folks‐lore 4/21



125


突然現れたガラの悪い風体の春原。


部員たちは、ほとんどみんな、ぽかんとして春原を見ている。


「あのっ、はじめましてっ」


すぐに反応するのは、渚。


ぱっと立ち上がり、頭を下げた。


「わたし、歌劇部の部長で、古河渚っていいます。岡崎さんには、すごく、お世話になってますっ」


「あ、そう…?」


威圧的な態度だったが、渚はまったく気にした様子もなく、春原は拍子抜けした表情。


視線を動かすと、仁科と杉坂は警戒するように春原を見ているが…宮沢と風子はそうでもない。


ま、風子は前に会っているし、宮沢はもっと怖ーいお友達がいるし。


「春原さん、ですか。前に、お名前を聞いたことがあります」


宮沢が、春原の顔を見つめてにっこり笑う。


「ははっ、ま、僕たち親友だから、話の流れで名前が出てくることはあるだろうね」


「はい。たしか、鼻からうどんを食べられる、と伺いましたが」


「「するかっ!」」


俺と春原が、同時にツッコミを入れた。


「ああ、すみません…それは別の方の特技でした」


…宮沢は天然だった!


というか、鼻からうどん食う奴…いるのかよ!?


そっちが驚きだった。


「はぁ、なんか、調子狂うな…」


言いながら、頭をかいた。


春原からすれば、忌まわしい部活の妨害みたいなつもりでこの輪に顔を突っ込んだのだろう。


だが、普通の生徒みたいに不良だからとむやみに恐れたりする様子はない。


仁科と杉坂はかなり警戒した様子だが、目立ってないし、春原の視界にもあまり入っていないようだった。


それに、合唱部組も俺たちのアホな会話で、多少は張り詰めた雰囲気がなくなっている。


「あの…」


「なんだい?」


風子がじっと春原を見ていた。


「また蹴られたんですか?」


「岡崎僕のことどう話してるのっ?」


「あるがままに」


「どこがだよっ」


「自然体のおまえの話、大受けだぜ?」


「明らかに蹴られて空、飛んでるだろっ」


「…くすくすっ」


宮沢や仁科が控えめに笑っている…。


「あの、春原さん」


「なに?」


渚が、真剣な表情で春原を見つめた。


「もし、よろしければ…わたしたちと一緒に、部活をやりませんかっ?」


唐突な言葉だが…喋っている俺たちを見るうち、勧誘してみようと思ったのだろうか。


渚は、そう言った。


春原の表情が、さっと強張るのがわかる。


目を細めて、部員の面々を見やる。


「僕は…部活なんて、やらないよ」


「え…」


急に声のトーンが下がった春原に、渚は戸惑うような視線を送る。


春原はさっと目線をずらして、呟くように言う。


「そんな忌まわしいもの、絶対にね。岡崎は、嫌ってたけど、なんでかやろうって思ったみたいだけどね」


「忌まわしい…?」


渚の視線が、俺のほうを向いた。だが何も言えない。


「僕らにはもう縁のないものだと、思ってたけど…そんなの、勝手にやってればいいよ」


最後の言葉は、俺に向けられていた。


「こないだだって、言ったけど」


「なんだよ」


「いつまでも、このままじゃあいられねぇだろ」


「…」


「…」


俺と春原の交錯した視線は、どちらともなく外された。


春原は何も言わず、さっさと早足に立ち去る。


俺たちは無言でその後姿を見ていた。






126


「あいつは、昔、特待生できたサッカー部だったんだよ」


重く垂れ込めた沈黙を振り払うよう、俺は言う。


「だけど、ケンカして問題起こして、結局部活を止めることになったんだ」


「そんなことが…」


渚は、春原が去っていったほうを見る。放課後、時折生徒が通りかかる廊下。


「だから、あいつは部活を嫌ってるんだよ。別に、この部が嫌いってわけじゃない。だから、気にするな」


「ですけど、岡崎さん…あの人の口ぶりですと…」


仁科が気まずげに、だけど迷わず、俺を見る。


「岡崎さんも、同じだった、ということですよね?」


「…」


春原は言った。


僕らには、縁がないものだと思っていた…と。僕ら、それは、俺と春原だ。


俺たちは部活を忌避していた。受け入れるにはあまりにも苦い記憶。


「岡崎さんも、その…」


「大したことじゃない」


俺は、仁科の言葉を塞ぐように言っていた。仁科ははっとして口をつぐんでしまい、俺は少し申し訳なく思う。


「…俺は、昔バスケをやってたんだよ。その推薦で、この学校に入った」


少女らが俺を見ている視線を感じる。


「だけど、怪我して続けられなくなったんだよ。それで、落ちこぼれて…俺と春原は不良だって、言われてる」


「怪我を、して…」


仁科が、悲痛な表情で俺を見ていた。よく見ると、隣、杉坂も唇をかみしめて俺を見ている。


…なにか、彼女らの心の琴線に触れる話でも、あったのだろうか。


「岡崎さんは、どうして…また、部活をしようって思ったんですか?」


渚が聞いた。


俺がどうして部活をしようとしているか。先日宮沢にも聞かれて、結局答えていない質問。


「…さっきも、あいつに、言ったけど」


そういえば、俺はどうして、かつて演劇部に入ったのだろう…。


俺も春原も、同様に嫌っていた部活。


「いつまでも、このままじゃいられないからな。それに…」


俺と春原は、どうして渚に手を貸したのだろうか。


それは…


「渚。おまえが俺に、少し似てたからだと思う」


それが、理由だったのではないだろうか。


「一回、どうしようもなくなって、さ。だけど、おまえは、俺と違って前に進もうとしてたから…多分、だからだよ」


渚の夢、演劇部。


彼女は、届かぬ夢に、必死に手を伸ばしていた。追いかけていた。


…それは、俺も春原も、しなかったっことだった。できなかった、ことだった。


だから、俺は、そして春原は…。


「…そうなんですか」


渚は顔を伏せて、ぎゅっと拳を握った。


「そう、なんですね…」


呟いて、目を閉じて、念じるように握った拳を胸に当てた。


渚の夢は、俺の夢でもあるのだ。


「…わたし、春原さんにも、部活に入ってほしいです」


ぽつりと、渚は呟く。


「きっと、部活が大好きだったんだと思います。わたしたちが、その代わりになれるかはわからないですけど…」


俺と春原は、似ている。そして渚も、俺と似ている。


…渚と、春原。ふたりも、きっと、立場はほとんど変わらないのだ。


春原の心情を、多少なりとも理解はできるのだろう。


そして、今いる春原のその居場所が、留まっていい場所ではないことも、わかるのだろう。


「…わたし、一緒に、がんばりたいです」


「ですけど、部活動のことを嫌ってる様子でしたね」


「ああ。俺が言っても、聞かなかったし」


宮沢の言葉に答える。


「なにか、きっかけが必要でしょうか?」


「だよなぁ…」


俺としては、芽衣ちゃんに期待、というところ。


「それでしたら…」


渚が、部員を見回す。


「春原さんに、わたしたちの演劇を見てもらうというのは、どうでしょうか?」


「え…」


「あ、すみません、仁科さんと杉坂さんは、お忙しいと思うんですけどっ」


「芝居か…」


俺は呟く。


春原を観客に、劇を演じること。


たしかに、本番前に一度。練習としてもいいかもしれないな、と思う。


「いえ、私たちも協力します。部員集めも必要ですし…それに、同じ歌劇部の部員ですから」


ね、と仁科は杉坂を見る。


「はい。私たちも協力します。あんまり、力になれることはないですけど」


「いえ…ありがとうございますっ」


渚は、ぺこりと頭を下げる。


「お芝居って、演目はあるんですか?」


あんまり準備の時間もないですよね、とまっとうな問題を提示する宮沢。


「あ、実はわたし…やってみたいお話があるんです」


そう言って、渚は再び、舞台のあらすじを語る。冬の日の、悲しい物語だ。



…。



「なるほど…」


話を聞いて、宮沢はうんうんと頷く。


「基本的には、一人語りなんですね」


「はい」


「それじゃ、渚さんの練習と、あとは脚本ですね」


「おにぃちゃんがそういうの得意です」


「え、おいっ」


風子はちらりと俺を見て、小声で言う。


「岡崎さん、渚さんの劇を見たことあるんですから、がんばってください」


「マジかよ…」


「朋也さん、得意なんですか?」


「得意じゃねぇけど、やってはみるよ…。というか、ひとりじゃ不安だからさ、宮沢もそのあたり手伝ってくれ」


「はい、もちろんです」


宮沢はにこりと笑う。頼もしい奴だった。


「私たちは何をしましょう?」


仁科が聞く。


「あ、最後に歌があるって言ってましたよね。その歌のところとか、選曲とかなら。それにりえちゃん、クラシックにすごく詳しいですから、他の場面もBGMとかできますよ。CDもいっぱい持ってますし」


杉坂は仁科のマネージャーみたいだな…。


「うん、あらすじでイメージは伝わったから…」


仁科は杉坂に頷く。そして、再び渚を向いた。


「そういえば、最後に歌う歌って、決まってるんですか?」


「はい」


渚は、頷く。


にっこりと笑った。


「どんな曲ですか?」


「やっぱり、歌謡曲とかだと醒めちゃいますかね」


「物語の最後の場面ですし…」


「幻想的な雰囲気ですから、それを壊さないようにしないといけないですから」


「そうですね…」


「だんご大家族です」



…。



口々に喋っていた宮沢、仁科、杉坂の動きが固まった。


体の位置はそのままに、顔だけ、渚に向けた。


「え…?」というような、戸惑った瞳だった。


「だんご大家族です」


渚がもう一度そう言い…


ずるぅぅーーっ! と彼女らはその場で滑っていた。


「先輩、ちょ、ちょっと待ってくださいっ」


「あの、だんご大家族ですか?」


「少し前にはやった、あれですよね…?」


「はい、そうです」


渚はそう言うと、だんご、だんご…と出だしのメロディーを口ずさむ。


それを見る、表情…。俺は噴出しそうになるのを必死でこらえた。


「そうですね、それでは、最後にみんなでだんご大家族を歌うというのはどうでしょうか?」


渚の中では、最後の歌がだんごというのは決定事項のようで、他の部員の様子を気にせず続ける。


それは、超笑える情景だった。


「それじゃ、こういうことだ」


俺はこらえようがなく笑いながら、言う。


「最後のシーンになったら、全員で合唱な」


そういえば、かつての演劇の発表でも、渚が突然だんご大家族を歌いだした時は観客が呆然としていたっけ。


「…っていうか、シュールすぎですっ。なんでその選曲なんですかっ」


杉坂が鋭くツッコミを入れた。


「はい、だんご大家族は、日本人だったら誰でも知ってる国民的キャラクターです」


動じず、説明する渚。


「百人家族なんて、とても賑やかで、すごく楽しそうです。家族で出かけたら、大変なことになると思います。ですが、だんご大家族は…」


「ストーーーップ」


長くなりそうなので、止める。


「…つまり、渚さんはだんご大家族が好きなんですね?」


苦笑いで、宮沢が聞いた。


「はい、初めて聞いたときから大ファンです」


だんごのファンという奇特な演劇部長が、ここにはいた。


「あの、ダメでしょうか…?」


「わたしはいいと思いますよ」


「私も…古河さんがいいなら」


「本番ではないですし、私も反対はしません」


「だんごのところをヒトデにかえたら、もっといいと思います」


「…ダメですっ」


「ヒトデ大家族だったら、きっともっと素敵です。右を向いても左を向いても……ふぁ〜…」


風子は、とても素敵なことを考えているようだった。


「岡崎さんは、どう思いますか?」


「あぁ、俺もいいと思うよ。とにかく今は、さっさと脚本書かないといけないし」


「はい」


「っていうか、実際いつ春原に劇を見せるんだ?」


「はい、えぇと…今週中だと、ダメでしょうか?」


「…」


今週中。そうなると、さすがにかなり時間がない。


だがそれ以上伸ばしても、今度は創立者祭まで時間がない。


なんとかやるしかないか。


それに、脚本の仕上がったところから練習をしていけば、なんとか時間は間に合うだろう。


もともとそんな長い劇でもない。形にするだけなら、大体は覚えているしできるだろう。


詳しいところは渚と詰めたり、宮沢たちに協力をあおいで細かな訂正を入れればいい。


「…やるしかないな」


「…はいっ」


渚と頷きあう。


歩き出したのだ。歩き続けるしかない。少なくとも今のところは、立ち止まっている余裕なんてなかった。



…。



それから、あれこれと脚本の構築を話し合う。仁科と杉坂も、彼女らには関係ない話とも言えるのだが、付き合ってくれていた。


やがて下校時間になり、俺たちは各々カバンを手に取り、席を立つ。


「あの…」


「ん?」


いつの間にか、傍らに仁科。伺うように俺を見上げていた。


「どうした」


「さっきの古河さんと一緒に、演劇部をつくろうと思った、という話ですけど…」


「それがどうかしたのか?」


「古河さんが…岡崎さんに、似ていたんですね」


「あぁ、そうだな。俺は、もうバスケなんてできないからな…でも、あいつはまだこれから頑張れるからな」


「おふたりは、まだ知り合ったばかりだと聞いたんですけど、どういういきさつがあって古河さんの演劇部の事を聞いたんですか?」


やけに興味しんしんだった。別に隠すことではない。


俺はありのまま、一週間前、坂の下の出会いを話す。


「…だから、まあ偶然といえば偶然だな」


個人的には、一度目の出会いは偶然だけど、二度目の出会いは必然だろうと思ってはいる。だが、そんなところまで話しても仕方がない。


「偶然、ですか」


「ああ」


「…」


「…」


仁科は、じっと黙り込んだ。


「どうした?」


「いえ、あの、もし、ですけど…」


仁科は落ち着きなく辺りをきょろきょろと見渡しながら、言葉を続ける。


「その時偶然出会っていたのが私だったら、岡崎さんは、同じように私と…合唱部をつくろうって、思ったと思いますか?」


「…」


俺は、何も言えなくなって、仁科の横顔を見つめた。


気まずげにそっぽを向く横顔。


瞳だけが、ちらりとこちらを向いて、慌てたようにくりくりと動いていた。


…なんだって?


あの時に出会っていたのが、仁科だったら?


そんなの、仮定であっても、考えが及ばない。それほどに、自分の中で強く強く完結している風景。


だが…。


俺は想像する。


仁科がひとり、あの坂の下に立つ後姿を。


彼女の背中が近くに迫り、俺は、その姿に声をかける…。



…。



次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ。


…言葉が、思い出された。


あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか? 違うだろ。


俺はその言葉に、覚えがある。


一週間前、渚に言った言葉? いや、違う。


二度目の出会いに話した言葉は、もう少し、違うものだった。


でも俺は、この言葉に覚えがある。


いつだったか、俺はこの言葉を口にしたことがある。


「すみません、変なこと言ってしまって」


「…」


次の楽しいこと。


そうだ、俺は、まったく別の可能性を選ぶことだって、あったのかもしれないのだ。


だが、そんな未来があることさえ、想像ができない。


「あまり、気にしないでください。なんでも、ないですから」


虚ろになった視界の中で、仁科が気まずげに笑っているのが見えるような気がする。



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