folks‐lore 05/02



299


誰かに体を揺すられて、俺は目を覚ました。


ぼんやりと目を開けると、風子が傍らにいた。腕の辺りに、彼女の掌のぬくもりを感じる。


「岡崎さん、朝です」


「ああ…」


かけられた言葉にそう答えて、俺はまた布団をかぶって眠る…。


ゆっさゆっさゆっさ!


…ものすごい勢いで揺さぶられる。


「朝です、朝です、朝ですっ」


「起きてる、起きてる…」


ぐいぐいと布団を引っ張る風子。俺は布団を剥ぎ取られないように守るが、やがて諦めて体を起こした。


…眠い。


「もう、芽衣ちゃんがいなくなった途端にだらけすぎです」


「なんだか、寝たりなくてな…」


頭の中に、薄く靄でもかかっているような気分。まだ半分夢でもみているような感じだ。


昨日、脚本の続きが思い浮かんだ俺は家に帰った後に一気に書き上げた。夕飯になにを食べたかもよく覚えていない。


随分、集中して作業をしていたと思い返す。


ずっと見つけることが出来なかった物語の続きを天啓のようにして手に入れて、舞い上がっていたのかもしれない。あるいは、物語の先が急に思い浮かんだよう に、急に消えてしまうかと思って 半分恐れていたのかもしれない。


おかげで、いつもよりも夜更かし。


最近はしゃんと起きることが多かったが、今日は眠い。


仕方がない。学校で寝ることにする。


「早く、朝ごはん作ってください」


「…」


伸びをしているとそんなことを言われ、朝食のことを思い出す。


時計を見てみると…既に米を炊いている時間はない。


いつまでも起きてこない俺を、起こしにきてくれたようだった。


「おい風子、米は炊いたか?」


「??」


不思議そうに、ふるふると首を振った。



…。



「今日は、朝飯抜きだ」


「…最悪ですっ」


「悪かったよ、途中で何か買ってこうぜ」


「芽衣ちゃんに言いつけることにします」


「明日から、ちゃんと起きるって」


「岡崎さんの言うことは、信用できないです」


言い合いながら居間へと入ると、親父がちゃぶ台の一角に座ってテレビを見ていた。


「おはよ」


「ああ…おはよう」


俺と風子も腰掛ける。


風子にテーブルの上の煎餅を渡してやると、不満そうに食べ始める。


「朋也くん…」


そんな無言のやり取りを見ていた親父が、ためらいがちに尋ねる。


「なに?」


「朝ごはんは…?」


「ないよ」


「…」


「…」


「…そうかい…」


親父は肩を落とした。


「悪い。明日から起きるからさ」


「そうかい…」


なんだか、親父の悲しそうな顔を見て、悪いことをしたような気がしてくる。


まあ寝坊したのは俺なんだけど、おまえらは最初から作る気ないのかよ、とも少し思う。


まあ、風子の手料理は不安すぎるし、親父が飯の用意をしてくれるというのも想像しづらい。


しかし、朝飯食べる習慣が身につき始めたところで芽衣ちゃんが抜けたのは痛い。


ぐう〜。


親父の腹がなった。


ぐ〜…。


俺の腹もなる。


お互い、空腹だ。


「お腹の音で、会話しないでください」


「してねぇよ」


俺も親父も、朝飯なんてロクに食べていなかったはずなのに、生活習慣とは恐ろしい。今ではないと物足りないものだ。


「今日は何か、外で買ってくることにするよ…」


「ああ」


親父が出て行く。


「風子もお腹すきました」


「煎餅食ってるだろ」


「これ、おやつですっ」


たしかに最近はご飯、味噌汁、主菜、副菜という質量共にたっぷりの朝食だったから、煎餅だけだといかにも味気ない。


「仕方ない…かなり早いけど、出るか」


「はい。風子も、それがいいと思います」


気の抜けたような朝だった。


俺たちは手早く制服に着替えて、家を出た。



…。



学校へ行く道すがら、風子に新しい物語の説明をする。


昨日は気がはやって書くばかりで、ほとんど話をできていなかったからな。


幻想物語。


この物語の行き着く場所。


話をしていると、段々熱がこもった話し方になってしまう。


昔も、今も。どうして俺は、この物語に心動かされるのだろうか。


そこには何か、俺の心を震わせるものがあるのだろうか。


風子はそこまで興味があるという様子でもなく、ふんふんと相槌はうつくらい。


やはりこの話は、渚にしか通じないのだろうか。


俺と渚をつないでいるひとつの物語。


そこにどんな意図があるのか。


それは想像すら及ばないことだった。





300


コンビニで朝食を買って、学校へと向かう。


「飯、どこで食う?」


普段、渚たちとは坂の下で待ち合わせている。


今日はいつもより早く来たから、当然、まだ坂の下に立つ姿はなかった。


だが、ぽつぽつともう登校する生徒の姿もある。


なにかの当番なのかもしれないし、早めに来て予習でもしているのかもしれない。


生徒たちは坂の下で立ち尽くす俺と風子をちらりと見やり、坂を登っていく。


…さて、どうするか。


このまま学校に先に行くわけにもいかないだろう。いつも渚たちと坂下で待ち合わせをしているから、戻ってこないといけないし。こういう時に携帯でもあれば 便利なんだけど。


「ええと…」


風子はコンビニ袋を覗いてきょろきょろと辺りを見る。


あいにく、座れるような手ごろな公園などはない。


「春原の部屋にでも行くか? あそこなら気兼ねないし」


「あの人の部屋って…寮ですか?」


「そう。ほら、あそこの」


「…」


ふるふる、と嫌そうに頭をふる風子。


「風子みたいな大人の女性があんなところに入ったら、変な人に連れて行かれてしまいますっ」


「誰も見向きもしないと思うけど」


まあ、ファンクラブの一派がいる可能性はあるが。


ともかく、嫌みたいだ。実際、女子が中に入ると騒ぎになる危険はある。


俺も春原の寝顔を眺めながら飯を食べたいわけではないので、まあいいんだけど。


「ここで食べればいいと思います」


「ここ? マジで?」


「はい、マジです」


「…」


後で教室で食べればいいかとも思ったが、風子はパンの包みを開け始めていた。


やれやれ、と思い同様に俺もコンビニの袋からおにぎりを取り出す。


並んで立って、朝飯を食べ始める。



…。



「くすくす…」


「なに、あれ?」


「あの人三年の不良でしょ? 何やってるのかしら…?」


「なんだか、ちょっと可愛いわね」


「あのちっちゃい子、岡崎の家族なんだってさ」


「なんか、仲いいなぁ…」



…。



道行く生徒たちが、並んで飯を食う俺と風子を見てぼそぼそと会話を交わしているような気がする。


「なあ、目立ってないか?」


「もしかしたら、風子のヒトデの噂を聞いて、皆さん欲しがってるのかもしれません…」


「ねぇよ」


普通にツッコミを入れてしまった。


「あ、あのっ、どうしたんですか?」


会話をしていると、椋がとことこと寄ってくる。


「椋さん。おはようございます」


「風子ちゃん、おはようございます」


「おはよ。飯食ってる」


「ああ、芽衣ちゃんがいなくなったから…」


「まぁな」


「あの…昨日、岡崎くんが朝ごはん作るって言っていませんでしたか?」


昨日、智代とそんな会話をした時にこいつもいたな、そういえば。


「寝坊しました」


俺を糾弾する風子。


「いや、いろいろあって」


慌てて言い訳をする俺を見て、椋がくすくすと笑った。


「先輩、どうしたんですか、こんなところで」


飯も食べて、三人で会話していると杉坂が登校してくる。


「おはようございます、先輩」


すぐに仁科も。


「おはようございます。部活動ではないですよね?」


宮沢も登場。


…そうして、春原が来て、智代が来て、原田が来て、ことみが来て、杏が来て…


坂の下に、小さな集団ができてしまった。


坂の下の待ち合わせ、という話をするとそれぞれ学校に急ぐ用事はないようで、なんとなく一緒に留まる。


立っていると道行く生徒の中、顔見知りの人間が笑いかけたり、声をかけたりする。


「坂上さん、おはようっ」


「委員長、おはよー」


「宮沢さん、おはようございます。部活の人?」


「風子ちゃん、朝から可愛いねっ」


「よぉ、岡崎」


さすがにこれだけ人数がいると、知り合いの数も多い。


自分の知っている人間でなくとも、色々な生徒が声をかけてくる。俺は不思議な気持ちになった。


今、期せずして、部員たちが勢ぞろいしていた。


…ただひとり。


我らが部長を除いてだが。


わいわいと会話をしながら、登場を待つ。


いつの間にか、登校する生徒の数は多くなっていた。


彼らは少し不思議そうに、坂の下に溜まる俺たちを見ていた。



…。



そして。


「…わ」


ひとり、歩いてきた渚は部員たちの集団を見つけると足をとめて目を見開いた。


ぽかん、と俺たちを見た。


いつもはもっと少人数で登っている坂道。


昔は、壁のように立ちはだかっていた坂道。


「あっ、渚、おはよっ」


立ち尽くすその姿に気付いた杏が、言葉をかける。


それにつられて、部員たちも口々に挨拶の言葉をかけた。


渚はそれを、しばらく呆然と聞いていて…笑顔になった。


「あ、あのっ、おはようございますっ」


そう言って、ぱたぱたと駆け寄ってくる。


にこにこと笑いながら。


そうして俺たちは、自然に渚を仲間に加え、ゆっくりと坂道を登りだす。


歌劇部部員に、智代と風子。


朝っぱらから、陽気に笑いながら。






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