folks‐lore 4/23



163


「あ、岡崎さん…と…こんにちは」


ぱっと顔を向けた仁科だったが、他の面々の顔を見ると表情はぎこちなくなった。


初対面の上級生だ。萎縮するのは、彼女の性格からいってそうだろう。


「はじめまして〜」


杏はにこやかに挨拶する。


「あの…こんにちは…」


その後ろからおずおずと藤林が顔を出して、頭を下げる。


そして、それぞれ、自己紹介。


「藤林…杏先輩」


杉坂は杏の名を聞くと、つんつんと仁科をつつく。


「ほら、りえちゃん、あの人だよ」


「あの人?」


「杏サマ」


「あぁ、そっか…」


小声で話しているが、聞こえている。


「杏サマって、なに?」


俺は仁科に聞いてみる。


「あの、私たちのクラスで、藤林先輩のファンの子がいるんです。それで、知ってるんですけど…」


苦笑いで、彼女はそう答える。


杏サマ…。


まあたしかに、杏は目立つタイプだし、下級生から好かれるのはわかる。


「おまえ、有名人なんだな」


「委員長だから、他の子よりはね」


杏はごまかすように髪を結ったリボンをいじる。


「ていうか、朋也だって有名じゃない」


「俺のは、悪目立ちだろ。そんないいもんじゃない」


「悪目立ちばっかじゃないけどねぇ」


「え?」


悪目立ちばかりではない?


それならば、他にどんな目立ち方があるというのだ?


「このあと渚とかも来るんでしょ? ほら、机足りないから準備しに行くわよ」


俺は杏に問い直そうとしたが、その言葉はふさがれてしまっていた。





164


その後、渚、風子、宮沢、ことみ、春原とぞくぞくと人がやってくるのを迎える。


初対面同士…ことみ、春原、原田をそれぞれ自己紹介。


「なんだか、すごく大勢で、楽しくなってきます」


渚は、そう言いながら笑っている。


「ああ、まあな…」


さすがにこの人数だと、資料室といえど手狭に感じた。



歌劇部員。俺、渚、宮沢、仁科、杉坂、原田。

その他。風子、ことみ、杏、藤林、春原。



なにせ、十一人だからな…。


それぞれ適当に席につき、食事を始める。俺はまず、ことみの弁当から。


片隅に陣取った喫茶店相談組は、早速話し合いを始める。


「それじゃ、まずは段取りから説明するわね」


杏はそう言うと、資料を取り出してそこに視線を向ける。


「最初のオープニングの真ん中くらいに各出展のPRタイムがあるの。発表の時間は一、二分が目安ね。でも強制ってわけじゃなくて、どうしても延びそうな場合は申請すればいけるみたい。それでも、三、四分が限度だと思うけど」


注釈が幾つか書き込まれた オープニングのタイムテーブルを覗き込む。


「去年とか見てるので、大体そういうイメージで考えてくだされば大丈夫です」


藤林が補足する。


「そういうイメージも何も、僕、出たことないからわかんないんだけど」


「あ、俺も」


「…」


藤林が呆然としている…。


いや、俺は三年の時の創立者祭は出たから見ているはずなんだけど、さすがにそんなの記憶にないし。


まあ、春原は普通に創立者祭当日は家で寝ているタイプだけど。


「椋、諦めなさい。こいつらはあたしたちの予想を上回るくらいどうしようもないのよ」


「思いっきり聞こえてるんだけどね…」


春原は苦笑いをした。


「で、どんなのなんだ?」


俺は話を続ける。


「そうね…。大体どのクラスも規定の時間には納めてくると思うわよ。PRだと、展示の内容をそこでやって見せたり、あとはコントみたいにしたたて説明する、とかだったわね」


「ああ、なるほどな…」


それを聞いて、大体のイメージは伝わる。


「ま、やるなら普通に考えたら笑いをとりながら説明、ってとこね」


「はい、私もそうなると思います」


「まあな…」


喫茶店だから、PRとしてはそうなるだろう。


「あたしはテレビ番組のなにかに絡めてやれば一番無難かなって思うんだけど、どう?」


「ああ、まあな…」


俺は想像する。



…。



BEFORE

「男勝りで短気な性格…」

「理不尽な理由で拳か辞書が飛んでくる…」

「女子生徒のファンがつくような豪快な彼女は…」



AFTER

「…メイド服を着ると、心優しく落ち着いた印象に一新」

「かつて、人を殴るために握られた拳は占いのためのトランプをくって…」

「すっかり女の子らしい、萌え萌えメイドさんに生まれ変わりました…!」



…。



「…」


制服の杏とメイド服の藤林を並べて解説、という状況を想像してしまって、俺は笑いをこらえた。劇的すぎる。


というか、あの番組この年にはもう始まってたっけ?


まあ、こんなこと口にだしたら、間違いなく杏(BEFORE)に殴られるから言わないけど。


「朋也、なにかある?」


…マジか。


杏に水を向けられて、俺は内心焦る。


「春原、今どんな番組あったっけ?」


「いや、うちにテレビないし、よくわかんないよ」


「だな…。俺も、わかんねぇよ」


「あんたたち高校生とは思えないような発言よね…」


「いえ、でも、テレビ番組じゃなきゃダメというわけではないですから」


藤林がフォロー。多分、なんとか切り抜けられたようだった。


「そうだなあ…」


改めて俺は考える。


インパクトがあって、内容が伝わるようなもの…?


「うーん…」


「なんでもいいわよ。インパクトさえあれば、もういいわ」


「インパクト、ねぇ…」


俺は右隣に座る春原を見やる。


「?」


不思議そうに俺を見返していた。


「俺が春原を殴りまくるから、おまえはウヒャヒャヒャ! って笑い続けてる、なんてどうだ?」


「それ、病んでるよっ!」


「そんなんで客が来るかっ!」


杏と春原が同時にツッコミを入れた。


「じゃあ、俺がこいつを殴りまくるから、『きかないねぇ…』って余裕でい続けるってのはどうだ?」


「なんで、僕を殴る案しかないんだよっ」


「ごめん、俺、そんな風にしか思いを伝えられなくてさ…」


「悪意しか伝わってねぇーーーっ!」


「あの、春原くんを殴るような紹介だと、先生に怒られてしまいます」


「委員長、僕が殴られることにはコメントなしっ?」


「あっ、いえ…。
むしろ私にも殴らせてくださいっ」


「…」


「…」


一瞬、俺と春原は黙ってしまうが…。


「杏、おまえかよっ」


「あはは、そっくりでしょ?」


口真似をしているているこわーい姉がいた。


「お、お姉ちゃん…」


「ごめんごめん、冗談よ」


「僕、そっくりすぎて一瞬マジでビビッたよ…」


「新しい扉が開きそうだったか?」


「開くかっ」


「ちょっと、バカやってないで話を進めるわよ」


「原因はおまえだからな」


「…なんか言った?」


「いや、なんも」


俺たちは話し合いを再開する。


「でも、インパクトだよねぇ…」


春原はそう言って考え込む。


「岡崎、そういえばさ」


「あん?」


春原が俺に笑顔を向けた。


「昔に一緒にくす玉作ったよね?」


「くす玉?」


言われて、考えてみるが…記憶にない。


というか、高一、高二の時の記憶は正直思い出もない。


「ほら、去年、新入生の歓迎でタライを入れて作ったじゃん」


「…ああー」


言われて、やっと思い出す。


そういえば、そんなことがあった。


詳しい事情は忘れたが、新入生に対する俺たち流の歓迎、というようなことでくす玉を作ったことがあった。


結果は…どうだっけ。


うまくいかなかったような気もする。


「あんたら、そんなバカなこともやってたのね…」


「杏は知らない? あの頃もう僕らとは会ってただろ?」


「関わりあいになりたくないと思ってたから」


「…」


春原は乾いた笑いを浮かべた。


「あ、私、聞いたことがあります…」


「あ、そうでしょ? 僕ら、何をやっても注目を浴びちゃうからねっ」


「いや、おまえだけだ」


「照れるなよ、岡崎っ」


「…」


能天気な奴だった。


「…あのっ」


「ん?」


渚が、こちらの話に口を挟んだ。


彼女らは彼女らで部活の話をしていたようだが…渚がこちらに話しかけて、他の連中もこちらに注目する。


「あの、去年のくす玉って…岡崎さんと、春原さんが作ったんですか?」


慌てて置いたのか、パンが包装から半分くらい机の上に飛び出している。


几帳面な性格だけど、珍しい。


…そんな気になる話でもあったっけ?


「うん、まぁね。玉の部分は僕と岡崎で作ってさ、中にタライとメッセージを入れたんだよ。タライは僕のアイデア。あとメッセージは岡崎が書いたけど」


「あぁ、そうだっけ?」


そのあたりは、全然記憶にない。


「うん、そうだよ。おまえ、なんかまともなこと書いてた気がするけどさ」


「ふぅん…」


その頃の自分の気持ちなんてもうわからない。一体後輩にどんなメッセージがあるというのだ。


「あ、そのっ」


渚は、俺の顔を見て、目が合うと、光速で視線をそらし、だがまた、ちらちらとこちらを窺う。


…傍から見ていて、わけわからないほど挙動不審だった。


彼女の様子に、ぽかんとしてしまう周囲。


何にそんなに焦っているのか、わからない。


「お、岡崎さんが、その、メッセージを書いてくださったんですか?」


「いや、まあ、そうみたいだな」


記憶にはないけれど。


「そう、なんですか…っ」


「それがどうかしたの?」


杏が不思議そうな顔をした。


「あっ、いえ、なんでもないですっ」


渚はそう言って、ぷるぷると頭を振った。


「渚ちゃんも、くす玉の話聞いたことあるの?」


「えぇと、その…」


「ま、僕らの名声はすごいからねぇ。なにやっても噂の的だし」


勝手に俺を入れるな。


「いや、名声って言ってもいい意味じゃあ…」


「わたし、すごいと思いますっ。ありがとうございますっ」


杏の呆れた言葉は、渚の力強い肯定に打ち消されていた。


なぜかいきなり頭を下げる渚。


…俺に。


「え? 俺?」


「はいっ」


「…?」


よくわからない。


「まあ、礼には及ばないけどさ」


そう言うしかない。


「はいっ。…えへへっ」


渚は、めったに見れないくらいとびきりの笑顔を俺に向けた。


…どきっとするほど、綺麗な笑顔だった。


俺はぽりぽりと頭をかいてしまう。


「それで、どう? くす玉なんて結構インパクトあるだろ?」


「そんなのできるわけないでしょバカ」


杏に一蹴された、春原の一票だった。


「…はぁ。役に立たないわねぇ」


杏はひとつ息をついた。


「ていうか、振りが突然なんだよ。先に考えておくように教えといてくれ」


「たしかにそうね。そんなに急ぎでもないし、ゆっくり考えていきましょ」


そうして、部員たちの雑談の輪に加わっていく。


二年生組は和やかに話をしていたようだが、俺たちが加わると、少しどぎまぎした感じになる。


まあ、仕方がないか。


俺には多少慣れただろうが、春原や杏なんかは馴染みがない上に結構な有名人だ。


…そうして、話は部活のことになる。


「そういえばさ、昨日俺が帰ったあと、合唱のほうは歌決まったのか?」


「はい、いくつか候補を決めまして、今日くらいには決めて練習をしていこうと思ってます」


「へぇ、そうか」


「あなたたちが合唱、だっけ?」


「あ、はいっ」


顔を赤くして返事をする原田。


「私たちは三人で発表になると思います。部員も、まだまだ探さないといけないですけど」


杉坂が説明を加える。


「ふぅん…。あと、何人?」


「四人だな。今六人だからな」


俺は答える。


「四人、ね」


杏はぐるりと一堂を見回した。


そして、なるほど、というように得心顔で小さく頷く。


「朋也、なんとかなりそうなの?」


「さあな。がんばってはみるよ」


ひとまずは、とにかくことみと春原。


そのあとどうするかを考えている余裕はない。


「あの、先輩。先輩が入部するのはできないんですか?」


「あたし?」


原田の問いに、杏は考え込む。


「うーん、そうねぇ…」


微妙な表情だった。


「あ、いえ、無理ならいいんですっ。すみませんっ」


「ああ、ごめんね。あたしはちょっと、忙しいかもねぇ」


杏は笑ってそう言う。


…ま、そうだよな。


俺は一瞬少し期待をしてしまったが…実際、杏が結構仕事を背負ってしまっているのを知っている。


「あの、すみません…」


藤林も、苦笑い。こいつも…無理だろうなぁ、きっと。忙しそうだ。


「いや、しょうがないだろ」


「そう、ですけど…」


「ま、なんとかしてみるからさ」


「はい…」


自分が悪いわけでもないのに、難しい顔をする藤林に、俺は苦笑した。






165


「そういえば、みなさんお弁当ですよね」


一座の食卓を見回した宮沢が思い出したように言った。


言われて見てみると、たしかに。


パン食が渚、宮沢、春原。


だがあとは弁当持参だった。


様々な弁当が卓上に並び、見た目にはなかなか華やかだ。


「あ、私は自作じゃないですけど」


お母さん作です、と原田。だが、ハンバーグと付け合せの野菜と、マカロニサラダと中身は洒落ている。


「私は時々自分で作るというくらいですね」


今日は自作です、と仁科。これも女の子らしい彩り鮮やかな中身だった。見た目通りのイメージだが、料理は得意らしい。


「仁科さんのお弁当、とってもおいしそうです」


「うん。とってもとっても上手なの」


「毎日はさすがにできないんですけど…」


渚とことみに手放しに褒められて、仁科は恥ずかしそうに言う。


で…。


「私はいつも作ってますね。家族が、料理苦手なんです」


「へぇ…」


そう言うのは、杉坂。


彼女の弁当は、なんというか…茶色かった。


煮物とか、ひじきとか、切り干し大根…。


「なんか、実家を思い出すラインナップだな…」


あまり顔を突っ込もうとしていない春原も、ついついというように呟く。


「というか、ものすごい生活臭の嵐を感じます」


風子の的確なツッコミだった。


「いえっ、今日はたまたまです。もっと明るい色の時もありますからっ」


慌ててフォローしている。


「でも、とってもおいしそうよ。すごく作り慣れてるわね」


「あ、ありがとうございます」


杏に褒められて、ぺこりとお辞儀をする。


「うん。いいお母さんになるよ、杉坂さん」


「お母さん…。そこはお嫁さんじゃないんだ」


原田の言葉に、杉坂はちょっとへこんでいた。


「先輩方のお弁当も、すごいですよね」


「というか、触れていいのかわからないんですが、どうして岡崎先輩は今日はお弁当をふたつ食べてるんですか?」


「…」


俺の目の前には、ふたつの弁当箱。


ことみの弁当がそろそろ食べ終わる、というくらい。


「…ことみ、今日もうまかったぞ」


「ほんとう?」


「ああ」


俺はことみの弁当を最後の一口。


「…ごちそうさま」


「お粗末さまです」


ことみは、にっこりと笑った。


「朋也、これ」


入れ替わるように、目の前に置かれるのは杏の弁当…。


「…」


「…」


微妙な視線が集中した。


「…いただきます」


「はい、召し上がれ〜」


「…」


俺は、助けを求めるように杉坂を見た。


「…いえ、やっぱり、なんでもないです。聞かなかったことにしてください。先輩たちは、一緒に作ってるんですか?」


杉坂はさっさと俺から視線をそらし、杏に話を振っていた。


…くそう。


俺は食事に取り掛かる。


…あぁ、うまいな、こいつも。


だが、なんでだろう、あんまり幸せな気持ちにはならない…。


「あの、一ノ瀬先輩と岡崎さんは…その…」


仁科はそう言って、少し躊躇する。


「…付き合ってるんですか?」


「…は?」


「いつも、お弁当食べてますし…」


「いや、違うけど」


「あぁ、そうなんですか」


仁科は、少し笑って息をつく。


「でも、それじゃ、どうしていつもお弁当を貰ってるんですか?」


「ことみが作ってくれるって言うから、頼んでるんだよ。くれるならありがたく貰うって感じ」


「あたしのお弁当もおいしいわよねぇ?」


「…あぁ、うまい」


そう言うしかない。


「あぁ、そうなんですね…」


仁科はそう呟くと、しばらく考え込むような様子をして…


まっすぐに、俺を見た。


「…あの、それなら、よければ私もお弁当を作りましょうか?」


「…えっ?」


「おにぃちゃん、ものすごく嫌そうな顔をしてますっ」


「あっ、すみません、迷惑なら…」


「いや、悪い、今三個弁当食わされる想像しちまった…」


なんか被害妄想が酷いな。


そんなブッキング、ありえないよな。


きっと、ありえないよな。


「ていうか、他の日ってことだよな」


「はいっ。私、やっぱり岡崎先輩に恩返ししたいって思いますし、でも部活ではなかなか何もできないですから…」


「いや、そんな気を遣わなくてもいいよ、ほんと。気持ちだけ十分だ」


正直、一緒に部活をしてくれているだけで、本当に救われると思う時がよくある。


「いえ、もしよろしければ、やらせてください。あの、一ノ瀬先輩、だめですか?」


仁科はことみに水を向ける。たしかにことみが俺の昼食調理番だからな。


「あ、えぇと…」


困ったような視線を俺に向けて…


「…うん」


そう、頷く。


「ありがとうございますっ」


「明日は、それじゃ、りえちゃんにお願い」


ことみはそう言ってにっこり笑う。


「わかりましたっ」


仁科は、力んだ調子で頷いた。


「…そういや、おまえはなんかないの?」


「私ですか?」


冗談気味に杉坂に話を向けると、迷惑そうな顔を向けられる。


別に期待しているわけでもないが、そのリアクションは…おい。


「先輩、私のお弁当を期待してるんですか?」


「いや、どうせそれ晩飯の残りだろ?」


「残りではないですっ。お弁当用に別にしてタッパーしてますっ」


…同じメニューというのに変わりはないけれど。


「でも、うまそうじゃん」


俺は、ひょいっと体を伸ばして杉坂の弁当から料理をつまむ。


「ああ、うまいじゃん」


「…あぁ、もう、先輩、そんなことしなくても欲しいって言えば、あげますよ」


杉坂は呆れたようにそう言った。


「あたしもちょっと興味あるわね」


杏もひょいっと料理をつまむ。


「そういえば、私も貰ったことないです」


「じゃ、食べてみろよ」


「はい、それなら…」


仁科も促されるままに料理をつまむ。


「それでは、風子もいただきましょう」


堂々と大量におかずを取っていく風子…。



…。



「…なくなった…」


数十秒後には、杉坂の弁当には白米しか残っていなかった。


全員取ってったからな、そりゃ…。


哀れな姿だった。


「な、なんか身につまされるね…」


春原が微妙な笑いを浮かべていた。


「大丈夫。おまえの方が立場下だから」


「それ、全然嬉しくない事実ッス!」


「おい、杉坂。悪いからおかず、なんかやるよ」


「あ、朋也。あんたは自分で食べなさい。ほら、あたしのなにか食べる?」


「あ、先輩、ありがとうございますっ」


おかずを奪い去られた原因は杏にもあるのだが、杉坂は素直にありがたがっていた。


「沙紀ちゃんも言ってたけど、やっぱり先輩、素敵な人ですね」


原田がうっとりした様子でそう言った。


「なーんか、年下の女の子に人気が出るのよねぇ」


杏はそれに対して、息をついて肩をすくめる。


いや、実際年下の女子に人気が出そうな感じもするが。


「沙紀ちゃん、今先輩にラブレター書いてますから、お返事あげてくださいね」


「ああ、はいはい…」


杏は肩を落とす。


しかし、ラブレターってスゲェな。


女同士って。


俺は…なんだか、戦慄してしまった。


「あぁ、そういえば、さ」


脱力から回復した杏が、俺のほうを見る。


「ラブレターで思い出したんだけど」


「なんだよ」


「ほら、これ」


杏が一通の手紙を取り出した。


白い封筒。宛名などはない。犬のシールで封がしてある。


「なんだそれ?」


変わったところのない手紙だった。


「ラブレターよ」


「え?」


「えっ」


「ええっ」


今日の言葉に、一同に衝撃が走った。


ま、まさか…俺に?


いや、そりゃ、さっきなんとなく杏の俺への気持ちには気付いたけどさ、まさかここまで直接来るとは思っていなかったぞ。


「マジか…。ていうか、まさか、このタイミングでかよ…」


「あたしも頼まれただけなんだけどね」


「えっ」


じゃあ、他の奴から…?


さすがに緊張する。そして、やはり、少し嬉しい。


相手は、誰だ…?


「これを渡してくれってね。サッカー部のキャプテンから」


サッカー部のキャプテン…。


「…」


…って。


「男じゃねぇか!」


「いい男よ♪」


「嬉しくねぇーーーーーーっ!!」


俺は絶叫した。辛い…。


「ま、椋宛なんだけどね」


「え」


「…え? わ、私?」


藤林が、さすがに慌てる。


「そ。その頼まれたのよ」


「えぇ…っ!」


そう言って、ぱっと顔を赤くした。


「ちっ、あいつかよ…」


隣で春原は顔をしかめている。


あぁ、そういえば、


春原はそいつとは間違いなく面識はあるはずだよな。


「でもさ、椋、正直迷惑でしょ?」


「えぇと…迷惑というほどじゃないんだけど…」


「え? その反応、委員長他に好きな奴いんの? 誰?」


春原が笑顔で首を突っ込んでいく。


「あ、えぇと、その…」


藤林は目を泳がせる。


一瞬だけ目が合ったが…


「いるといいますか、いないといいますか…」


「てことは、いるってことだよねっ」


無駄に鋭い、春原だった。


「あ、あのっ、いえ、そこまでは…っ」


わたわたと慌てている…。


「でも、あのキャプテンと付き合う気はないでしょ」


「それは、うん…」


藤林は頷く。


「それがいいよ。あいつ、爽やかに見えて結構陰険だからさ。付き合うなら、僕みたいに裏表がない奴が一番だよ」


「春原、おまえはむしろ表すらない」


「ていうか存在すらほとんどないわね。生きる価値なしって感じ」


「あんたら、ちょっと黙っててくれよっ」


春原をおちょくって、少し和んだ。


「でもさ、だったら普通に断るんじゃ未練が残るかもしれないじゃない?」


杏は話を続ける。


どういうことだ…?


「だから、実は椋には彼氏がいるから付き合えないって言うのは、どう?」


「えぇ…!?」


「ほら、ここに適任がいるでしょ?」


杏がこちらに目線をやる。


「ははっ。なるほどねっ。そこで僕の登場ってわけ?」


「陽平、死んでっ」


「…笑顔っ!?」


春原は撃沈した。


「朋也、あんたよ」


「…俺?」


「そ。陽平なんて彼女いるわけないし、あんただったら説得力あるでしょ?」


「説得力…?」


あるか…?


俺と、藤林が付き合っているという設定、ねぇ。


というか、どうして杏が俺にこんな話を振る?


さっきの印象だと、多分こいつは俺のこと…。


だが、その上で、どうして藤林をくっつけようとする?


「で、あんたが偽の彼氏役をやって、後腐れなく断ろうっていうのはどう?」


そんないきなり言われても、と戸惑って俺は杏を見返してしまう。


「…ダメですっ」


そこに口を挟んだのは…渚。


「あの、その、なんといいますか…っ、嘘はよくないと思いますっ。相手の方にも、悪いですしっ」


注目を浴びてしまい、少し慌てながら、だがひるまずに言う。


「だから、方便よ。その方が傷つかずにすむじゃない」


「それでも、いえっ…それなら…」


渚は決意の表情で、藤林を見る。


「わ、わたしが藤林さんの彼女役になりますっ」


…ええぇぇぇぇーーーーーっ!!?


渚の爆弾発言。


俺たちは呆然とした。


「え、そのっ、古河さんが、私の、その…ですかっ?」


藤林も混乱している…。


というか、俺も混乱している。


「はいっ。あの、わたしじゃダメでしょうかっ?」


「い、いえ、そんな…。古河さんは、その、とても可愛らしいと思います…」


よろよろと、体をそらせる藤林。


「お、岡崎…僕、なんだかちょっと興奮してきた…」


「あ、ああ…」


小声で話しかけた春原に、思わず同意してしまう。


あぁ、ふたりの周りに薔薇を描きたい。


「な、渚さんと委員長さんですか…」


風子も戦慄している。


「アリですっ」


「アリなのかよっ!」


「…アリなわけがあるかーーーーっ!!」


杏が立ち上がって、ばしっ、ばしっ、と渚と藤林の頭を引っぱたいた。


「あんたらも、お互いを意識してるんじゃないっ」


「はっ」


「あっ…藤林さん、すみません、わたし、とても変なことを言ってしまいましたっ」


渚は顔を赤くして頭をぷるぷる振っている…。


「い、いえ…」


藤林も頬を染めて、胸に手を当てている。


「その、ちょっとびっくりしただけだから…」


ちょっとで済むだけ、十分肝が太い。


「はぁ…それじゃ、普通に断るの? あんた、断れるの?」


「えぇと…」


藤林は目を泳がせる。


…頼りない態度だった。


藤林は結構、お人よしでしかも押しが弱いし押しにも弱い。雰囲気にも弱そうだ。


相手にガンガン攻められると正直厳しいのかもしれない。


悪くて断れない、というのが尾を引いて泥沼化したら目も当てられない。


「…はぁ」


放っておいてもいいのだろうが、そういうわけにもいかないだろう。


「なにか協力できることがあれば、協力するよ」


「え?」


「ええっ?」


姉妹が、目を開いて俺を見た。


「…いや、彼氏役はしないけどさ、様子見てるくらいなら、まあ」


「ありがと、朋也っ。それで十分よ」


杏は気持ち悪いくらいにっこりといい笑顔を浮かべる。


「あ、えぇと、私と…?」


藤林は慌てている。


「横にいるくらいならな」


「それじゃ、あんたたちふたりで返事しに行ってね。場所は放課後に焼却炉のところだから」


「……え?」


杏の言葉に、俺は呆けた声を出してしまう。


…放課後?


「放課後?」


芽衣ちゃんとの約束があるんだけど…。


「そ。よろしくね〜」


…仕方がない、芽衣ちゃんには少し待っていてもらおう。


杏の笑顔を眺めつつ、俺はそう考える。


まあ、いいさ。


きっと、すぐに終わるだろう。


「ったく、岡崎ばっか、いい目を見てるよな」


隣で春原は舌打ちをしてパンにかぶりつく。


「いや、いい目ではないだろ」


そう言って春原のほうを見ると…春原は微妙な表情で固まっている。


「…? どうした?」


「いや、岡崎…これ、食べてみてよ」


言いながら春原が差し出すのは…竜太サンド?!


「…ふんっ」


「ガバゴボッ!!?」


俺は差し出されたパンを、思いっきり春原の口の中に突っ込んだ。


悶絶する春原を眺めつつ、俺は今日の放課後を思った。



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