folks‐lore 4/26



215


坂の下で待っていた渚と春原と合流し、校門へ坂を登っていく。


明日の渚の家に遊びに行く話は、昼を食べた後くらいということで、一時に商店街の入口に集合という話になる。


ま、渚の実家の周りは普通の住宅地で、あまり目印になるところはない。商店街からは少し歩くことになるが、仕方がないだろう。


オッサンには昨日会ったけど、明日は早苗さんと会うのか。そう思うと少しだけ緊張。


あの人たちと腰を据えて話すと、どうしてもボロが出そうで怖いな…。下手に渚の実家の間取りとか、そういうのを知っているから、無意識に本来なら知らないはずの行動をしてしまいそうな気もする。


まあ、周りには他の部員もいるし、そこまでは目立つこともないだろうか。


「そういやさ、岡崎」


「あん?」


春原に声をかけられる。


「今日の放課後、発表会って言ってたじゃん。僕は部室に行けばいいの?」


「ああ、そうだな…。ちょっと部室を片付けなきゃいけないだろうし、少し時間を空けてきてくれ」


「うん、わかったよ」


素直に頷く。


春原は、そこまで嫌そうな顔はしていなかった。


初めは部活という言葉に顔をしかめていたが、その時とは大違いだった。


「…おまえ、結構楽しみにしてる?」


「…べっつにー。ただ、いい暇つぶしにはなるかな、って思ってさ」


笑いを含みながらの俺の問いに、春原はそっぽ向いてそう答える。


やはり、少なくとも歌劇部に対する嫌悪感というのは今はもうないようだった。俺は安心する。


「おまえは部活、嫌いじゃなかったのか?」


「嫌いだよ、そんなの。でも、あの子達が嫌いってわけじゃないからね」


その言葉に、俺は頷いた。


俺だって、別に部活が好きなわけではない。


俺たちが嫌いなのは、集団であり、システムなのだ。そのシステムに接続している個人個人を憎んでいるわけではない。


だからこそ、その個々人と分かり合えるならば、部活全般に対する冷めた意識はまた別の問題となる。


「ま、見るだけだからね。それくらいなら、付き合ってもいいよ」


今はまだ、部活に入ろうと決めているわけではない、というような口調だった。それにそもそも、初めからこれは劇を見てくれればいい、という要求なのだ。


ここから始めて、春原を部員に勧誘していかなくてはならない。


その道のりが長いのか、短いのか、見当もつかない。だが、放課後の劇の初公演が大きな鍵になっているのは、間違いのないはずだった。






216


校内に入ると、違和感。


俺、渚、風子、智代、春原。


並んで歩いていると、生徒たちがこちらをちらちらと見やる。複数人の集団は、ひそひそと噂話をする。


嫌な感じだ。


初め、それは不良と留年生と有名な転校生、という組み合わせに向けられた奇異の視線かと思った。いつものように、不良に対する嫌悪感、疎外感、そして好奇。


だがすぐに、それとは少し印象が違うと気付く。


視線のほとんどは、俺に向けられてはいなかった。


…注目を浴びているのは、智代。


俺でも春原でも渚でもない。


決して好意的ではない視線が智代に向けられていた。


だが原因がわからない。俺たちは、目配せをしていぶかしみながらも、廊下を歩いていく。


そして…


昇降口から少し歩いたところに、人だかりがあった。


そこは掲示板。今朝からそこに生徒会選挙の掲示が張り出されている。


俺たちがそこに差し掛かると、集まっていた生徒たちはぬるっと不快な視線を向けた。


「おい、坂上だぜ…」


「ああ、あれ、マジなのかな?」


「さあな。でも、こないだ不良をのしたのはマジだろ?」


「そうだよな…」


小声で口々に噂し合っている。その言葉は、俺にも聞こえた。きっと智代にも聞こえた。


「…」


俺は顔をしかめる。噂話の原因がここにあるようだった。


人だかりを突っ切っていくと、避けるように生徒たちは道を開けた。


注目の的になっている、選挙看板の前に出る。


そこには、立候補者の顔写真が並べられていた。


その中。奇妙に目立つ、一枚があった。


智代のポスター。


凛々しい表情で、拳を握ったその姿。


だが、今は…


その上から、黒のマジックで仰々しい煽りが書き足されていた。


『暴力女』


『不良女』


そんな文句。


智代の顔には、乱暴に目線が書き足されてもいる。


「あ…」


渚がそれを見て、小さく声を上げる。


風子はほとんど呆けたように、そのポスターを見ていた。


こういう悪意のあることなんて、想像もつかないような彼女らだ。


「…」


俺も、じっと汚されたポスターを見つめていた。


…誰がやったのかは知らないが、これは酷い。


俺は周囲に視線を向ける。野次馬たちを、睨みつける。


視線を浴びた生徒たちは、怖気づいたように少し距離をとった。だがそれでも、この状況を楽しんでもいるかのように、俺たちの様子を窺っていた。


「なんだよ、これ…」


春原も苦々しく顔を歪め、掲示を見つめている。


俺は智代を見た。


「…」


彼女は、じっと自分のポスターを見つめていた。


表情が、いつもより青白くなっている。


ほとんど何の感情もないように、悪質な書き込みの足されたポスターを見つめている。


「…」


一瞬、この場に静寂が満ちた。


「…何の騒ぎだっ」


その静寂は、聞き覚えのある男の声によって破られた。


声のした方を見ると、何人かの生徒会役員と思しき生徒に囲まれ、生徒会長が足早にやってきた。


表情は強張り、眉間には深く皺が寄っていた。


苦々しげな表情は、生徒の輪を割って、俺たちのすぐ隣までたどり着き、落書きされた智代のポスターを見ると、より一層深まった。


唇をかみしめているのがわかった。拳を強く握っていた。


…だがすぐに、智代のポスターを掲示板から剥がす。


留められた画鋲を一つ一つ丁寧に外し、きれいに四つ折にした。智代の落書きを、傍から見えない内に折り込んで。


そして、一緒にやってきた生徒に、他の掲示場所も確認するよう指示を出す。


その様子を、周囲の生徒は興味深そうに見守っていた。


「…誰がやったんだ?」


一息ついて、表情を、ほとんど冷酷というような怜悧なものにし、会長はその場に居合わせた一同を見回す。というよりも、睨みつける。


お遊びで見ていた生徒たちは、急に告発するような口調で問いかけられ、わずかに気色ばんだ。


だが返答する声はない。


「なにか、知っている人はいるか?」


少しだけ、口調を柔らかいものに言い換える。


…だがそれでも、他の奴らはざわざわと小声で話すばかりで、まともに答えようとする者はなかった。


会長はそれを見て、ちらりと横目で俺を見た。睨みつけるように。


だがすぐに、手近な生徒に視線を向けた。


「どういうことか、説明してくれないか」


「えっ、い、いや、来たらこうだったから…」


「…君は何か知ってるか?」


「もう騒ぎになってたから…」


「君は、どうだ?」


会長はあたりの生徒に聞いてみるが、要領を得ない答えばかりだった。数人に聞いてから、諦めたように質問を打ち切る。


そうして、天を仰いで息をついた。


「…坂上さん」


「…うん」


「すまない、君には迷惑ばかりかかっているな」


「そんなことはない」


「いや、こちらの落ち度だ。誰の仕業か知らないが…きっと、坂上さんを何とか引き摺り下ろそうとしているんだと思う」


「…」


「生徒会でも、誰がやったか、調べてみましょう。究明するまで、しばらく待っていてくれ」


「すまない…。礼を言う、ありがとう」


「いや、当然のことです」


会長はそう言うと、周囲に顔をめぐらせた。


「もうここにいてもなにもないから、早く教室に戻ってくれっ。そろそろ、ホームルームが始まるぞっ」


まるで教師のように、辺りの周囲に声をかけた。


言われて、周囲を囲んでいた生徒たちは三々五々、散開していった。


智代は立ったままじっとそれを見ていて、俺たちもなんとなく、智代と同じように棒立ちになってその場に残ってしまう。


「坂上さん、君も教室に戻ったほうがいい。噂する生徒の目に留まっても面白くないですから」


「…そうさせてもらおう」


智代はこくりと頷くと、歩き出す。つられて、俺たちもそれに続いた。


「岡崎、春原。おまえたちは少し待て」


だが、背を向けると後ろから呼び止められる。


「なんだよ?」


「話がある」


「…」


俺は顔をしかめる。


会長も渋い表情で俺たちを見ている。


俺たちは睨み合った。


「待ってくれ。春原はともかく、岡崎は関係ないだろう?」


視線がかち合い、火花が散るのを見咎めて、智代が仲裁に入る。


「あ、あれ…? 僕は何なの?」


春原の小声の突っ込みは無視される。


「坂上さん、君は早く戻ったほうがいい。僕たちのことは気にしないでくれ」


「だが…」


「智代」


言い渋る彼女に、声をかける。


「おまえは、戻ってていいよ。大丈夫だ」


智代が心配そうに俺を見る。一週間前、俺はこの男に詰め寄っていた。また、同じような展開になるのを心配しているのだろう。だが少しの間視線を合わせていると、納得したように小さく頷いた。俺を信じてくれたようだった。


口元が、苦笑するように少しだけ持ち上がっている。しょうがない奴だな、とでも言うような表情だった。


…そうだ、智代は、そんな顔のほうがもっと魅力的だ。


あんなわけのわからない嫌がらせに顔をこわばらせているなんて、彼女らしくもない。


「それなら、そうさせてもらおう」


そう言うと、智代は身を翻して歩き出す。


何の迷いもない素振りで、去って行った。


そうして、対峙する会長、俺と、春原と…


「あ、あの…。わたしは、どうしましょうか…?」


「なんだか、すごいことになってきたような気がしますっ」


そして、なんだか残される形で居合わせてしまっている、渚と風子。


「ん…? 君たちは?」


会長は今ふたりの姿に気づいたというような表情でいぶかしんだ表情。


「あ、わたし、三年B組の古河渚といいますっ。よろしくおねがいしますっ」


ぺこり、と可愛らしくお辞儀をする。


「風子は、伊吹風子です」


「うちの親戚」


「はい、親戚という名の主従関係と言っていいでしょう」


「…どっちが主なんだ?」


「もちろん、風子です」


自信満々だった。


「ちなみに、主従の壁を表すと、こうなります」


そう言って、手に持った鞄からノートを取り出して、図を書いていく…。


『ヒトデ>風子>>>(越えられない壁)>>>岡崎さん』


「…」


「…」


俺と風子の間には、越えられない壁があるようだった。


というか、風子、お前ヒトデより格下になってるけど…いいのか?


ツッコミどころ満載の図だった。


「…はぁ」


そんな様子を見て、会長は深くため息をつく。


「留年生と、岡崎の家族か。…似たもの同士が集まっているんだな」


「…なんだと?」


「あん?」


俺と春原が、同時に男の言葉に反応した。


凄んでも、相手は気にした風もない。


「もう、坂上さんと関わらないでくれ」


「…なに?」


「岡崎、おまえもわかっているだろう。おまえと一緒にいるから、面倒なことが降りかかってきているんだ。おまえと出会わずに、普通に生活していたならば、坂上さんはこんな躓きなんてしなかったはずだ」


「…」


男に言われて、俺は黙る。


躓き。


…今のこの状況は、俺が招いてしまったのだろうか?


不良の俺とつるんでいて評判が下がったり、あるいは俺が関わったせいで不良との喧嘩もああもこじれてしまったのだろうか?


そんな不安が心中をぐるぐると渦巻いた。


「おまえは人を不幸にする。僕が言いたいのは、それだけだ」


会長はそう言うと、早足に歩き去っていく。


俺はそれを呆然と見送っていた。


男の背中が角を曲がって消えた後まで、俺はその先を見つめていた。


「はっ、あいつ、なに勝手なこと言ってるんだよ。くそっ。全部責任押し付けて終わりかよっ」


春原が毒づいている。だが俺はそれに相槌を打つこともできなかった。


「お、岡崎さんっ。あの、あまり、気にすることないと思いますっ」


渚が慌てて、俺に声をかける。


「渚ちゃんもさ、あんなこと言われたんだから言い返せばいいのにさっ」


「い、いえ、そんな…」


「あなたも言い返してませんでした」


「まぁね…。ていうか、いきなりあんなこと言われてちょっとびっくりしちゃったよ。今度会ったらシメてやるっ」


「シメる?」


「ボコボコにするってことさっ」


「ダメですっ」


「え? なんで? 渚ちゃんも腹立っただろ?」


「暴力はいけないと思いますっ」


「それじゃ、どうしろっていうんだよ…」


「話し合いをすれば、きっと分かり合えると思います」


「無理だよ、そんなの。ていうかあんな奴とわかり合いたくもないし」


「そんな…」


渚と春原が言い合っているのが、遠い世界から聞こえてくる。


だがその中で、未だ、俺の頭の中でぐわんぐわんと男の言葉がリフレインしている。


おまえは人を不幸にする。


その言葉は。


異様に強く、俺の胸に突き刺さっていた。


俺は…人を不幸にするのか?


それはほとんど呪詛のようだった。


渚。汐。オッサン。早苗さん。親父…。


頭の中を、縁深かった人たちが浮かんで消えた。


彼女らは、もしかして…


俺がいないほうが、幸せだったのではないか?


渚、渚。


もしかして…


俺たちは、出会わなかった方がよかったのか?


あの坂の下で、話しかけないほうがよかったのか?


前にも考えたことのある疑問が、頭に降って湧いた。そして振り払えないくらいに強くこびりついた。


汐も、そうだ。俺はあの子にほとんど幸せを届けることはできなかった。


そして、親父も。俺の存在が、親父と母さんの関係を変化させて、それが母さんの事故を招いたのではないのか?


もしかしたら、母さんの事故は、俺のせいなのではないのか?


俺は人を不幸にするのではないのだろうか?


疫病神のように、死神のように、不吉に不幸を振りまいているのではないか?


肺の空気が全て凍りついたような気分だった。


胸は重く、胸は苦しい。


心の中が灰色に染まり、ぽろぽろとぼろのように崩れていくような気がした。


…そんな心中、その時。


ぎゅっ…。


誰かが、俺の手を掴んだ。


この世界に俺を繋ぎとめるような温かさに、はっと顔を上げた。


急速に世界に色が戻った。


「岡崎さん…」


「風子」


俺たちは手を握り合って、顔を見合わせた。


風子は心配するような表情で、俺を見ていた。


伊吹、風子。


俺と一緒に、この時間へと舞い戻った少女。ともに歩くもう一人の影。


俺は一人ではない。俺たちは一人ではない。


「その…」


じっと見詰め合っていると、風子は困ったような表情に変わった。慌てたように、ごそごそと鞄をあさる。


そして、目の前にヒトデを突き出した。


「岡崎さんと風子は…ヒトデ仲間です」


「は?」


「岡崎さんは、ヒトデを持っていますっ。ヒトデ好きの人に、悪い人はいません。だから、大丈夫です」


「…」


なんなんだ、その理論は…。


というかやっぱり、おまえの価値観はヒトデが基準なのな。


だがとにかく…


暗い闇の中に沈み込みそうになった俺の意志は、風子に手を差し伸べられて、なんとか踏みとどまった。



…。



「あ、あっ、おふたりとも、どうしたんですかっ?」


「あれ? 家族同士なのになにしてんの? なんか意味深〜」


ぼけっとしていると、こちらの様子に気づいた渚と春原が顔を突っ込んでくる。


手を握っている俺たちを見て、渚は焦った感じ、春原はいやらしく笑っていた。


「あぁいや…」


「さっきの図を、訂正します」


風子は外野の野次も聞こえないようにぱっと手を離すと、先ほどのノートを再び取り出して、なにやら書き込んでいく。


『ヒトデ>>>(越えられない壁)>>>風子≧岡崎さん』


「…これでどうですかっ」


どうやらちょっと、俺と風子の間の壁を取り払ってくれたらしい。


だがなぜか、ヒトデがいきなり超ランクアップしてるんだが。


俺たち完全にヒトデに負けているんだが。多分二人を足しても足元にも及ばないんだが。


そこのところ、どうなのだろうか。



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