
杏が振りかぶってツッコミを入れた。
「???」
ことみは涙目でわかっていないような表情だったが。
とりあえず大惨事は回避できたようだった。
「そんじゃ、ほら、そこの三人も何かやってよ」
今度は無茶振りを合唱の連中に向ける春原。
ぽかんと趨勢を見守っていたが、急に水を向けられて目に見えて慌てた。
「わ、私たちですか…っ」
「何かって言われても…」
仁科と杉坂は困惑した表情だ。無理もないけど。
「ほら、杉坂さん杉坂さん、今こそアレをやってよ」
「原田さん? え、あ、アレ…って?」
「アレだよ、アレ」
「…どれ?」
「…いや、何か出てくるかなーって思って」
「原田さん、無茶振りすぎるよっ」
飲み会の場のような嫌な振りを素面でかます原田だった。
息するように杉坂を踏み台にするとは、恐ろしい奴だ。
「それじゃ、次は渚ちゃん」
「ええっ」
ビデオを向けられて困った顔になる渚。
しばらくわたわたと慌てていたが…
「そ、それでは…歌います!」
覚悟を決めたようだった。
「だんごっだんごっ」
結局だんご大家族だった!
まあ、他に歌いそうな曲もないけど。
「次は風子ちゃんも、ほら、何かやってよ」
隅の方でヒトデを彫っていた風子にまで飛び火する。
風子はレンズに捉えられ…ゆらりと席を立った。
「遂に風子の隠し玉を見せる時がきたようです」
意外に乗り気だった!
「…歌いますっ」
二番煎じだった!
「ヒトデっヒトデっ」
だんご大家族のメロディーだった!
「それ、パクリですっ」
さすがに渚が抗議の声を上げる。だんご大家族の肖像権に関しては黙っていられないらしい。
「おぉ、だんご・ヒトデ論争勃発か?」
「岡崎、楽しんでいないで止めたほうがいいんじゃないのか?」
智代が呆れた目で俺を見た。
「大丈夫だろ」
むしろ、微笑ましい光景だった。
渚はだんご大家族の良さを語って、風子はヒトデを推す。
紛れもないアホアホ空間が、ここにはあった。
というか、ビデオで録画されていた。
「…では、だんご大家族とヒトデ、ふたつで一番ということで」
「はいっ」
結局、第一次だんごヒトデ論争は円満解決で終わったようだった。
「ほら、おまえらも見てないでなんかやってみてよっ」
遂に矛先がこっちに向けられる。
「別にねぇよ、馬鹿」
「せっかくなんだし、岡崎の超イケてる姿、見せてくれよっ」
こいつに褒められても、全くのせられてやるつもりにならない。
「宮沢、バトンタッチ」
ぽん、と宮沢の肩を叩く。
「はは、わたしには荷が重そうですので…えい、坂上さんにタッチです」
ぽん、とお鉢が智代に回る。
「いや、私も特技なんてないぞ」
智代は困惑した表情で俺を見る。
「おまえ、運動とか得意じゃん」
「うん、それは少し自信がある。だが、ここで走り回るわけにもいかないだろう」
「それなら、春原を蹴り飛ばすとか」
「あぁ、それならできそうだ」
「本人を目の前にしてそんな相談をするなよっ」
春原はツッコミを入れた。
「…というか、そんなことしたらビデオが壊れるわよっ。親のなんだから、壊しでもしたらただじゃおかないわよっ」
杏が剣呑な口調で口を挟んだ。
その言葉を聞いて、今度は春原はカメラを杏の方に向けた。
「そういえば、肝心の杏はまだ何もやってないよね?」
「あたし?」
「うん、なにか面白いことやってみてよ」
「…ま、別にいいけど」
普通に了承するあたり、懐が深い奴だ。
「それじゃ、陽平。ビデオを椋に渡して」
「え? ああ…」
春原は椋にビデオを渡す。
「椋、陽平を映しておいてね」
「う、うん…」
「おい杏、一体何す…げぶっ!?」
不思議そうな春原の顔に、英和辞典がめり込んでいた。
「おぉ、面白い、面白い」
「…死ぬわっ!」
春原は全力でツッコミを入れた。
332
ビデオカメラを巡ってしばし遊んでしまったが、作業を再開する。
「全員で一枚作るというのもいいですけど、よろしければ、まずは一人で一枚ずつ作ってみる、というのはどうでしょうか」
宮沢がそう提案する。
「お、有紀寧ちゃんナイスアイディーア。この間のゾリオンみたいに、弱肉強食の勝ち抜き戦みたいにしてみたら面白いかもねっ」
「初っ端からブザー取られて挙句の果てに使い捨てられたくせによく言うな…」
「それは言わないでくれよっ」
「いや、先におまえが話を振ったんだろ」
「私も面白いと思う。やってみよう」
智代はこっちを無視して話を進めた。俺たちの取り扱いにも慣れてきたらしい。
ともかく、話はまとまり各々一枚の画用紙に思い思いのビラを書くことになり、各々机に向かった。
『歌劇部 演劇 幻想物語』
俺は紙にそう書き込む。
…これだけだと、殺風景だな、さすがに。
やはりイラストとか、あるいはカラフルにする必要があるだろう。さすがにビラがこれでは目立たないし。
だが…男の俺に、こういう作業は正直向いていない。
くそ、せめてチーム制とかにして智代や宮沢と組めばよかった。春原と組んだら酷いことになりそうではあるが。
ちらりと他の三人の様子を見る。
春原は鼻歌交じりにイラストを書いているようだった。恥も外聞もなくそういうのが描けるのは少し羨ましい才能だ。
智代も宮沢も順調に作っている。さすが女子、作り途中ながらもカラフルで申し分ない出来になりそうな気配だ。
足踏みしているのは俺だけか…。
だが、そう考えると気ばかり焦って逆効果になってしまう。
さて、どうするか。
考えていると…俺のすぐ横に、立つ姿があった。
「風子…参上」
「なんだよ、見るなよ」
俺は自分の画用紙を隠す。
「岡崎さんが悩んでいる様子だったので、風子、思わず参上してしまいました」
参上ってなんだ。
風子は俺の書き途中のビラを覗き込む。
「岡崎さん、風子の力が必要ですか?」
「…」
どう答えるか、俺は少し悩んだ。
「…ああ、必要だ」
結局、そう答える。
背に腹は代えられない。
こいつも一応女だし、俺よりはマシな感性を持っているだろう。そう信じたい。
風子は俺の返事に満足そうに鼻を鳴らした。
「そこまで言われたら、仕方がありません。岡崎さんのために、一肌脱いであげてもいいです」
「…」
なんて頼りない味方ができたのだろうか。
俺はさっそく自分の選択を後悔してしまった。
宮沢がそれを見て、控えめに笑う。
「おふたりの合作、期待していますね」
「はい。ゆきちゃんの目が飛び出すようなものを作りますっ」
たしかに宮沢の目が飛び出す様は見てみたいが…。
風子はがちゃがちゃと音をたてながらすぐ横にイスを持ってくる。
用意していた備品の色ペンを掴む。随分乗り気のようだった。
「言っておくけど、ヒトデは禁止な」
今まさに描き込みを始めようとする風子の動きが、ぴたりと止まった。
「岡崎さん、一体風子に何をしてほしいんですか?」
普通に可愛く仕上げてほしいだけだ。
というか、おまえにはやはりヒトデ以外に選択肢はないのか?
「ヒトデ以外で描いてくれ」
「なるほど、これがいわゆる人でなしということですか」
ヒトデだけに。
「…」
俺はため息すらも出なかった。
「ぷすーっ」
だが、遠くの方でことみが噴き出していた。
「風子ちゃん、それ、けっさくなの」
「風子のセンスがわかるとは…ことみさんも、なかなかですっ」
ぐっ、と互いに親指を立てる風子とことみ。
部員たちは珍獣でも見るような目でふたりを見ていた。
…まあ、割といつものことではあるが。
ともかく。
気を取り直して、再度画用紙に向き直る俺と風子。
「いいか、ヒトデ以外でいい感じに可愛く作れよ」
「はい、わかりました。お任せください」
お任せしていいものだろうか。
頼んだのは自分なのだが、先行きが不安だ。
風子はペンを手に取ると、一心にイラストを描き始めた。
…。
「完璧です」
完成した作品を見て、風子は満足そうに息をついた。
俺は呆然と自分と風子のコラボ作品を見る。
中央には、さっき自分が書いた文字がある。
そっけもない文章だが、それはいい。
だが…。
風子の描いたイラスト…。
画用紙いっぱい、あちこちにカラフルなナメクジ状のものが描かれていた。
「…なあ風子」
「はい、なんでしょうか」
「コレ、なんだよ」
「?? みてわかりませんか?」
「…脱ぎ捨てた靴下?」
「ぜんぜん違いますっ! 最悪ですっ」
「じゃあ、なんなんだよ」
「ウミウシです」
「…」
「いえ、むしろ、とっても可愛いウミウシといったほうが適切かもしれません」
不適切だった。
俺の予想を裏切ることはなく、わけのわからない異色作品が生まれてしまった。
なんてこった…。
「よし、できたなら作ったものを確認しよう」
俺たちのビラが完成したのを見て、智代が言った。
待ってくれ、これは完成なんてしてないんだ…
そう言う間もなく、風子はぱっとビラを手に取ると智代、宮沢、春原の方へと歩き出していく…。
俺は仕方がないと心を決めて、その後ろに続いた。
…。
机の上に、四枚の作品が並んだ。
宮沢。彼女らしい可愛らしい少女とロボットイラストで、劇の案内がされている。
智代。物語を説明する詩的な文章と、風景のイラストですっきりとまとまっている。
春原。字も絵も綺麗ではないのだが、色を使いまくってとにかく目立つことは間違いない。
こうしてみると、やはりそれぞれの人間性が色濃く出るようだ。
そして、俺と風子の合作は俺のそっけない文字と、風子のわけのわからないイラスト。
「朋也さんとふぅちゃんらしい、素敵な仕上がりですね」
それは嫌味なのだろうか。
「まるでウミウシが主役に見えるぞ」
「幻想のゲの字もないじゃん」
「いえ、幻想のウはウミウシのウです」
「無茶苦茶なこと言い始めるね、君…」
今こうして迷作が生まれたのだった。