folks‐lore 4/27



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「あ…いらっしゃいませっ」


二階に上がり、早苗さんに案内された部屋に入る。以前俺が居候していた部屋。入ると、俺たちの姿に気付いた渚が立ち上がって、照れくさそうに笑った。


中では全員がテーブルを囲んで座っている。なんだか、勉強会をやっているような光景だった。


こちらも軽く挨拶をすると、座の片隅に腰掛ける。


「今、どんな話をしてるんだ?」


隣のことみに話しかける。


「これからの予定の話し合いなの」


「予定?」


「うん」


ことみの目がくりっと大きく開いている。退屈したり、緊張したりしてはいないようで安心する。


「まだ、衣装とか大道具、準備してないから」


「ああ…」


言われてみればと気付く。


かつては、衣装は早苗さんが用意してくれていた。そして大道具といえるものは何も用意しなかった。なにせ、部員は三人だった。しかも、俺と春原はほとんど数あわせみたいなものだった。


だがこれくらいの規模になれば、当然背景や演出などにもっと労力は割けるだろう。


「あの、岡崎さん」


テーブルの向こうから、渚が声をかけてくる。


「これからの予定なんですけれど、これでどうでしょうか?」


手元にあった紙をこちらに差し出してくる。あとから来た四人は、それを覗き込んだ。


もう結構話し合ったのだろう、ルーズリーフのノートは、書き込んだ後に消したあとがある。


…創立者祭までは、あとちょうど二週間だ。充分時間があるというわけではない。


スケジュールをみてみると、大まかに脚本・衣装・大道具・演出準備・演技練習というのが割り振られている。


ひとまずは脚本の完成を急ぎ、その間も大道具製作を進める。脚本が完成した後は演技練習に人を割き、衣装の製作を開始する。その間も、大道具の製作は続ける。で、前々日くらいに道具系は全て用意させるという流れだ。


「いいんじゃないか」


実際、俺よりよほど実務派の人間が集まって話し合っていたのだ、口を出す余地はない。


「うん、いいんじゃない? で、僕はなにをやるの?」


同様に紙を覗き込んでいた春原が言う。


役割分担表の中に春原の名前はなかった。


「あんたは雑用よ」


それにむべなく答える杏。


「雑用…?」


「そうよ。どこかで人が足りなくなったらそっちの手伝いをしたり…」


「ああ、何でも屋とか、助っ人って感じなんだ」


「あとは購買に人数分のジュースを買いに行ったり、外への買出しをしたり…」


「それって、パシリってことですよねぇ!」


「なによ、あたしの決定に文句あるの?」


「あぁ…いや…」


ヘタレがいた!


「なあ、もしかして俺たちが来る前に今日の話し合い終わってた?」


見た感じ、スケジュールは完成してしまっているようだ。だったら、さしあたって今日はなにをやることがあるのか。まあ、それならば遊んで過ごせばいいのではあるが。


「いえいえ、まだですよ」


宮沢がやんわりと制する。


「大道具や衣装も、脚本も、イメージを共有しないといけないですから」


「集団でやることですから、一度統一見解といいますか、全体の形は出しておかないとちぐはぐになってしまいますから。実際何から始めていくか、とかはまだ全然です」


杉坂がそう添える。


「だが、同じ教室で準備はするんだろう? 私は、そこまできちんとしなくても一緒に作業しながら話していけばいいと思う。もちろん、最低限は必要だと思うが」


智代がそう言い添える。


「大道具は、一度決めたら修正しづらいですし、必要なものは今日挙げておければいいんですけど…」


椋はそう言い、渚に目をやる。


「えぇと、なにが必要でしょうか…」


「まずは背景よね」


「一枚用意して、あとは演出で見せ方を変えればいいと思うの」


「そうすると、外の景色で一枚って感じ?」


「最後が冬のシーンなので、それはそれで一枚あったほうがいいと思いますが…」


ぽんぽんと意見が飛び出していく。


ある程度全員気の置けない仲になっているので意見も出やすく、杏と智代が議題を引っ張ってくれているので、かなりスムーズだ。


必要なものリストや、やるべき仕事のリストがどんどん長くなっていく。






237


そして、そんな話をしている中で、ふと杏が思いついたように言った。


「そういえば、渚」


杏が脚本を流し読みをしつつ渚を呼んだ。


「あ、はい、杏ちゃん、なんでしょうか」


「脚本なんだけど、この話って、ちゃんとした原作があるわけじゃないんでしょ?」


「そうだと思います。わたしが昔どこかで聞いたお話です。もしかしたら、ちゃんとした物語なのかもしれないですけど」


「でもどっちにしても、すごく有名な話ではないわよね」


「そうだと思いますけど…」


渚は部員を見回す。


以前にも、この物語を知っている人間がいるかは聞いている。結局、俺は渚の言葉を継いで、おそらくはこのあたりで民話的に伝わっているような、マイナーな話なのだろうと答える。


そう言われて、杏は考え込むように顎に手を当てた。


「…お姉ちゃん?」


椋が不思議そうに、姉を見つめる。


杏はそれにも答えずしばらく考え込んでいたが、やがて顔を上げた。


その表情は、晴れ晴れとしていて、どこか不適なものだった。


「ねぇ、渚」


そして、我らが部長の名前を呼んだ。


「はい」


何かを吹っ切ったような様子の杏に、少し困惑しつつ、渚は相槌をうった。


そして、杏は、出会って今までで、一番衝撃的な言葉を口にした。




「それならさ、ラストをハッピーエンドにしちゃわない?」




…。


俺は耳を疑った。


それは、俺が考えもしない言葉だった。


一瞬、意味がわからなかった。混乱。


こいつは何を言ったのだ?


一拍遅れて、彼女の言葉を理解して、俺が抱いたのは…嫌悪感にも近い、反発。


「いや…」


俺は口を開いた。


物語の筋を変えるなんて、できるわけがない。


「あ、いいですね」


「…」


だが、俺の言葉にかぶせるように、宮沢が何の悪意もない表情で杏に同意する。


「私もハッピーエンドの方が、好みです」


仁科もおずおずと賛同。


「えぇと、それって大丈夫なんでしょうか…?」


「あまり有名な話というわけでもないようだし、大丈夫だと思う。それに、創立者祭の演目で、あまりとやかく言われる心配はしなくていいはずだ」


「あ、そうなんですね。それなら、私もそっちの方がいいと思います」


椋は初め不安げだったが、智代に太鼓判を押されると、ほっとした様子で賛成に一票。


「そのほうがきっと、楽しいと思うの」


ことみはうんうんと頷く。異存ないようだった。


「私も、バッドエンドの脚本書くよりはそっちの方が楽しいと思いますし、問題ないならいいんじゃないでしょうか」


「私はバッドエンドの脚本書くのも楽しいと思いますけど、反対まではしないですよ」


合唱組も、好感触。


「どう? 渚、ダメ?」


一応部員たちの総意が出てきて(春原はあまり興味なさそうにしている)、杏はもう一度渚に聞く。


渚は困ったような顔をして、杏の出した別案を審議している様子だったが、やがてはこくりと頷いた。


「えぇと、はい。みなさんがそれでいいなら、私もそっちの方がいいと思います…」


どこか、釈然としない表情。


「渚が主役なんだから、嫌なら前の方でもいいのよ?」


「あ、いえ。そうじゃないんです。でも…、はい。わたしも、ハッピーエンドの方が、いいと思います。今はまだ、どんな終わりになるのか、全然想像できませんけど…きっと、そっちの方が、いいんだと思います」


逡巡した様子の中から、一本筋が通ったように、段々話しぶりがしゃんとしてくる。


渚はただ一人、俺のほかにはたった一人、あの物語を知っている人だった。


彼女は、別の終わりを求めた。


だが、俺は。


俺は…。


「岡崎さん」


意識が、泥のようなものに、飲み込まれそうになっていた。


沈み込んだ自分の遥か先から、俺の名を呼ぶ声が聞こえてくるような気がする。


渚が俺を見ている。部員たちの視線が俺に集まっている。


「岡崎さんはどうですか? ダメでしょうか?」


「えぇと…」


俺は答えを考える。


俺は、俺は。



…。



…俺はやはり、その終わりに、説得力を持つことは、できなかった。


だがそれでも、俺は嘘をついて、笑顔を浮かべた。


「いいんじゃないのか、それで」


それは本心とは真逆の言葉だった。


だが、今の状況で、俺だけが異を唱えるわけにはいかない。場の流れというものがある。俺はこの中では最年長者だ、これといった理由すらないのに、駄々をこねるわけにはいかない。


そう、反対する理由は別にないのだ。


ハッピーエンド。


幸福な結末。


どうしてそれを避けなければならない?


誰が見たって幸せな最後を、どうして求めないでいるのだ?


その理由を、俺は知らない。


俺はぼんやりと、満場一致で固まった方針転換について、部員たちがあれこれと話しているのを眺める。


あぁ、それは、幸福な光景だった。


「みなさん、お茶でもどうぞー」


そこに早苗さんがやってくる。


「おぅ、やってるか?」


仕事を放り出してオッサンもこちらの様子を見に来る。


休学明けで不安を抱えた渚を送り出して、この人たちも心配していたのだろう。


今こうしてたくさんの友達を連れてこの部屋を人で埋めている。それは本当に嬉しいことなのだと思う。幸福なことなのだと思う。そしてそれは、同時に、俺だって切望していたことだったのだ。


それなのに、俺の心は明るくならない。


幸福な光景、という名の、闇の中へ足を踏み込んでいるような気がしていた。


…ハッピーエンド?


新しい脚本?


あの、物語は、どこに向かっているのだ?


その不安が胸にこびりついて、離れなかった。



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