folks‐lore 4/23



174


芽衣ちゃんは風子と一緒に木を彫っていて、俺と宮沢は脚本を進める。


元々、そこまで放課後が残っていたわけではない、やがて日は沈み、下校時間になった。


「…それじゃ、今日はここまでね」


下校時刻を知らせるチャイムの音に顔を上げた杏は、一同に声をかける。


「おい、渚、終わりの挨拶だ」


「あ、はいっ」


部員一同(プラス風子と芽衣ちゃん)は一列に並び、


「今日も一日、ありがとうございました!」


挨拶する。


そして、各自荷物を手に持って、部室を後に。


「そういえばさ。おい、藤林、おまえらは明日部活出れるのか?」


「あ、ええと…」


「朋也」


傍らの藤林に声をかけると…なぜか、こわーい姉が出てきた。


「あたしも、藤林なんだけど」


「…」


なぜか、聞き覚えのあるセリフ…。


「あんた、昼に椋のことは名前で呼ぶって言ってたでしょ」


「あぁ…そういえば」


別に含みがあるわけでもないのだが、癖になってしまっているのだろうか。


「悪いな…えぇと、椋」


「いいいいいえ、いえ、そんなっ」


慌てて手をぶんぶん振るう。


「で…話、戻していいか?」


「どうぞ」


杏に許可をもらい、俺は再び、藤林姉妹に明日の放課後の用事を聞く。


「あぁー、明日ね」


「お姉ちゃん、明日は…」


ふたりは一言二言、言葉を交わす。聞いた感じ、クラスの話し合いの予定が入っているようだった。


「そうね。一時間遅れくらいかしら」


「そうか…」


やはり、結構忙しいようだった。部活はクラスの仕事の後、ということだろう。


向こうの負担になっているのは感じるが、正直、彼女らは戦力としては必要だった。


今日も宮沢と脚本を作っていたが、まだ完成していない。もう少しで出来上がりそうではあるのだけれど。


ただ今のところ、渚の演技を見ていてくれる人員は彼女ら以外にはなかった。


まあ風子という手もあるのだが、それで風子のヒトデ作りを阻害しては元も子もない。


「悪い、よろしく頼む」


「あたしたちも部員なんだから、当然よ」


「はい。岡崎くんは、全然気にしないでください」


「…ありがとな」


全然気にした素振りはない。その言葉は、救いだった。


「先輩、準備できましたか?」


そこに仁科が声をかける。他の部員たちは、もう教室を出てこちらを見守っている。


「ああ、悪い」


俺たちは部室を出る。



…。



「妹?」


「はい。芽衣ちゃんは、風子の妹になりました」


「あはは、なっちゃいました」


校門を出て、雑談しながら歩いていく。


風子と芽衣ちゃんの関係に目をつけた杏は訝しげに目を細め、風子は堂々とそれに答える。


「記念すべき二人目の妹です」


「いや、あんた、お姉さんキャラでもないでしょ」


「そんなことないです。風子、隠し切れない大人の魅力がするって評判です」


「妄想か、からかわれてるかのどっちね」


「違いますっ。この人とても失礼ですっ。最悪ですっ」


風子は、ぷいっと杏からそっぽ向く。


杏はニヤニヤ笑っている。性格の悪い奴だ…。というか、俺も普段同じような反応をしているような気もするが。


「芽衣ちゃんは、風子の魅力、わかりますか?」


「はいっ。とっても可愛らしいと思いますっ」


「いい答えですっ」


芽衣ちゃんを、ぎゅっと抱きしめる風子。のだが…芽衣ちゃんのほうが身長が高い。


「か、からかわれてる…!?」


藤林…というか、椋が、呆然と呟いていた。


「ゆきちゃんも、風子の魅力、わかりますよね?」


「はい、とっても素敵だと思いますよー」


宮沢が、のほほんと答える。


「素晴らしいですっ」


ぎゅっと、宮沢も引き寄せて三人で抱きしめ合う。


微笑ましい光景だった。


前を行く合唱部の連中も、振り返って笑っている。


「とっても仲良しで、うらやましいです」


渚も微笑んでそんな彼女らを眺めていた。


「おまえも風子の魅力がわかるのか?」


俺は冗談めかして渚に聞く。


「はい。ふぅちゃん、とっても可愛らしいです」


にっこり笑顔でそう答えた。


「…」


まあそこは否定はしないけど。既に大人の魅力という話は彼方に忘れ去られているようだった。


いや、まあ風子はこの女性陣の面子の中だと精神的には一番、身体的には渚に次いで二番目に年長者なのだが。だがまあ、公的には一年生だから、こんな扱いも仕方がない。


「岡崎さんは、ふぅちゃんの魅力を感じないんですか?」


「あのな…」


渚にそう言われて、俺は呆れて頬をかく。


どう答えても微妙な答えになってしまいそうな質問だ。はいと答えたらロリコン呼ばわりされそうだし、いいえと答えても人でなしとなじられそうだ。


「いえ、岡崎さんは、わからなくてもいいです」


耳ざとく聞きつけて、憎たらしいことを言う風子だった。


「ねぇ、そういえば、あんた、朋也の妹なんでしょ」


「はい、親戚ですが」


「でも、朋也のことおにぃちゃんって呼んだり岡崎って呼んだり、色々よね」


言って、杏はさっと視線を走らせる。


前を歩く合唱部の連中は、向こうは向こうでなにやら話しているのが見える。


そして、その後を行く俺たちは…


「…最近呼び方が変わったのか、呼び方を決めたみたいね」


「…」


突然の杏の突っ込みに、俺はそっぽを向く。


マジか。そういやこいつ、俺と風子の関係を結構微妙な目で見ていたよな。完全に、そのことを忘れていた。


急なことに、言葉が出てこなかった。


周りを見る。


渚や椋や芽衣ちゃんは、別に大層な質問だとも思っていないのだろう、そこまで気に留めたような表情でもない。


たしかに、含みを汲み取らなければ、単なる雑談としか感じないような、話。


宮沢は。彼女は注意深い視線を一瞬、俺に向ける。いや、正直、おまえ任せなんだけど。


すぐに俺たちの視線は風子に向いて…


「…」


風子、めちゃくちゃ冷や汗かいてるーーーっ!!?


大人の魅力…まったくねぇ!


俺は内心ツッコミを入れた。


だがしかし、なんて答えるか…


「ふぅちゃん、朋也さんのことを、その、元々は『おにぃちゃん』って呼んでたんですよね?」


宮沢が、口を挟む。


「ですけど、最近は呼び方、変わったんですよね?」


宮沢のフォロー。


俺はその内容の方向性を判断する。混同してるって理論か、なるほど。さすがだぜ、宮沢。


「あぁ。まぁな。俺としては兄って呼んでくれたほうがいいんだけどな。なんか、落ち着くって言うか」


「…」


風子は顔をしかめて俺を見ている。おまえも話についてこい。


「そういえば、朋也さん、そう呼ばれるの好きですよね。ですけど、それなら、ふぅちゃんの妹でしたら、芽衣ちゃんも朋也さんの妹ですよね」


宮沢は芽衣ちゃんに話を向ける。


「そうなんでしょうか。岡崎お兄ちゃん?」


「…」


芽衣ちゃんにそう呼ばれて、俺は鼻頭を押さえて天を仰ぐ。


…一瞬だけ、話を逸らすとか云々の事情を忘れそうになった。


「ふぅん…。ま、たしかに、高校生にもなって親戚をおにぃちゃん、はないわよねぇ」


「いや、俺からやめろって言ったんだよ。でもこいつがなかなか直さなくてさ」


「いえ、最悪です」


「…こう言ってるけど?」


「いや、違う、その、照れてるんじゃないのか」


「…朋也さん、おにいさんって呼ばれるの、好きですから」


宮沢がくすくす笑いながら言う。


おまえも余計なことを。


「ふぅん…」


「岡崎くん…好きなんですか?」


「岡崎さん…」


微妙な視線を浴びている気がする。


「それじゃ、あたしもこれからあんたのことお兄ちゃんって呼ぼうかしら」


「あのな…」


俺はため息をつく。杏は楽しそうに笑っている。


「渚さんも、どうでしょう?」


「わ、わたしですかっ」


宮沢に水を向けられて、渚はぱっと肩を震わせる。


そして、窺うように、俺を見た。


「わたし、その…」


しばらく躊躇して…やがて、俺を見た。


「お兄ちゃんっ」


「……」


なん…だと…。


俺の胸は…熱く高鳴った。


そして頭は沸騰した。


何がなんだかわからない。


お兄ちゃん…だと…?


渚は俺の妹だと…?


「…」


俺は…。


俺は、にっこりと笑った。


世界の全ての悲しみを溶かすような、微笑だったと思う。


「…」


渚はつられたように笑っている…。ちょっと、引きつっているような気もするが。


ふと、視線の片隅で、杏が椋になにやら囁いているのが見える。


「あ、あの、岡崎くん…っ」


少し顔を赤くした藤林が、傍らに寄ってくる。


「といいますか、その…お兄ちゃん…っ」


「…」


俺は天を仰いだ。



…。



今…。


今、ここに…


岡崎シスターズ(俺の妹たち)が結成された…!


…って。


結成されてたまるかっ。


俺は、自分にツッコミを入れた。


「おまえら、下らない冗談言ってるんじゃねぇよ…」


ついつい、動揺してしまった。


別に、俺は妹が好きというわけじゃない。本当だ。


誰だっていきなりこんなことを言われたら、面食らうだろう。


頭を振るって、仕切りなおす。


…いや、仕切りなおすも何も、元々は風子の俺の呼び方への追求か。


あっという間に話がはぐらかされていて、俺はネタ振りをした宮沢に感謝した。


そっと彼女に視線を送ると…


「…」


にっこりと、微笑が返される。


まあ、心なしか生暖かい笑みだったような気もするけど…。






175


部員たちと別れ、風子と芽衣ちゃんを連れて家路につく。


俺の手には、今日の夕飯の材料。


「芽衣ちゃん、料理できるのか?」


「はい。家でも時々手伝ったりもしてます。あ、でも、そんな難しいものはできないですけど」


「いや、十分だよ」


なにせ、まだ中学生なのだ。それで家事を手伝っているだけで、相当立派だとも思う。


「そういえば、岡崎さん」


「なに」


「岡崎さんのお父さんは、夜ごはん一緒に食べるんですか?」


芽衣ちゃんの質問に、俺は黙り込んでしまう。


一瞬、間が空く。芽衣ちゃんは少し不思議そうに俺を見る。


「いや…」


俺は慌てて、その間隙を埋めるように言葉をつむいでいた。


「あの人は、夜、遅いんだよ」


「あ、そうなんですか」


「ああ…」


俺は自分の言葉が掻き消えそうになっているのを、自覚していた。


俺たちの、長く伸びた影が、不揃いに揺れていた。夕焼けが落ちる。


夜が近かった。


「あの人には、あの人の生活があるんだよ」


言って、自分でショックを受けた。自分で言った言葉に、自分で打ちのめされている。笑えない。


…親父は今、何を考えて、どこにいるのだろうか?



…。



夕飯を食べて、だらだらとテレビを見ながらヒトデを彫って過ごす。


傍らで、芽衣ちゃんが実家に電話をしているのが聞こえるともなく聞こえていた。


いつものような、夜。


芽衣ちゃんが加わったが、異物感ということもなく、なんだかすんなりと馴染んでしまっているな…。


それはこの子の才覚かもしれないけれど。



…。



「ふぅちゃん、お風呂に入りましょう」


「…」


風呂を汲んで一番風呂をどうするか、という段になり、芽衣ちゃんは風子を誘う。


だが、風子はぷいっとそっぽを向いてスルー。


「ふぅちゃん?」


「すみません。風子、今とても忙しいので、芽衣ちゃんは一人ではいってきてください」


「?」


俺と芽衣ちゃんは、目を見合わせる。


風子はどう考えても、忙しそうには見えなかった。


俺のシャツを部屋着がわりに着て、すごく寛いだ様子でヒトデを彫っているように見える。


ちなみに、今風子が着ている服は「牛乳」の文字の入った俺のお気に入りのシャツだ。


風子も気に入ったらしく、ヘビーローテーション。この服、渚と結婚した頃に肩がすれてきて捨てたんだよな。懐かしい。


「おい、風子。おまえどう見ても…」


「今、ものすごく忙しいです。岡崎さんと話をする余裕もないといっても、過言ではないです」


そう言うと、またヒトデを彫りだす。顔を伏せて、俺の目を見ない。


そんな風子の様子を見て、俺はなるほどと気付く。


こいつ、芽衣ちゃんと一緒に風呂に入るのが嫌なのか。


自分の体に自信がない、とかではなくて、単純に恥ずかしいから嫌なんだろうな、こいつの場合。


子供じみた強情に、俺は苦笑する。


ま、別に、一緒に入らないといけないわけでもない。


「それじゃ、わたし、先にいただいてきますね」


芽衣ちゃんも俺と同じような結論に達したのだろう、さっと腰を浮かせるが…


「風子、おまえも一緒に入ってこいよ」


俺はなんとなく、そんなことを言ってしまう。


「岡崎さん。今、風子、とても忙しいですっ」


「可愛い妹の頼みだぜ」


「…」


そう言われると、風子は悩む仕草。


「…わかりましたっ。芽衣ちゃん、それでは、早くお風呂に行きましょう」


「あはは、それじゃ、いきましょうか」


俺は仲良く肩を並べて歩いていく後姿を見送った。



…。



「いいお湯でした」


「う、ううん…」


しばらくして、ふたりが風呂場から出てくる。


「結構、長かったな」


俺は顔を上げて、居間に入ってきたふたりを迎えた。


「はい。芽衣ちゃんのおっぱいが早く大きくなるよう、おまじないをしていました」


「おまじないって言うか…うぅ」


芽衣ちゃんは反射的に胸を押さえる。頬が赤いのは、湯上りだからだろうか?


俺は小さく笑う。のんきな夜だ。いい、夜だ。


そうして今日も、穏やかに一日が終わる。


ベッドにもぐりこんで、目を閉じると、一日の疲れが体全体を包み込んだ。


まどろみの中、明日はどうしようか、とあれこれと考える。


頭の片隅に…今日、親父は帰ってこなかったな、と、思いながら。



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