folks‐lore 04/28



254


商店街の端の方に、目的の喫茶店はあった。


喫茶店のマスターはクラスメートの兄弟らしく、それで協力してくれるらしい。ケーキや軽食などはこの店からの仕出しとなるので、俺たちは茶さえきちんと出せればいいみたいだ。


小ぢんまりとした店内には他に客の姿はない。この準備のために貸切にしてくれたようだった。


「わざわざ、ありがとうございます」


応対してくれたマスターに杏が頭を下げると、職人気質、という風貌の青年は小さく頭を振る。


「いや、構わない。ところで今日淹れ方を習うのは何人?」


「あたしと、この子とこの子」


そう言って指すのは、椋とことみ。


「三人か」


「はい、そうです」


「わかった。エプロンを用意するから、待っていてくれ」


そう言うと、奥へ引っ込む。適当に座っていてくれと声を掛けられ、手近なテーブル席に腰掛けた。


「よかったわ、いい人そうね」


安心したように言う杏。こいつも今初めて会ったようだった。


「うん、最初は怖そうだったけど」


椋も胸をなでおろしていた。色々気を回してくれたりもしてくれているし、こういう人が教師役を買って出てくれているならば心強い。



…。



すぐにマスターは戻ってきて、手にしていたこげ茶色のシンプルなエプロンを配った。


制服の上からエプロンを着ただけでなんとなく家庭的な雰囲気になるから、衣装の力とは偉大なものだった。


奥のカウンターの中で実技形式で教えるらしく、マスターに連れられて杏、椋、ことみはカウンターの中に入っていく。


俺と渚と風子が残されて、ぼんやりと彼女らの後姿を眺めた。


店内は貸切で、俺たち三人だけが座ってコーヒーが来るのを待っている状況なので、なんだか緊張する。審査員にでもなった気分だ。だが実際は、マスターが味の評価などは取り仕切ってくれるだろうし、完全にお客様だが。


はじめ、俺たちはかなりしげしげとカウンター向こうの進捗を見ていたが、作り始める前にレクチャーもしているらしく、すぐにコーヒーがきたりはしない。


水だけ持ってきてくれたが、あとはしばらく待てということらしい。


しばらくかかりそうで、俺たちはちらちらと様子を見ながらも雑談を始める。


自然、会話の内容は昨日のことになった。


風子がオッサンと早苗さんがすごくいい人だったと話すと、渚は嬉しそうにはにかんだ。


「…あの、岡崎さん」


渚はそう前置きをして話をはじめた。


「昨日、伊吹先生が来ていたとお母さんから聞きました」


「ああ」


「お元気そうでしたか?」


渚は会っていないらしい。まあ、上で部活の話をしていたのだから早苗さんも呼びにはいかないだろう。


「まあな。てか、初めて会ったからよくわからないけど。体調悪そうではなかったよ」


「あ、そういえば岡崎さんが学校入るのとは入れ違いですよね、えへへ」


「すげぇ感じいい人だよな」


「はいっ」


渚は珍しく強く肯定する。それを見て、風子は嬉しそうだ。


身内を褒められるっていうのは、たしかに嬉しいものだからな。


「一年生の頃、すごくお世話になりました。今でも時々、お店にお買い物に来てくれるんです」


「みたいだな」


相槌を打ちつつ、そういえばまだ風子の本当の身分(?)のことは渚には話していないな、と思う。


少し気が咎めるが、それでも今いきなり切り出すのも唐突だよな。


風子を見る。微妙な話題に入ったので、口を挟まないようにしているようだった。こいつも、こういう嫌な場数を踏んで無茶な言動は減ってきた。


まあ元々、興味がない話題には入ってこない奴なので、黙っていてもそんなに目立ちはしない。


伊吹風子と伊吹公子。よくある苗字ではない。


渚もこっちが嘘をついていることくらい、気付いているかもしれない。人がいいから、言ったことをそのまま鵜呑みにしているかもしれないけど。


「公子さんを、創立者祭に誘ったよ」


「え? 伊吹先生をですか?」


「ああ」


渚はきょとんとした瞳を俺に向けた。


たしかに、不思議かもしれない。今までほとんど会話にのぼることもなかった人であり、俺と公子さんは昨日が初対面なのだ。


というか、風子もきょとんとした目で俺を見ている。


「おまえの演劇、見てもらおうぜ」


本当は風子と顔を会わせてほしい、という思いで誘ったが、渚の成長も見てほしい。


ひとりぼっちになってしまって、立ちすくんでしまっていた彼女が、それでも歩みを進めていることを。


「はい、わかりました…」


渚は今から緊張したようにぎゅっと目をつぶった。


「わたし、がんばりますっ」


「ああ」


俺は力強く応えた。


だが冷静に考えてみれば、脚本を書かねばならない俺が一番頑張らなければいけないのを、忘れていけないのだった。






255


何杯も練習のコーヒーを飲んで、腹にコーヒーが溜まっているような感じがする。


帰り道、風子と並んだ道すがら、俺たちはゆっくりと夕暮れの町を歩いた。


メニューで出すケーキ類はあの場で話し合って決まった。コーヒーの練習はもう何度か通うことになるらしい。


俺があまりコーヒーの味に頓着しないからだろうか、十分うまかったと思う。マスターの教え方がよかったのかもしれない。それでも、マスターはもう少し練習したほうがいい、ということも何度か言っていた。プロからすれば、やはりまだまだというところなのだろう。


俺たちはコーヒーやらケーキの話を少しして、すぐに話題は公子さんのことになった。


家には親父も芽衣ちゃんもいるから、あまり気安くできる話ではないからな。


「おねぇちゃんの話、初耳です」


「え? そうだっけ?」


「はい」


そういえば、大事なことだからつい話したような気になっていたが、そういえば昨日の夜も今日の朝も、汐の姿を見たショックで何も考えられなくなっていたな。


すっかり忘れていたようだ。


「悪い。ま、そんなわけで、誘ったからさ」


「…」


風子はジト目で俺を見る。


「おまえががんばっていることも、見せれるだろ」


「本当に、そうでしょうか」


風子は、微妙な反応。俺だって不安はあった。


だが、このまま、何をするでもないままでは、何も変わらないという気もする。


「本当に、そうだ」


だから俺は、そう断言する。


一歩踏み出す。考える前にそれが大事。そういう場面も、たくさんあるのだ。


「…わかりました」


風子は少し悩んで、頷いた。


「風子も、がんばってみます」


風子はそう言うと、手に持った木彫りのヒトデをぎゅっと握った。


「おまえ、恥ずかしいから道端でそれはやめろよ」


「全然恥ずかしくないです。むしろ誇らしいといっていいでしょう」


「マジかよ…」


「こうやって、ぎゅってしてると元気が出ます」


「おまえだけな、それ」


「そんなことないですっ。みんなそうだと思います」


「んなことねぇよ」


「岡崎さんも、やってみればわかりますっ」


「するかっ。というか、男がそんなことやってたら気持ち悪いだろっ」


「たしかに岡崎さんは気持ち悪いですが、ヒトデの可愛さでカバーできると思います」


…結局、口げんかになる。


だけどそれは、悪い気分ではない。


風が、優しかった。






256


「あっ、おかえりなさい、岡崎さん、ふぅちゃん」


家に帰ると、芽衣ちゃんが台所からぱっと顔を出して、それだけ言うとすぐに顔を引っ込めた。


いい匂いがする。夕飯の準備中らしい。


「もうすぐできるので、先に着替えてきてくださいーっ」


台所の奥から、声が聞こえる。


なんだか母親みたいだと思い、彼女がまだ中学生だと思い出し、俺は苦笑した。



…。



「岡崎さん、明日はなにか用事がありますか?」


「明日?」


麻婆豆腐をつついていた俺は、芽衣ちゃんの言葉に顔を上げた。


「はい、お休みですよね」


「ああ、そういえば…」


祝日で、学校は休みだ。部活の話はない。杏は喫茶店での四方山話で明日はクラスの方で色々あるという話をしていたが、来いとは言われていない。小道具や大道具や、俺とはかかわりのない仕事なのだろう。


渚も特に明日の部活については話していなかった。


台本が見通したっていないのが痛い、まだ部全体としてできることはあまりない。演技については、藤林姉妹がいないなら自主練くらいしかないしな。


つまり…


「暇だな」


予定は未定だった。


これから忙しくなるだろうし、一日眠って英気でも養おうかと思った。


…実際は、風子のヒトデ作りなどを手伝って一日を潰しそうな予感があったが。


「あ、あの、それでしたら」


芽衣ちゃんが身を乗り出してくる。


「明日、一緒に遊びませんかっ?」


「あ…」


鬼気迫る勢いに、俺は思わず頷いていた。


「ああ…」


「やったぁっ!」


芽衣ちゃんはぱっと笑顔を浮かべてきゅっと拳を握った。


「一度、お兄ちゃんと岡崎さんとで遊びたかったんです。ふぅちゃんもきますか?」


話を振られて、麻婆豆腐をつついていた風子は顔を上げる。


「いえ、風子はいいです」


「そうですか」


芽衣ちゃんは、少しだけ残念そうな顔をした。


「予定でもあるのか」


「はい」


風子は頷く。どうせヒトデ作りだろう。こいつ結構ひきこもり気質だよな。


手伝ってやろうかと言いそうになったが、今話した芽衣ちゃんとの約束をこんなすぐに反故にするわけにもいかないか。しかし、最終的にヒトデはどれくらいの量作ればいいのだろうか? 怖くて聞けない問題だった。


「今日はずっとお兄ちゃんの部屋のお掃除をしたり、美佐枝さんとお話をしたりしてて、あんまり外には出れなかったんです。お兄ちゃん停学中だから、外に出すわけにも行かないですし」


「え? あいつ、一日ずっと部屋にいたの?」


「…あはは、夕方くらいに逃げられちゃいまして」


まあ、そうだろう。


怠惰なくせにじっとしてられない奴だからな。アホだから。


「一体、外で何してるんでしょうか?」


「…」


俺は無言で、右手を出してパチンコのハンドルを握る素振りをした。


芽衣ちゃんは聡くその意味を察したようで、頭に手を当ててのけぞった。


「がーんがーんがーん…」


「あいつ、ダメ人間なんだ…」


「知ってましたけど…もぅ」


そのまま頭を抱える。


苦労性の妹だ。


「岡崎さん、お兄ちゃんがそういう悪い店に行こうとしてたら、これからは止めてくれませんか?」


「…ああ、まかせろ」



…。



言えない。


俺もあいつに連れられて、芽衣ちゃんの言う悪い店に通いつめていたことなんて。


「なんだか、答える前に妙な間が…?」


「芽衣ちゃん、この麻婆豆腐自分で作ったのか?」


「あ、はい。寮から調味料を借りてきて、がんばってみましたっ」


「すげぇうまいよ」


「ありがとうございますっ」


…結婚して身についた特殊スキルのひとつに、話をそらすことがあると思う。


俺は嬉しそうな芽衣ちゃんの顔を見ながら、自分の汚れた成長に自嘲した。


…で、風子はその横で呆れたように俺を見ていた。


意外に鋭いよな、こいつは。


それから、明日どこに行こうかなどを話しているうちに、夜は更けていった。




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