folks‐lore 05/03



322


ことみのヴァイオリンというアクシデントはあったものの、その後の部活は順調に進んだ。


背景はほぼ完成し、脚本も最終的な部分までつめた。


さすがに朝から活動しているだけあって、平日よりもはかどる。


少し早いが、夕方になる前に今日の部活は終わりということになった。



…。



「少し、いいかの」


床に広げていた背景やビラなど、部室の片付けをしていた時。隣の教室に合唱の様子を見に行っていた幸村が顔を見せ、声をかける。


「先生、どうしたんですか?」


「うむ、少しの…。ほれ、席にでもついてくれるかの」


促すような口調だった。


言われるがまま、俺たちは部室の後方の机やイスに腰掛ける。


「おい、ヨボジィ、一体なにが始まるんだよ? 僕たちも暇じゃないんだぜ」


「一番暇そうな奴が、よぅ言うわい」


幸村は呆れた口調で呟きつつも、ラジカセを準備しはじめた。


俺たちはその様子を見守る。



…。



「それでは、はじめるかの」


機材の準備が済み、俺たちが全員前に注目しているのを確認すると、幸村は部室の外に手を上げて合図した。


見ると、そこには仁科、杉坂、原田。合唱の三人が控えていた。


三人はいざなわれて部室に入り、黒板の前に並ぶ。


幸村がラジカセのスイッチを押すと、ピアノのイントロが流れ始めた。


「ええと…」


仁科が代表して口を開く。


「私たちが練習してきた曲、『時を刻む唄』です。どうぞお聞きください」


…俺は、それがずっと隣の部屋から聞こえてきた音楽だったことに気付く。


なるほどな、中間発表という感じなのだろうか。


三人の声が重なり、歌声。



…落ちていく砂時計ばかり見てるよ…

…逆さまにすればほらまた始まるよ…



俺はイスの背に体重を預けた。


すぐ傍で聞こえていたけど、きちんと耳を澄ますことはなかった。


俺たちのために歌ってくれている歌だ。今だけは、この音楽に身を浸すことにした。



…。



合唱が終わる。


同時に、俺たちは盛大に拍手をした。


その反応に合唱の三人は恥ずかしそうに笑い、だが嬉しそうでもあった。幸村も目を細めてそんな様子を見ている。


俺も無心で手を叩いていた。


その歌声。


その歌詞に、心揺さぶられるものがあった。


その曲は、まるで俺のために用意されていたような気さえした。


その歌声に、救われたような。


…同時に、俺は劇のラストシーンも思う。


世界の終わりの少女は、旅の終わりに歌をうたった。


その歌声が、世界を変えた。


世界はうたう。


それだけで、世界は変わる。


すべてが繋がっている。


俺は、なぜこの世界に戻ってきたのだろうか。


初めは暗闇の中を歩むような気分だった。


やがて風子が現れて、俺たちは手を取り合った。ふたりで歩き始めた。


そして、先日。


俺はこの世界の中で自分の娘…汐の姿を見つけた。


何もわからない暗闇の中に、激しい光が差し込んだ。


俺は歩いていく。


その光に向かって歩いていく。


歌声。


世界を包む、歌声を遠くから聞きながら。






323


部活が終わり、学校を出ると、外はまだ夕暮れにもなっていない。


杏と椋はクラス展のほうを見てから帰るらしく、慌しく三年の教室の方へと行ってしまった。


「おふたりとも、とても忙しそうです」


隣を歩く渚が校舎の方を振り返りながら言う。


「まぁ、主催者だからな」


その上部活まで抱えているのだ。今日も何度かクラスと往復していたし、かなり多忙そうだ。


「明日くらいは、向こうも少しは手伝わないとな…」


「はい。わたし、当日はあまりお手伝いできないので、今のうちに色々やりたいです」


「そうだな」


渚はクラス展のウェイトレスの係ではない。


当日、劇の本番があるのにクラスの仕事をする余力はさすがにないだろう。


ひとり芝居だからその分渚にセリフや動作の暗記など、一番大きな負担がかかる。特にセリフを覚えるのは大変そうだった。


かつても、当日などは心ここにあらずという感じだったしな。


「…」


そう考えて、自分の考えを否定する。


いや、そうじゃないな。


当日。心ここにあらずという様子だったのは、そのせいではない。


あの日の渚は…呆然としていた。


オッサンがかつて演劇をやっていたことを、創立者祭の直前に知ってしまった。その事実に足を止めてしまって、立ち尽くした。自分のしたいことをして、夢を叶えようとしているのに、それが家族の犠牲の上に立っていると思ってしまった。


真実とは、過酷なものだ。


渚は自分がオッサンと早苗さんの夢を壊してしまったのだと考えて、その自責に潰されそうになった。


だが、それでも彼女は折れなかった。


あの日の舞台の上で、オッサンたちの言葉を受けて、自分の足で立ち上がった。強い奴だ。


…ん?


そこまで考えて、ふと気付く。


そういえば、今渚はオッサンが昔演劇をやっていたこととか知らないんだよな。


それを知らないまま、このまま創立者祭に臨んでしまっていいのか?


前は渚の話す幻想物語の出典を知るために色々渚の実家を探し回って、その流れでオッサンと早苗さんの過去を知ることになった。が、今は違う。


このままいけば、渚はそのことを知らないまま本番の日を迎える。


前回とは、全然違った展開だな、それ。


とはいえ、俺が突然現れて真実を暴露するという展開もどう考えてもおかしい。俺がラスボスみたいになっている。


「岡崎さん?」


「あぁ、なんでもない」


ついつい考えすぎてしまっていたが、渚が俺の顔を覗き込み、慌ててごまかす。


…ま、無理に事件を起こす必要もないか。そう考えるしかない。


「早く手伝わないと、クラスの方は準備が終わっちまうからな」


「はい、ものすごく準備が早いです」


向こうは元々の人数も違うが、統率性も高い。


クラスの方は、明日にも体裁は整うレベルらしい。羨ましい限りだった。


とはいえ、部活も進みは順調だが。


「合唱も、みなさんもう本番に出れるくらいだと思いますし」


「ああ…」


俺は合唱の技術的な問題などはわからないが、彼女らの歌に随分と勇気付けられたような気がする。


たしかに、すぐ本番に出れそうだ。もちろん、当人たちからしたらまだまだやることはあるのだろうが。


隣を歩く渚は、機嫌よさげにさっきの合唱曲の旋律を鼻歌で歌った。


それに気付いた前を歩く仁科が振り返り、くすくすと笑った。


「これ、いい曲ですよね、先輩」


「わっ、聞こえちゃいましたかっ」


「はい、少しだけ」


渚は恥ずかしそうだった。



…。



分かれ道について、三々五々、挨拶を交わして俺たちは別れていく。


そして、道を行くのは俺と風子だけになった。


そろそろ、空の端が赤く染まり出すような頃合。


今日は早めに部活が終わったから、こんな時間から暇になるのも珍しい。


「帰るんですか?」


「そうだなぁ…」


俺は少し考える。


帰ってもいいが、今から家にずっといるというのももったいないような気がする。


そしてふと思い立ち、俺は墓参りをしようと考え付く。


この町にある、母親の墓。


俺のまた訪れたことのない、家族の墓。


「ちょっと、寄るところがある。おまえは先に帰ってろよ」


「どこに行くんですか?」


「ちょっとしたところ」


「…?」


風子は怪訝そうに俺を見た。


別に、隠しているわけでもないんだけどな。人に吹聴する話でもない、というだけだ。


「母親の墓だよ。墓参り」


それだけ言うと、俺は踵を返す。


ここから、墓地はそこまで遠いわけでもない。


すたすたと歩くと、後ろに足音が続いた。


「おまえ、来るのか?」


「…」


風子は、こくこくと頷く。


「墓だぞ」


「はい」


「怖いところだぞ?」


「岡崎さんは、風子がもう大人の女性だということを忘れています」


「忘れてた」


「風子、もう二十五歳ですから」


「…」


衝撃だった。


いや、知ってはいたけど。


こいつ、二十五歳か…。


「なんだかものすごく失礼なことを考えているような気がします」


「そんなことはないぞ」


俺は風子に嘘をつく。


のらりくらりと風子の追及をかわしながら、ふたり、並んで今来た道を戻っていく。







324


墓地は静かだった。


鋭く削られた墓石が傾いた日差しにくっきりとした影を作っている。


線香のにおいが、少しする。


俺は、渚の墓参りを何度も何度もしたことを思い出す。


それは汐と向き合えるようになってからのことだ。


それまでは、俺は古河家の墓参りをすることはなかった。


あいつの死を、信じたくなかったのだと思う。


だが結局、俺は墓参りをしてやるべき時期に来なかっただけかもしれない。


「風子。こっちだ」


「はい」


大体の場所は木下から聞いている。


俺は歩いていく。風子も言葉少なくそれに続く。



…。



母親の墓は、すぐに見つかった。


墓標に刻まれた岡崎家之墓、という文字。


だが、墓は見事にうらぶれていた。


墓石はくすみ、雑草ははびこる。


親父は田舎を飛び出してこの町で暮らし始めた。この墓の下に眠っているのは母親のみだ。


ここに墓があることすら知らなかった一人息子。


そしてこの墓を訪ねることもない親父。親父もきっと、ここには来たくないのかもしれない。


「近いうちに、ちゃんとしなきゃな」


「あの…風子も、手伝いますから」


「ありがとな」


「いえ、岡崎さんの面倒を見てほしいって、芽衣ちゃんにもお願いされていますので」


「…」


芽衣ちゃん…。


君は風子にそれを頼むか…。


俺は苦笑した。


気を取り直して、手を合わせる。




もしかしたら、物心がついていない頃にここに来たことがあるのかもしれないけど。でも、随分待たせてしまったな、母さん。また来るよ。




心の中で、そう思う。


目を開けると、横で風子も手を合わせて、なにやらむにゃむにゃと呟いている。


そして、ぱん、ぱん、と手を叩き、目を開けた。


「…おい、風子。おまえ、なにかお願いしてた?」


「はい、もっと色々な人がヒトデを受け取ってくれますようにって」


「…」


墓を神社仏閣と同列にするな。願い事をされて、天国で母親も大いに困惑しているはずだった。


「今日のところは、帰るか」


「はい」


ちらりと墓を振り返り、俺たちは言葉少なにそこを後にする。


母親の墓がボロボロになっているのを見て、あまりショックを受けなかった。


多分、なんとなくそんな気はしていたのだろう。


管理する人間がいなければ、汚れ乱れるのは当然だ。



…。



墓地の入口で、ちょうど別方面から墓参りを終えた人に行きあった。


それは、自分も知っている人間だった。


「宮沢…?」


「朋也さんに、ふぅちゃん…」


「…?」


まさか、こんな所で出会うとは。


それは、先ほど別れたばかりの宮沢有紀寧だった。



…。



「ここで会うなんて、奇遇ですね」


「まぁな…」


普段の生活圏とは程遠い空間だ。おかしな偶然だ。


俺たちはぎこちなく挨拶を交わす。


誰の墓参り? などと気安く聞くのは憚られるが、さもなんでもないようにここで日常的な会話をするのはちぐはぐだ。


宮沢を見ると、彼女もやはり言葉の継ぎ穂に困っている様子だった。


「…あの、おふたりは…デートですか?」


宮沢は天然だった!


「ああ、風子が本物のゾンビを見たいって言い出してな」


少し、救われたような気持ちになってつい話に乗ってしまう。


「そんなもの見たくないですっ。岡崎さんは最悪ですっ」


「いや、待て風子。もしヒトデのゾンビだったらどうだ?」


「ヒトデ?」


「ああ。体が半分腐ったヒトデが、『ふぅちゃ〜ん…ふぅちゃ〜ん…』と近付いてくるのを想像してみろ」


「う…っ」


少しひいた!


「も…っ、もちろん、アリですっ!」


受け入れてみせた!


「ふぅちゃんのヒトデへの愛は、とてもすごいですね」


「はい、もちろんです」


宮沢に褒められて、風子は胸をそらせた。


アホアホトークで硬直していた空気が緩んだ感じがする。少し安心した。


「お参り、終わったんですか?」


「ああ」


「それでは、帰りましょうか」


宮沢は、誰の墓参りなのか聞かなかった。彼女なりの心配りだろう。


だから、俺も宮沢が誰の墓を訪ねていたのかは聞かなかった。



…。



家に帰る。


ふたりで夕飯の食卓を囲んで、やがてヒトデを作って過ごすうちに夜も更けていく。


明日も部活。


会長が監督する予定の部活だ。


どうなるものかと考えていると、いつの間にか眠りに落ちていた。






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