folks‐lore 4/23



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「…誰その子?」


歌劇部室に入って、ぽかんとした表情、その後、すぐに目を細めて声をかけてきたのは…杏。


「おまえ、なんでここにいんの?」


いつもの連中に混じって、藤林姉妹が部室にはいた。


「なによ、部員がここにいちゃ悪い?」


「あの、さっきクラスの方の話し合いが終わったんです。まだ下校時間まで余裕があったので…」


藤林が補足する。


いるのは部員たちの他、風子。じいさんはいないようだった。


「で、その子は誰? うちの生徒じゃないわよね?」


「あの、いつも兄がお世話になっています」


「兄?」


「兄?」


「兄ですか?」


「…岡崎さんの、妹さんですか?」


「ちっがうっ!」


不思議そうに聞いてきた渚に喝。


「あはは、わたし、春原陽平の妹で、芽衣っていいます。よろしくお願いします」


芽衣ちゃんは笑顔で頭を下げる。


「春原さんの妹さんでしたかっ。あの、こちらこそお世話になっていますっ」


すかさず、渚も頭を下げた。


どうでもいいが、別にあいつにはお世話になっていないような気もする。


「…マジ?」


「信じられないかもしれないけど、マジだ」


俺は杏に頷く。


「なんでいきなりあいつの妹がここにいるの? ていうか、あのバカは?」


「あぁ…」


「あの、わたしから説明しますね」


杏の問いはもっともだった。


芽衣ちゃんはここに来た理由を説明する。


春原の生活の改善。そしてそのために、俺たちの部活動の入部に手を貸してくれること。今回は最初の挨拶のためにここに赴いた旨。


相手は高校生で、中学生から見た高校生というのは圧迫的な印象があるだろうに、全然気負った様子もない。


できた子だった。



…。



「こんなしっかりした子が家族? お金積んで雇ったとかの方が、信憑性あるわよ」


「なんだか、兄の普段の様子がわかってきました…」


芽衣ちゃんは、苦笑い。


「あぁ、ごめんごめん。嘘でも褒めてあげるべきだったわ」


嘘なのかよ。


「お、お姉ちゃんっ…」


藤林がたしなめる。


「いえ、そんなことないですっ。その、春原さんは、とても素敵な方だと思いますっ」


「はい、わたしもそう思いますよ。ね」


「えぇ…」


「まあ…」


「うぅん…」


宮沢がそう言って視線を合唱の連中に向けて、微妙な返事をもらっていた。


俺は苦笑する。


ま、仁科とかはまだ春原は噂で知っている程度だしな。


「ありがとうございます。…あの、部長さんは、どなたなんでしょうか?」


「あ、わたしです。古河渚っていいます」


「あなたが、部長さんですか。お話はうかがってます。あんな兄ですけど、部活に誘ってくださって、ありがとうございます」


「いえ、とんでもないですっ。ただ、春原さんも一緒に部活ができればって、わたしが勝手に思ってるだけなのでっ」


渚は照れたように頭を振りながら、言う。


それを見て、芽衣ちゃんは安心したように柔らかい笑みを見せた。


春原を受け入れようとしている集団が、そう悪いものではないと思ってもらえたのだろうか。


「ありがとうございます。岡崎さんに聞いてましたけど、渚さん、とっても素敵な人ですね」


「いえ、そんな…、全然、わたしなんて、大したことないです」


謙遜する渚。


「渚」


俺は彼女に耳打ちをする。


「はい、なんでしょうか」


「前に自分に自信を持てって言ったじゃん。今とか、そんなんじゃダメだぞ」


「えぇ…っ」


不安そうな視線が返される。


「もっと胸張って、自信満々なこと言えよ。部長の貫禄だぞ」


「そうでしょうか…」


「あぁ、やってみないと前に進めないぞ」


「わ、わかりました…。やってみます」


小声で話を始めた俺たちをうかがっている視線を感じた。


「え、えぇと…」


渚は、小さく息を吸って、胸を張る。


「すみません、前言撤回です。芽衣ちゃんの言うとおり、わたしは割と素敵な人かもしれません」


…そう言って、恥ずかしそうに顔を赤らめた。


やべぇ、めちゃくちゃ可愛い。


「思いっきりあんたの差し金じゃないっ」


ぱしん、と杏に頭をはたかれた。


それを見て、芽衣ちゃんは楽しそうに笑う。


そして、改めて、自己紹介をしていく。



…。



「…えぇと、部長が渚さん。副部長が仁科さんと岡崎さん。演劇をやっているのが宮沢さん、杏さん、椋さん。合唱が杉坂さんと原田さんですね。あと、風子さん。はい、覚えました」


「え? マジ?」


「はいっ。人の名前を覚えるの、得意なんです」


いよいよ春原の妹とは思えないよな。


「あの、風子さんはどうして部員じゃないのに部活に参加してるんでしょう?」


「ほら、さっき言った親戚がこいつなんだよ。で、まあ付き合いみたいな感じで」


「あ、そうなんですね。岡崎さんと一緒に住んでるっていう」


「あぁ、そうそう」


…そこまで言って、なんだか、部屋の温度が下がったような気がする。


俺の視線の先では、芽衣ちゃんがにこにこ笑っている。


「…」


視線を、ずらしていく。


固い笑顔の部員の面々が、そこには、いた。


「あの、岡崎さん…お伺いしたいんですけど…」


おずおずと口を開くのは、仁科。


「伊吹さんと、一緒に住んでいるんですか?」


「…」


俺は、自分の失言に気付いた。



…。



「どういうことなのかしら?」


「どうもこうもねぇよ。家庭の事情だ」


「へぇ…」


「あの、ふぅちゃん、そうなんですか?」


「はい。実はそうなんです。…いえっ、渚さんが変に思うのは、風子、よくわかります。ですが、風子と岡崎さんは全然そういう関係ではないです。むしろ犬猿の仲と言っていいでしょう。…本当ですっ。風子、嘘なんていってません」


風子は俺が後に渚と結婚したことを知っている。


だから必要以上に弁解の言葉が出てきたのだが…うわ、すげぇ白い目で見られている。


「椋、どう思う?」


「私は…お家の事情なら…」


「はい。わたしも、事情があるなら仕方がないと思います。親御さんも、了解しているんですよね?」


宮沢がフォローしてくれる。


「ああ。親父の許可は取ってるよ」


…多分。


「それなら、大丈夫だと思いますよ」


「それに元々、結構付き合いあって泊まりにくることもあったし」


適当に嘘を塗り固めていく。


「ふうん…」


「そうなんですね…」


「それで、おふたりに独特の感じがするんですね…」


…最後の仁科。おまえなんか鋭いな、おい。なんなんだ。


「ま、この話はもう勘弁してくれ。で、そっちはどうなんだよ」


無理やり話を終わらせる。大騒ぎしていても仕方がない。


少女たちは、まだなにか言いたげではあったが、その素振りには気付かないふりをする。


「あたしと椋で渚の練習を見てたのよ。この子たちは脚本」


「へぇ」


杏の傍らのイスをひいて、座る。


芽衣ちゃんが同じように、俺の隣にちょこんと並んだ。


「おまえらは?」


仁科に水を向ける。


「わたしたちは、曲が決まったので少しずつ練習を始めてました」


「そうか。どっちももう始まってるんだな」


たしかにそうだ。もう、日もない。


「じゃ、渚、もう一回最初から行くわよ」


杏は仕切りなおしのように、渚に声を掛ける。それを見て、合唱の連中も自分の練習に戻っていく。


「はいっ」


元気よく返事をする渚。


…なんか、杏が舞台監督で渚が役者その一、という感じになってないか?


俺は苦笑してしまう。


かつて俺たちが一緒に部活をやった頃、体系的な練習は全くやらなかった。


俺と春原はほとんどいただけみたいな感じで、脚本も渚とじいさんがやっていた。


最後の最後、音響とかはやったけれど。


俺は渚の練習風景を見る。


まだ、始まったばかりだ。


渚は脚本を手に持ちながらの演技。


一番初めは語りだからいいのだが、そこから演技に移行するとどうしても粗があった。


たどたどしさはあるし、どのように体を動かせばいいのか、手持ち無沙汰になってしまう瞬間がある。


まだ脚本は初めのほうの場面しかないようで、ガラクタの人形に心が宿るあたりまで。


「…あの、どうでしたか?」


一回演技が終わると、渚は伺うように俺を見た。


「まだまだ、これからだな」


「はい」


「やっぱまずはセリフを暗記しないといけないんじゃないか」


「そうですね…」


「でも、いい感じだぞ。がんばれ」


「…はいっ」


渚は元気よく、頷いた。


「朋也、あんたは演劇のことわかるの?」


「いや、正直あんま」


「そうよねぇ。でもやっぱ、最初は声合わせみたいなのからやるべきだと思う?」


「…ひとり芝居だぞ」


「…そうなのよねぇ」


杏も頭を抱える。彼女も演劇は素人のようで、いい練習方法は浮かばないらしい。


「まず、やれるところから考えていきましょう」


「そうね。この脚本も、セリフ以外のことあんまり入ってないしね」


「あ、うん。そういえば台本って感情とか動きとか、情景とかが入ってるよね」


「渚、まずそっちをやってみましょ。細かい動きも決めないと、お芝居にならないわよ」


「はいっ」


渚は楽しそうに頷く。


俺はそんなやり取りを見ていて、思わず笑ってしまう。


…こんな情景も、有りえるものだったのか。


渚の周りを取り囲むように、杏と藤林がいて、話し合いをしている。


教室の入口のほうでは、合唱部が出だしのパートを繰り返し練習しているのが見える。


窓側では、宮沢が悩みながら脚本を書いている。風子がその隣で、彼女をうかがいながら木を彫っている。


…それは、幸せな風景だった。


「なんだか、いいですね。こういう感じ」


「ああ、俺もそう思うよ」


「兄も、意地張ってないで仲間に入ればいいのに」


「なんとかなるよ。じゃ、あいつらのとこいくか」


風子と宮沢のほうを向いて言う。俺の仕事は脚本だからな。宮沢に頼っているわけにもいくまい。


「はい、わかりました」


それに芽衣ちゃんは、うちに泊まっている間は風子と同室になるのだ。


少し話をしておくべきだろう。


あっち手伝ってくる、と渚に一言言って、窓際のほうへ。


「悪い、宮沢、脚本任せちゃって」


「いえいえ。朋也さんこそ、忙しそうですし」


「俺の仕事だからさ。手伝うよ」


「ありがとうございます」


机をくっつけて、手近なイスを引っ張ってくる。


「あの、よろしくお願いします」


「はい。よろしくお願いします」


芽衣ちゃんの言葉に、宮沢が返す。


芽衣ちゃんは安心した様子で俺の横に座る。


「おい、風子」


「はい」


「実はさ、今日から芽衣ちゃんと一緒に部屋を共有して欲しいんだけど」


「…?」


早速芽衣ちゃんがうちに泊まる話を切り出すと、風子は不思議そうに首をかしげる。


…あぁ、前置きも無しで、唐突過ぎた。


芽衣ちゃんは隣で、宮沢の目があるけど言っても大丈夫なのか? という視線を送っている。


だがまあ、宮沢は元々秘密を共有している人間だ。問題はないだろう。


宮沢は静観するように会話を見守っている。


俺は風子に、男子寮で泊まれない事情と、そのため芽衣ちゃんが泊まる旨を説明する。


杏とかに聞かれたら再度大騒ぎになるから、そこは注意して。


「なるほど…」


話を聞き終わった風子は、難しい顔をしてうんうんと頷く。


「わかりました。風子はとても心が広いですので、全然構わないです」


「いや、普通におまえも居候なんだけど」


「岡崎さんはそう思っているかもしれませんが…」


風子は声を落として、言う。


「実は風子が影の支配者です」


「なわけあるかっ」


「既にお父さんは懐柔済みです」


「マジでっ?」


「はい。この間、お近づきのしるしにヒトデを差し上げたら、とても喜んでくれましたから」


俺の知らない間にどんなアットホームなやり取りがあったのだろうか。


「ですので、風子がヒエラルキーの一番上です」


「…」


もう何でもいい。


「はい、わかりましたっ」


「わかったの!?」


芽衣ちゃんは、はきはきと返事をしていた。


「ちなみにヒエラルキーでは、風子の下が…ヒトデです」


いきなり、人間じゃなくなっていた。


「そしてその下に岡崎さんのお父さんがきます」


親父…あんた、ヒトデ以下認定されてるぞ…。


「次に、あなたです。階級社会ですから、気をつけてください」


「なるほど、わかりました」


「あれ? 俺は?」


「はい。岡崎さんは最下層です」


「いや、すっげぇしてやったりな顔で言われても…」


つまり…


風子>ヒトデ>親父>芽衣ちゃん>俺


という感じだろうか。


「あはは、それじゃ、風子さんの言うことはよく聞くことにしますっ」


「…岡崎さん、この子ものすごくいい子ですっ。風子の妹にしたいですっ」


「おまえは、またそれかよっ」


汐といい、こいつは気に入った年下の女の子は問答無用に妹認定するらしい。


まあ、仲良くなってくれるのは、悪いことではないのだが。


「それでは、芽衣ちゃんのランクは、岡崎さんのお父さんと交替することにします」


「…」


「さらに、芽衣ちゃんの次に、越えられない壁があります」


「…」


図式にすると…


風子>ヒトデ>芽衣ちゃん>(越えられない壁)>親父>俺


親父…!


俺は、親父が可哀想になってきた。


「賑やかなおうちで、とても楽しそうですね」


宮沢がくすくすと笑いながら言う。


「どうだろうな…」


自分が最下層でなければ、そうかもしれない。


「あと風子。芽衣ちゃんがうちに泊まるのは、他の連中には秘密にしとけよ。うるさくなるからな」


「はい、わかりました。それでは芽衣ちゃん、絶対に口を滑らさないようにしてください」


「わかりましたっ」


元気よく返事をする芽衣ちゃん。


というか、風子がダントツに心配なんだけど…。


俺はそう思って、苦笑する。


だがそれは決して、悪い気分ではなかった。



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