folks‐lore 4/24



186


後ろからは、怒号。


俺と春原で挑発して、逃げる。他の生徒たちが大慌てで廊下の隅に逃げ込んだ中央を突っ切っていく。


…さすがにやって見せると言ったって、実際かなり寿命が縮まるな、これは…。


後ろから 背を焼かれるような恐怖があった。


だが、中庭までの距離はそう遠いわけでもない。


俺と春原は、中庭へ飛び込む。


そこに、智代は待っていた。


彼女は、腕を組んで静かにこちらを見ていた。


それを見て、 ただ、それだけで俺は安心した。


…できることは、十分やった。


後は彼女の仕事なのだ、そう思ってしまう。


「ほらっ、おでましだ」


「礼を言うぞ。岡崎、下がっていてくれ」


「…バカか。女の後ろに下がって、見てるわけにもいかないからな。少しくらいは手伝うぞ」


「まあね。僕も、ここまできたら指くわえて見てるなんてできないからねっ」


「おまえらは、血の気が多いな」


智代は、笑う。


俺と春原を追ってきた男たちは、智代の姿を見ると、彼女の名を叫びながら、突っ込んでくる。


智代は、ゆらりと、それを気負った風もなく立っていた。


「…時間をかけたら、まずいな。すまない、手を貸してくれると、助かる」


「ああ」


「まあね」


俺と春原は、智代の横についた。


思惑通り、今、周囲には誰の姿もない。


…だが、喧嘩が長引けば当然多くの人目に触れる。


さっさとこの連中を片付けて、ここから逃げ延びたいところだった。


智代が先頭の男を蹴り飛ばす。


他の連中がもみくちゃに中庭に殺到する。


…乱闘の始まりだった。



…。



「く、くそっ、こいつ、いかれてやがるっ」


鬼人のような智代の強さに、工業高校の連中がほうほうの体で逃げ去った時。


「おい、おまえら、なにをしているっ!」


入れ替わるように中庭に飛び込んできたのは、うちの教師だった。


「おまえら、今ここでなにをしていたっ!」


詰問される。


智代はわずかに息をしているだけだが、服装は乱れている。


俺や春原は、制服はぐちゃぐちゃだ。


あたりは騒乱のあとをうかがわせるように踏み荒らされていて…


どう見ても、揉め事のあと、という姿だった。


…時間がかかりすぎた。


俺は顔をしかめる。


なんとか切り抜けさせてやろうとしたが、今の状況は、非常にまずい。


「岡崎…」


隣、智代が、不安そうに顔をゆがめて俺を見ていた。


…俺は必死に、言い訳を考える。


「えぇと、だな…」


「ん? 岡崎じゃないか。またおまえかっ」


「いやっ。岡崎が悪いわけじゃないっ」


「ん? 君は…?」


つい、というように口を挟んだ智代に、教師は胡散臭げな目を向ける。


「君、こいつらに何かされたか? よし、職員室で話を聞こう」


「いや、そんなんじゃないっ」


智代はそう言って頭を振るうが、彼女もうまい言い訳を持っているわけではないようだった。


俺は、助けを求めるように辺りを見回す。


春原は…困ったように、俺の瞳を見返した。こいつも、逃げ口上を持っているわけではないようだ。


視線をずらせていって…


「…」


俺は。


校舎の窓に、女生徒たちの姿。俺は、彼女らの姿に気が付いた。


騒ぎを聞きつけてだろう、旧校舎、こちらをのぞきこんでいる歌劇部の面々。


渚。宮沢、風子、ことみ、仁科、杉坂、原田。


その姿を見て…


ひとつ、道筋が見えた。


「…演劇の練習だったんだ」


「なんだって?」


「殺陣のシーンの、練習だったんだよ」


困惑する教師をよそに、俺は渚に向かって手を振った。


「…渚!」


急に名前を呼ばれて、遠くで渚がびくっと肩を震わせていた。


「今の、殺陣のシーン、あんな感じでよかったかっ!?」


大きな声で、彼女に呼びかける。


渚はぽかんと俺を見ていたが…


隣の宮沢が渚になにやら囁いて、渚は手で大きくマルをつくった。


「ほら、あいつら、部員」


「あ、ああ…」


向こうも、それなりの人数が揃っている。


俺の言葉は結構説得力があったようで、教師はついつい、というように頷く。


「ふむ…」


「あ…」


「あぁ、幸村先生、すみません、先に来てしまいまして」


「いや…」


そこに、幸村がゆっくりした足取りでやってきた。


…じいさん。


俺は、あたりを見回しながら顎に手を当てる老教師をじっと見る。


「結局、なんの騒ぎだったのかの?」


「あぁ、いえ、岡崎が言うには、演劇の殺陣のシーンの練習だったみたいなんですが…」


「…ふむ」


幸村は、俺のほうに目をやった。


細められた目の奥から、俺の意識の深層をすくい取るような視線を感じる。


…だが。


俺は、自分が信じたことをやったまでだ。


そう思い、俺はその目を見返した。







「…なるほどの」


しばらく見つめあった後、ふいと視線を逸らせた後で、 小さく何度か頷く幸村。


そうして、教師のほうへ向き直る。


「すまなんだ。わしも話は聞いていたんじゃが、ちと同席していなかったからのぅ。紛らわしかったかもしれん」


「あぁ、なるほど、幸村先生はそういえば演劇の…」


「うむ」


「なるほど、わかりました。そういうことでしたか」


…幸村が、口裏を合わせてくれている。俺はそのことに驚いていた。


ぽかんとして、話をする二人の教師を見つめる。


効果は絶大で、もう一人の教師の俺への嫌疑は完全に払拭されたようだった。


「岡崎」


「…はい」


「わしも、後で部室に行く。さっきの寸評は…その時に」


「…」


俺は黙って頷いた。


幸村は教師に声をかけ、ふたりは歩き去っていった。


俺たちはその後姿を見送った。



…。



「岡崎。すまない、助かった」


「いや、たまたまだよ」


俺は言いながら、上でまだこちらを見ている部員に手を振る。


「あいつらのおかげ」


「…うん」


「あとは、じいさんがなんとかしてくれたからな…」


「ああ。幸村先生も、本当は喧嘩していたことに気付いたようだったが…」


「あのジジィ、結構融通きくんじゃん」


春原は能天気に笑って、彼らが去っていったほうを見る。


「俺らを、助けてくれたんだな」


「…うん。先生に、嘘をつかせてしまったのが、心苦しいな」


「そうかも、な」


あの人には事情を説明したほうがいいだろう。


先ほどの言葉を思い出す。


寸評はあとで、と言った。あとで事情を聞く…という意図なのだろうな。


「ま、なんとかなったし、よかったじゃん」


「おまえ、途中から見てるだけだったけどな…」


春原に頭の回転は期待していなかったが。


「それじゃ、岡崎、芽衣を呼びに行こうぜ」


「…ま、そうだな。智代、じゃあな」


「うん。ふたりは、部活なのか?」


智代は旧校舎の部員のほうにちらりと目をやって尋ねる。


「僕は帰るよ」


「俺はこいつの妹を連れて、また部活」


「…妹?」


智代は、その言葉に訝しげに目を細めた。


俺は芽衣ちゃんが春原の様子を見にこの町に来ていて、部活に一緒に参加していることを説明している。


「あぁ、そうなのか」


部外者を校内に入れることに突っ込まれるかと思ったが、そんなことはなかった。智代は得心したように頷く。


「しかし、こいつの妹か…。想像がつかないな」


「こいつを真逆にしたような、いい子だよ。遺伝子の奇跡といってもいいな」


「すっげぇ酷いこと言ってるんですけど…」


「岡崎。私も妹さんと一緒に、部活に顔を出してもいいだろうか?」


「え?」


俺は彼女を見る。


「古河さんには、助けてもらったからな。ぜひ、お礼がしたい」


「今行ってくればいいじゃん」


「私は部員じゃないから…岡崎がいてくれたほうが、心強い」


「…」


随分と殊勝な言い分だった。


ただ、断る理由もなかった。


「わかったよ。それじゃ、行こうぜ。まずは寮だな」


「うん」


俺たちはぞろぞろと校門のほうに移動をする。


最後、ちらりと再び旧校舎を見上げると、まだそこにいた部員たちがこちらに一斉に手を振った。






187


寮に着く。


まだ放課後になってあまり時間は経っていない。帰ってくる生徒も少ないのだろう、中は人手は少ない。


だが今の時間だ、食堂のほうからはあれやこれやと話し声が聞こえる。


春原の部屋へ向かう。


中には…誰もいない。


だが…


「見違えるようになったな」


「ああ、こんなきれいになったの、初めて見た」


俺と智代は、素直な感想を口にした。


かつては洗濯物やら飲みかけのペットボトルや、わけのわからないゴミが散乱していた部屋だったが、今は当然ゴミは落ちていないし、衣類や雑貨などもきちんと部屋隅のアルミラックに整頓されていた。


朝来た時、春原自身で掃除をした様子ではあったが、それよりワンランク上。


何より、コタツの布団が片付けられていた。そのせいで、印象がかなり変わってくる。


「ちっ、あいつ、掃除しすぎだろ…」


春原は呆れたように肩を落とした。


「今朝も片付いていたが、すごいな。私では、ここまで綺麗にはできないぞ」


智代は感心したようにあちこち見回している。


「家庭的な子なんだよ」


「そうか。…岡崎は、やはり、家庭的な子が好みなのか?」


「あぁ、それは、まぁ」


「そうか…」


智代はうんうんと、小さく頷いた。


「あいつ、どこほっつき歩いてるのかな」


春原はベッドに座り、落ち着きなく辺りを見回した。ま、あっという間にここまで様変わりしてしまえば、戸惑うのも無理もないけれど。


「寮で待ち合わせだから、どこかにはいるだろ」


「ま、そうだろうね。それじゃ、僕は一眠りするよ」


春原はそう言うと、ごろりと横になった。


「春原。今眠ると、夜に眠れなくなるぞ」


「僕は今眠いんだよ。後で眠れなくなるとか、そんなの知らないね」


「眠れなくても、明日の朝はまた起こしにくるからな」


「…」


「もしなかなか起きれなかったら、無理矢理起こすことになるかもしれない」


「…」


春原は、智代の言葉にゆっくり体を起こした。おそらく、蹴り起こされる(凄い言葉だ)未来が頭に浮かんだのだろう。恐怖が身についているらしかった。


「散歩してくるよ…」


「うん、それがいい」


智代はにっこりと笑った。



…。



春原は寮を後にして、俺と智代は食堂を覗いた。


美佐枝さんなら、おそらく、芽衣ちゃんがどこにいるか知っているだろう。


今の時間、夕食の準備をしているはずだった。


美佐枝さんの姿を求めて、調理場を覗いてみると…


「あらまあ、上手ね〜」


「ほんと、うちの娘にも見習ってほしいわ〜」


「いえ、そんな、まだ全然です」


「まだ中学生でしょ? 今時若い子で珍しいわよ」


「ほんと、いいお嫁さんになるわよっ」


「…」


芽衣ちゃんが…オバちゃんたちに囲まれて、和気藹々と料理をしていた。美佐枝さんもいる。


すげぇ…どれだけ愛されキャラなんだよ。


俺は芽衣ちゃんのポテンシャルに感動した。


「岡崎、あの子か?」


「ああ」


「なんだかすごく、いい子そうだな…」


「春原の妹とは思えないだろ?」


「うん…。兄妹といっても、そっくり似るわけではないからな。というか、バランスが取れるように性格は違って当然かもしれない」


「あぁ、そうかも」


もし俺に兄弟がいたら、などと考えたことはたしかにある。


「…あっ、岡崎さん」


芽衣ちゃんは俺の姿に気付いて、笑顔を見せた。


「あら、お迎え?」


「もっと手伝ってほしいけど、仕方ないわよね」


「私たちよりも、若い男の子のほうが人気なのは仕方がないわよ」


「そうよね〜」


オバちゃんたちが…豪快に笑っている…。


芽衣ちゃんはそんな中、外したエプロンを美佐枝さんに渡して、何事か言葉を交わして…近くにやってくる。


「岡崎さん、お待ちしていました。あの、そちらの方は?」


俺に一礼して、智代のほうにちらりと目をやる。


「私は、坂上智代だ。岡崎と春原より、ひとつ下の学年になる」


「そう見えないだろ」


「岡崎、それはどういう意味だ?」


「いや、別に」


「…」


芽衣ちゃんは、じっと智代を見つめている。


「とても、カッコいい人ですねっ」


「うん、ありがとう」


智代は少し笑って礼を言う。落ち着いている。言われ慣れているのだろうか。


「こいつは、春原がしょっちゅう遅刻してるからさ、朝わざわざ起こしてくれてるんだよ」


間に立って、説明する。


「あ、そうなんですか。兄がいつもお世話になっています」


ぺこり、と頭を下げる芽衣ちゃん。


「わたし、春原芽衣っていいます」


「ああ、よろしく。岡崎も言っていたが、あいつの妹とは思えないな」


「あはは、よく言われます」


芽衣ちゃんは、苦笑い。


「じゃ、行こうぜ」


「はいっ」


俺たちは、歩き出す。


俺の歩く少し後ろで、芽衣ちゃんと智代がなにやら話をしているのが聞こえてくる。


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