folks‐lore 4/22



134


二時間目の間は、部室にいた風子の手伝いをして過ごす。


休み時間になると同時、再び教室へ戻る。


「あ、朋也」


「杏…? と、藤林」


教室の中。俺の机に、杏が座っていた。傍らに藤林が立っている。


「なんだよ、おい、そこどけ」


「ちょっと付き合いなさい。あ、椋も来る?」


「あ、うん…」


杏は確認も取らず、席から立つと歩き出した。藤林がその後に続き…こちらを、振り返る。


「なんだよ、おいっ」


なにがなんだかわからない。だが、俺は彼女らの後を追った。


廊下は他の生徒の往来もある、杏を先頭とした矢じり型になって歩く。


「あんた、さっきの授業サボったらしいわね」


「予定があったんだ」


「普通の学生は、授業中に別の用事なんてないわよ」


軽く振り返り、じろりと横目に睨む。


「あの子のところ?」


「あの子…?」


「一ノ瀬ことみよ。あの子のところ、行ってたの?」


「あぁ、違うけど」


「じゃ、春原?」


「まだ登校してない」


「…それじゃ、一体、予定ってなによ?」


「野暮用だ」


「お、岡崎くん…っ」


藤林が小声で話しかける。


「お姉ちゃん、心配して言ってるので…できれば、正直に答えてください」


「いや、大したことじゃないからさ…」


「別に、言えないならいいわよ」


「ああ、流してくれ」


「椋、こいつの出席、全部欠席にしてやって」


「…それは、横暴だろうがっ」


「あ、わ、私それはっ」


「いいのよ、あんたはもう一年くらい頑張っても足りないから」


「ひでぇな、おい…」


「で、なにしてたの?」


にっこり、笑う、杏。


心配していたのかは知らないが、正直に答えないと延々この問答が続きそうだった。


「風子のとこ」


「あぁ、あの子ね…って、揃ってサボりなのっ?」


「いや、事情があったんだ」


「親御さんに世話頼まれたって言ってたけど、早速あんたの悪影響に染まってるじゃない」


「いや、まあ…」


そう言われると確かにそうだと納得してしまう。


たしかに本当に親に頼まれたというなら、俺自身人選を疑っていただろうな。


「ていうか、いいだろ、それは。それより、どこに行くんだよ、今から?」


「図書室です。あの、一ノ瀬さんに会いに」


「はあ?」


俺は、ぽかんと藤林を見る。彼女は恥ずかしそうに頬を染めた。


藤林からは答えをもらえそうになくて、俺はそのまま視線を杏に移す。


「あたしは、別にいいとは思うんだけどね」


だが杏は、その視線を受け流して藤林と話し出す。


「そういうわけにはいかないよ」


「ま、そうかもしれないけどね…」


「なんなんだよ、いったい」


なんの話なのか、わからない。


「さっき話した、六時間目の話よ」


杏が俺に視線を移して、言う。


「有志の間で話し合いをして、他の生徒は自習にするの。だから、その間図書室を使おうと思って。…ほら、あの子、ずっと図書室にいるんでしょ? だから、先にこのことは伝えておこうって、椋が」


「やっぱり、そのことは言っておかないと迷惑かなって、思いまして…」


「いや、ちょっと待て」


俺は、静止をかける。


わけのわからない話が、目の前の双子の中では完結しているらしい。


「ロングホームルームでの話し合いって、なんだ?」


「…」


「…」


俺の質問に、正反対の性格の姉妹は、そっくりなほうけ顔をして、俺を見た。


「…朋也」


「なんだよ?」


「あの、岡崎くん…この間のロングホームルーム、いましたよね…?」


「こいつ、本当に頭悪いのね」


「うるせぇよ、おいっ」


「この間の、創立者祭の話し合いです」


「はぁ…?」


「椋、こいつダメよ。ブラックホール級にバカ」


「…」


光さえ吸い込むのだろうか。


「そ、そんなことないよ…えっと…多分」


わけがわからないが、俺はとうとう藤林にまで見捨てられようとしているらしかった。


「ひとつ聞きたいが、この前のロングホームルームって、いつの話だ?」


「先々週ね」


「岡崎くん、覚えてますか…?」


…なるほど、先々週、ね。


要するに、俺の視点から言えば何年も昔の出来事だ。覚えているわけがない。


「悪い、その時、猛烈に腹が痛くて記憶がないんだ」


「あ、そうなんですか? 大丈夫、でしたかっ」


「ああ、いや、その日のうちに治ったから」


「それなら、よかったです…」


藤林は安心したように笑う。


「もし、まだ調子悪かったら、いい病院、ありますから」


「椋のバイト先病院だから、安くなるわよ」


「えぇと、そういうのは、ないんだけど…」


藤林は苦笑する。


「ああ、ヤバかったら頼む。で、どんな話なんだ?」


「D組とE組の有志で、喫茶店をやろうと思うの。三年生は普通お客さんで出し物しないけど、それが禁止されてるわけじゃないからね」


「まだまだ、参加してくれるって言う人は少ないですけど…」


「ま、受験があるからしょうがないけどね。だから、希望者は図書室に集まって話し合いをすることになったのよ」


なるほど、話の筋がわかった。


…だが、と俺は思う。


かつて、俺は学校生活にほとんど興味がなかったとはいえ…自分のクラスが出し物をやったかどうかくらいは、覚えている。


「だから、あんたも話し合い、参加しなさい」


「その、いてくれるだけでいいんです。人、少ないので…」


「椋、大丈夫よ。まだこれからよっ」


杏は力強く意気込む。


「あたしたちが楽しそうにやってれば、他のみんなも一緒にやってくれるわよ。そうやって、最後にはみんなでできれば、いいじゃない」


「そう、だね…」


藤林は、少し歯切れが悪い。人数が集まっていない、と言っていた。それが彼女に影を落としているのだろう。


「そりゃ、この時期だし、受験勉強しなきゃいけないのは、わかるけど、ね…」


杏は物憂げに目を細めて呟く。


この学校だ。県内でも有数の進学校。


「でも、他に、楽しいことがあっても、いいじゃない。勉強するためだけに、学校通ってるわけじゃないし」


俺は杏の横顔を見る。


彼女の表情に決意を見る。


楽しいことを求め…小さな輪を、大きく広げようとしていた。


その姿は、俺たちの部活に似た輝きを持っていた。




…だが。


俺は、前回を回想する。


…かつて、俺が三年生だった頃の創立者祭。


あの時。


自分のクラスからも、杏のクラスからも…出し物なんて、なかったはず、だった。





135


旧校舎に入り、三階へ。


図書室を目指す。


休み時間はそんな長くはない。俺たちの歩みは急ぎ足だった。


「で、あいつになんて言うんだ? 邪魔だから出てってくれってか?」


「別にそこまでは言わないわよ。ただ、場所使うけど気にしないでね、ってだけよ」


「はい、ちょっと騒がしくなっちゃうかもしれませんけど…」


どれだけ騒がしくなろうと、いったん文字を追い始めたら騒音なんて関係ないだろう。


むしろ問題は、人がいることに気兼ねして出て行ってしまう可能性だ。


だが、いつまでもひとり図書室にこもっているわけにはいかない。ことみが人の気配を避けるか、否か、その判断がどう出るかは俺も気になるところだった。


…俺はことみを部活に誘おうとしている。その見通しを立てるちょうどいい試金石になるだろう。


「ていうか、もう創立者祭までそこまで日はないだろ。喫茶店って、結構準備大変だろ」


「普通ならね。でも、あたしたちにそんな抜かりがあると思う?」


「…」


藤林にはあると思うけど、杏にそういう隙はないよな。


「…今、あんた失礼なこと考えなかった?」


目を細める杏。


「いや、なんも」


彼女の直感は、双子の妹のに関するものも通じるらしかった。


「あの、チームリーダーという形でもう選出してある人がいるんです」


「そ。料理チーム、小道具チーム、大道具チームって感じね」


「ふぅん」


「ちなみに、制服はメイド風よ」


「あ、そう」


「なによ、つまんない反応ね」


「大喜びしろってか?」


「そんなリアクションだったら、うわコイツ、キモ…って感じね」


「どっちにしろ、はずれじゃねぇかっ」


「あの、それで、男子はタキシードになるんです。レンタルのあてがあったので…」


藤林が話をそらすようにそう言う。


「へぇ、そうか」


「もうあんたも人数に入ってるんだから、キリキリ働きなさい」


「おい、俺部活あるって知ってるだろ」


「ずっと付きっ切りってわけじゃないでしょ。ていうか、無理して時間作ってこっちも手伝いなさい。今の見通しでも、ギリギリなんだから」


「ギリギリっていうか、今日の集まりによっては無理かもしれないですけど…」


「だからあんたは、馬車馬のように働きなさい。五人分くらい」


「無茶言うなっ」


「いてくれるだけ、いてくれるだけでいいんですっ」


藤林が慌ててフォローする。


「いてくれるって…」


俺がいても、正直、空気を乱すだけのような気がする。


「椋、あんた積極的ね…」


「あ、ち、違うのっ」


姉妹は、小声でなにやら話している。


「…おい、着いたぞ」


話していると、いつの間にか。


三階の端。図書室の扉の前。


「あの子、中にいる?」


「どうかな」


言いながら、引き戸を開ける。


するすると、開く。


「いるみたいだな」


「それじゃ、さっさと話をつけましょう」


「普通に入ってもいいんですか?」


「ああ、ていうかあいつだって勝手に入ってるようなもんだし」


「そうですね、ずっと開放されてるわけじゃないですし…」


口々に話しながら、図書室に足を踏み入れる。





136


しん、とした空気。


俺にとっては、馴染みのものだった。


「なによ。いないじゃない」


「いや、いる」


たしかに、人影は見えない。


だが、隅のほう、いつものように窓がひとつ開いている。


風が入りこみ、カーテンが揺れている。


いつもの場所。


俺が歩き始めると、戸惑いがちに、姉妹の足音も続いた。


「あ」


「ああ…」


そして、近づき、座り込んで本を読んでいる彼女の姿を見ると、得心した、というように声を漏らす。


「ことみ」


「一ノ瀬さん」


両者とも、名を呼ぶが…反応はない。


「ちょっと、聞いてるの?」


「本に集中して、聞こえてないんだ」


「…すごいです、集中力、さすがですね」


藤林は、ぽかんとして、信じられないようにことみを見ていた。


たしかに、並じゃない。


「ことみっ」


杏はもう一度呼ぶが、やはり、相変わらず分厚いハードカバーから目を離さない。


ぐりんぐりんとことみの瞳が揺れている。


「朋也、この子の頭はたいていい?」


「お姉ちゃんっ?」


「冗談よ、冗談」


「多分、はたいても意味ないぞ」


「さすが、全国トップの天才ね…」


呆れたような視線をことみに向ける。


そして、その視線を動かして俺に向けた。


「で、どうすればこの子、あたしたちに気が付くの?」


ちらり、と再び視線を移す。


俺もその視線を追う。時計を見る。休み時間は半分を過ぎたところ。時間がない。


「ちゃん付けで呼ぶんだ」


「…は?」


杏は、阿呆を見るような視線で俺を見た。


「いや、俺もわからないけど、そう呼ぶと気が付くんだよ」


「わけ、わからないわね…でも、時間ないし」


杏は一息つく。


「ことみちゃんっ」


ことみに顔を寄せて、名を呼んだ。


「…」


「…」


ぱらり。


「…」


「…」


ぱらり。


「朋也っ、よくもあたしを騙してくれたわねっ!」


「ぐぁっ、ちょっ…」


鋭く迫ってきた杏に首を絞められる。


「お、お姉ちゃん、岡崎くんが死んじゃうっ」


「こんなんじゃ、死なないわよっ。でも死ぬ手前までいきなさいっ」


「…っ、おいコラ!」


杏の腕を取って、振りほどく。


「てめぇ、マジでしめてきやがったな!」


「あたしがすっごい馬鹿みたいだったじゃないの!」


「知るかっ」


しかし、おかしいな。


前にことみちゃんで気が付いたことがあったけど、あれはたまたまだったのか?


俺はしゃがみこんで、ことみに向き合う。


「おーい、ことみちゃーん」


呼びかけてみる。


すると。


「朋也くん…」


夢から覚めるように、ことみが顔を上げた。


しっとりした彼女の瞳に、なんとなくどぎまぎしてしまった。


「…って、なんで朋也の時だけ?」


「いや、知るかよ」


杏の言うとおり、わけがわからなかった。


「あ」


ことみの視線が、藤林姉妹に向いた。


「杏ちゃん」


「うん」


「こんにちは」


座った状態のまま、ぺこりと頭を下げる。素足の太ももが眩しい。


「あぁ、うん」


杏は拍子抜けしたように曖昧に頷く。


「椋ちゃんも、こんにちは」


「はい、おじゃましてます」


とんちんかんなのか正しいのかよくわからない挨拶をして、藤林も頭を下げる。


「みんなで、どうしたの?」


首をかしげて、聞いた。


そこまで杏と藤林に過剰反応ということもない。一度一緒に食事してるから、ある程度は耐性がついているのだろうか。


「ちょっと図書室を貸してもらおうと思って、言いにきたのよ」


「はい、私たち、六時間目に…」


彼女らがことみに説明を始める。


先ほど俺が聞いたのと同じ話だ。



…。



「うん、わかったの」


ことみは別に、気にしない風に同意した。


まぁ事後承諾というか、拒否できない話ではある。ことみが図書室に居座っているのは、特にどこからか許可を貰っているわけでもないのだし。


「そ」


「ありがとう」


藤林姉妹は笑顔を見せる。


「ほら、やっぱりいいって言うじゃない」


「でも、言っておかないと迷惑だよ」


「そうだけど、ね」


「ことみ、おまえ六時間目はどうするんだ?」


「えぇと…」


水を向けると、彼女は考え込む。


「授業とか」


「今日は、いなくても大丈夫だけど…みんな来るなら…」


微妙な答えだった。


「じゃ、どうするつもりだ?」


「えぇと、それじゃあ、おさんぽの時間にするの」


「ふぅん…」


散歩か。教室で授業を受ける気はないのか。


「散歩するくらいなら、あんたも六時間目、一緒に出る? 飛び入りは歓迎よ」


にっこりと杏が笑う。


「あ、そうですね。もしよければ」


「えぇと…」


誘われてしまい、ことみは困ったように視線を俺に向けた。


「好きにすればいいよ」


俺は、そう言う。


正直、ことみを部活に誘いたいので、彼女らの喫茶店の話に首を突っ込んでそっちに時間をとられるのは好ましくはない。


だがそれは、あくまでも歌劇部としての視点からの意見。


ただ実際、ことみが色々な方面から学校にかかわっていくのは、いいことだとも思う。


肯定はしづらいが、否定もできない。


「朋也くんも、出るの?」


「まぁな」


「それなら、うん」


「…なんか、参加する動機が釈然としないけど、よろしくね」


杏はしかめっ面で笑っていた。器用な顔芸にも見える。


藤林は、俺たちをわたわたと交互に見ている。変な勘違いをされているかもしれない。


…されても仕方がない場面かもしれないが。


「一ノ瀬さんも、その、一緒にがんばりましょう」


「…ことみちゃん」


「え?」


「呼ぶときは、ことみちゃん」


「…ことみちゃん」


ことみに促されるまま、彼女の名を呼ぶ藤林。


「うん」


「…よろしく」


「よろしくなの」


ふたりは穏やかに笑い合う。意外に、悪い組み合わせではないのかもしれないな、とそれを見て思う。


と、そこで、チャイムの音が響いた。


反射的に、時計を見てしまう。


「…うわ、やばっ」


鳴り終わると、杏は目が覚めたように扉に向かって走る。


だが、この三階から一階まで降りて、また新校舎の三階まで登る…次の授業に遅刻するのは、絶望的だった。


「ほら、早く行くわよっ」


「あ、う、うん!」


「ああ。ことみ、じゃぁな」


「うん。またね」


ことみは手を振る。


「六時間目、よろしくね」


「ことみっ、それじゃぁねっ!」


ことみは微笑んで手を振っている。


俺たちは騒がしく図書室を出て行く。



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