folks‐lore 4/23



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目を覚ますと、陽光。


かつては、毎朝毎朝起きるのがだるくて仕方なかったような気がするが、ここのところは、毎日さわやか。


…いや、そこまで寝起きがいい訳ではないが、二度寝したくなるほどに気力が湧かないということもない。


かつての高校生の俺は、一体何を糧にして生きてたんだろうなと思い、苦笑する。糧なんて、なかったのだ。


自分の生活の核となるなにかがなければ、生活の軌道はどうしてもあやふやになる。


大した長さでもないが、人生を生きてきたのだ。それくらいは、感覚でわかる。


「…」


今日は、水曜。


早いものだ。


時間が沢山残されているわけではない。俺は体を起こす。





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「おい、風子、開けるぞ」


そう言って、風子の部屋の引き戸を開ける。


すると、そこに立っていたのは着替え中でちょうど制服を着ようとしている風子だった…などということはなく、のんきに眠っている。


女子の部屋って、なんだか独特の空気のような気がする。


そりゃ、あちこちに散らばっている木屑とヒトデの彫刻を見るともう明らかに風子で、一瞬浮かんだ幻想は、同じく一瞬で消えていってしまうが。


俺は中に入り、風子の傍らにしゃがみこむと頬をぺちぺちと叩く。朝食の準備もしなくてはいけないのだ。余裕たっぷりというわけではない。


「おい、朝だぞ」


「んん〜…はい…」


目を閉じたまま返事をする。


だが、体はちゃんと俺から逃げていった。


…目は、覚めているんだろうな。素直に起きる気はないらしいが、放っておけば勝手に起きてくるだろう。寝起きが悪いというわけではない。


「朝飯作ってるから、起きてこいよ」


「…ん…はい」


薄く目を開けて、素直に言う。


「…」


なんだか少し、どきりとしてしまう。


「じゃ、早く起きろよ」


俺はそう言って踵を返す。


全く、あんまり無防備な姿をさらされるというのも、こっちの気が妙に騒ぐのだ。





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坂の下には、俺たちを待つ姿があった。


「岡崎、待っていたぞ」


智代だった。


「どうしたんだ、おまえ?」


「伊吹、おはよう」


「はい。おはようございます」


「おい、聞いてるのか」


「聞いている。おまえ、昨日の話を忘れたのか?」


呆れたようなまなざしを俺に向ける。


昨日…?


少し考えて、思い当たる。


「ああ、そういや、春原を起こしに行くんだっけ?」


「そうだ。さあ、行こう」


智代は寮のほうに歩き出す。


「ちょっと待ってくれ」


「…? どうした?」


「実は、渚と待ち合わせてるんだ」


辺りを見回す。


吸い込まれるように、いくつもの道から生徒が現れて坂を登っていく。


俺を知っているからか、智代を知っているからか…少し、視線を感じた。


たらたらと暖かい、春の朝だった。


その中に、まだ、渚の姿はない。そういえば、あまり意識しなかったがいつもより早かったかもしれない。まだ、登校する生徒もピークの時間というわけではないようだ。


「…ここで、か?」


智代は訝しげに聞いた。


たしかに、それはもっともな疑問かもしれない。


一緒に登校するには、ここから学校は距離として短すぎる。


ここで待ち合わせをしている奴なんて、そうそういないだろう。


「ああ、多分、もう少ししたら来ると思うけど…」


「だが、あいつを起こしていたら、あまり時間に余裕はないぞ」


起こして着替えさせて…たしかに、そこまで時間はない。


「…んじゃ、風子。俺と智代でちょっと寮に行ってくるからさ、おまえはここで渚を待っててくれ。で、あいつが来たら先に行っててくれればいいよ」


「はい、わかりました」


風子がいてくれてよかった。


「ちょうどいい人手だな」


「はい。ヒトデはいつでも、ジャストフィットです」


会話が食い違っているような気がする。


ともかく、坂の下に風子を残し、俺と智代は肩を並べて学生寮へと足を向けた。




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すれ違う寮生はそれほど多くはない。


大方、朝練とかで出払っているのだろう。


だがそれでも、やはり学校へ向かって登校している生徒はゼロではなく、彼らは一様に俺たちに奇妙なものを見ているようなまなざしを向けた。


女子生徒がいることもそうだし、俺と一緒にいることもそうだろうし、俺が朝から登校していることも、そうだろうし。


別に構わない。


こちらに非があるわけではない。言い訳などする理由はない。



…。



「おい、起きろ」


智代は、春原の肩を揺する。


「…」


春原は目を開け、智代の姿をみとめると…顔をしかめる。


「ちっ、もう少し寝かせろよ…」


「おまえは、子供か」


「頭脳は子供だな」


「体はどうなんだ?」


「大人」


「最低だな…」


「勝手なこと言ってんじゃないっ」


春原は反射的にツッコミを入れる。扱いやすい奴だった。


勢いで体を起こした春原は、けだるそうに頭をかいた。


「本当に、起こしにくるとはね…」


「昨日、そう言っただろ。早く、準備をしろ」


「はっ、おまえの言うとおりになると思ったら、大間違いだぜ。僕は、自分の道を進むよ」


そう言うと、布団をかぶった。


言っていることはちょっとカッコよかったが、やっていることはひたすら情けなかった。


「岡崎、どうする…?」


「まあ、こうなると思ったけどな…」


俺も智代も、素直に起きるとは思ってはいなかったが。


…だが、最初に起こした時、やけにあっさり目を開けたな。


「もしかして、春原、俺たちが起こしに来ると思って昨日は早めに寝た?」


「しっ、ししししししてないっ」


「どもりすぎだろ、おいっ!」


本当にこいつは早寝をしたのだろうか。


とんだヘタレだった。


「ていうか、おまえは僕を早起きさせて、何がしたいんだよ」


「起こしにきた人に向かって、失礼だぞ」


智代は眉をひそめてそう言う。


無遅刻無欠席ウィークのことを話すつもりはないらしい。たしかに、春原が今ここでその話を知ったとして、素直に起きるとも思えなかった。


「というか、女の子に起こされているんだから、もう少し喜べ」


「校内一の美少女でも連れてくれば、喜んで起きるよ」


「それなら、充分だろう」


「あん?」


「私は、校内一の美少女だと評判だぞ」


「あははははははは!! ……うわああぁぁぁーーーーー……」


大爆笑した春原は、智代に蹴られて飛んでいった。


「早く起きろ」


声を低くして、智代。


「はい…」


一転して、素直な奴だった。





157


春原を待っているうち、時間は差し迫っていた。


元々そこまで時間に余裕があったわけではないし。


「ほら、走れ」


「朝っぱらから、マラソンかよ…」


「てめぇのせいだろ。俺は巻き添えだ」


寮から出て、まずは早足、すぐに駆け足になる。


もう、辺りに生徒の姿はない。


時間的には、差し迫ってると言っていいだろう。


爽やかな陽射しの下、どたばたとやかましく走っていく俺たち。


すぐに、坂の下までやってくる。


そして…




「…渚?」


あぁ、そして、坂の下には…渚と風子が待っていた。


辺りに生徒の姿はない。


鞄を両手で持って、顔を上げて、俺たちのほうを見ていた。


彼女は、こちらの姿に気付くと、ぺこりと頭を下げた。


…俺は、つい、顔をしかめてしまう。


まずいな、とも思うが、こちらは走っているのだ、距離もあるし表情まではわからないだろう。


…俺を待ってる場合じゃない、だろうっ。


彼女をしかりつけたくなった。


まだ、彼女はこの坂を登れないのだろうか。


…ただ俺を待っていたというなら、いい。


春原に会って話があるというのでも、いい。


なにか、こちらに対する理由があるのならば、それでいいのだ。


登らない、ならばいいのだ。


だが…。


まだ…登れないのだろうか。


隣を、前を歩く誰かが必要で…そしてまだそれは、俺でなくてはならないのだろうか。


それだったら…


「…」


は、はっ、と走りながら、俺たちは坂のほうへ走っていく。


「あの子たち、おまえを待ってたのっ?」


「いやっ、先に行けって、言ったけどさっ」


走りながら、言葉を交わす。


「歩いて坂を登る余裕はないぞ」


智代は、息も切れていない。


俺と春原が運動不足なだけなのだろうか。


坂の下まで、たどり着く。


立ち止まって話をする暇はない。


「遅刻するから、走るぞっ」


「あ、はいっ」


渚は慌てて、ぱたぱたと走り出す。風子もそれに続いた。


すぐに俺たちは彼女らを追い越し、ペースを落として併走する。


「あの、岡崎さんっ」


走りながら、渚が傍らに並ぶ。走りながらだから、息は荒い。


「おはようございますっ…」


「…」


ただ、それを言おうとしたかったのかもしれない。そのために、待っていてくれたのだろうか。


それは甘い感傷だった。


渚は俺を必要としている。俺がいなくては坂を登れない。彼女の隣は、俺のために空けられている。


…だが、その魔的な魅力は、ひどく行き止まり的な愛情だとも思う。


俺の存在が、渚にとって纏足みたいになるわけにはいかない。


彼女には、彼女の道がある。


俺には俺の道がある。


併走するのは、構わない。並びあって、同じ方向を歩むならば。


しかし、俺の後ろをただ続くだけになってしまったら、それは自身の意思を捨てることでもあった。


庇護されるだけの存在で、居続けるわけにはいかない。


歌劇部。渚は歩き始めているのだ。


だが、まだ、自分だけではどうしようもないという場面もあるのだろう。


今、彼女が遅刻すれすれになってもここにいたのは、克服しきれない弱さの一側面のような気がした。


「春原さん、おはようございますっ」


俺の少し後ろを走る春原にも、挨拶をしている。


「あぁ、うん、おはよう」


春原は、戸惑ったような声色で挨拶を返している。


「古河、僕らを待ってたの?」


渚のことをちゃん付けで呼んでいた気がするが、苗字呼びだった。まだまだ、春原視点からだとそこまで親しい感じはないのかもしれない。


「あ、はい、ご迷惑でしたでしょうかっ?」


「いや、いいんだけどさ…」


「そういえば、渚さんっ」


一番後ろの風子が渚を呼ぶ。


「なんでしょうっ」


「体は、平気なんですかっ?」


「あ、はい、大丈夫ですっ」


「あんまり無理しないでくださいっ」


「ありがとうございますっ」


そういえば、渚は休学明けだったな。走るくらいだったら、前もしていたからそこまで負担というわけではないだろう。今は全力疾走というわけでもないし。ただ、坂道は堪えるかもしれないな。


前も、激しい運動をする体育の授業なんかは見学をしていたはずだった。


少し心配になるが、これくらいでまた体調を崩すということもないだろう。これくらいの運動なら、普段から時々していた。


坂を登りきって、校門を抜ける。


昇降口に付いた時計を見やると…まずいな。


靴を履き替える。


智代、風子とはここで別れる。


「それじゃあ」


「ああ、悪かったな」


「いや、構わない」


涼やかに笑って、去っていく。


「風子…はぁ、はぁ…少しだけ…はぁ、疲れました…」


「…」


おまえは体力なさすぎだからな。


ふらふら風子も去っていく。


「行くか」


この辺りまで来ると、若干遅刻すれすれの生徒の姿もある。


一様に、急ぎ足だ。


俺たちも早足に、教室へ向かった。



…。



教室に入ると、まだ担任は来ていない。


ギリギリセーフというところだろう。


こんな時間から登校してきている春原を見て、何人もの生徒が珍しげにこちらを見ていた。


藤林が安心したようににっこり笑っているのが見える。


「岡崎、あの子、僕のこと待ってたのかな」


「…?」


隣、春原は奇異の視線に気付きもしないというように笑っていた。


…というか、浮かれていた。


「渚ちゃんだよ」


あれ…?


呼び名が、いつの間にか…。


「まあ、ちょっと地味な感じもするけどね」


改めて考えてみると、渚は春原を部活に引き込もうとして、劇を見てくれと言って、朝には坂の下で待っていて…


「僕が目立っちゃうタイプだから、相性としてはちょうどいいかもしれないねっ」


春原が…のんきに笑っている…。


何を勘違いしているのだろうか。


俺は、顔には出さないように、心の底から呆れたため息をついた。



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