folks‐lore 04/30



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朝の食卓は、少しだけいつもと雰囲気が違った。


俺と風子と親父と芽衣ちゃん。


もちろん、顔ぶれは変わらない。


だが、俺たちの間の空気は少し違う。


その原因は考えるまでもなかった。


昨日の夕方のこと。


四枚撮りの写真を一枚ずつ分けた。


俺たちの写真。家族写真だ。


全員が一枚のフレームに揃ったことで、今まであまり意識していなかった家族のような親密な繋がりを、いやがうえにも意識することになった。


俺たちは、共に暮らしている。


寄り添いながら、反発しながら。


一つ屋根の下。


産まれ直した岡崎家の姿。


それは少しだけ、俺たちの関係を変えていっている。





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「あ。おはようございます」


いつものように風子と並んで通学路を歩いていると、後ろから小走りに仁科がやってきた。


俺たちが挨拶を交わすと、自然に横に並ぶ。


前は結構微妙な関係だったけど、今では普通に部活仲間、という感じだ。


「先輩、昨日は何をしていたんですか?」


「ええとな…」


答えようとして、口ごもる。


思い返してみると、部活の準備で忙しいこの時期に、昨日は商店街で遊んでいただけだった。


「芽衣ちゃんと春原と一緒に商店街に行って、遊びながら…劇のシナリオを練ってた」


苦し紛れに、サボっていないことをほのめかせる俺がいた。まあ、実際はサボっていたんだけど。


それを聞いて仁科は口元に手を当ててくすくすと笑った。


「杏先輩じゃないですから、怒らないですよ」


「…」


サボっていたことはバレバレのようだった。


「いや、芽衣ちゃんがそろそろ実家に帰っちゃうんだよ。それでだな」


「はい、わかっています」


仁科は慈愛顔でそう言った。なんて物分りのいい後輩なのだろうか。


「伊吹さんも一緒だったんですか?」


「いえ、風子はヒトデを作っていました」


そう言って、おまえとは違うんだよ、的な視線を送る。


くそ。


だが遊んでいたのは本当なので言い返すことができない。


そんな俺たちの様子を見て、仁科はまた笑った。


「おまえは何してたんだ?」


「昨日は杉坂さんと原田さんとうちで遊びました。でも、私もあまり合唱の練習とかはしなかったですよ」


フォローを入れてくれるできた後輩である。


「おまえら、仲いいな」


「はいっ。原田さんとは一緒に部活をするようになってから仲良くなったんですけど、とても楽しかったです」


「元々、そんな親しくなかったのか?」


「普通に話はしてましたけど…グループが違ったので、あまり付き合いはなかったですね」


たしかに、女子は結構グループで固まって行動しているイメージがある。


「原田さんと仲良くなるきっかけは、杉坂さんだったんです」


「へぇ…?」


「前、岡崎先輩と仲がよくないって言われてた時、クラスでも結構その話はされてたんです。心配してくれている子もいたんですけど、からかわれることもあったので…」


たしかに、学校で有名な不良と対立している、なんてなったら無駄な好奇心を集めてしまうだろう。


俺にそういう揶揄を向ける奴はあまりいないが、相手が仁科とか杉坂みたいな女子生徒なら、心ない奴がからかってもおかしくはない。


俺の知らないところで合唱部の連中はそっちはそっちで色々な苦労はあったんだろう。当然だ。


「ですけど、からかわれていて、杉坂さんが相手にはっきり言ったんです。岡崎先輩はすごくいい人で、根も葉もない噂でからかうのはやめてくれって」


「…杉坂が?」


あの、いつも俺の対してダメ亭主でも見るような目を向けている杉坂が?


にわかには信じられない事実だった。


俺の素朴な問いに、仁科は強張っていた表情を緩めた。


「岡崎さん、杉坂さんにすごく好かれてますよ。知らないんですか?」


「知らなかった…」


わかりにくい態度だな、あいつ。


「いえっ、そのっ、好きと言っても、信頼しているという意味の好きなんですがっ」


いきなり顔を赤らめてわたわたと自分の前言を撤回する仁科。


こいつのこういう態度は、わかりやすいよな、おい。


俺はそっぽ向いて頬をかく。


「…」


そっぽ向いた先に風子の顔があって、俺を見ていた。俺は天を仰ぐ。


「えぇと、それで、ですねっ」


「お、おうっ、それでだっ」


慌てて話の続きをする俺と仁科。


「杉坂さんがものすごく強くそう言ったので、うちのクラスではあんまりその噂は大きくならなかったんです。そのおかげで、原田さんは歌劇部に興味を持ってくれたんです」


「そんなことがあったのか」


最近は、演劇部と合唱部の軋轢、などという話は聞かない。


少し日が経って噂が風化したこともあるだろう。だが他に、彼女ら自身の努力もあるのだ。


俺はそれを、ありがたく思った。


「ありがとな、仁科」


「それは、こちらこそですよ、岡崎先輩」


一人きりではないこと。仲間がたしかにいてくれること。


それは何よりも、俺たちの力になっている。






271


坂の下には、既に全員揃っていた。


渚、智代。春原は停学なのでいないが。


いつもの面々と肩を並べて歩き出す。


渚が風子と仁科と親しげに話しているのを見ていると、智代が話しかけてきた。


「岡崎」


「なんだ?」


「一昨日の放課後、私のことを庇ってくれたらしいな。あとで聞いたんだ」


「あぁ、そのことか。別に大したことじゃない。元々俺のせいだしな」


「それでも、おまえが私のために頭を下げてくれたことに変わりはない。だから、礼を言おう。ありがとう」


本当に、そんな大したことをしたつもりではないんだけどな。


「そっちの選挙は、調子はどうなんだよ」


「うん、悪くないと思う」


「俺が援護できればいいんだけどな」


「それは、岡崎が真面目になったという話か?」


「ああ」


どうにもすべりまくりで、その方向性は間違いなのではないかという気がしてきた。もう少し頑張ってもいいかもしれないけど。


「その話はずっと冗談だと思っていたぞ」


「俺のこと全然信じてないのな、おまえ」


「信じているが、素行については信用していないな」


「…」


この正直者が。


「岡崎には、十分力になってもらっている」


「マジで?」


「ああ」


隣を歩く智代を見ると、小さく笑いながら葉桜を見上げている。


少しの憂いもないような表情だった。俺はその横顔を見つめた。


「岡崎たちの、部活はどうなんだ?」


「ん、ああ…」


声をかけられて、魔法が解けたように俺は呆然としていたことに気が付く。


少し、彼女に見とれていた。


俺はぽつぽつと最近の部活のことを話す。


話しながらも、彼女の強く儚い横顔が脳裏に焼きついていた。







272


教室に入ると、メイドがいた。


「おかえりなさいませ、ご主人様♪」


「うわっ」


元気な挨拶に、俺は恐怖の表情で飛びのいた。


「…ちょっと、可愛いメイドさんが挨拶しているのにその反応はなんなのよ?」


メイド姿の杏が俺の反応の不服そうに唇を尖らせた。


…誰でも面食らうと思うんだが。


「ていうか、なんなんだよ、その格好?」


「可愛いでしょ?」


エプロンドレス姿の杏がつま先でくるりとひと回転。ふわり、とスカートが危なっかしく膨らむ。


…たしかに似合っていた。


杏は活動的な印象なので、こういうストレートに清楚な格好をすると結構ギャップがある。


だが、今回のこの格好は、それを見事に活かしているといえよう。


…なぜかマエストロみたいな批評をしてしまっているな。少し落ち着け、俺。


「ああ、服もよくできてるな。もうできたのか?」


昔だったら照れもあってはぐらかすところだが、大人になった俺は素直に褒めることにする。


杏は満足そうに笑うと胸を張った。


「これは最初の一着よ。でも、いい出来でしょ?」


「まあな…」


クラスの注目が杏に集まっている。


普段やらないような突飛な行動だが、創立者祭も近い時期、祝祭的な空気の中でクラスメートも結構楽しみながら受け入れているような感じがする。


杏に引き続いてわいわいと生徒の集団がやってきて、やっぱり似合っている、とかいい感じに出来たとか、衣装のことで盛り上がる。当初クラス展示を始めようとした時の人員不足感はずいぶん払拭されたような印象だ。


杏も楽しそうに女子生徒の輪に入って話を始める。


衣装ができて、創立者祭への準備が進んでいると目に見えて感じたからだろうか、クラスメートの話しぶりはいつもより熱が入っていた。そろそろ創立者祭も間近、と言っていい時期に入る。お祭り騒ぎの予兆の、少し浮ついた雰囲気だった。


置いてけぼりを食らった俺は、自分たちの席へ。


すごい騒ぎだな…。こんな雰囲気は、以前はあまり目にしなかった。


俺は呆れたようにクラスメートを見ている。


「…」


受験生とは思えないな、あいつら。


素朴に俺は、そう思った。


勉強ばかりで、つまらない奴らだと斜に構えていた俺。


だが、その見方はどうしようもなく穿った見方だったのだと何度も気付かされる。


この学校の生徒たちは、決して、つまらない奴らというわけではないのだ。


楽しむ時には、楽しむ。それは当然のことだ。彼らはただただ知識を詰め込んで大学へ進むためだけにここに通っているわけではない。


「そろそろホームルームだぞっ、何を騒いでいるっ」


わいわいと喋っているところに、担任が入ってきた。


受験生のクラスにしては騒がしすぎる、というような微妙な表情。進学校の教師なのだから、当然の顔だ。


それが、輪の中心の杏を見るとぽかんと埴輪みたいな表情になった。


「って、藤林姉か…? なんだ、その格好は?」


「はい、喫茶店の衣装です。先生、どうですか?」


担任に向かってさっきみたいにポーズをとる杏。


それを見て、教師もさすがに苦笑した。


「まったく、クラス展示の衣装か…。しかしずいぶん本格的に作っているんだな」


「それはそうですよ。本気でやらなきゃ、つまらないから」


「まったくなぁ…」


ボリボリと頭をかいた。


「あんまり羽目を外しすぎるなよ。というか藤林、もうホームルームが始まるが、その格好で受けるつもりか?」


「…ああっ!?」


既にチャイムが鳴ろうとしていた。さすがに着替えてくるのは時間的に無理がある。


杏も実は浮かれていたようで、それをすっかり忘れていたようだった。


頭を抱えている姿を見て、クラスメートは笑ってそのまま受けちゃえ、などとからかう。


…全く受験生というような姿ではなかった。


「仕方がない奴だ。その格好、おまえの担任にも話しておいてやるから、一時間目までには着替えておけ」


「は、はいっ」


またクラスメートたちは笑う。


なんだかんだで、周囲を巻き込んでこのクラス展示の輪が広がっている。


当初は否定的だった担任でさえ、今この時は毒気を抜かれたように味方をしてくれているようだし。


…まさに藤林マジック。


創立者祭に向けて順風に漕ぎ出しているクラスの様子を見て、俺は部活の方もしっかりしないとな、と思いを新たにした。






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