folks‐lore 04/30



273


その光景を目にしたのは、偶然だった。


休み時間になり、俺は美術準備室にヒトデ作りの材料である木片を探しに旧校舎へと向かっていた。


「ん…?」


新校舎から旧校舎へ向かう渡り廊下。


そこには、合唱部の面々がいた。


仁科、杉坂、原田。だが、それだけではない。


彼女らに話しかけている一人の三年生…。


俺はそいつの顔に見覚えがある。


それは、先日椋への告白を断る時に目にした顔…。


サッカー部の部長の顔だった。


俺は様子を窺うように立ち止まって彼女らを見る。


サッカー部の部長が合唱部員に何やら話しかけている。


ここからはその詳しい表情は窺えない。だが、男が友好的な様子で話しかけているのはなんとなくわかる。


しかし、応対している少女らの表情は一様に硬かった。


仁科は能面のような無表情で相手を見ていた。あいつのそんな顔を、俺はほとんど見たことがない。


杉坂は唇を噛んで相手を見ている。害虫にだってもう少し友好的な表情を見せるというくらいの、渋い表情。


原田は呆れたような顔だった。ほとんど興味のなさそうな顔でもある。


男が身振りを交えながら彼女らに話しかけていると…


口をつぐんでいた杉坂が、決壊したように口を開いた。


「馬鹿みたいなことを言わないでくださいっ」


強い口調だった。今まで聞いたことがないほどに。


突然の言葉に、話しかけていたサッカー部長が固まる。


仁科と原田が諌めるように杉坂に声をかけた。


だが、それでも彼女は止まらなかった。


「どうしてみんなっ、岡崎先輩を悪者にしようとするんですかっ! こっちからすれば、あなたが『最低な奴』です!」


大きな声だった。


あたりには移動教室の生徒が行きかっていたので、彼女の声は相当目立った。


びっくりしたように、周りの生徒たちが足を止めてそのやり取りを観察した。


やたら注目を浴びて、声を荒げた杉坂は我に返って縮こまった。


それを見て、サッカー部長は肩をすくめて彼女らに吐き捨てるように何か言って、足音も荒く立ち去る。


…こちらに向かって。


「岡崎か」


「…」


結果的に、俺たちは廊下で鉢合わせてしまった。


俺は顔をしかめる。相手も顔をしかめる。


渋い表情で互いの視線が交錯した。


俺に向けられているのは、純然たる敵意。


「立ち聞きとは、いい趣味だな」


「通りすがりだ」


男はふん、と見下すように息をつく。


俺は拳も握らず、立ち尽くしていた。


それを見て男は侮蔑的に口元を歪めた。


こちらに手を出す意志がないとわかったのだろう。


…だから心置きなくこき下ろすことができるというわけだ。


「随分後輩に好かれているみたいだな? 一体どんな手管を使ったんだ?」


見下すような口調。吐き捨てるような口調。


「おまえには想像がつかないような方法だな」


「さすが校内一の不良だな。春原共々、この学校からさっさと消えてしまえばいいのにな」


「勝手にそう思っていればいいだろ。妄想するのは、おまえの勝手だ」


「チッ」


聞こえよがしに舌打ちをする。


そして、悠然とした足取りで俺の脇を通り過ぎる。


「これだけ言われて手出しもできないなんて、校内一の不良も腑抜けたもんだな」


「…」


手出しをしたら、大騒ぎをして俺に罪をなすり付けるつもりなんだろう。見え透いている。


俺は拳を握りもしない。こいつにそんな価値はないのだ。


「勝手に言っていればいい。後で、自分がどれだけ情けないことをしているか思い返してみろよ」


「…」


男は再び、舌打ちをした。


そして、足音荒く立ち去る。


俺はそれを見送りもしない。振り返るほどの価値もない。


俺は旧校舎へ、渡り廊下へ歩き出す。


そこには未だ、合唱の三人が立ち尽くしていた。


仁科も原田も、心配そうに杉坂を見ていた。


杉坂は、自分が言ってしまったことを反芻しているようで、表情は青白く、硬い。


周囲にさっきの不穏なやり取りを目にしていた生徒がまだぐずぐずと立っていて、事態の趨勢を見守っていた。


空気が硬直していたが、俺が渡り廊下に足を踏み入れると、視線が一斉に自分に集中することを感じた。


「よう」


「岡崎先輩」


仁科が俺を見て、ほっとしたように表情を和らげた。


あの男に、彼女らは何を言われたのだろうか。


気になるが、知りたくもない。


「せ、先輩…」


杉坂は俺を見て、気まずそうに顔を伏せる。


「見てましたか…?」


小声でそう聞く。


「まあな。途中から」


そう答えると、顔を伏せたまま真っ赤になった。


「くううぅぅぅぅ…」


よくわからないが、恥ずかしさに耐えているようだった。


「先輩、杉坂さんは実は先輩のことが大好きだったみたいですね」


原田がいらないことを言う。


「原田さんっ」


杉坂は原田に掴みかかろうとして、だがすぐにそれもやめて俺に食って掛かる。


「先輩! 今のはっ、見なかったことにっ、してくれるんですよねっ!?」


「えぇぇ…? お、おう…」


ものすごい剣幕だった。


思わず頷いてしまう。


朝に仁科が、杉坂が俺を信頼してくれているということは話していたが、だが実際、そんな様を目の当たりにすると普通に照れる。


普段ダメ人間みたいに扱われているから尚更だ。


「私たちは移動教室があるのでもう行きますっ。先輩も早く教室に戻ったほうがいいんじゃないですかっ?」


聞き取れないくらいの早口で、杉坂は言った。


仁科と原田は苦笑している。


俺の返事も待たず、杉坂は全力ダッシュで旧校舎へと消えていった。


なんなんだ、あいつは…。


「先輩、朝言ったとおりですよね?」


「さっきの人が結構酷いこと言ってたから、杉坂さんも熱くなっちゃったんですよ。普段はあそこまで先輩ラブではないんですけど」


仁科と原田が口々に言って、杉坂の後を追って旧校舎に入っていった。


俺は苦笑しながらそれを見送った。


サッカー部長との会話で結構くさくさしてしまったが、彼女らのおかげで随分と心が和んだ。


さっきはきっと、俺の悪評を彼女らに話していたんだろう。君たちは騙されているんだ、とかな。


元々、合唱の連中と確執があると噂されていたのだ。今は下火になったとはいえ。


不和があると思ったあいつは、そこに楔を打ち込もうとしたのだろうか。


やっとまとまった部活の空中分解。邪魔者の俺に対する意趣返し。


下らない、と思う。


あいつはそんなせこいことに躍起になるほどに暇なのだろうか?


いや、考えないようにしよう。こっちまでさっきのイライラが再燃してしまいそうだ。


俺は頭を振り、歩き出す。


木片を取りに行くつもりだったが、気が散ってしまった。


教室に戻ることにする。


「…?」


歩き出して、すぐに気付く。


このひと騒動の様子を窺っていた生徒たちがひそひそと会話をしながら俺を見ていた。


敵意とかではなく、生暖かい視線だった。


その真意がよくわからない。


何見てるんだよ、などと思うが喧嘩を売ってもしょうがない。


俺は首をひねりつつ、教室への帰途についた。






274


昼休みになり、資料室に行こうと椋と一緒に教室を出るところで、杏と落ち合う。


「よう」


「呼びに来たんだけど、ちょうどいいタイミングだったみたいね」


俺と椋が肩を並べているのを見て、杏は笑う。


「それとも、お邪魔だったかしら?」


「お、お姉ちゃんっ」


椋が顔を赤くして姉に文句を言った。


…当の姉は、楽しそうに笑うのみだったが。


「朋也。お弁当、今日は誰が作ってるの?」


「仁科だったかな、たしか」


先週から昼は持ち回りで弁当を作ってもらっている。まあ、そこまで明確に当番制というわけでもないんだけど。


「よかったわね。可愛い下級生の手作りのお弁当を食べられて」


「別に、練習のためって言ってただろ」


生暖かい杏の言葉に、そう答える。


少なくとも、口先では。


…というかなんでそこまで突っかかられないといけないんだ。


俺はやれやれとため息をついた。



…。



旧校舎に向かう途中、話題の渦中の下級生、仁科と行き合う。あと杉坂と原田。


「あ、先輩、こんにちは」


「よう」


仁科はにっこりと笑って頭を下げた。礼儀正しい奴だ。


「お弁当、作ってきたの?」


「あ、はい。杏先輩ほどの出来ではないんですけど」


「いやいや、そっちも普通に上手じゃない。この子とは大違い」


「お、お姉ちゃんっ」


「あはは、椋先輩はお料理苦手なんですか?」


「それは…ふ、普通です…」


仁科の笑顔に、椋は照れくさそうに笑った。


「でも、得意そうに見えますけど」


原田が口を挟む。


「この子結構ドジだから、時々分量を間違えるのよ」


「でも、時々です…っ」


華やかに黄色い会話を交わしている。


ガールズトーク(?)が始まって、俺は所在無く彼女らの後ろに付いていく。


こういう時に春原がいないっていうのが辛いな。まあ、明日までの辛抱だけど。


仕方がないとも思いつつ、疎外感を感じていると、横には同じように会話に加わらず歩いている杉坂の姿があった。


少し元気がない様子だった。ぼんやりと笑いあう少女たちを見ている。


「どうした、杉坂」


「別に、なんでもないです」


「なにかあったのか?」


心配してそう言うと、杉坂は不満そうに顔をしかめて俺を見た。


あれ…?


元気がないっていうか、怒っている…?


しかも、俺に?


不穏な気配を察知して、俺は話題を変えた。


「そういえば、昨日は何してた?」


「いえ、そんなことはどうでもいいんです。りえちゃんたちと遊びました。というか、先輩のせいですよ」


「なにがだよ…」


話題は変えられなかったようだ。


「さっきのことです。先輩を庇ったから、クラスのみんなに変な風に誤解されちゃって…」


「それは、大変だな」


そういえばあの時、ニヤニヤニヨニヨと周囲から生暖かい視線を感じたことを思い出す。


なるほど、変な風に誤解ね。


でも、それって俺のせいではないんじゃないか。


そう言いたくなったが、薮蛇なのは目に見えていたので黙っておく。


「前も同じようなこと言っちゃって、二回目なので、それで周りのみんながやっぱりね、みたいな風に見てくるんです。岡崎先輩と実は付き合っているみたいに言われて。失礼です、みんな。それでもう胃が痛くって…」


「…」


俺に対して失礼なんだが。


ま、相手は杉坂だから失礼なのは今に始まったことではないけど。


…というか、二回目ということは、以前にも同じようなことを言ったことがあるのか、こいつは?


「大した噂でもないし、すぐになくなるだろ」


胃痛をもよおす大事件というわけでもないと思うけど。


あるいは、こいつの彼氏が嫉妬深くてそういう方面で負担とか?


ふとそう思いついて聞いてみると、そんな人間はいないと腹立たしげに返事をもらう。


違ったようだ。


杉坂は小さく息をついて、俺を見た。


「彼氏から、とかっていいものじゃないですけど、嫉妬みたいなこと言われましたよ。同級生の子からですけど」


「二年の女子から?」


「はい、そうです」


「なんで?」


全然なんでかわからない。純粋な疑問。


杉坂はどう答えたものか悩んだ様子を見せたが、やがて口を開く。


「先輩、結構一二年生から人気あるんですよ? 知らなかったんですか?」


「…」


…知らなかった。


特にそんな様子を感じたことないぞ、昔も今も。


杉坂が嘘をついているとも思えないけど、それなら俺が鈍いだけなのだろうか。


そもそも下級生の知り合いとかほとんどいないし。


今でこそ宮沢や合唱三人組とかがいるけど、以前は宮沢と顔見知りだったな、というくらい。


それで人気が出る?


「やっぱり、気付いてなかったんですか」


俺の様子を見て、杉坂は苦笑した。


「気付くも何も、おまえの勘違いじゃないか?」


「違います。正面から言われたりしましたから、この泥棒猫、みたいなこととか」


「昼ドラみたいだな」


「いえ、そんな物騒ではないですけど。でも、先輩見るからに不良って言うか、ダメ人間って言うかですから、好意はもたれていても話しかけたりとかされないんですよ。憧れていても実際こんな人と付き合うというと、考え物ですし」


「おまえ、無茶苦茶言うな…」


こんな人って…。


少しへこんだ、俺だった。


「あ、すみませんっ。その、そこまで言うつもりではないんですけどっ」


でも、言っちゃったけどな。


「こ、こほん」


杉坂は大きく息をついて、仕切り直す。


「でも、先輩は気にすることないですよ。向こうから声をかけてくることもないとは思いますし。先輩カッコいいですから、みんなそれを見て憧れてるだけですよ」


「カッコいいか?」


自分の顔など、見慣れてよくはわからない。


思春期の頃なら容姿についてあれこれと思い悩みもした気がするが、今はもう自分の顔を見ても、随分若いな、というくらいしか思わない。


というか、容姿で俺より優れている奴なんかそこらにいると思うし。


「そ、それはまあ、い、一般論として。ですけど…やっぱり、大切なのはハートだと思います」


そう言うと胸に手を当てる。


ま、そりゃそうなんだろうけど。


要するに、下級生の女子は学校の不良と自分の許されない愛! というような物語を作ってしまっていて、俺に憧れているというよりは恋に恋している、という感じなんだろう。


人気があると言われても、それでは俺が評価されているというわけでもないよな。


浮かれてしまいそうになるが、そう考えてみるとげんなりするのみだった。


不良としての外枠だけで判断するのは、俺を嫌っている連中と同じやり方だ。


「大切なのは、ハートか」


「はいっ」


そちらで評価してもらった方が、ずっとずっと、ありがたいことだ。


「…何の話をしてるの、あんたたち」


「ん?」


いつの間にか資料室の手前までたどり着いていた。


杏が訝しげに俺たちを見る。


「恋の話、ですか?」


椋は興味ありそうに聞く。女の子だから、そういう話は好きらしい。


「やっぱり、大切なのは…ハートだと…思います…!」


「シャアアアァァーーーーーッ!!」


胸に手を当てて先ほどの杉坂の物真似をする原田に、杉坂が飛び掛っていく…。


混ぜっ返すなよ、原田。






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