folks‐lore 4/22



132


教室に入ると、前のほうの一角に人だかりができていた。


なんだ、ありゃ…?


疑問には思うが、そこまで興味はわかない。


視線だけ、そちらにちらちらと送りながら席につくと、その中からひとり、女子生徒か抜け出てくる。


「朋也、おはよ」


杏だった。


「ああ、おはよ」


「あんた、ほんと、どうしたの? 別人?」


「なにがだよ」


「椋から聞いてるわよ。最近は、朝は全然遅刻しなくなったらしいじゃない」


「妹が起こしにくるんだよ。だから付き合いで一緒に登校してる」


「妹、ねぇ…」


杏は目を細めて俺を見る。


「んだよ、なんか文句あるのかよ」


「別にないわよ。あんたが妹思いなのは傍から見てればよぉくわかるからね〜」


ニヤリ、という笑いが不気味ではある。


俺と風子の関係を、そういや杏はまだまだ納得はしてくれないらしい。そりゃ、仕方がないかとも思うが。


「…あの集団はなんなんだ?」


話をそらそうと、俺はさっきまで杏も混じっていた集団に目を向ける。


「あぁ、椋の占いよ」


「藤林の…?」


よくよく目を凝らすが…人が多くて、藤林の姿は見えない。大した人気だった。


「あいつの占い、そんな人気なのか?」


「知らなかったの? よく『当たる』って、評判なのよ」


「『逆に当たる』の間違いだろ…」


「あぁ、あんたも知ってたの」


「まぁな。昨日占ってもらって、痛い目を見た」


「そうなの。ご愁傷様〜」


へらへら笑いながら言う。


「で、なに占ってもらったの? 彼女ができますように、とか?」


「そんなんじゃねぇ」


「ふぅん」


「部活がうまくいきますように、だ」


「そう、なの」


言うと、杏の目が動揺したように泳いだ。


彼女の視線は教室を蛇行しながらぐるりと回り、再び俺へと戻ってくる。


その時には、既に視線はいつもの不敵さを取り戻していた。


「聞いたわよ」


「なにをだよ」


「あんたの黒い噂」


「…」


俺はため息をつく。


杏は交友関係が広い。知っていてもおかしくはないだろう。


「…朝は、渚も一緒なんでしょ」


「あぁ、知ってるのか」


「うん…。最初、あの子、坂を登れなかったんでしょ」


「ああ」


あの子とか言うけど、一応渚は年上だからな。いや、だが、渚はそう扱われるのは望まない、か。


「今もなの?」


「さて、どうかな…」


杏の問いに、はぐらかすようにそう言ってしまう。だが実際、どうなのだろう?


渚のこの学校への悲観は、今はそれほどではないと思うけれど。


「ま、背中を押すくらいなら、いいかなって思ってさ」


「最初は、そうかもね。でも、それで、副部長にまでなる?」


「…」


彼女のその口調は思ったよりも強い調子で、俺は少しだけたじろいだ。


「ま、あんたが困ってるのを見るとほっとけない性格なのは、知ってるけどね」


「いや、俺はそんなキャラじゃないだろ」


「はぁ…」


自覚がないのね、と杏は小さく呟く。


俺はそれを問い詰めようと思ったが、続く彼女の言葉に反論は潰されていた。


「いい噂と悪い噂、両方聞くわよ。なにやってるの?」


「…悪い噂はなにかわかるんだけど、いい噂って、なんだよ」


「悪い噂と真逆なんだけどね。あんたが合唱部の女の子を会長から守ったって話」


「…」


あの場にいたのは、俺と仁科と智代と会長。さて、誰が発信源だ…?


「ま、あたしは褒めてあげてもいいけどね。会長嫌いだし。喜びなさい」


「おまえのためじゃねぇよ」


「合唱部の子のため?」


「…まさか」


俺は、鼻で笑う。まさか。


「自分のためだ。いつまでもだらけてるわけにもいかないし」


「ふぅん、心境の変化? 渚を見たから?」


「さぁ、な」


渚のおかげなのは、たしかに間違いないだろう。


以前も、俺は渚に癒されていた。


学校を忌み嫌い、部活を厭い、他の生徒から離れて、ずるずると決断を先延ばしにしていた。


そんな俺を、救い上げてくれたのが、かつて、渚だった。他の何者も、俺を癒すことはなかった。


「ていうか、おまえも悪い噂は信じてない?」


今までの口ぶりから、悪い噂を信じているような嫌悪感は感じない。


「え? 違うの?」


くりんと目をむく。妹と同じような反応だった。さすが双子だなと思うと少しおかしい。


「いや、そうだけど」


「ま、そうよね。あんたがそんなことやってたら、友達やめてるわ」


「友達?」


「うん」


杏がにっこりと、賭け値なしの笑顔を俺に向ける。


「友達という名の、主従関係だけど」


「それは友達じゃないっ」


いじめっ子の理論っぽいぞ、それっ。


杏は楽しそうに笑っている…。


予習をしていたらしき前の男子が迷惑そうに振り返ったが、すぐに前を向いた。


「でも、あんたが部活なんて、意外ね」


「そうか? けっこう楽しいぜ」


「へぇ…」


杏は、口の端をゆがめるように笑って、視線をついっと外に移す。


空、雲、風。


「ま、そうかもしれないわね。楽しいことは、まだまだあるはずだしね…」


呟くような言葉は、彼女に似合わないほど、物憂げだった。


「…杏?」


「なんでもないわ。じゃぁねっ…あ、あと、今日の六時間目は出なさいよっ」


「…六時間目?」


「ロングホームルーム」


不適に笑ってそう言うと、颯爽と身を翻して再び藤林を囲んでいるという集団の中に入っていった。


俺はしばらく、彼女の後姿を眺めていた。





133


一時間目が終わり、俺は教室を抜け出した。


風子は朝イチ、まずはヒトデ作りをやると言っていた。


でも、どこでやってるかは聞いていないな…。


まあ、資料室か部室だろう。


どちらにせよ、旧校舎。


智代に見つかったらまた連れ戻されそうだ、あたりを警戒しながら歩く。


移動教室や気晴らしに教室に出たものや、他の教室に顔を出すものなど、生徒の間をすり抜けて廊下を抜けていく。


途中、時折、奇異な視線を向けられるのは、俺の噂を聞いているからなのだろうか。


旧校舎の片隅へ。


もはやあたりに人はない。資料室へ。



…。



がらり、と引き戸を開ける。


「…」


「…」


俺の予想は、こうだった。


誰もいないか、風子がいるか、宮沢がいるか、あるいは両人ともがいるか、だ。


四択。


だが、そういえば、もうひとつ、可能性はあったのだった。


宮沢のお友達だろう…俺は、ごつい男と、正面から向き合うことになっていた。


「てめぇ、この学校の者か…?」


威嚇するように目を細めて、俺を見た。


「制服、きてるだろ」


「この場所になんの用だ?」


「ここの生徒が、ここに来ても問題はないだろ?」


「そういうことじゃねぇ」


飄々と話をかわそうとするが、相手に引く気はないようだった。


前回の学校生活、宮沢と喋っている時に不良たちが訪ねてくることがあった。


そういう時は宮沢がとりなし、俺しかいない時などは、さっさと帰っていくのが常だった。


また別の展開の今回、違和感を感じたが…すぐに、わかる。


かつて、俺に突っかかってこなかったのは、俺が宮沢の知り合いだと知っていたからだ。


だから今回、初めて見る男(俺)が資料室に当然のように来ているから、相手はこれほど警戒しているのだろう。


もしかしたら、他校の生徒が侵入しているのを告げ口するかもしれない、などと思われているかもしれない。


「別に、妹を探しに来ただけだ」


宮沢に会いにきたわけではない、と伝える。


「そうかよ…」


相変わらず友好的とは言えないが、少しは警戒レベルを下げてくれた様子だった。


「悪い、邪魔したな」


とりあえず風子はいないようだった。俺はきびすを返す。


「いや、待て」


だが、制止の声がかかった。


呼び止められるとは思っていなかったから、俺は少し目を開いて男を見た。


目を細めて俺を見ている。値踏みされているような感覚。


男の瞳は、妙に大人びて見えた。澄みも濁りもない深み。しばし目線を合わせていると、すぐにその静謐は崩れて、困惑したように俺を見る。


「おまえ、名前は?」


「岡崎朋也」


「そうか…」


男は目を閉じた。眉間に皺がよる。不機嫌だから、というよりも変に力んでしまっているという感じ。


「おまえが、あの岡崎朋也か…」


「俺のこと、知っているのか?」


今度は、俺の眉間に皺がよる。


深夜徘徊はたしかにしていたが、その中で誰かと触れ合うというのはなかった。


弁当屋のオバちゃんとは顔見知りになって少しは話をしていたが、同年代の人間とは姿を見ても顔も合わせなかった。


「ゆきねぇに聞いたからな」


「ああ、そうか」


すぐ納得する。部活に入って、そのあたりを話すときに名前でも出たのだろう。


「ミステリアスな人、って聞いたけどな」


「はぁ…?」


俺は困惑して、男を見る。男も同様、困った表情だった。


「いや、あいつが言ったんだよ。おまえのこと、ミステリアスだって」


「俺がミステリアス? どこが?」


「俺が知るかよっ。全然ミステリアスじゃねぇよっ」


まあ、俺もそう思うが、正面切って言われると妙に腹が立つよな。


しかし、宮沢の俺への評価は『ミステリアス』だったのか…。


なんか不思議な評価だった。


「あぁ、あと…」


男は言いかけて…


「いや、なんでもねぇ」


「なんだよ、気になるだろ」


「大したことじゃない」


「言いかけてやめるって、男らしくないぞ」


「んだとコラァ! ゆきねぇがおまえのことちょっと兄貴に似てるって言ったんだよっ」


あっさりと口を滑らせる男。


「へぇ、あいつ、兄貴いたのか」


「…あっ、くそ、ちっ、どうだかな」


男は不機嫌そうに鼻を鳴らす。


そう思うと、たしかにそんな感じかもしれない。


というか…


もともと、宮沢が俺と風子の擬似兄妹関係を提案したことを思い出す。


宮沢には兄貴がいて、その辺りがこの話の伏線になっていたのだろうか。


「もういいか?」


「ああ」


お互い、これ以上話すことはなかった。


「あ、お待たせしましたー」


そこへ、宮沢が現れる。


「朋也さん?」


「よぉ。ちょっと風子を探しにきたんだけどな。じゃあ、また」


「はい、それでは」


宮沢はにっこり笑うと胸の前で小さく手を振った。


小さく笑ってそれに答え、資料室を出る。


あの男は、宮沢の客としてきていたのだろうか。


閉めた引き戸の向こうからかすかに話し声が聞こえる…。



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