118
二時間目が終わった。
「藤林」
俺は彼女のそばまで言って、名を呼ぶ。
「え、は、はいっ」
藤林はびっくり、俺を見る。
「次サボるから」
「はいっ……え?」
「じゃあな」
「あ、お、岡崎くんっ」
ひらりと手を振りそれに応える。教室を後にした。
…。
休み時間で混み合う廊下をするりと歩く。
さて、図書室に行くか、資料室に行くか、部室に行くか。
どうしようかと考えながら、ひとまず旧校舎に向かう。。
「岡崎っ」
「ん?」
突然声をかけられて、ぽかんと辺りを見回すと、智代が何人かの女子生徒と一緒に向こうから歩いてくるのが見えた。
旧校舎でやった移動教室の授業の帰りのようだった。
「こんなところで、どうした」
立ち止まって、話しかけてくる。
智代の周りの女子生徒は、少し距離をとって、興味深そうにこちらを見ていた。
…なんだか、居心地が悪い。
「ん、ああ、ちょっとな」
「次が移動教室なのか?」
サボろうとしていたのだが、そんなことを言ったら面倒ごとになるのは目に見えていた。
「ああ、まあな」
「それにしては、何も持っていないだろ」
「…」
「…」
黙って、見詰め合った。
ふいに、智代が俺の腕を掴む。
「おい、なんだよっ」
「お前は、もう少し真面目に授業に出ろ」
…バレバレのようだった。
「すまない、私はこいつを教室に連れて行く」
智代が他の女子に言う。
その姿を見て、女生徒らはにっこりと笑った。
「坂上さん、教科書は持っていくね」
「ああ、すまない」
「ううん、いいよ」
「それじゃ、いくぞ」
「んな、引っ張るなっ」
ぐいぐいと、連れられていく。
後方を見ると、後輩の女子たちがこっちを見て楽しそうに笑っているのが見えた。
なんか、恥ずかしいな…。
「おい、付いてくから、離せよ」
「そうしたら、逃げるだろう」
「ちっ…」
連行されていく。
…。
「あっ…」
「ん?」
向かいから、歩いてくるのは…宮沢。
「朋也さん。坂上さん。どうしたんですか?」
「ああ、こいつが授業をサボろうとしていたんだ。それで、教室に連れて行くところだ」
智代が説明する。
「いちいち言うなよっ」
そんな俺たちを見て、宮沢がくすくすと笑った。
「そうなんですか。おかしいですね」
あぁ、そう…。
「あの、先日きちんとご挨拶できなかったんですけど…坂上智代さんですよね」
「ああ、そうだが」
「そうですかっ」
ぱーぱっかぱー、と笑って、ぽんと手を打つ宮沢。
「あの、有名な坂上さんですかっ」
「…宮沢、だったか。その有名っていうのは、どういうことだ?」
「はい、噂はよく聞いていました。その足技は、闇夜を切り裂く、と…」
「…ここでも、そんなに有名人なのかっ。それに、なんだ、その恥ずかしい呼ばれ方は」
宮沢の言葉に、盛大に顔をしかめた。
「姿を消したと、聞いていましたが…」
「うん、それは、もう昔のことなんだ」
「そうなんですね、わかりました」
「それにしても、あなたみたいな人も、知っているのか」
「いえ、わたしはたまたまですから」
「それなら、いいけどな」
憂鬱そうに、肩をすくめる。
昔荒れていた、という噂だ。だが、この学校だとそういうタイプの噂はそんな広まってはいない気もする。
「大丈夫、基本、知らない奴ばっかだろ」
「ああ…」
智代はひとつ、息をついた。
「宮沢、それじゃあな」
「はい。朋也さん、またお昼に」
「ああ…」
宮沢がぺこりと礼をする。
引っ張られながら、後ろを振り返る。
宮沢は…まだこっちを見ていた。いいから、早く、行ってくれっ。
…。
「ん?」
「あ?」
向かいから、歩いてくるのは…担任。
「岡崎、と、坂上か…。おまえら、知り合いだったのか?」
「あぁ、いや…」
俺は気まずげに顔を背ける。
「坂上、こいつがなにかしたか?」
「授業をサボろうとしていたから、教室に連れて帰るところだ」
「そうか、悪いな」
そう言われて、担任教師はニヤッと笑う。
「岡崎も、さすがに坂上には敵わないか」
「うるせぇよっ」
「ほら、行くぞ」
「おい、んな引っ張るなよっ」
「坂上、頼んだぞ」
智代は担任に頷くと、歩き出す。俺は、引きずられるように後に続く。
後ろを見てみる。
ニヤニヤ笑いながら、担任がこっちを見ていた。早く、行っちまえっ。
…。
「あっ…」
「ん?」
とたとた、と駆け寄ってくるのは…風子。
「岡崎さん、何やっているんですか?」
「見りゃ、わかるだろ」
「ケードロでしょうか?」
「そんな楽しそうに見えるのかよっ」
「あなたは、伊吹だったか」
「はい、風子です」
女子ふたりが見つめあう。
風子は、少し、迷ったような素振りをする。
「あの…」
「うん、どうした」
「よろしければ、これをどうぞ」
そして、ヒトデを差し出した。
「これは…?」
「とっても可愛いものです」
「私に、か?」
「はい。どうぞ」
ぐっ、と、智代に渡そうとする。
智代は戸惑うように風子を見ていた。
「こういうのは、貰わないようにしているんだがな…」
「嫌じゃなければ、貰ってやってくれよ」
俺が言うと、一層困惑した表情を俺に向けた。
「一体、なんなんだ?」
「全校生徒に配っている、プレゼントだ」
しかしこいつ、いつの間にか、配り始めていたんだな。たしかに数はまあまあ揃ってきている。手伝ってやりたいところだが、あいにく今は…文字通り、手が塞がっている。
「全校生徒に、か。そうか…それなら、ありがたく受け取っておく」
「はい、ありがたがってください」
俺を掴んだ手はそのまま、智代は空いた手でヒトデを持つ。
「ありがとうございます。よろしければ、ぎゅっと、胸の前で持ってください」
「うん、こうか…?」
智代は、ぎゅっと、言われたとおりに持つ。
「ふぁ〜…」
それを見て、風子は…行ってしまった……。
「岡崎、この子はどうしたんだ?」
再び困惑した表情を、俺に向けた。
「こいつ、可愛いものを見るとこうなっちゃうんだ。気にするな」
「可愛いもの、か」
「ああ」
「それは、私のことなのか…?」
「え?」
俺は智代を見る。
少しだけ、頬を染めて、目線をそらせていた。
「…あ、ああ、そうかな」
「そうなのか…」
ぐい、と手を引っ張られる。俺は連行されていく。
「岡崎は、私を可愛いと言ってくれるんだな…」
「えっ…」
俺は、智代の横顔を見る。
智代はちらりと俺に目線をやると、前を向いた。そして、ずんずん歩く。
俺は、なぜか視線をそらせてしまい、後方を見た。
いまだトリップしている風子の姿が、向こうに見えた。
…。
「あ」
「え?」
向こうから、歩いてくるのは…ことみ。
何冊か、本を手に持っていた。これから図書室に行くところなのだろうか。
「朋也くん、こんにちは」
「ああ…よぉ」
片手を挙げる。
「…どうしたの?」
智代に連行される俺を見て、首をかしげた。
「あぁ、ちょっとな…」
「岡崎が、授業をサボろうとしていたんだ。それで、連れ帰っているところだ」
なんか、出来の悪い子供みたいに扱われている。
「朋也くん、今日は、来れないの?」
「ああ、ちょっとな…」
「…どういうことだ?」
目を細めて、俺たちを見る。
「あ、えっと、えっと…」
「あなたも、いつも授業をサボっているのか?」
「…いじめる? いじめる?」
ことみは涙目になっていた。
「智代、こいつは特別なんだよ」
「?」
「こいつが、一ノ瀬ことみだ。ことみ、挨拶」
「朋也くん、こんにちは」
ぺこりとお辞儀をする。…俺に。
「よし、つかみはオッケー、次は本番だ」
「はじめまして、こんにちは」
智代に挨拶。
こいつもいい加減、息ぴったりになってきてるよな…。
「…あなたが、一ノ瀬ことみさんか」
納得したように、智代が言う。にっこり笑って、それでことみも少し安心したように微笑んだ。
「なるほど。色々、噂は聞いている。今度、あなたとも話してみたいな」
「えっと…うん」
「ただ、今日は急いでいるんだ、すまないが」
「ううん、大丈夫」
「ああ、自己紹介が遅れたな。私は、坂上智代だ」
「…智代ちゃん」
ことみの言葉に、智代は一瞬、ぽかんとしたが…すぐに、微笑む。
「うん、よろしく」
「よろしくお願いします」
笑い合った。
「智代ちゃんは、朋也くんの、お友達?」
「ああ」
「って、即答かよ」
「違うのか?」
不思議そうに聞かれる。
「いや、いいよ、友達だ」
「…そうなんだ」
俺たちの様子を、しげしげと眺めることみ。
「うん。それじゃ、一ノ瀬さん、また」
「うん、またね」
…引っ張られていく。
俺は後ろを振り返る。
ことみが、はにかんで、手を振っていた。
あぁ、そして、図書室が、遠のいていく…。
…。
「あ」
「あ」
「ん?」
前方から、歩いてくるのは…仁科と杉坂。
「岡崎さん、どうしたんですか?」
仁科がゆるく首をかしげて、聞いた。長い髪が、しっとりと肩にかかる。
「あぁ、ちょっと…」
「サボろうとしていたんだ」
「言うなよっ」
「本当のことだろ」
そりゃ、そうなんだけど。
「ああ、そうなんですね…」
「そんなところですね」
仁科は苦笑い。杉坂はふん、と鼻を鳴らす。
「おふたりとも、仲がいいんですね」
「りえちゃん、これは仲がいいって言うよりも、迷惑かけてるって感じよ」
「ほっとけよ…」
「ああ。まったく、世話がかかる奴だ」
「智代、おまえは、もうちょっと先輩として敬えよな」
「敬うべきところは敬うようにしている。授業にちゃんと出てから言え」
「ほんと、そうよ」
「岡崎さん、授業、がんばってください」
「あぁ、わかったよ…」
俺の立場は低いようだった。
「先輩、私たちの副部長なんですから、もっとしっかりしてください」
「ほっとけ、これが俺だ」
「岡崎さん、威張って言っちゃダメですよ」
仁科が楽しそうに笑っている。
「坂上さん、すみません、副部長をお願いします」
「ああ、わかった」
「岡崎さん、また昼休みに」
「ああ…」
「行くぞ」
「へいへい…」
引っ張られて行く。
振り返ると、彼女らは肩を寄せ合ってなにやら話しつつ、こちらを見つめているのが見えた。ちょっと、やめてほしい。
…。
「岡崎さん」
「渚?」
向こうからやってくるのは…渚。
「坂上さんも、どうしたんですか?」
「ああ、岡崎が、授業をサボろうとしてたのを見たからな。連れてきた」
「そうなんですか…。岡崎さんっ」
「う…」
咎めるような視線。
「授業をサボったら、ダメです」
「わかったよ…」
そう言うしかない。
「授業も、ちゃんと聞けば楽しいです」
「うん、そうだぞ」
「…」
なんだよ、この三者面談。
「そりゃ、わかれば楽しいかもしれないけど、わからないんだからしょうがないだろ」
「最初は、なんだって辛い。それを乗り越えると、楽しくなるぞ」
「はい、わたしもそう思います」
「古河さんからも、もっと言ってやってほしい」
「はい、わかりました」
にこ、と笑い合うふたり。そんなところで、意思疎通しないでほしい。
「岡崎さん、ちゃんと授業に出てくれますか?」
「わかったって。出るよ」
「はい」
渚は安心したように笑う。
「きちんと出ないと…留年、してしまいますっ」
「…ブラックジョーク!?」
渚が言うと、マジ笑えなかった。
渚は、照れたように笑っていた。隣で智代は首をかしげていたが。
「それじゃ、古河さん、またな」
「あ、はい。岡崎さんを、よろしくお願いします」
「うん」
「別に、ちゃんと出るよ、もう離せよ」
「ダメです」
「教室まで、連れて行くからな」
「…」
「坂上さん、岡崎さんのクラス知ってますか?」
「ああ、知らないんだ」
「D組です」
「わかった。ありがとう」
「いえ」
笑い合うふたり。
…引っ張られる、俺。
俺は後ろを振り返る。
渚は、一瞬咎めるように俺を見て…すぐに笑顔で、手を振った。
…。
「あ」
「ん?」
手前から歩いてくるのは…杏。
「朋也っ」
「杏」
なんか、知り合いによく会うな…。しかも、こんな情けない姿を見られて。
「あんた…ら、なにしてるの?」
訝しげに俺を見て、その視線を、ついっと智代に動かす。
「こいつが、授業をサボろうとしていたから、連れてきたんだ」
飽きもせず、きちんと説明する智代。
「ふぅん…」
杏は目を細めて、俺たちを見比べた。
「あなた、初めて会うわね」
「うん。私は、坂上智代だ」
「藤林杏よ」
「そうか、それではな」
「ちょっと、待ちなさい」
杏の横をすり抜けようとするが、俺の空いてる手を掴まれた。
右手に、智代。左手に、杏。
「なんだ、急いでいるんだが。もう休み時間が終わるからな」
「少しは、時間あるでしょ」
「…」
前門の、後門の、という故事成語を思い出す。
ついでに両手に花、という言葉も思い出したが…すぐに否定、否定。
「こいつと、どんな関係なの?」
「私たちは、友人だ」
「初めて見るわね」
「この間、会ったばかりだからな」
「へぇ」
「あなたこそ、岡崎とはどんな関係なんだ」
「友人よ」
「そうか」
「あんたより、付き合い長いけどねっ」
「どうして、そんなに突っかかってくるんだ…」
「別にそんなことないわよっ。ていうか、後はあたしが連れてくから、あんたはもういいでしょっ」
ぐい、と引っ張られる。
「そういうわけにはいかない。ここまで連れてきたんだ、教室まで行くつもりだ」
智代も、俺を引っ張る。
「もう休み時間も終わりでしょっ。さっさと教室に戻りなさいっ。あたしは、教室隣だから問題ないわよ」
さらに引っ張る、杏。
「まだ、少しは時間があるだろう?」
ぐい、と智代。
そろそろ、痛い。
「…意趣返しのつもり?」
「そういうつもりじゃない」
智代は困惑した表情だったが、ふいに、納得したように再び杏を見つめた。
「あなたは…」
「なによ」
「もしや、あなたは岡崎のことが好きなのか?」
「はっ?」
杏は、射抜くような目を、ぱっと、智代に向けて、ちらりと俺を見て、顔が見る見る赤くなっていった。
「なっ、そっ…、そんなわけないでしょっ、ばかばかしいっ」
一言一言、切るように、気まずげに、言う。
そしてちら、ちらと俺と智代を交互に見る。
…なんだか、居心地悪い気分になる、俺。微妙な反応に、胸がむずむずした。
「もう、いいわよっ、あんたは、次の授業に遅刻でもすればいいわっ」
ばっ、と髪をはためかせて背中を見せて、俺の手を離した。
ずんずん、歩いていく。
「岡崎、行こう。遅刻するぞ」
「あぁ…」
俺は、ちらりと、後ろを見る。
肩を怒らせて歩く後姿が、見えた。
…。
「岡崎は」
「なんだよ」
「女子の知り合いが多いんだな」
「そういうわけじゃねぇよ。たまたま会っただけだ」
「うん、そうだな」
ぎゅ、と強く手を握られる。お互いの手は汗ばんでいる。
「そういえば、あいつはどうした?」
「あいつ?」
「あの、金髪だ」
「ああ、春原ね」
「うん。一緒じゃないのか?」
「あいつは、今日まだ来てねぇよ」
「体調でも悪いのか?」
「いや、サボり」
「サボり…?」
剣呑な視線を、俺に向ける。
「いつもそうなんだよ。気分で登校してきてる」
「なんだって」
「そういう奴なんだよ」
「…家は遠いのか?」
「誰の?」
「あの馬鹿だ」
「遠いも何も、あいつは寮生だから、すぐそこだ」
「そうか、よしっ」
意気込む、智代がいた。
…俺は、猛烈に、嫌な予感がする。
反射的に腕を振り払おうとするが、無理だった。
「岡崎、あいつを呼びに行くぞ」
「マジで?」
「ああ。今からじゃ、無理かな…」
「そりゃな」
休み時間も終わろうとしていた。
「よし、昼休みになっても来なかったら、行こう」
「は?」
「教室に行くから、待っていてくれ」
「俺も?」
「俺も、もなにも、私はあいつの部屋がどこかなんて知らない」
「寮母に聞けよ」
「美佐枝さんか。そんな迷惑はかけたくない」
「俺なら、いいのかよ」
「あいつとは友達なんだろう?」
「まあな…」
「また、迎えに行く。待っていてくれ」
「…」
拒否権はないようだった。
「あぁ、わかったよ」
「うん」
…。
そして、ずっと手を繋ぎ、かなりの数の生徒に目撃され、ほとんどの知り合いに目撃され、俺は自分の教室にたどり着く。
「それじゃ、昼休みにな」
「ああ…」
智代は、片手を挙げて、去っていく。
俺はため息をひとつついて、自分の席に戻った。
席について、外を見る。次は、物理か…。
「あのっ」
ぼけっとしていると、傍らに、藤林。
「岡崎くん」
「ああ…」
しばし、見つめあう。
「…その、おかえりなさい」
「…ただいま」
そうして、俺たちは、曖昧な微笑をかわした。