folks‐lore 4/21



116


教室で一人、頬杖をついて外を見る。雲の多い青空。ゆっくり風に吹かれ、雲が流れている。


今日は何をすべきだろうか。部員の勧誘、そして発表する演劇の詰めもしておきたい。だが、これから部員が増えていく予定なのだ。これから加わるであろう部員を差し置いて、あまり話を進めすぎるのもよくないような気がする。


…これから加わる、部員、ねぇ。


あと五人。


指折り数える。


知り合いで暇そうな奴、ねぇ。


ことみ。春原。…。


そこまでで、止まってしまう。俺はため息をついた。


そう。これが悩みだった。元々大所帯を想定していなかった。


そりゃ、なりふり構わずがんばってやろうという思いもある。


だが…あと五人?


頭が痛くなってくる。


合唱部の連中がどれだけ部員を増やすか。それに賭けるか。


あるいは…


俺は藤林姉妹のことを思い出す。が、すぐに打ち消した。


かつて、休み時間までかじりつくように勉強している姿を俺は覚えていた。


俺は、その姿を見てやはりこいつらもこの学校の生徒なのだと思ったりもしていた。


その時は冷めた目線でもあったが、今からちゃんと考えれば、自分の夢に向かって努力していたことなのだろうと納得できる。


横から顔を出して、その時間を奪っていこうとするなんてできそうもない。


自分たちの夢が、あいつらの夢を奪ってしまう? そんな揉め事は、合唱部とやりあうだけでもう十分だった。


ほかに、知り合い?


智代を思い浮かべる。が、すぐに否定する。絶対無理だな。


風子について考える。搦め手だ。


他に、知り合いなんていたっけ?


正直、名前を覚えている生徒なんてそれで全部だった。自分の持つ人脈の細さに笑えるほどむなしくなってくる。


かつて、渚が演劇部募集のビラを書いた。


ああした、不特定多数に訴えかけるような方法しかないだろうか。


しかし、生徒会に睨まれないようにそんなことができるのか。そもそも、あの時は誰一人部活説明会の場には来なかった。


渚たちは、これから始まる部活に希望を持っているだろうか。いや、部長はそれでいいかもしれない。


しかし俺は、延々と思い悩んでしまう。


部員数。その壁は、かなり厚い壁だった。






117


一時間目が終わった。


なんとなく、ことみに会いに行こうかと、ふらりと教室を出ようとする。


ぎゅっ…


制服の裾が、つままれた。


「あのっ、岡崎くんっ」


「…おう」


藤林だった。


「えぇと、授業に出ないと、大変なことになりますっ」


「…」


俺はまじまじと彼女の顔を見つめてしまう。


じっと見られて、恥ずかしそうに顔を背けた。


「ですので、そのっ…」


ごにょごにょと、口ごもる。


毎日毎日、よくも飽きもせずこっちを気にかけてくれているものだと思う。


毎度毎度、それを振り払ってどこかに行ってしまう俺もどうかと思うけど。


俺は苦笑する。


今日は、それほど確たる用事があってどこかに行こうというわけでもない。


渚、風子、仁科には昼は一緒に、と約束を取り付けてあった。


仁科は杉坂を誘うだろうし、後は宮沢を呼べば部員全員集合だ。風子は部員じゃないが。


宮沢は、休み時間じゃないと会えないし。それに呼び出すのは風子に任せてある。


昼にあれこれ相談したいことはあるし、それはいい。


だが、こんな大所帯になるのではことみは呼べないよな。でもあいつ、昼飯きっと用意してるよな。


四時間目あたり、いつもみたいに風子も交えて図書室で飯を食おう。


そんなことを考えながら、いつも迷惑をかけているし、今は藤林の顔を立てようと決める。


「わかった」


「…え?」


不安げに、俺を見上げた。


「授業に出るよ」


「ほんとですか…?」


なんだかんだかわして逃げていたからか、まだ訝しげに俺の制服をつまんだ手を離さない。


「本当」


そう言って、くるりと彼女に向き直ると、ふわりと指が離される。


「あっ、ありがとうございますっ」


安心したように、表情が緩んだ。


別に俺は何もしていないのだが、そんな顔を見ると、なんだかいいことをしたような気分になるから、不思議だ。


そこに…


「おめでとう!」


「ついにやったわねっ」


藤林の周りを、同じクラスの女子たちが囲んだ。


こいつら、仲いいよな…。


アホみたいにそれを眺めつつ思う。


「あ、ありがとう、みんな」


「これが三度目の正直ね」


「今まで、頑張ったかいがあったね〜」


「掴んだその手を、離しちゃダメよ!」


きゃいきゃいと騒いでいる…。


俺にとっては昔過ぎてよくは覚えていないが、藤林が委員長に選ばれたときの状況は、おそらく、大体こんなノリだったんだろうな…。


「岡崎くん、ありがとう」


女子の間を縫って、再び俺の前にやって来て藤林。


「いや、授業出るだけだし」


「そうね」


「たしかに」


「むしろ、気にかけてくれる椋ちゃんに感謝しないとね」


「お幸せに!」


「…」


周りをよく知らない女に囲まれ、やたらツッコミをいれられるこの状況は地獄だ。


そして一人、変な方向に先走っている。おまえ、こないだもそんなノリだったよな、と言いたかったが、ろくでもない反撃が返ってくるのはわかっていたので、こらえる。


「ですけど、私、嬉しいです…」


藤林の笑顔だけが、救いだった。


俺も小さく頷いて、女生徒を断ち割って自分の席に戻る。


それだけで、随分疲れた。


「ふぅ…」


「あの、岡崎くん」


一息ついて顔を上げると、藤林は傍らについてきていた。他の女子は、遠巻きに静観。


「なに」


「ぁの、その…先週…」


言いよどむ。


「演劇部が…って、聞いたので」


「…どんな話?」


「下級生に、部の設立のことで…」


「…」


その話か。合唱部の設立に横槍を入れる演劇部の暗躍。昨日春原が言っていたような話だろう。


ある程度は噂になっている、というのは予想していた。だが、藤林も知っているか。思ったより、大きな話になっているのかもしれない。


そして今、合唱部が演劇部と共にあることは、どう見えるのだろうか。


和解、などと考えてくれる奴はあまりいない気がする。融合、というのが状況としては近いのだが、外からは併合に見えているかもしれない。そういう意味からも状況は暗い。


「その噂は、違う」


「…」


「別に、こっちがなにかしてるわけじゃない。お互いにやりたいことがあって、衝突はしたけど、今は一緒の部になって、仲間みたいなもんだよ」


言いながら…俺がこんなこと喋っても、意味はないのではないかと考える。


おそらく俺は加害者に見えて、その言葉は空虚に響いてしまう。取り繕っているように思われる。


それが、俺の立場だった。ひどい立場だ。


「そうなんですか」


藤林は、そう言う。


「よかったです」


そう言う。そう言って…笑った。


俺は彼女の表情を見て、信じられないような気持ちになる。藤林は、安心したように、笑っていた。


「藤林」


「はい?」


「こんな話、信じるのか?」


「え…、違うんですか?」


彼女の表情が、悲しそうに歪んだ。


「いや、ほんとだけどさ。傍から見たらこっちが悪者みたいになってるじゃん。俺のこと、信じるのか?」


「はい、信じますけど…」


どうしてこんな追及を受けるのかわからない、というように曖昧に頷く。


「いかにもありそうって聞こえない?」


「どうしてですか?」


びっくりしたように俺を見た。


「岡崎くんは、そんなことする人じゃないと思います。絶対に。だって、ずっと見てましたから」


「そうか…」


そんなことする人じゃない。そんな言葉が胸に広がり、じんわりと温かくなる。


俺は、小さな輪から始めようと思っていた。だけどやはり、周りにどう見えるのか、気にならないわけにはいかない。


周りの反応が冷ややかであれば、小さな輪は固まって、より小さく縮こまって、そうしたら、自然消滅しかないのではないかと思っていた。


だけど、周りには信じてくれている奴もいたのだ。藤林。それは一筋の、光明だった。


「あ、わ、私、今…すごいことを…」


胸を渦巻く喜びに、彼女を見ていると、藤林はなぜか顔を赤くしてキョドっていた。


「ありがと」


「えぇっ、えっと、そのっ」


顔を伏せてしまう。


「…合唱部と一緒に、部活を作ったんだ。二つの部をあわせて、歌劇部。今はちゃんとあいつらとも話して、揉めてるわけじゃないんだ」


「そうなんですか」


顔を上げて、ちらちら、とこちらを見る。


「あ、あの…」


「?」


「よろしければ…これからのこと、占ってみますか?」


ポケットからトランプを取り出した。


「マジで?」


「はい」


「じゃ、頼むよ」


「何を占いましょう?」


「そうだな…じゃ、今日、新しい部員が見つかるかで」


「わかりました」


頷くと、トランプをくる。


シュッ…シュッ…シュッ…


そして、扇状に開いて、俺に裏を向けて差し出してきた。


「あの、どうぞ」


「一枚選べと?」


「あ…三枚です」


「ああ」


適当に、左、真ん中、右から一枚ずつ取ってみる。


「で、どうだ?」


その三枚を机の上に並べて、尋ねる。



ハートの七。


ハートの一。


クローバーの五。



「なるほど…」


藤林は、難しい顔で考え込む。


「その、歌劇部の部員は何人ですか?」


「今は五人」


「なるほど…」


言いながら、三枚を並び替えた。


「あ、すごいです」


にこ、と笑った。


「岡崎くん、今日、部員が見つかりますっ」


「えっ…」


「見てください。クローバーの五が今の部員を表しています。五人ですから。ハートの一が、部に入ってくれる人です。その間に、ハートの七。ハートですし、ラッキーセブンです。きっと、素敵な方が、気持ちよく入部してくれますっ」


「えっ…」


「あ、もうそろそろ、授業始まっちゃいますね。それじゃ」


手早くカードを片付けて、ぺこりと礼して、自分の席に帰っていく…。


俺は呆然とその後姿を眺めている…。


ちょっと待て。


藤林の占い、だよな。


あの占いって、たしか逆に当たるんだよな。


俺、今、今日部員が見つかるって言われたよな。


つまり…


「岡崎君、強く生きなさい」


遠巻きに見ていた藤林の友達が、通り際に声をかけていく。


「椋ちゃんは、悪気はないのよ」


「大丈夫、明日があるよ〜」


「元気出して、岡崎君。今、太陽の塔みたいな顔してるわよ」


「してねぇっ。つーか、どんな顔だ!」


彼女らの背中にツッコミを入れるが、無視だった。


がっくり脱力して、息をつく。




「岡崎、おまえこんな時期に部活かよ。お気楽だな…って、うぉ、大丈夫か?」


前の席の男が振り返り、鼻で笑おうとして…心配してくれた。


「ああ、大丈夫だぜ」


「そうは見えねぇよ…」


俺は今日、徒労を積み重ねなくてはならないのだ。そう考えると、マジ憂鬱だった。


ただでさえ八方ふさがりだったのに、最後に上から天井が落ちてきた、という感じだ。


男子生徒は、自分のカバンをあさると、飴玉を一つ取り出す。


「これ、やるよ」


「あん?」


「ほら」


からん、と音がして飴玉が机の上に転がった。元気を出せということか。


「飴ちゃんだ」


「別に、心配いらねぇよ」


「まあ、いいじゃん」


たしかに、困るというわけでもない。俺は飴玉をポケットにしまう。


「悪いな」


「…今、舐めないのかよっ」


「授業始まるだろ」


「おまえがそんなまともなこと言うのかよ…」


「つーか、飴なんて持ち歩いてるの?」


「だって、男のたしなみだろ」


当然のように言われる。言っとくけど、むしろそれ、女のたしなみだ。


「お菓子一杯持ってるって、なんか、誘拐犯みたいだな」


「…俺はロリコンじゃないっ」


「誰もロリコンなんて言ってないだろ…」


「く、くそっ。おまえなんて、心配して損したぜ」


顔をしかめ、前に向き直りながら、言う。


「せいぜい、部活でもがんばってりゃいいさ。今より落ちこぼれることなんてないだろ」


「…ああ、存分にがんばるさ」


「…」


男子生徒がちらりと俺を振り返る。一瞬、視線が交錯する。


「…ふん」


小さく鼻を鳴らし、前を向くと、次の授業の準備を始めた。


もう、俺に興味はなさそうだった。


俺は背もたれに体重を預けて、外を見た。


…そうさ。


俺は、せいぜい、頑張るさ。


それ以外にやることはないのだからな。


やがて、教師が入ってくる。授業が始まる。


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