folks‐lore 4/22



137


「あいつは、また遅刻か」


授業が終わり、それでも相変わらず外を眺めていると、隣から聞きなれた声がした。


「いつもこうだ。大体昼くらいには登校してくるんじゃないのか」


彼女に顔は向けず、言う。


外の風景は見慣れたものだ。再びこの場所にかえってきて一週間、ここから見る町の景色は変わらない。


ここから見ていると、町は、何も変わっていないし、変わっていかないような気もする。


「まったく、仕方のない奴だ」


「学生のうちにしかできないんだから、好きに遅刻させてやれよ」


「学生のうちから直さないと、あとで後悔するだろう」


「…」


あいつは意外に、要領よく状況に合わせる術を持っているとは、思う。


まだ今の時間では、春原自身も気付いていないような特技だとは思うが。


「それで、なんだ」


俺は視線を彼女に向ける。


「智代。またあいつを起こしに行こうって言うのか」


「うん、そうだ。わかっているじゃないか」


見上げた視線の先、智代は満足そうに笑った。


「別に、もうあいつの部屋わかっただろ。俺が付いていく必要はないぞ」


「女の子がひとりで男子寮に行くなんて、危ないだろう」


「…」


おまえだったら、寮生全てとケンカしても勝ちそうだけど。


「あんまり甘やかすと、春原が勘違いするぞ」


俺は別の方向からこの話を回避しようとする。


「勘違い?」


「ああ。こんな気にしてるなら、おまえが春原のこと好きって思われても仕方がない」


「最悪だな」


「というか、もう思われてるかもしれない」


「ほんとうか。迷惑な奴だな…」


「時々、思い出したかのように蹴ってやれば、好きだとは思われないんじゃないか」


「ああ、そうだな。そうしてみよう」


素直に頷く智代。


今この時点で、春原が蹴り上げられる未来が確定したような気がした。


「…だが、やはり、私はあいつを起こしに行く」


「マジかよ」


決意は固いようだった。


「なんでだ」


「あいつの遅刻癖をなおしておきたいからだ。…うん、岡崎になら、話しておいてもいいかもしれない」


「なんだよ」


「私は、生徒会長を目指しているだろう」


「ああ」


「もし会長になれたら、やってみたいことがある」


「ふぅん」


「全生徒の、一週間無遅刻無欠席。歴代の会長がやってきて、達成できたのは、たったひとりなんだ」


「へぇ」


むしろ、そんなイベント、初めて聞いた。


「今の会長と、その前の会長は、最初の一日目で遅刻者が出て達成できなかったんだ」


「そりゃ、そうだろ。全校生徒って、七百人いるんだぜ」


「ちなみに去年がおまえで、一昨年が春原だ」


「…」


俺は肩をすくめて険のある視線をやり過ごす。


「おまえは最近、しっかり登校しているようだからな。あとは春原だ」


「なるほどね…」


たしかに、この二人という懸念がなくなれば、達成する確立は上がるだろう。


「だから、春原を起こしに行くってことか」


「ああ。それと、岡崎に頼みたいことがある」


「俺に?」


「さっき話した、無遅刻無欠席を達成できた人が、相楽さんだ」


「さがら…?」


誰だそれ、という疑問が頭の中を飛んで…


「…美佐枝さん?」


「そうだ。相楽美佐枝さん。この学校で最初の、女性生徒会長。理想とされる、名生徒会長だったらしい」


「美佐枝さんが?」


そんな話、聞いたことなかった。


「知らなかったのか?」


「ああ、全然。本人も言わないし」


「慎ましやかな人なんだな」


「…」


そういう言い方が正しいのだろうか。


「岡崎は、相楽さんと親しいだろう」


「ていうほどじゃねぇよ。会ったら話すくらい」


「それは、十分親しいだろう。できれば、岡崎に橋渡しをして欲しいと思っているんだ。相楽さんに、生徒会長だった頃の話を聞いてみたくてな」


「ま、いいけど」


昨日、寮に行った時智代が美佐枝さんに会いにいっていたことを思い出す。挨拶は済ませている、というくらいの関係だろう。


智代には結構恩を感じている身ではある。少しでもそれが返せるならば、それは悪いことではなかった。


「そうか、ありがとう」


智代はにっこり笑う。


「それじゃ、昼休みにまたくる」


「いや、ちょっと待て」


くるりときびすを返した後姿に声をかける。


「どうした」


「待ち合わせは職員室にしてくれ。どうせ、また、外出許可を取りに行くんだろ」


「うん、岡崎はよくわかっているな」


智代はうんうんと頷く。


別に、許可とかはどうでもいいのだが…ここまで迎えにこられるのは、さすがに恥ずかしかった。





138


四時間目、授業を抜け出して相変わらず図書室へ。


もはや、いつものパターンといっていい。


(でもずっとこのままというわけにもいかないよな)


部活のことばかりを考えて、ことみが図書室に閉じこもっていることを引き伸ばしてきていた。


今少し、それを前に進める時期にさしかかっているだろう。


なにせ、彼女には、歌劇部の大事な戦力になってほしいと思っているのだから。


「なあ、ことみ」


「なあに?」


ことみは俺の正面、席について向かい合っていた。


机の上には重箱が置かれ、今は風子を待つという状態だ。


「この前みたいに、みんなで飯を食おう」


「…」


「渚とか、宮沢とか、さ。嫌か?」


「ううん…」


ことみはふるふる頭をふるう。


だが、表情が少し強張っているのがわかる。改めて考えると、ことみはまだ渚や宮沢には一度しか会っていないはずだ。


「嫌じゃ、ないけど」


含みのある言葉だった。


ことみは好きで、ここにいる。


ひとり、静かに本を読んで図書室で過ごしている。


だがそれは、幸福なのだろうか?


俺には、そうも思えない。


昨日の、女性教師の言葉を思い出す。


…ずっとひとりじゃ、潰れちゃうでしょうからね…


俺は知らないが、ことみが抱える何かをほのめかした言葉。


ことみは、今、風子が抱える重みを一緒に抱えてくれている。


だったら、俺たちも、彼女の抱えるものを一緒に持って、それはいけないことだろうか?


…俺たちはそうやって、肩を寄せ合うからこそ、きっと、笑い合えるんじゃないだろうか。


だから、今。


俺はことみの手を引いていきたいと思っていた。


俺たちはひとつの輪を囲みたいと思っていた。


それは決して、不幸ではないはずだ。


「それじゃ、決まりだ」


今から食べようと、テーブルの上に置かれた重箱。


そのくくりが解かれるのは、今日はこのテーブルの上ではない。


「今日の昼は、資料室だ」


俺は、言った。


歌劇部の昼食の場は、特別な事情がない限り資料室という話になっていた。


渚も、仁科も、杉坂も、それぞれ集まってくるだろう。


…だが、と、思い当たる。


そういえば、春原を起こしに行こうという約束もあった。


智代との、昼休みの話。


俺は少し考えて、あいつを呼びに行くのは昼休みの後半にしてもらおうと決める。


飯を食べて、そのあと合流という感じ。


春原が飯を食う暇がなくなるが、まあ、どうでもいいか。


「よし」


上靴をぬいで、イスの上にあぐらをかく。


ことみを交えて、どうするべきか。


頭の中を、彼女を勧誘するための言葉が浮かんでいく。


だが、やはり、その役目は渚のものかもしれないな、とも思う。


俺がいくら言葉をつむいでも、おそらく渚の一言には敵わないのではないだろうか、という気もする。


歌劇部。


それは、俺たちの部活ではあるが、同時に渚の部活でもあるのだ。


「それなら、決まりだな」


ことみは、やはり、不安だろう。


はじめの一歩を歩むのは、誰だってそうだ。


だがその一歩は、歩みださなければ、何も始まらないのだ。


今に満足して、次を求めないのでは、最後にはどこにもたどり着けないはずだ。


変わっていくものを、否定するだけでは…きっと、いけないのだろう。


変わらないままではいられない。


だったら、それを受け入れて、とことんそれに向き合わなければ、いけないだろう?






139


その後、やってきた風子も交えてぽつぽつ話をしながら授業の終了を待つ。


昼休みになり、俺は智代の教室に直行する。


春原を迎えに行くのを昼の後半にしてくれるよう頼み、すぐに図書室にとって返す。


昼休みになってしばらくすれば自習する生徒であふれかえるが、昼休みが始まってすぐなので、他の生徒はまだ来ない。


「いこうぜ」


「うん」


「はい」


図書室を覗き、声をかけるとふたりは立ち上がる。


見ると、ことみはヒトデの彫刻を手に持っている。


「あぁ、それ、もらったの?」


「うん」


ことみの手に持つ重箱を貰う。


「とってもとってもかわいいの」


「…」


そうなのだろうか…。


「はい、とてもよくお似合いです」


風子とはことみを見て、満足げな表情だった。


しかし、ヒトデが似合うと言われて、それは褒められているのか微妙だよな。


図書室を出る。ぱたぱたとした足音が、後に続く。


「朋也くん、朋也くん」


「なに?」


「さっき、渚ちゃんと有紀寧ちゃんって言ってたけれど、杏ちゃんと椋ちゃんも?」


「ああ、いや」


俺は視線をちらりと後ろに向ける。


「あのふたりはいないぞ」


「そうなんだ」


それでがっかりした、というわけでもないし、ほっとしたわけでもないようだった。単なる確認、というくらいだ。


「でも他の奴がいるな」


「え?」


「まだおまえは会ったことない奴らがいる」


「…」


ぴたり、とことみの足音が止まった。


「…?」


俺は振り返り、ことみと視線が交わった。


ことみは、くるりと振り返り…



たったった…



…踵を返して逃げ出した!?


「ちょ、待てよ…風子っ」


「はいっ」


重箱を持っている俺は、あまりすばやく動けない。


対して風子は見事なダッシュ、こいつ、結構運動神経いいんだな…。


ことみは鈍足のようで、割とすぐに風子に捕捉されていた。


「捕まえましたっ」


「あっあっ」


ことみに抱きつくようにして、がっちりキープ。


見た感じはじゃれあっているようにも見えるのだが、ことみが涙目なのでそうでもない。


「おお、早いな」


小走りに彼女らの元へ。


「はい、お手柄です…わあっ!」


ことみに抱きついていた風子がぱっと目をむいた。


「どうした?」


「ことみさん、ものすごくおっぱい大きいです! おねぇちゃん越えしてます!」


俺は盛大にずっこけた。


「なにセクハラしてるんだよっ」


「…岡崎さんはダメですから」


「〜〜〜っ」


ことみが涙目でこっちを見ている…。


「するかっ」


なんだかエロスの枢軸みたいな扱いだった。


「ことみ」


俺はため息をひとつついて、仕切りなおす。


「他に、一緒に飯を食う奴は、仁科と杉坂っていう下級生の女子だ。全然、変な奴とか悪い奴じゃないからさ、安心しろ」


「うん、そう、だとは思ってるけど…」


反射的に、恐れがあるということなのだろうか。


まったく、難儀な性格だった。


俺は苦笑する。


「あとは俺と風子と渚と宮沢だ。知ってる奴のほうが多いし、俺たちのことはそんな嫌いじゃないだろ」


「うん…。とっても、好きだけど」


「…」


不意に好きと言われて、なんだかどぎまぎしてしまう。


「別に、びびることない。行こうぜ」


「…うん」


俺は歩き出す。


ことみが続く。


ぱたぱたぱた…と、足音が響く。


「あの、ことみさん、もう一度触ってもいいですか?」


「だめ、だめなのっ」


後ろから、きゃいきゃいと話し声が聞こえる…。




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