265
「よう、岡崎じゃねぇか」
「ん?」
プリントシールを撮って、ゲームセンターの出口に向かっていると、声を掛けられた。
そちらを見ると、柄の悪い風体の男たちがたむろしていた。
…まさしくゲーセンに集う不良って感じだった。芽衣ちゃんが慌てて俺の後ろに隠れる。
春原の後ろではないのが、兄としての威厳のなさを感じさせた。というか、春原は硬直しながらガタガタ震えている。器用で奇妙な動きをしていた。
俺は初め、男たちとどんな関係か思い出せなかったが、すぐに気が付く。
そいつらは、宮沢を慕って資料室に足を運んでいる男たちだった。
敵意を持っている相手というわけではない。
一瞬身構えたが、すぐに警戒を解く。
「ああ、奇遇だな」
男たちには知っている顔もあり、知らない顔もあった。
「岡崎って、あの岡崎か?」
「ふぅん、こいつがね…」
などと、初めて会う奴らも俺のことは知っているようだった。値踏みするように顔を見られて、落ち着かない。
「なんで、妙に有名なんだよ、俺は…」
「そりゃ、ゆきねぇがおまえのこと、話してたからな」
「あいつどれだけ俺のこと話してるんだよ!?」
ツッコミを入れると、男はさすがに苦笑した。
「いや、回数はそうでもねぇよ。仲間内で話題が話題を生んだだけだ」
「へぇ…」
「おまえも、今度ゆきねぇに誘われてるんだろ? 仲間以外でそんな奴、いないからな」
「は…?」
なんのことかわからず、俺は男の顔を見返した。
俺のその反応に、相手もぽかんと俺を見た。
俺たちは、間抜け面を見合わせる。
「おまえ、聞いてねぇのか?」
「宮沢から? いや別に、なんも」
「ちっ、ゆきねぇのやつ、さっさと誘えって言ったのによぉ…」
男はやきもきしたように頭をかいた。
「何の話だよ」
「来月の9日だ」
「?」
「その日、俺たちの仲間で集まりがある。ゆきねぇは、おまえもその集まりに誘いたいって言ってたんだよ」
「集会ってことか。流血沙汰はごめんだぞ」
「そんなことにはならねぇよ」
男は気分を害したように、横を向く。
…しかし、来月の9日か。俺は内心そう考える。
創立者祭は、11日だ。時間的な余裕は、あるだろうか。
そういえば宮沢を部員に誘うとき、発表の直前で決まっている用事がある、というようなことを言っていた。これが、その用事なんだろう。
「なんで俺を誘うんだ?」
「そんなの、知らねぇよ」
男は吐き捨てるように言った。詳しいわけを知っているような感じもするが、言ってくれそうもなかった。
「いいか、とにかく、絶対に9日は来いよな。あとゆきねぇには俺がこういったことを言うんじゃねぇぞ。おまえらの部活も忙しいみたいなことをあいつは言ってたけどよ、ゆきねぇが遠慮しないように先に仕事は片付けとけ」
要望が多い奴だった。
「わかったよ…。大事な用なんだよな?」
「なによりもな」
「なら、もちろん構わないさ」
「そうか…」
男はふん、と鼻を鳴らす。だが表情は嬉しそうだった。
「おまえ、妹を心配する兄貴みたいだな」
少し呆れてそう言うと、相手は顔をゆがめた。
「俺が、兄貴?」
そう言うと頭を振る。
「そんないいもんじゃない」
やけに断定的な言い方。
それは自嘲するような、言い方だった。
…。
それから少し話して、男たちと別れてゲームセンターを出ると、それまで黙って従ってきていた芽衣ちゃんが興奮した風に服の袖をくいくいと引いた。
「す、すごいですっ。さすが都会ですねっ、ゲームセンターに不良がいましたっ」
「…」
記念物を見たかのような口調だった。
「それに、岡崎さんも全然物怖じしていないので、カッコよかったです」
「知ってる奴がいたからだよ」
「ていうかさ、岡崎」
黙っていた春原が口を挟む。
「どうした? ビビッて黙っていた春原?」
「ビビビッてなんかねぇよっ!」
「ビが一つ多いよ、おにぃちゃん…」
芽衣ちゃんは呆れた瞳で兄を見た。
「あいつらさ、有紀寧ちゃんの知り合いなの?」
「ん? …あぁ、おまえは知らなかったのか。そうだぞ。よく資料室に通ってきてる」
「へ、へぇ…。人は見かけによらないんだね…」
「まあな…」
というか、宮沢は特に見かけで人を判断はしていないようだけど。
俺が気になったのは、ひとつのこと。
宮沢が俺を呼ぶとしてまだ話を切り出せないようでいる、来月の話。
それは一体、どんな用件なのだろうか。
そしてどうして俺はそれに呼ばれたのだろうか。呼ばれるのは歌劇部全体ではなく、俺だけっぽい。
その理由も。
俺には、わからなかった。
266
それから。
俺たち三人は、商店街のあちこちを見て回った。芽衣ちゃんは見るものが結構珍しいようでその度にはしゃいでくれて、近場しか連れて行けない申し訳なさも解消した。
商店街のめぼしい店も見終わると、この町の普段行かないところまで足を伸ばして散歩した。
それだけで楽しい。
一人ではこうはいかないのだ。そう思うと、不思議なものだ。
やがて日は傾き、俺と芽衣ちゃんは寮へと帰る春原と別れた。
「今日は、ありがとうございました」
「いや、こっちこそ楽しかったよ」
二人になって、まるでデートの帰りみたいな会話を交わす。
芽衣ちゃんは柔らかな笑顔を浮かべて俺の少し前を歩いていた。
人気のない住宅街に、傾く日差し、伸びる影。
「今日の目標の一つは、おにぃちゃんと岡崎さんと、一緒に遊ぶことだったんです」
本当はふぅちゃんも来てくれればよかったんですけど、と小さく続ける。
それは同感だが、風子は風子でやることをやっているからな。
「それと、ですね、岡崎さん」
芽衣ちゃんが振り返って俺を見る。後ろ足に歩きながら、ちょっと緊張したような視線を俺に向けた。
「なに?」
今日の目標の一つは俺たちで遊ぶこと。ならば、他の目標は?
「もうひとつ。岡崎さんに案内したい場所があるんです」
「…俺に?」
「そうです」
芽衣ちゃんはくるりと振り返って、しっかりした足取りで歩いていく。
「岡崎さんとお父さんが、ケンカしているって聞きました」
振り返らずにそう言った。
「ん、ああ…。風子から?」
「はい。わたしも見ていて思いましたから」
「…」
芽衣ちゃんはしばらくうちで暮らしていたから、それにとても聡い子だから、気付いても少しもおかしい話ではない。
むしろ、彼女自身が俺と親父の間を随分フォローしてくれていたような気もする。
今改めて考えてみると、俺と親父の間に芽衣ちゃんが立ってくれた場面は幾つも思い浮かんだ。
「悪いな、心配かけて。でもさ、そんな気にしなくていいよ」
「そんな、気にしますよ」
芽衣ちゃんは振り返る。悲しそうな顔だった。
「たった二人の家族なのに、他人みたいに暮らしているなんて、すごく悲しいです」
「…」
「お父さんも、岡崎さんのことがきっと好きだと思います」
「それはどうかな…」
今の親父の心情は、どうにもい俺にはわからない。
さすがに憎んでいるなんてことはないだろうが、普通に他人のように思っているような気もする。
「わたし、それで、二人が仲直りできるようになにかできないかなって思ったんです」
「…」
随分ありがたい申し出ではあった。俺も親父とどう接していけないいのか、いまいち掴みきれていないのだ。
だがそれでも、そんな迷惑をかけられないな、とも思う。
「ありがとな、芽衣ちゃん。でもさ…」
「それでですね」
言葉を遮られる。
「やっぱり、二人だけだとなかなか素直に仲直りできないかもしれないって思ったんです」
「…」
俺は黙る。話がどこに転ぶかわからない。
「そういう時こそ、友達が間に立って色々やってくれると思ったんです」
友達。
「岡崎さんは、おにぃちゃんが嫌っていた部活動に入部させてくれましたよね。友達がいるから、きっと、人は変れると思ったんです、わたし」
芽衣ちゃんは、俺が春原と部活動を繋げたとでも思ってくれているのだろうか。
俺はそこまで思い上がるつもりはない。一助になっていれば、せいぜいだ。
「それでわたし…この間、出かけるお父さんの後を付けたんです」
「何やってるんだよ、一体…」
「あ、あはは…。お父さんが岡崎さんと仲直りをするきっかけがないかなって思って…」
「女スパイみたいだな…」
「あ、それ、カッコいいです」
「そうか…?」
ともかく、芽衣ちゃんが俺のために随分骨を折ってくれているようだった。それは素直にありがたい。
「でも、そこまで迷惑はかけられないよ」
「やりたいから、やっているんです。気にしないでください。それで見つけたんです」
「…見つけたって?」
「お父さんの、お友達の家です。岡崎さんは、木下さんって、知っていますか?」
「木下…? いや、知らないけど」
「そうですかっ」
俺の返事に、芽衣ちゃんの表情が明るくなる。
「お父さんがお昼にこの人の家に遊びに来ていたんです。もしかしたら、お父さんと仲直りする味方になってくれるかもしれないと思いまして」
「ふぅん…」
そんなにうまくいくだろうか。
「このあたりに家があるんです…あっ、あそこです、岡崎さん」
芽衣ちゃんはひとつの家を指差す。
結構古くなった一軒家だった。
軒先には無造作に木が植えられているが、あまり手入れをした様子はない。
木造の家屋は月日を経て黒くなっている。家の瓦が、いかにも重そうな風情。
風雨に長年さらされたような表札には、たしかに『木下』という札がかかっていた。
「ここです」
「へぇ…」
親父が昼にどこに行っているかは知らなかったけど、友人の家に遊びに行っていたのか。
まぁ、もちろん、毎日ではないだろうけど。
「それじゃ、いきますっ」
芽衣ちゃんはインターホンを押した。
ぴんぽーん…という音が家の中で響くのが玄関先からも聞こえる。
「…えぇっ」
まさか、今顔合わせするとは思っていなかった俺は慌てた。
が…。
中からは、反応はない。
今は留守にしているようだった。何故か安心する俺。
「留守みたいですね」
「というか、心の準備くらいさせてくれよ…」
「あ、そうでしたね。すみません」
芽衣ちゃんは芽衣ちゃんで、一生懸命やってくれているみたいなので悪くは言えない。
たしかに、俺も今の親父が友人の目からどう見えているのかという話は興味のあるところだし。
「ま、今度来てみるよ」
「あまり力になれなくてすみません…」
「そんなことはないよ」
味方してくれている、という事実がありがたかった。
それに、実際この人と話をすれば得るものがあるかもしれないし。
「帰るか」
「そうですね。そろそろ、ふぅちゃんもお父さんもお腹をすかせています」
「俺もな」
「あははっ、そうですね」
芽衣ちゃんは楽しそうに笑う。
俺たちは、岡崎家へと歩き出した。
267
いつもと違う道からの帰り道。
普段の生活圏とは離れた場所だ。それでも、なんとなくは家の方角がわかる。来たことがないわけではないからな。
伸びる影を追いながら、ぶらぶらと住宅地を歩いていると横目に古びた公園があった。
俺は足を止める。
その公園に、見覚えがあった。
「岡崎さん?」
急に黙り込んで足を止めた俺を見て、芽衣ちゃんが不思議そうに声をかける。
俺は返事をしなかった。できなかった。
頭の奥がチリチリと騒いだ。
俺はポケットを探る。
朝、無造作に突っ込んだ写真を取り出す。
それは、家族写真。
幸福な時代の肖像。
俺と、親父と、母親で写った写真。俺はそれを見る。
時代が変わって随分様相は変わっている。だがその写真は、ここで撮られたものだとわかる。
呆然と写真を眺める俺の後ろから、芽衣ちゃんがそれを覗き込む。
「これ、ここで撮られたものですね」
「みたいだな」
「岡崎さんに、若い頃のお父さんに…お母さんですか」
「ああ」
俺は言いながら、芽衣ちゃんに見られた気恥ずかしさからか乱暴に写真をポケットに戻した。
「納戸を掃除していた親父がこれを見てたんだよ。ま、なんていうか、昔の写真だよ」
「昔の写真…」
「なんでもないから、帰ろうぜ」
俺は歩き出す。芽衣ちゃんが、後ろに続いてくる。
「岡崎さん…」
「なに」
「岡崎さんの家に、カメラってありますか?」
唐突な質問だった。俺は少し驚く。
「いや、ないけど…」
「そうですか…」
芽衣ちゃんはそれから、考え込むように無言になる。その表情には、何か決意が見て取れた。
俺はそれを訝しく思いながら、家路についた。
268
「ふぅちゃん、お父さんっ」
家に着くと、芽衣ちゃんは靴を脱ぐ俺を追い越して家の奥へと小走りに走る。
さっきまで黙りこくっていたのとは一転、急に思いつめたように慌しくなる。
俺が靴を脱いで玄関を上がる頃には、芽衣ちゃんは無理矢理に連れ出されてきた風子と親父を連れて戻ってきた。
「どうしたんだ、芽衣ちゃん」
「岡崎さん、出かけましょうっ」
鼻息荒くそう言った。
「今からか?」
帰ってきたばかりなんだけど。
見ると、風子も親父も戸惑った顔をしていた。
そりゃ、そうだろう。なにせ唐突すぎる。
「出かけましょう、さあさあっ」
有無も言わさず。追い立てるように、俺たちは家の外に出された。
「芽衣ちゃん、一体どうしたんですか…?」
風子が困惑した顔を俺に向けたが、わけがわからないのはこっちも同じだった。
俺は肩をすくめるだけだ。
芽衣ちゃんは迷いのない足取りで町の中を歩いていく。
俺と、風子と、親父はいぶかしみながらもその後に続いていく…。
…。
そして、芽衣ちゃんに連れられてきたのは、昼にも訪れたゲームセンター。
こんなところに、どんな用があるのかわからない。
芽衣ちゃんは確固たる目的があるようで、ずんずんと進んでいく。
そして。
「写真を撮りましょう」
さっき撮ったプリントシール機の前で芽衣ちゃんはそう言った。
「写真…?」
親父が訝しげな顔をする。
俺も風子も、同様だ。
「そうです。私たちの…家族写真です」
ちょっと照れくさそうに芽衣ちゃんはそう言った。
家族写真、と。
俺はやっと、彼女の意図に気が付く。
俺と親父の岡崎家。かつてはそうだった。
だけど今、俺の家には風子が住んで、芽衣ちゃんがいる。
四人。
産まれ直したような俺たちの家族関係。
血の繋がりではなく、そういうものではなく。
俺と親父の関係はいまや冷えている。修復する見通しが立たないほどに。
だが。
芽衣ちゃんは言った。
間に誰かが立つならば、仲直りができるのではないかと。
俺は彼女が本気でそう言ってくれていたことを悟る。
芽衣ちゃんは、俺と親父の関係を知って何度も間に立ってくれた。今回も、つまりはそれと同じことなのだ。
俺と親父が仲直りするために、少しでも何かできることをしようとしてくれている。
そう気が付いて、俺は胸がいっぱいになる。
芽衣ちゃんに促されて、親父も風子もわけがわからないままにプリントシール機の中に押し込まれた。
「さあ、岡崎さんも」
「ああ…」
芽衣ちゃんが中に入る。俺もそれに続く。
「せ、狭いな…」
春原と入った時、三人でさえ結構狭かったのだ。四人となるとなおさらだ。
「わ、お、岡崎さん、変なところ触らないでくださいっ」
体勢を整えようとしたところで、風子に怒られる。
「いや、肩だぞ」
「変なところですっ」
そうなのだろうか。
「話に聞いたことはあるけど、初めて入るね…」
親父は内装を珍しそうに眺めている。
「フレームとか、わたしが決めちゃいますねっ」
俺たちの様子に頓着もせず、芽衣ちゃんは手馴れた様子で(でも二回目だけど)機械を操作する。
「…それじゃ、前を見てくださいっ」
すぐに準備ができる。
言われるがままに俺たちは前方に視線をやって…
カシャリ。
シャッター音がして、プリントされたシールが出てくる。
「ほら、見てくださいっ」
芽衣ちゃんは、取り出した四枚撮りのシールを一人に一枚渡しながら言った。
俺はそれを見る。
親父は渡された写真を見て、驚いたように固まっていた。
そこには。
俺がいた。親父がいた。風子がいて芽衣ちゃんもいる。
四人で写った、写真が手元にあった。
その中。
芽衣ちゃんがにっこりと笑っている。
風子は戸惑ったようでありながら、やけに真剣な表情だ。
親父は全然関係ない方を向いている。
そして俺は、照れくさそうな曖昧な笑顔を浮かべていた。
それぞれが異なる顔をしていて、だけど少しの違和感もないように一枚の写真に納まっていた。
四人。
それはまるで、家族のようだった。
俺と親父の他に、血は繋がっていない。寄せ集めのような集団。だけど一つ屋根の下で暮らしている四人。
それは。家族の肖像。
それは。そうだ。
幸せな光景なのだ。
俺のポケットに突っ込まれている写真に、少し似ている。
それは岡崎家の肖像だった。
それは、ある種の、家族の肖像。