folks‐lore 05/03



319


クラスで昼食を食べ終わり、再度部室へ。


その道中。


「…あれ?」


まず初めに気付いたのは、ことみだった。


唐突に足を止めた。顔を上げて、考え込むような顔つきになる。


「ことみ? どうしたの?」


「杏ちゃん、しっ」


人差し指を一本立てる。静かに、という合図に俺たちは黙った。


…休日の静かな校内。


この連休はどの運動部も試合で出かけているのだろう、外からかけ声などが聞こえてくることはない。


微かな東風の気配。


そして。


風に流れて、楽器を演奏する音が流れてきた。


「これ…ヴァイオリンでしょうか?」


「吹奏楽部、今日はいなかったわよね?」


「でも、上の階から聞こえてきます」


「…」


口々に言う渚と杏をよそに、ことみは突然、兎のように駆けだした。


「ことみちゃんっ?」


「どうしたんですかっ?」


渚と椋がぱたぱたとそれに続く。


残された面々は顔を見合わせて、三人についていった。



…。



「あれ? 弾いてるの、うちの部室じゃない?」


「だな…」


三階に入ると、音の出所ははっきりする。


杏は三階の一番端、歌劇部の部室の方を見た。音楽が、そちらから聞こえてくる。


「ヴァイオリン弾ける子なんて、いたのね」


「…」


俺は黙って頷く。


うちの部でヴァイオリンを弾ける奴なんて、俺はひとりしか知らない。


仁科。


あいつは、事故で握力が弱くなり、かつてのようにヴァイオリンを弾くことができなくなったと言っていた。


とはいえ、弾くこと自体はできるのか。


どこから楽器を調達してきたのかは知らないが、うまいものだ。


技術の巧拙はよくわからないが、少なくともとちっているような印象はない。


視界の先、先頭を走ることみが部室に入ると同時に曲が止んだ。


「さて、誰が弾いているのかしらね」


杏は仁科の抱えている事情は知らない。楽しむような表情だった。


「多分幸村先生です」


「それ、意外にありえるかも…」


「ありえるのかよ」


まあ、あのじいさんが妙な隠し玉を持っていてもあまり驚かないけどな。





320


部室に入ると、ヴァイオリンを手に持ったままの仁科とことみが話をしていた。


「やっぱり、おまえだったか」


まさかの幸村という可能性は、やはりまさかだったらしい。


幸村はまだ来ていないようだが、部員はこれで勢ぞろい。


「あ、先輩」


仁科が、俺たちの姿を見るとこちらに顔を向けた。


「そんなの部室にあったっけ?」


春原が言う。


仁科が手に持っているのは、見るからにちゃんとしたヴァイオリンだった。


「さっき、音楽部の知り合いに会いまして…これ、音楽室に置きっぱなしにされていたらしいんです。それで、価値があるものなのか調べてほしいと頼まれたんです」


「へぇ…」


「ふぅん…」


春原と杏はちいさく相槌を打って…


「「高いの、それ?」」


台詞がぴったりとかぶった。


「…陽平っ」


「なに…ってぶげっ!?」


春原の名を呼んだ杏が、唐突に笑顔で張り手をした!


あまりの威力に吹っ飛んでいく春原。


「ふぅ、危うく仲がいいと思われるところだったわ…」


「…」


無茶苦茶小さな理由で恐ろしいことをする女だった。


「す、春原さん大丈夫ですかっ」


渚が慌てて春原を介抱する。


「…杏先輩」


「ん? なに?」


原田が杏に向かってぐっと親指を立てた。


「どすこい♪」


「…どすこい♪」


よくわからないが、ふたりは何か通じ合ったようだった。


「それで、価値があるものなのか?」


冷静に事態を見守っていた智代が話を戻した。


「ちゃんとしたヴァイオリンですけど、入門用のものですね。あちこち傷んでいますけど…」


たしかに、見てみると色あせなどがある。


「…ことみさん、弾いてみたいんですか?」


智代、杉坂、原田と共に仁科を囲んでいた宮沢がことみを見て笑った。


会話の間も、じっとヴァイオリンを凝視していたことみがびっくりしたように顔を上げた。


「…ええと」


「顔に書いてありましたよ」


そう言われて、慌ててごしごしと顔をこすった。


「弾けるのか?」


「???」


不思議そうな顔を向けられた。


「えぇと…」


俺の瞳を覗き込む。


「私も、弾けるから」


「それなら、ぜひどうぞ」


仁科は笑ってことみにヴァイオリンを差し出した。


「うん…ありがとう」


ことみは受け取った楽器を、じっとみつめた。


その間に部員一同は教室の後方にまとめられたイスや机に適当に座り込む。


「わ、わ…」


急ごしらえの発表会のようになって、ことみは緊張したように慌てた。


「ことみ、深呼吸よ」


「がんばってくださいー」


口々に、応援したりアドバイスしたり。


「う、うんっ」


最初は緊張している様子だったが、段々と落ち着いていくる。


そしてゆっくりと、深呼吸を始めた。


「仁科。うまいな、ヴァイオリン」


俺は隣に来た仁科に声をかけた。仁科は照れたように笑う。


「久しぶりだから、腕が鈍ってます」


「…あれ? 先輩、りえちゃんがヴァイオリンやってたこと知ってるんですか?」


小声の会話を後ろで聞き耳をたてていた杉坂が口を挟む。


「こないだ聞いた」


「そうですか…」


「あ。始まるみたいですよ」


仁科が小声でそう言う。


視線を前に戻すと、ことみがヴァイオリンを顎の下に挟んで弦を弓の先に当てる。


なかなか様になっている。


そして…。




んぎいいぃいぃいぃぃいいいぃぃいい〜〜〜〜ぃ。




形容しがたい音が部室の中にこだました。


「〜〜〜〜!?!?!」


この世のものとも思えない怪音だった。


「力の入れすぎですっ。もっとリラックスしてくださいっ」




んごぎごいごぎごぎぃいいいぃぃいぃ〜〜〜ぃ。




「きこえないみたいだぞっ」


「ええ〜っ!?」


完全に自分の世界に入ってしまっているようだった。



…。



殺人音波が止まる。


「うっとり…」


倒れ伏す部員たちをよそに、本人は満足そうだった…。


「…あれ?」


だが、死屍累々とした周囲の様子に気が付くと、不思議そうに首をかしげた。


「…殺す気かっ」


ぱしーん!


いち早く復活した杏がことみの頭をはたいた。


「!!?」


「はぁ…弾けると思ったあたしが馬鹿だったわ…」


「酷い目にあったな」


智代も頭を押さえてダメージに耐えていた。


というか、智代にこんな顔をさせるとは…。


恐るべし、ことみのヴァイオリン…。


「大丈夫なの」


ことみは、杏ににっこりと笑いかける。


「今のは練習だから」


そう言うと、再び弦に弓をつがえる。


「ひいいぃっ」


「第二波がくるぞ〜〜!!」


一同爆撃に備えるように耳をふさいだ。




んぎいいいぃぃぃぃぃ〜〜〜〜ぃ。


ぎごぎごぎぎょぉぉおお〜〜〜〜ん。


がぎぐががぎぐぇおぉぉ〜〜〜〜〜ん。


…ぎょん!




演奏という名のジェノサイドが終わった。


…一同が恐る恐る、耳から手を離して辺りを見回した。未だに窓ガラスがビリビリと揺れている…。


「死ぬかと思った…」


そう呟いたのは、誰の言葉だっただろうか。


「先輩…ヴァイオリン、習ってたんですか?」


仁科が呆然とした表情で聞く。


「うん…。小さい時に、少しだけ」


「…」


仁科が絶望的な顔になった。


まあ、習う習わない以前の問題だとは思うが。


いや、むしろ素人では出せない殺人音波なのだろうか? 戦闘技能?


…とりあえず、ことみのヴァイオリン教師には助走付きでドロップキックを食らわしてやりたい。


「あれ? みんな、どうしたの?」


やっと部室の惨状に気付いたことみが可愛らしく首をかしげた。


「寝てるの?」


「…死んでるの」


やっと立ち上がれるくらいに回復する。


「す、すごく独創的な演奏でした…」


渚、おまえはもっと正直になっていいと思う。


「最悪でした」


この風子くらい。


「いえ、むしろ最悪を越えています」


全力で同意できる意見だった。


などとことみの演奏について寸評(?)をしていると…


「さっき、なにやらうるさい音が聞こえたが…どうかしたのか?」


そこに、幸村が現れた。


じいさん、ことみの攻撃をくらわなくて運がいい人だ。


「ヴァイオリン」


ことみが、ぐっと手に持った装備品(武器)を見せる。


「む? なるほど、それの音色じゃったか…。それにしては不協和音に聞こえたがの…」


「それじゃ、もう一度演奏するの」


ことみがさっ! とヴァイオリンを構えた。


「全員防御〜〜〜!」


みたび、恐ろしい音色が響き渡る…。


演奏が始まった。




ぐわああぁぁぉぉ〜〜〜〜ん。


ごぎいいいぃぃ〜〜〜〜ん。


ぐわわわああぁぁぁぁああああ〜〜〜〜ぁ…


…ぎゅぎょいん!




演奏が終わった。


耳を塞ぎ、かたく目をつぶっていたが暴力タイムが終わって目を開く。


そこには…。


「うっとり…」


幸せそうな表情のことみ。


そして。


「…」


その傍らに、幸村がうつぶせに倒れていた。


「こ、幸村先生ーーーーーっ!」


「うわ、殺人現場!?」


「死なないでくださいーーーーっ!」


大騒ぎになった。


まあ、もともと、大騒ぎではあったのだが。






321


「お迎えがきたかと思ったわい…」


「まだ死ぬなよ、じじい」


「おぬしの言い方は心配しているかどうかよぅわからんの…」


普通に心配しているのだが。


「ことみ、もう十分堪能したでしょ。ヴァイオリン返しなさい」


「あ…うん」


杏に言われて、ことみは残念そうな表情になる。


大切そうに持っていたヴァイオリンを仁科に差し出すが、その手元は逡巡していた。


まだまだヴァイオリンに未練があるようだった。


とはいえ、こっちはたまったもんじゃないからな…。


「あ、あの…」


そんな様子を見て、仁科が気遣うようにことみを見た。


「もしよろしければ、もう少し練習して見ますか?」


「…えぇっ」


一同が露骨に嫌そうな顔をする。


仁科はついことみの表情にほだされてしまったようだった。


「おい、仁科、正気か?」


「りえちゃん、死んじゃうよ」


「わ、私も少しなら教えることができるから…」


仁科は俺と原田の忌憚ない意見に、曖昧な笑顔を返す。


「このヴァイオリン、ずっと音楽室に置かれていたみたいなんです。だから、やっぱり誰かに使ってもらえるのって大切だと思うし…」


「ありがとう、りえちゃん」


外野の非難は聞いちゃいないように、ことみは嬉しそうに仁科の手を掴んだ。


「ど、どういたしまして」


「せっかくだから、もっともっとみんなに聞いてほしいの」


「ことみ…あんたこれ以上被害者を増やすつもり?」


「???」


ことみは不思議そうな顔をした。


「…はあーっ」


杏がやれやれ、とため息をついた。


「それじゃ、発表会でもしてみたら? 人を集めるくらいならできるし」


「おい、マジか?」


俺は小声で杏に言う。


今まさに、学校規模でのジェノサイドが始まろうとしていた。


「あたしたちは耳栓必須ね」


「…ていうか、誰を呼ぶんだよ?」


「明日会長来るんだから、あいつにでも聞かせてやればいいじゃない」


「んなことしたらこの部活を本気で潰しにかかりそうなもんなんだが」


「大丈夫、大丈夫」


「…」


全然大丈夫そうではなかった。


やれやれ…。


俺にできることはひとつ。死人が出ないことを祈るのみだった。






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