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231
「岡崎さん、すごいですねっ。あの芳野祐介さんがこの町にいて、しかもお知り合いなんてっ」
歩きながら、芽衣ちゃんがキラキラした目を向けた。
「いや、たまたまだよ。こないだちょっとした縁があってさ」
俺はつい気恥ずかしくなって、顔を背けてしまう。
春の日差しが柔らかく眩しい。
「ちょっと仕事を手伝ったことがあってさ、それくらいの縁」
「運命です!」
「運命なのか…?」
まあたしかに、学生の頃に少しだけ仕事を手伝った縁がその後の職になって、先輩後輩として長くチームを組んでいくことになるのだから、たしかに運命的ではあると思う。
出会った時にはそんなことは感じなかったけど。
「ていうか、芽衣ちゃん、芳野さんのファンってほんと?」
「本当ですよぅ。わたし、すっごい好きですっ」
「へぇ…」
そういう俺は、そういえば出会ってしばらくしてからやっと曲を聴いた、というレベルだ。
芳野さんの曲は好きだから、ファンと言えなくもないが、こんな興奮してる芽衣ちゃんほどではないような気がする。
「今日はすっごくいい日ですっ」
芽衣ちゃんはかつて見たことがないくらいに上機嫌な様子で、スキップでもしそうな感じで足音軽やかに歩いていく。
俺はそんな微笑ましい姿を見ながら、傍らの風子にこっそりと話しかける。
「そういえばさ、芳野さんおまえの顔は知らないんだな。気付かれるかもしれないって思ったんだけど、そんなことはなかったな」
「…」
だが、風子はぼんやりした視線を俺に返すだけだった。
「…風子? どうしたんだ?」
「いえ、なんでもないです」
少し様子がおかしい。問いかけても、不機嫌そうに頭をふるふると振るうばかりだった。
わけがわからない。
「…?」
風子の態度の意図が読めず、俺は結局、それについては深く考えないことにした。
上機嫌な芽衣ちゃんに続いて歩く。少し遅れて、風子も続く足音。
232
商店街を見て回ったり、お茶をしていると、あっという間に昼を回る。
約束の時間である一時が近付き、俺たちは再び待ち合わせ場所、商店街の入口へと戻った。
さすがに日曜の昼、人出は多い。だがその中でも、待ち合わせ場所に集まっている部員たちは、すぐわかった。
まあ、人数が人数だからな。傍目にはやはり目立つ。
軽く手を振りながら彼女らに近付くと、杏と話していた渚がぱっとこちらに気付いて、控えめに手を振り返す。
周りの連中もそれで俺たちに気付いたようで、近付くと口々に挨拶を交わす。
「岡崎さん、こんにちはっ」
「よう。早いな、みんな」
時間としては約束の五分前くらいなのだが、大体の部員が揃っているようだった。
まあ、真面目なやつが多いからな。
「はい。わたしも、今来たところです」
渚はそう言って、恥ずかしそうに笑った。
「朋也、あんたいっつもその子と一緒なのね」
渚の隣、杏がいつものように風子を引き連れて現れた俺を見て、手を組んで呆れた表情を浮かべた。
一緒に住んでいるから必然的に行動も共にしているのだが、実際その通り話すわけにはいかない。
俺は弁解じみた抗議をする。
「いや、違うって。一人でこさせるっていうのが、やっぱちょっと心配でさ、それだけだよ。…ほら、こいつ、世間知らずだからさ」
ついついいらない事まで付け加えてしまうのは、焦った時に表れる、悪い癖だった。
風子が横槍を入れてくるかと思ったが…特に話を聞いているようでもなく、彼女は俺の隣でぼんやりとしていた。
俺は少し、不思議に思う。彼女の視線の先を見てみるが、何があるというわけでもない。
「ともかく、大した理由じゃない」
「ふぅん…」
「岡崎くん、妹さん思いなんですね…」
「ああ、どうだかな…」
椋にそう言われ、俺はまんざらでもなく肩をすくめてみせた。
「ふぅちゃん、こんにちは」
「…ゆきちゃん、はい、こんにちはです」
にこにこと笑った宮沢が声をかけて、それでやっと、風子はこの世界に戻ってきたかのように、我に返って彼女となんでもない会話を始めた。
「風子ちゃん、こんにちは」
「ことみさん、こんにちはです」
風子とことみ、お互いに人見知りしそうな奴らだが、意外に分かり合えているみたいだった。
俺はそれを見て、さっきの風子はちょっとぼんやりしていただけなのかと一安心。あいつの考えていることは、よくわからない。
「で、まだ来てない奴は誰かいるのか?」
周りを見る。
宮沢と風子とことみと芽衣ちゃんで会話の輪ができている。
仁科と杉坂もいる。ていうかこいつらもなんだかいつもセットだよな。
「智代と、原田と、あとは春原か」
あとたった三人。驚くほど集まりがいい。まあ、俺の今までの友達が時間にルーズなだけだったのかもしれないが。
「あ、朋也。智代は来たわよ」
「…ああ、本当だ」
杏に言われて彼女の視線の先を追うと、すいすいと通行人を避けて颯爽と智代が歩いてくるのが見えた。
身長がすごく高いわけでもないのに、よく目立つ姿だった。
俺が片手をあげると、智代はすぐにそれに気づき、笑いを浮かべて少し駆け足にこちらにやってきた。
「岡崎、おはよう」
「ああ、おはよ」
「おはようって、もうお昼よ」
俺たちを見つめつつ、腕を組んでとんとん、と指を叩いて杏が半眼で言う。
「ああ、そういえばそうだな。最近は岡崎と一緒に登校しているから、癖になってしまっているんだ。古河さんも、おはよう」
「あ、はい。おはようございますっ」
「…ちょっと待って、一緒に登校? あんたと朋也が?」
「ああ。この間、岡崎には世話になったからな。その礼だ」
「お礼が…一緒に登校することなんですか?」
椋が、顎に手を当てて、考え込むような表情で追撃する。
「いや、朝ごはんを用意している」
「…」
うわ、こいつ、正直に言いやがった!
すっげぇ勘違いされそうな台詞だ。
「…」
「…」
藤林姉妹が、目を細めて俺を見た。
「…」
お腹が痛い。
俺は視線で渚と智代に助けを求めた。
「古河さん、すまない、遅れてしまったな」
「いえ、まだ時間前なので、大丈夫です」
「前の学校の友達は、こんなに時間にきっちりしていなかったんだ」
「坂上さん、転校してきたばかりなんですよねっ」
…えぇぇぇぇぇ!
盛り上がってらっしゃる!?
「…何の話なんですか?」
智代が来たからだろう、近付いてきた仁科と杉坂だったが、頭を抱えている俺を見て、杉坂が呆れるような声で藤林姉妹に声をかけた。
「こいつが女の子をたぶらかしてる話」
杏が悪意のこもった答えを返す。
「してねぇよ…」
「なんだ、いつもの話ですか」
「いつもの話でもないっ」
失礼な下級生だった。
「あの、先輩、その話詳しく…」
「おまえは首を突っ込むなよ…」
興味しんしんに首を突っ込もうとする仁科に釘をさしておく。
言われて仁科は、恥ずかしそうな表情を浮かべてはにかんだ。
気を取り直し、智代は彼女らとも挨拶をする。
それを見て、別の輪になっていた宮沢、風子、芽衣ちゃん、ことみも加わってくる。
ともかく、まだ来てないのはあと二人。
「原田さん、まだですね…」
仁科が心配そうに、商店街入口のアーチに取り付けられた時計を見て、言う。
そろそろ集合時間だ。
まあ、春原が来ないのはほとんど当然として、原田か。
まああいつが遅刻してもわかるような気がするけれど。
もう、一時になりそうだった。
「原田は遅刻か…」
俺は呟く。
「いえっ、岡崎さん、待ってくださいっ」
その言葉を仁科が遮った。
「あれっ」
彼女が指差すその先に。
「原田…!?」
その先に原田がいた。
こちらに向かっている…というか猛ダッシュ!?
あぁ、周りに通行人が引いて避けている…。
…そうして、時間ギリギリに原田も到着。
「原田さん、遅刻すると思ったわ」
それを見て、杉坂が冷静にそう評する。
「まったく…はぁ、はぁ、杉坂さんたら……わ、私が…遅刻するなんて…ゴフッ、失礼ねっ」
「原田さんやめてっ。無理しないでっ」
仁科が慌てて止めている…。
「原田さん、寝坊でもしたの?」
「寝坊というか…お母さんが起こしてくれなくて」
「それって、寝坊じゃない」
「違うよ。お母さんの怠慢だよ」
「はいはい」
杉坂は華麗に受け流す。結構仲がいいよな、こいつら。
「じゃ、全員揃ったし行くか」
「ちょーーーっぷ」
気を取り直して出発しようとすると、芽衣ちゃんが背伸びをしながらちょっぷ。
「お兄ちゃんがまだですっ」
「ああ、そういやそうだっけ」
「もう、冗談ですよね…?」
むう、と膨れる芽衣ちゃんを見て、俺は笑う。
「でも、あいつはこないだろ」
「そうね、あたしもそう思うわ」
「ちょ、ちょっと寝坊してるだけだと思います…」
普段から春原と付き合いのある俺と杏は自信満々に来ないと断言できる。椋が微妙な態度なのは、彼女の性格ゆえか、あるいは付き合いの短さゆえか。
「うーん、やっぱりそういうところ、治ってはないですよね…。むしろ悪化したかも」
「あの、えぇと…もう少し待ちましょうか?」
渚が困った顔でそう提案した。
「いや、待ってても来ないと思うぞ。起こしに行かないと」
「そうですね。…世話がやけるなぁ」
芽衣ちゃんはげんなりした顔で俺に賛同した。
渚はそんな芽衣ちゃんの冷たい態度に目を開いたが、すぐにそれは冗談というか、ポーズでしかないのだと気付いたのだろう、楽しそうにくすくすと笑った。
ま、俺だってあいつを起こしに行くのはたしかに面倒なんだけど、だからといって嫌というわけでもない。
こういう感じは、ちょっと一言では言えない微妙なところなのだが。
「朋也、あんた、あのバカ起こしに行くの?」
「ああ、そうだけど?」
「あたしたちも?」
言われて、俺は一同を見回す。言うまでもなく、この人数で押しかけるわけには行かない。
「いや、俺と芽衣ちゃんでいいだろ」
「あの、岡崎さん、それじゃわたし、みなさんをご案内したらまたここにきましょうかっ?」
「え?」
渚にそんなことを言われ、呆けてしまう。
そうして一拍遅れて気付く。そうだ、俺は一応まだ渚の実家の場所は知らないはずなのだ。
「いや、簡単に場所だけ教えてくれればいいよ。おまえんち、パン屋なんだろ? だったらなんとなくもう目星がついてるからさ」
「そうなんですか?」
首をかしげる。
「ちっちゃい公園の目の前にあるとこだろ?」
「はい、そうです。岡崎さん、わたしのおうち、知ってたんですねっ」
何故か嬉しそうに笑う渚。
「通りかかったことはあるからさ」
「岡崎、もしよかったら私も行こうか?」
「いや、大丈夫。あんまバラバラになるのもよくないだろ」
「そうか…」
智代の申し出は断る。
ただ起こしに行くだけなのだから、あまり大人数になるのもよくない。たしかに、智代がいたら春原を脅迫してさっさと準備させれそうな気もするが、春原に助けられた昨日の今日でそんなことをする気もおきない。
また再会するから、と言って歩き出す。
俺と芽衣ちゃんは学校の方へ。渚たちは、古河パンの方へ。
部員たちに背を向け、芽衣ちゃんと肩を並べ、すると後ろから、たたた、と足音。
俺の腕が、ぎゅっと引かれた。
「…なんだよ、風子」
引っ張られた先を見ると、風子が腕にぶら下がるようにしがみついて、こちらをじっと見上げていた。
「…」
「…」
「しょうがないな。一緒に来るか?」
「…」
無言で、こくこくと頷いた。
俺はこちらを見送る渚を振り返り、風子も連れて行くことを手で示す。
そして、渚の了承も待たずにさっさと前に向き直ると、歩き出す。
ぎゅっと風子が俺の手を握っている。
妙な奴だな、今日はいつもよりも。
俺はそう思いながら、なぜだか胸の奥がぞわりと波打った。
心の不安を彼女に移されたような気分だった。
俺はぎゅっと、手を握る。
何倍にも強く、その手は握り返された。