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夢見るようにぼんやりしながら風子と一緒にヒトデを彫っていると、やがて出かける時間になった。
風子に、そして掃除をしている親父に声を掛けて外に出た。
俺と芽衣ちゃんで、ふたり、並んで町を歩く。
天気はまあまあ。風もなし。
途中住宅街の中の公園の脇を通る。祝日だから家族連れが何組もいて、子供たちの歓声が聞こえた。
自然、そちらに視線を向ける。
遊ぶ子供。それを見る両親は、穏やかな表情だった。
その光景は、それだけで、幸福な光景だった。
さっき目にしたアルバムのことがまた思い出される。
頭をふって、振り払う。考えすぎだな。
「今日はさ、どうするんだ?」
芽衣ちゃんに声をかける。遊びに行くとは聞いていたのだが、どこに行くのかはよくわからない。
「はいっ、色々考えているんです」
芽衣ちゃんはにっこり笑う。
「せっかくこんな都会にきたのに、おにいちゃんの世話ばかりしていたので…色々行きたいところがあるんですっ」
「都会か?」
ここが…?
いい笑顔の芽衣ちゃんから視線をそらして、ついつい、周囲を見渡してしまう。大したところだとも思わないが。
そういえば少し前に、芽衣ちゃんの実家の方だとそもそも街灯がない、みたいなことは言っていたような気がするが。
「ていうか、どれくらい田舎なんだよ?」
「うちのほうですか。商店街とか、ないですよ。畑ばっかりなんです」
「そりゃ、牧歌的でいいじゃん」
祖母の家を思い出す。
花畑や、崖の上から見る海や、ローカルな雰囲気の駅舎。初めて行ったのに、どこか懐かしく感じた空気。
「そんなことないですよぉ…」
だが、芽衣ちゃんは肩を落とす。
「お店とか全然ないですし、夜中には鶏がうるさいですし、ご飯のおかずは裏庭に生えてますし…」
「…」
どんだけワイルドなんだよ、春原家。
「それで、行きたいところっていうのは?」
「それはですね…」
芽衣ちゃんは、意気揚々と答えてくれる。
ゲームセンター、服屋、百円ショップ、本屋などなど、ありきたりというか、本当にそんなところでいいのだろうか、というような場所だ。
というか、元々春原とぐだぐだと時間を潰していたような所。
遊びに行く、という話だったから特別なところに行くのだと考えていたのだが、日常の延長という程度だ。
「そんなところでいいのか?」
「はいっ」
芽衣ちゃんは、そう言うと笑う。
屈託ない。
俺は内心で、少し苦笑。
退屈させないように、せいぜい努力しよう。
263
学生寮に春原を迎えに行く。
本当は待ち合わせにしようとも考えたらしいが、どうせ寝過ごされるのがオチだからとこちらが出向くことにしたらしい。
さすが妹だ、兄のことがよくわかっている。
学生寮に入ると、今日は休日なので寮生の姿がちらほらとあった。大抵の運動部は休日など関係なく練習しているのだろう、それなりに大きい寮の割に人は少ない。
寮生が芽衣ちゃんの姿を見ても女子がいることにぎょっとした様子はない。というか、ちょっとした顔見知り、というように頷いたり、小さく笑ったりとそれなりに暖かな反応だった。
「…なんか、親しげだな」
「うーん、毎日来てるからでしょうか。見慣れたんですよ、多分」
「馴染みすぎだよな」
ま、妹が出入りしている、なんて話はこういうところだとすぐに広まりそうだ。
「岡崎さんもですよ。おにいちゃんから聞きましたけど、毎日のように夜は遊びに来てたって」
「俺は男だから、問題ねぇよ」
「わたしも妹だから、問題無しです」
そう言われると、そうなのかもしれないが。
「ですけど、岡崎さんは最近全然ここに来ないっておにいちゃんが言ってましたよ」
そういえば、そうだ。
まあ、風子を放置しておくわけにもいかないし、そもそも朝ちゃんと登校するようにしているから、無駄に夜更かしもできない。
なんだかんだ、随分足が遠ざかっている。そしておそらく、これからも前みたいに夜を自堕落に一緒に過ごす、というのはほとんどないかもしれない。
「おにいちゃん、寂しがってましたよ」
「あいつ、そんなこと言ってたのかよ。気持ち悪いな」
「それは、同感です」
同意しちゃったよ、この子。
…まあ、ぐだぐだと過ごす時間がなくなったのは、たしかに残念な気もするけど。
「ですけど、どうして急に来るのやめちゃったんですか? やっぱり、部活を始めるからですか?」
「それもあるけど、色々な」
俺は言葉を濁す。
話し始めると、多分、きりがない。
「色々、ですか」
話をしているうちに、春原の部屋の前に。
ノックをするが、返事はなし。
中を覗くと…予想通り、春原は約束のことなど忘れたように、惰眠を貪っていた。
俺たちは苦笑する。
「こいつの辞書に、成長という言葉はないのか?」
「えぇと…あるとは思います。一応。多分すごく薄い字で書いてあるような気もしますけど…」
芽衣ちゃんは、優しい妹だった。
…。
春原を叩き起こして、準備ができるまで食堂で時間を潰す。
俺たちに気付いた美佐枝さんがコーヒーをいれてくれたので、それをすすりながら、ぽつぽつと会話をする。
しばらく待っていると、春原がやってきた。
「やあ、おまたせ」
全く悪びれる様子がなく、逆に清々しい奴だった。
「おにいちゃん…昨日あんなに言ったのに」
芽衣ちゃんがむくれて言うが、春原はどこ吹く風だった。
「こっちはわざわざ予定を空けておいてやったんだよ。感謝くらいしてもいいだろ」
「嘘付け。友達もいないくせに」
「いるわっ!」
「どこにだよ」
「おまえだ、岡崎っ」
「…」
バキッ!
「なんで殴るの!?」
「いや、友達だと思われたくないなぁって思って」
「ひどすぎるだろ、それっ」
「…くすくす」
俺たちのアホアホトークを見て、芽衣ちゃんは毒気を抜かれたように笑った。
「もう、しょうがないなぁ…。それじゃ、行きましょうか」
「ああ、そうだな」
「へいへい…」
芽衣ちゃんの足取りは軽い。
俺も春原も、その後姿を苦笑しながら見つめた。
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「わーっ、すごい、すごいっ」
芽衣ちゃんははしゃいだ様子で店内を見回していた。俺と春原はそれを見ながら、また苦笑。
なるほど、芽衣ちゃんが田舎で暮らしていたのは本当なんだな…などと再認識。こんな所で、予想以上のハイテンションだった。
ここは、100円ショップ。
芽衣ちゃんが言うには、100円ショップがあるのは都会の象徴らしい。
「…春原、おまえはそう思うか?」
「実家の方にはなかったけどさ、コンビニみたいなもんじゃん?」
「だよな。ていうか、おまえの実家コンビニはあったのか?」
「なかったよ」
「…」
どんだけ田舎だったんだよ。
「個人経営みたいなボロイ店はあったけどね。缶ジュースの賞味期限すら切れてたけど」
どんだけ田舎だったんだよ…!
俺は同じ言葉を胸中で叫んでしまった。
「すごいですね、岡崎さんっ。これ全部100円なんですよっ」
そんな環境でずっと育ってきたらしい芽衣ちゃんは、大興奮。
「知ってる」
「ほら見てください、食器も百円、CDとか帽子もありますっ」
「たまに315円もあるよね」
「ああ。ま、それでも安いけどな」
「そうだね」
男二人は、冷静そのものだった。
芽衣ちゃんは色々な商品を見てはきゃあきゃあと嬉しそうにしている。
ま、これだけ喜んでくれているならこっちもありがたいけどな。
「おっ、耳栓がある。学校で寝るときに便利そうだね」
「寝るなよ」
しかし改めて店内を見てみると、色々あるな。
「へぇ、仮装グッズもあるんだな」
作りは安いが、バラエティー雑貨も色々ある。
俺は付け髭を鼻の下に当ててみた。
「芽衣ちゃん、芽衣ちゃん」
「はい、なんですか岡崎さん…ってダンディー!?」
振り返って俺の顔を見た芽衣ちゃんは黄色い悲鳴(?)をあげた。
「はっはっは」
「くそ、僕もなにかないのか…!?」
芽衣ちゃんのいい感じのリアクションに、春原も雑貨コーナーをあさった。
「春原、これはどうだっ?」
「サンキュー、岡崎っ!」
春原は、俺に渡されたものを装着する。
「あはは、おにいちゃん似合わなーいっ」
「えええ!?」
手渡したのは、青ひげのマスクだった。
まあ、似合っても微妙だけどな。
俺たちの変装大会は、店員が止めに来るまで続いた。
…。
100円ショップを出た時には、俺は意外に買い物をしてしまっていた。
食品とか生活雑貨も充実してたからな…。
ついつい買ってしまう、恐ろしい店だった。
春原も同じように菓子とか変なおもちゃ類を買っていた。テンション上がって冷静に考えればいらないものでも買っているような気がするが、それも魔力だよな…。
芽衣ちゃんは一番はしゃいでいたわりには一番財布の紐はかたくて、買ったのは小さなノートだけ。
「そのちっこいノート、なんに使うの?」
「すぐにわかるよ」
春原が聞くと、芽衣ちゃんははぐらかす。
「ふぅん?」
次に行きますね、と芽衣ちゃんが歩き出す。
俺と春原は顔を見合わせると、その後を追った。
…。
次にきたのは、ゲームセンター。
「おい、芽衣。おまえ昨日はゲーセンは不良のたまり場だから行くなって行っただろ?」
「夜はダメって言ったの。おにいちゃん、全然聞いてないでしょ」
兄妹で言い合いをはじめる。
「ほら、喧嘩してないで、行くぞ。芽衣ちゃん、なにかやりたいのあるんだろ?」
「あ、はいっ」
芽衣ちゃんは俺の後に付いてきて、春原もそれに続いてくる。
ゲーセンの中に入ると、大音量の音楽、騒音、歓声が耳をつんざく。
芽衣ちゃんはびっくりしたように耳を押さえた。
「わわっ」
「うるさいよな、たしかに。来るのは初めて?」
「は、はい…」
「ま、おまえみたいなお子様にはまだまだここは早いってことだね」
「ゲーセンにお子様も何もないだろ…」
言いながら、ゲーセンの中を見る。
騒がしいが、懐かしい。
そういえば随分長いことゲーセンに入ってなかったな。腐っていた頃、パチンコ屋は相当行っていたけど。
芽衣ちゃんは少し怯えたような感じで、中を見回している。
俺はぽんぽんと芽衣ちゃんの頭を軽く叩く。
「わ…」
「それで、何を探しているんだ?」
「はい、あの…」
芽衣ちゃんは俺を見上げて恥ずかしそうにしていたが、やがて口を開いた。
「プリントシール機です」
「プリントシール機?」
「はい、ゲームセンターなら、どこにでもあるって聞いていたんですけど」
「春原、知ってる?」
「うん、こっちだよ」
俺よりもよほど通い慣れている春原は、特に迷う素振りもなく奥の方へと俺たちをいざなった。
クレーンゲームなど、ファンシーなものが集まっている一角にプリントシール機はあった。
一時はかなり流行ったが、もう結構廃れてしまっている。この時代はどうだったかはよくわからないけど、思いのほか台の種類が少ないので、もう今は最盛期というわけでもないようだった。
「わあ、これですっ」
「おまえ、こんなのに興味あったの?」
「都会の女の子は、みんなで撮り合ってシールを交換しているって聞いたの」
さっき買ったノートは、プリントシール用のアルバムだったようだ。
かつて、クラスメートの女子がそんなのを持っていたのを思い出した。
「それじゃ、撮ってきな」
「いえ、岡崎さん、その…」
芽衣ちゃんは恥ずかしそうにもじもじしている。
「一緒に撮ってもいいですか?」
「え? 俺?」
「はい、おにいちゃんも一緒に」
「え? 僕も?」
俺と春原は、間抜けな顔を見合わせた。
「プッ。悪い、おまえの顔見たら笑っちまった!」
「馬鹿にしてるだろおまえ!」
「わたし、明後日にはもう帰らなきゃいけないので、一緒に写真を撮りたいんです。あの、ダメ…ですか?」
俺と春原の醜い争いを余所に、芽衣ちゃんは可愛らしく小首をかしげた。
「うっ…」
俺たちはそんな顔をされると言葉に詰まってしまう。
…正直言うと、撮る気は起きない。
だが、その言葉と表情は反則だろう。
「しょうがない奴だな…」
春原は呆れたように言うと、プリントシール機の中に入る。
「ほら、二人ともこいよ」
「うんっ」
芽衣ちゃんが嬉しそうに続いて、俺も断れないと観念して中に入った。
「け、結構狭いな…」
「たしかに、普通二人で撮るものだしね」
「カップル用みたいですから、しょうがないですよ」
芽衣ちゃんはそう言いながら、金を入れてフレームを選ぶ。
「ほらほら、撮りますよっ」
促されて、正面を見た。
カシャリ、とフラッシュがたかれて画面に俺たちの写真が表示された。
芽衣ちゃんを真ん中に、俺と春原がぼんやりした顔で映っていた。
「わ、よく撮れてます」
「いや、なんか普通だな」
俺はそう言うと問答無用で撮り直しのボタンを押す。
「もっと面白い感じにしよう」
「面白い感じですか?」
「ああ。春原。おまえ写真を撮るときジャンプしてみてくれ」
「え? ジャンプ?」
「ああ、頼む」
「ま、いいけどさ…」
…。
そうして、再チャレンジ。
「それじゃ、撮りますよ…」
再びフレームを選んで春原がジャンプをする…。
カシャッ。
シャッター音がして、画面に写真が表示された。
芽衣ちゃんと俺が映っていて、端には春原っぽい柄をした怨霊が映っていた。
「うおおーーーっ、超こええーーーーっ!」
「心霊写真になってますっ」
「というか、なんだこりゃーーーっ!」
俺たちは狭い空間の中で騒いだ。
この写真で決定にしようと思ったが、春原が再度撮り直しのボタンを押す。
「ちっ」
「さっさと終わらせようぜ。というか、岡崎、おまえが一番楽しんでない?」
「そんなことはないぞ」
…。
そうして、三人並んだ記念写真が機械から出てくる。
「宝物にしますね」
芽衣ちゃんはシールを切り分けながら、ニコニコと笑顔でそう言った。
俺と春原はまた苦笑して顔を見合わせる。
それは、今日何度と繰り返されたやり取りだ。
だがそれは、呆れているからでも、退屈しているからでもない。
俺たちは、これでも結構楽しんでいるのだ。
それはあまり感じたことのないような、くすぐったい感覚だったから。
渡されたプリントシールを見る。
芽衣ちゃんを中心にして、俺と春原はくすぐられたような表情をしている。
それを眺めていると、俺はやはり、にやりと笑ってしまうのだった。