folks‐lore 4/21



114


月曜日…。


目が覚めて、俺はしばし、そのまま、天井を見ていた。


もはや見慣れた、俺の部屋。


一週間、経った。


たった、一週間。思い返す、色々なことがあった。先週の末、やっと部活が始動した。


創立者祭は、五月十一日。それは、はるか未来というわけではない。


一日一人、などという簡単なペースで部員が見つかれば万々歳だろうが、そううまくもいかないだろう。


とにかくまずは、声をかけて、今の小さな輪を広げていくしかない。


俺は体を起こす。


もう十分休んだ、また一週間、やるべきことをやらねばならない。


こんな、忙しく、思い出が何でもかんでもきらめいている日々。そんな日々が、あったのだ。そしてそれを今俺は、手にしているのだ。


立ち上がる。今日は何をしようかと、あれこれと思いをはせる。





115


風子を起こし、朝食をとり、家を出る。


今朝は結局、親父と顔を合わせることがなかった。


家にはいるが、風子がいるからなんとなく引っ込んでいるのだろうか、とも思う。たしかに親父からしたら風子は完全に部外者で、自堕落な姿はどうしても見せづらいかもしれない。


たらたらと風子と雑談しながら歩いていると…


「お、岡崎さんっ」


「?」


後ろから、聞き覚えのある声が、俺の名を呼んだ。


振り返ると…


「あぁ、仁科。おはよ」


先日から仲間に加わった下級生が、少し緊張した面持ちで立っていた。


俺が挨拶を返すと、安心したように表情を緩めて、風子の逆側、俺の左手に並んだ。


「伊吹さん、おはようございます」


「はい、おはようございます」


風子に対し、仁科はにっこりと柔和に笑う。俺に対する表情とはまた違った。


いや、そもそも、俺はそれなりに悪名ばかり高い不良なのだ。


仁科の反応は、ある種、一般的な生徒のリアクションなのかもしれない。


ま、忌避されるよりはましかもな、とポジティブに考えることにした。多少含みはあるにせよ、彼女なりに俺と向き合ってくれているのだ。それは、感謝すべきところだ。


「あの、岡崎さん」


とたとたと俺の隣を歩きつつ、伺うようにこちらを見上げる仁科。


「私たちの、合唱部のことなんですけど」


「それが?」


「その、ええと…まだ部員は揃ってないんですけど、いくつか、合唱曲を考えてましてっ」


ぱっと顔を赤くして、慌てて喋る。


そんな焦らなくても…。


俺はできるだけ、優しげな顔をすることにする。といっても鏡なんてないし、あくまでも心もち、というくらいだが。


「その、岡崎さんの意見も、伺っていいですか?」


「…え? 俺の?」


ぽかんと、仁科を見てしまう。彼女は恥ずかしげに顔を伏せた。


「はい。忙しいなら、無理してということでもないんですけど」


「いや、そんなことはないんだけど…」


「スタンダードなものがいいか、ちょっと珍しいものにするか、杉坂さんと話してるんです。どちらもやってみたくって…」


「ふぅん…」


相槌を打つが、あまり音楽に詳しいわけではない。


「おまえらって、合唱の経験あるの?」


「あ、ええと…」


仁科は気まずげに、笑った。


「ちょっと、勉強はしているんですけど…」


つまり、未経験者の二人組、ということ。


俺はなんだか笑ってしまう。演劇部のこっちと同じような状況だ。


「あの、私なにかっ」


「ああ、悪い、ちょっとな。俺たちも、実は演劇の経験ないんだよ」


「そうなんですか…。似たもの同士、なんですね」


仁科はにっこりと笑った。


昨日までのぎくしゃくした雰囲気は随分緩和されていた。


そうだ、俺たちは、似たもの同士だった。だから、手を取り合えれば、こんな心強い味方もいないはずだった。


「俺だって、合唱のことはさっぱりわからないな。風子は?」


「マイナーなものがいいと思います。なんとなくですが」


自信満々に適当な助言だった。


「むしろ、有名なののほうが教科書みたいなのがたくさんあってやりやすい、なんてことはある?」


「いえ、譜面と、CDがあれば大丈夫です。創立者祭まであまり時間もないので、テキストがいくつかあっても吟味する時間はちょっと…」


「ああ、たしかに」


それをいうなら、演劇のこちらは更に状況は差し迫っているよな…。


「なら、単純に好きな曲でいいじゃん」


「それがたくさんあって、困っているんです…」


「そりゃ、幸せな悩みだな」


「よろしければ、一緒に選んでくださいっ」


「いいけど」


「…おにぃちゃん、演劇部を忘れてないですか?」


「そっちだってやるさ」


「そうですか」


風子が隣で、ふん、と鼻を鳴らす。


「合唱のほうにかかりきりにならなければ、いいですけど」


「伊吹さん、妹さんなんですか? でも…」


仁科が戸惑ったような目線を俺に向けた。苗字が違う、ということだろう。


「ああ、妹みたいなもんだけどさ。こいつは親戚なんだ。幼馴染っていうか」


「あ、そうなんですね」


さらりと言うと、仁科も自然に受け入れる。


「伊吹さん、うらやましいです」


仁科はにっこり風子を見る。


「私も、お兄ちゃんみたいな人がほしかったですから」


「…」


風子は微妙な視線を俺に向ける。


こいつ兄じゃないけれど、とでも言いたげな(まあ、そうなのだが)視線だった。


だが風子も慣れたもので、同じくさらりと嘘をつく。


「そんな、いいものじゃないです」


「そんなこと言いながら、一緒に登校するくらい仲がいいのに」


仁科は楽しそうに笑った。


彼女の目からだと、なんだかんだ俺たちは違和感なく見えているようだった。


素直に信じてくれているのを見ると、ちょっと罪悪感が募るが…。


「そちらの演劇は、なにをやるか決まっているんですか?」


「渚は、もうやりたい演目があるって言ってた」


「そうなんですか。そうですよね、やりたいことがあるから、部を作ろうって思ったんですよね」


「ま、そうかな」



…。



話しながら歩いていき、学生寮を通り過ぎ、坂の下まで来る。


「岡崎さん、ふぅちゃん…仁科さんっ」


俺たちの姿を見て、渚がぱたぱたと走り寄ってくる。


「おはようございますっ」


「おはよ」


「おはようございます」


「おはようございますっ」


挨拶する。


「さっき一緒になったんだ」


仁科のほうを見て言う。


「そうなんですか」


「古河先輩、今日から、よろしくお願いします」


「いえ、こちらこそ、よろしくお願いします」


ふたり、顔を見合わせて笑い合う。


そんな情景は、初めて見るもので、胸のうちに奇妙な感傷がこみ上げる。


…そうだ、俺たちは、笑い合うことだって、できたのだ。ほんの少し、歩むレールが違っていれば、以前も同じ道を辿っていたのかもしれない。


「放課後、まずは勧誘ですよね」


渚が伺うように俺に聞く。


「そのつもりだ」


「先輩方は、どういう風に勧誘していきますか?」


「まずは知り合いを攻める」


「…三年生ですか?」


訝しげな顔をする仁科。たしかに、まともな三年はいまさら部活を始めようなんて奇特なことを考えるはずがない。


だが…


「ああ、三年生だ」


俺はそう答える。


奇特な三年生に、心当たりがあった。


頭の中、部員候補者を何人か並べてみる。まだ、挙げることはできる、という状況だ。実際入ってくれるかはわからない。期待と不安がないまぜになって首をもたげる。


「そういうそっちは、今日はどうするんだ」


「杉坂さんと、まずは相談してみます。この間みたいなやり方は、もうできないですから」


たしかに、片っ端から声をかけるというのでは、また生徒会に呼び出しをくらうだろう。


特に俺たちは会長の心証は最悪だろうし、面倒なことになりそうだった。


「そうだな、まずは知り合いとか」


言いながら、部に入っていない奴には大抵当たっているだろうなとも思う。


「同じ奴に声かけるにせよ、今度は演劇部もアリだとか言ってさ」


「はい、そうですね。岡崎さんも、お知り合いに合唱部もアリだって誘ってくださいね」


そう言って、仁科はいたずらっぽく笑う。


俺たちの先行きは明るくはないが、こうして喋っていられれば、なんだか、なんとかなるのではないかという気もしてくるのが、不思議だった。






115


四人、坂を登っていく。


その途中…


一人の女生徒が、立ち止まって桜の木を見上げていた。


智代だった。


桜は完全に散ってしまっている。散ってくすんだ桜の花も、先日の雨でほとんど流されてしまったのか、片付けられたのか、今は数日前の雰囲気もない。


「あ…」


その姿を見て、声を上げたのは誰だっただろうか。


俺たちは、自然、智代のほうへ寄っていく。


「智代」


「ん、ああ…」


声をかけると、ぼうっと葉桜を見ていた視線を俺たちに向けた。


「どうかしたのか」


「桜を見ていたんだ」


彼女の視線の先を見る。


何の変哲もない、桜だ。


「なにか珍しいものでもあるのか?」


「ああ、いや…もう、散ってしまったと思ってな」


「こないだまで、咲いてただろ。けっこう持ったほうだと思うぜ」


「うん…」


「来年になれば、また見れるだろ」


「…うん。そうだな」


智代は口元をゆがめて頷いた。いつもの、涼しい笑みではなくて、ほんの少し違和感。


「坂上さん、おはようございますっ」


話の間隙を縫って、渚が頭を下げる。


「古河さん、おはよう」


今度はいつもの微笑み。


「この間は、ありがとうございました」


「いや、私は何もしていない」


ちらりと俺に目を向ける。


「岡崎に助けられた礼を返しただけだ」


「そんな、大したものじゃないだろ」


「あの、私からも、ありがとうございます。合唱部が、活動できるのはそのおかげですから」


「ああ…。私も、創立者祭には両方の発表を見に行こう」


両方の部の発表をするためには、まだまだ壁がそびえていることは智代は知っている。


言外に、部員集めをがんばれと言うことだろう。


仁科もその意味を感じたようで、神妙に頷く。


「そして、風子からも、ありがとうございます」


風子はなぜか、尻馬にのって礼を言っていた。わけがわからん。


「ああ、いや…」


智代は戸惑うような、くすぐったそうな笑みを浮かべた。


「行こうぜ」


俺は声をかける。差し迫っていると言うこともないが、悠長に立ち止まっている場合でもない。


歩き出すと、他の少女らもそれに続いた。


ひょい、と隣に風子が並ぶ。後ろで、三人の少女らがなにやら話しているのが聞こえる。




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