folks‐lore 4/22



148


五時半が迫り、俺は部室を辞した。


昇降口で智代と待ち合わせて、そのまま今日は帰宅する。


脚本作業は、まずは初めのほうのシーンは一応一稿があがったというくらいだ。部活時間終了まで粘って、その後は幸村に託して修正をしてもらうことになっている。


明日くらいから渚は演技練習に入って、俺と宮沢で詰めていかなければならないだろうな。


「…」


脚本、終わるのか…?


なかなか忙しくなりそうだった。


あれこれ考えながら、やがて昇降口にたどり着く。


「岡崎」


壁にもたれて腕を組んでいた智代は、俺の顔を見て笑顔を向けると、足元に置いた鞄を手に取った。


それだけで、絵になる光景だった。


「悪い、待たせた」


「そんなに待っていない。それじゃ、行こう」


「ああ」


校舎を出る。




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「それで、話って何なの?」


放課後の学生寮。


この寮に入ってくる生徒は、大抵はスポーツ推薦だ。つまりは、運動部員。


だから、この時間はほとんど生徒は帰ってきていない。


夕焼けの中、不思議にしんとしている。


だけど、おそらくは夕食の準備だろう、食堂のほうからは人の気配が色濃くしていた。


俺と智代は玄関辺りで掃除をしていた美佐枝さんと落ち合い、彼女の部屋に案内される。


二度目の、美佐枝さんの部屋だ。


先日訪れた時のように、目の前にはコーヒー。


「あなたに聞きたいことがあったんだ」


「あたしに?」


「ああ…。あなたはかつて、本校において初めて女子で生徒会長になり…伝説の『全校生徒無遅刻無欠席ウィーク』を達成したと聞く」


「ああ、懐かしい話ね…」


美佐枝さんは目を細めた。


「実は、こいつも生徒会長に立候補しようと思ってるんだよ」


「そういえば、そんな時期だったわね…」


「私は生徒会長になって、色々とやりたいことがあると思っている。だから、あなたの話を聞きたいと思ったんだ」


「正直、もうあまり覚えてないんだけどね…」


「覚えていることだけでいいんだ。迷惑だっただろうか?」


「そんなことはないわよ。嬉しいわ」


「それなら、よかった」


女子二人で、盛り上がっている。


仲立ちをするといっても、そこまでやることはないな。


智代は智代でもう聞きたいことは決まっているらしい。


美佐枝さんの人望について尋ねている姿を横目で見ながら、辺りを見回す。


なんとなく目に付いた、横のタンスをそっと引いてみる。


「…」


下着が入っていた。


…ガン!


「いってぇ!?」


「あんたは何しに来てるのっ!」


美佐枝さんに、マリームの瓶を投げつけられた…。剣呑な視線が向けられた。


「岡崎、退屈かもしれないが、少しはじっとしていろ」


「…」


智代には子供扱いをされている…。


「それで、だ」


智代は再び美佐枝さんに向き合い話しを続ける。


「私はこの春に編入してきたばかりなんだ。だから、顔すら知られていない」


「いや、充分知られてると思うぞ」


「そうなのか?」


「おまえ、かなり目立ってるだろ」


「そうかな…」


「あたしも、そう思うわよ」


美佐枝さんは、俺の挙動に注意しつつ、言う。


「あなた、年下から好かれるタイプよ。しかも同性から」


「うん、その自覚は以前の学校ではあった」


「だったら、頑張れば、大丈夫よ」


「そうだろうか…」


「ま、力みすぎるのもよくないけどね。…というか、あなたもその無遅刻とかっていうのをやろうとしてるの?」


「うん、できればやってみたいと思っている」


「なるほどね。それで、春原を起こしに来てるってわけね」


察しのいい人だった。


「まあ、春原と岡崎がちゃんと登校すれば、確率は上がるわよね。たしかに」


「岡崎は最近はしっかり登校しているから、あとはあいつなんだ」


「あらま。岡崎、マジメになったの?」


「別に、そういうわけじゃないけど」


「ふぅん…。こないだ言ってた、大人がどうって話なの?」


ニヤリと笑う。


「それは別の話だけどさ」


「相楽さん、それはどんな話なんだ?」


「ああ、こいつがどうしても大人になりたいってさ…」


「めちゃめちゃ口が軽くない!?」


美佐枝さんの、新たな一面を垣間見てしまった、俺だった。





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美佐枝さんとの話が終わって、俺と智代は寮を出る。


智代は、生徒会長選挙に対する意気込みが一段と深まったようだった。


「岡崎、今日はすまなかったな。礼を言う、ありがとう」


「別に、俺がいなくてもよかっただろうけどな」


「そんなことはない。おまえが横にいてくれて、すごく頼りになった」


「…」


そこまで素直に感謝されると、恥ずかしい。


「それじゃ、また明日」


智代は手を振ると、歩き出した。


俺はその後姿を見送った。


「…なんだか、武士みたいな子だったわね」


美佐枝さんが玄関から出てきて、声をかけた。


「悪い奴じゃないだろ?」


「そんなこと、思わないわよ」


美佐枝さんは苦笑する。


「今時珍しい、素直な子ね」


「ああ、それは俺も思う」


「あの子、あんたのこと好きなのかしら?」


「なんで、そんな話になるんだよ」


「あたしもよくわからないけど、あの子、あんまり人を頼ったりするタイプに見えなかったから。でも、岡崎は特別みたいじゃない」


「…そういうわけじゃないだろ」


世間に、学校に、馴染めていない感じ。不良ということ。


智代はそこに同類というような仲間意識を感じているのだろう。


「ま、いいけどね。あんたたちがどう青春してても、ね」


美佐枝さんはそう言うと、くるりと踵を返して寮に入っていった。


口答えの隙さえなくて、俺は苦笑する。


さて、俺も帰ろうか。


歩き出そうとした時…


肩に、誰かの手が置かれた。


反射的に振り返り、頬に、人差し指が突き刺さる。


「朋也。ちょっと話があるんだけど」


杏が、目を細めて俺を見ている。


「…時間、あるわよね?」



…。



俺と杏は近場の公園のベンチに並んで腰掛けていた。


「あんたは、部活じゃないの?」


そう水を向ける。


「ああ、そうなんだけどさ、ちょっと野暮用があって先に抜けた」


「あの子と一緒に?」


「…頼まれごとがあったんだよ」


「…へぇ」


杏は足元の小石を軽く蹴る。


乾いた音を立てて転がっていくのを、見るともなく見ていた。


「あいつ、生徒会長選挙に出るんだってさ。それで、あの寮母の人が昔生徒会長で…」


「ふぅん」


「…」


杏の反応は薄く、俺は話題をかえることにする。


「そういやおまえ、今帰りなんだな。創立者祭の準備してたのか?」


「ええ。まだ話し合いばっかだけどね」


「ふぅん…」


「朋也。あんた部活もあるけどさ、こっちも手伝いなさいよ」


「…暇があればな」


「作りなさい。どうせ勉強してないんだから、その分まだ楽でしょ」


横暴な奴だった。


俺は苦笑する。


だが、この方が、普段通りの杏で安心感はあるのがおかしかった。


「手伝えることがあればな。でも、他の連中があんまりいい気はしないだろ」


「そんなことないわよ。そっちの態度次第じゃない」


「…」


そう言われ、素直に、たしかにそうかもしれないな、とも思った。


俺はずっと、他の生徒たちが俺を拒否しているのだと思っていた。


だけど、本当にそうだったのだろうか。


もちろんそういう部分があるだろう。だが、それは全てではない。


…おそらく、俺が他の奴らに拒否されることと、俺が他者を拒絶していることは、相互干渉していたのだとも思う。


…俺は、かつて、巡り巡って自分自身を拒否していたのだろう。


だから、今、新しい気持ちで袖ふり合えば、また新しい学校生活というのは、おそらく、あるのかもしれない。


そしてそれはきっと、そこまで悪いものではない、というような気も、する。


「…ああ、気を遣ってみるよ」


少し考えて、俺はそう答えていた。


そう、それはきっと、悪いことではない、はずだ。


「なかなか、殊勝じゃない」


杏は満足そうに頷いて…


「ねぇ、ちょっと聞きたいんだけどさ」


「なんだよ」


伺うように、俺の瞳を覗き込む。


一瞬、彼女の瞳と俺の瞳が、ひとつに交じり合うような近さを感じて、俺はどきりとした。


「あんたって誰か好きな子いんの?」


「なんだ、いきなり」


「そりゃ、あれよ。急に最近物腰柔らかくなったじゃない。だから、なにか心境の変化でもあったのかなって」


「…」


心境の変化というか、激変というか…むしろ、入れ替わりと言ってしまったほうがいいのかもしれないが。


しかしどうでもいいが、俺がこの時間に戻ってくる直前までの「岡崎朋也」の人格はどうなってしまったんだろうか。


まあ、どうでもいいか。


それより杏の言葉は…なんだって?


…好きな子?


なんて答えるべきか、逡巡する。


好きな子、という言葉は微妙な言葉だった。


好きな子は渚。そんな単純な問題ではない。


渚に対する感情はある。だがそれは、好きとか、愛とか、家族なんて言葉で語れるものではなかった。


渚に対する思いは、同時に汐に対する思いを含んでいる。汐に対する思いは、そこから更に伸びて、俺と親父との思い出、俺の過去、この町への感傷、あらゆる感情に波及している。


全てが絡み合い、俺の全存在に及んでいることだった。そして、そんなことを語る言葉なんて、俺は持っていない。


いや、違う、わざわざそんなことを説明する場面でもない。


というか、正直に答える必要だってないしな。


「いないな」


「…随分、間があったわね」


「いや、真面目に考えてみたんだ」


「ふぅん。あの子は違うの?」


「あの子って?」


「あんたの妹」


「ああ、風子ね…。あいつは家族みたいなもんだろ。ていうか、一応、血がつながってるし」


自然にこんな嘘をついていると、なんだか本当に風子と親戚のような気がしてくる。


「でも、従兄妹とかならもう結婚もできるじゃない」


「…俺と風子が、そんな関係に見えるのか?」


「そういうわけじゃ、ないんだけどね…」


杏は照れくさそうに顔を背けた。


…まあ実際、杏が感じているであろう「特別な関係」という意味では間違ってはいない。


かけがえのない存在。欠かせない相棒。


「じゃあ、あの子は違うの?」


「どの子だ…?」


いちいち含みのある言い方をするよな、こいつ。


「坂上智代」


「マジ? あいつとそんな関係に見えるのかよ?」


「見えないけど、今後の発展に注目って感じね」


「別に、注目しなくていい…」


「あ、そ…。まぁどうでもいいんだけどさっ。でも、不良ってカッコいい風に見られたりするでしょ。だからけっこう、彼女持ちだったりするじゃない」


「そりゃ偏見じゃないのか?」


「そう?」


「とりあえず、うちの学校じゃ当てはまらないだろ。不良なんて、悪目立ちしかしてないぞ。まともな生徒なら、関わりもとうとしないだろ」


「関わりもとうとする子がいたら?」


「…?」


杏が、伺うように俺の瞳を覗き込んでいる。


日は傾いている。影は長い。杏の横顔が奇妙に憂いを帯びているように見えるのは、この日差しのせいだろうか。


「あんたのこと好きって子がいたら、付き合うの?」


「…」


俺は、考えようとする。


誰かが、俺のことを好きだと言って。俺はそれに、どう答えるのだろうか。


…全く、そんな情景が思い浮かばない。


かつて俺は、渚とともに歩いた。俺たちは坂道を登っていった。


渚以外に、そんな情景が思い浮かべられない。


「わからないな」


結局、そう答えるしかない。


本当にわからないのだ。あるいは俺の想像力不足なのかもしれない。だが、無理なものは無理だった。


「まあ、状況とか相手によるんじゃない?」


「…ま、それもそうね」


杏は口の端を小さく上げて、ちらりと瞳を覗く。


「来る者拒まずなんて奴だったら、惚れちゃった子がかわいそうだもんね」


腕を組み、うんうんと頷く。


「なんでいきなり、そんなことが気になったんだよ」


「別に、なんとなくよ。ただの恋バナでしょ」


杏は勢いをつけて、たん、とベンチから立ち上がる。


スカートがふわりと浮き上がり、夕日を受けて制服がちらちらと光る。


赤い日差しが真西から俺たちを貫き、俺は杏の姿を見つめていた。


「それじゃあね。また明日」


「…ああ」


杏が手を振り歩き出す。


俺は手を振り、空を見上げた。






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『もう、準備万端です』


電話の向こうの芽衣ちゃんの声は、ずいぶん弾んでいた。


なにせ、中学生で一人旅、それもけっこう遠方までの旅行だ。そうしょっちゅうあることではないだろう。


『あとは、明日の朝ちゃんと起きれるかなぁ』


「緊張して眠れそうにない?」


『恥ずかしいんですけど、やっぱりちょっと、そうですね。おにいちゃんに会うのも、久しぶりですし』


「あぁ、そうなんだ」


『はい、お正月も帰ってこなかったから…』


「…」


よく覚えていないが、その正月はあいつの部屋で寝正月だったような気がする。


責任の一端は俺にもあるのだろうか。


待ち合わせは、明日の放課後に駅前だ。


ちょうど駅前にタリーズがあるので、そこで待っててもらうことにする。


「んじゃ、明日迎えに行くから」


『はい、わかりましたっ。…あ、そういえば、ですけど』


「なに?」


『おにいちゃんも、その時一緒に来ますか?』


「あぁ、どうかな。部屋で待たせてびっくりさせるってのでもいいけど」


『それ、いいですね』


芽衣ちゃんが楽しそうに笑う。


『それじゃ、迎えに来てくれるのは岡崎さんということでしょうか?』


「まあ、そうかな」


『わたし、なにかわかるような目印を持っておいたほうがいいですか?』


「目印?」


『はい。あ、岡崎さんのほうがなにか目印持っててくれますか? どちらでもいいんですけど』


「…」


ああ、そうか、俺たち、まだ顔も合わせてないんだ。


「大体の特徴を教えてくれればいいよ」


『えぇと、それじゃ…髪をふたつにしばってて、わかりやすいように黄色いカチューシャつけておきますね。あ、でも、大きな荷物持ってるからすぐにわかるかもしれないですけど』


「ああ、そうだな。大丈夫だ」


気を回してもらって申し訳ないが、全く問題なく顔はわかる。


明日が楽しみだった。


それにしても、芽衣ちゃんはどんな大人になったんだろうな。春原から最後に聞いた時は、地元の大学に進んだんだっけ。


顔を合わせるのは、かつての今の時期以来だった。


年齢の変わらない同窓会のような気分だ。





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一人帰ってきた風子とともに今日は外食に出て、帰ってくると相も変わらず平和に夜をすごす。


明日も、忙しくなりそうだった。



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