folks‐lore 4/20



112


「もしもし」


『はい』


「えぇと、岡崎といいますが」


『はい、こんにちは。えぇと、父にでしょうか?』


「いや、君に」


『…はい?』


訝しげな声が、受話器の先から聞こえた。そりゃそうかもな。


はるか先の北の地で、受話器を握る芽衣ちゃんの姿を思い浮かべる。


彼女が出てくれたのはラッキーだった。親御さんだったら、繋いでもらえない可能性もあるし…そもそも今日は日曜だ、出かけているという可能性だってあった。


「えぇと、だな」


『はい…』


「俺は、春原の友達だ」


『…おにいちゃんの?』


「そう」


『…おにいちゃんに、なにかあったんですかっ』


言葉の端に、焦りが見えた。


「いや、なにもないけど」


『あ…そうですか』


恥ずかしそうに、小声になった。兄貴思いの、いい子だった。俺の妹にしたいくらいだ。


「ただ、ちょっと、色々あってさ」


『はぁ…』


訝しげな声音は変わらない。見ず知らずの人間が声を掛けているようなものだ。警戒心があるのは仕方がないだろう。


「君さ、春原と連絡取ってる?」


『時々ですけど…。あ、わたし、芽衣っていいます』


「ああ、ごめん、俺は岡崎朋也」


『岡崎さん』


「ああ」


『それで、ですね。時々話はしていますが、それがなにか…?』


「ああ、あいつ、サッカー部クビになっただろ」


『そうですね…。元気にやってる、とは聞いてるんですけど』


「それ嘘」


『えぇっ…!? 嘘ですかっ』


「ああ、あいつ、強がってるんじゃないか」


『はぁ…やっぱり』


ため息をつく。しっかり者のその顔が、呆れたようにぱさぱさするのが目に浮かぶ。


「俺もあいつと同じでさ、そういう繋がりがあって仲良くなったんだけど」


『そうなんですか。兄がいつもお世話になってます』


「ああ、そんな大したものじゃないけどさ」


『兄は、あの、最近どんな感じですか?』


「…うーん」


『えぇっ、そんな酷いんですかっ?』


「ああ、そういうわけじゃない…というかちょっと君の力を借りたくて」


『わたしの、ですか』


「ああ、実は、あいつを部活に誘おうと思ってるんだよ」


俺は事情を説明する。




春原の怠惰を、部活に入れて改善できないか、という話。


実際は渚の手助け、それに創立者祭の発表に向けての人員増強という側面も大いにあるのだが、その辺は長くなるので割愛。


『…おにいちゃん、岡崎さんみたいな友達がいてくれて幸せですね』


「いや、そんないいものじゃないんだけどさ…。でも、あいつは多分俺の話は聞いてくれないんだよ」


『どうしてですか?』


「あいつが、部活を嫌ってるから」


『あ…』


「だから、なんとかあいつを説得できないかな? 多分、芽衣ちゃんじゃなきゃできないと思うんだ」


『なんで、わたしがですか?』


「そりゃ…あいつがいつも、君のことを話してるからだ」


さらりと嘘をつく俺。


『えぇ、ほんとですか? 気持ち悪いなぁ…』


呆れたように言いながら、声音は嬉しげだった。


「だから、頼むよ」


『わかりました。わたしも、おにいちゃんはこのままじゃダメ人間になっちゃうかもって思ってましたから』


「もうダメ人間だけどさ」


『あはは、そうなんですけど…』


困ったように、笑う。


『でも、それでも、わたしにとっては自慢のおにいちゃんですから』


「…芽衣ちゃん、俺の妹になってくれないか」


『あはは、嬉しいですけど、考えておきますね』


「あ、そう」


『それで、説得って、お話しするってことですよね。…ちょうどそっちに行こうと思っていたので、直接会って兄に話しましょうか?』


「できるなら、できれば」


『わかりました。それじゃ、明日…は絶対無理ですし、うーん、明々後日にそっちに着くくらいとかで、どうでしょうか?』


明々後日? 今日は日曜だから…水曜日。


「水曜日?」


『はい』


「学校は?」


『大丈夫ですっ』


自信満々に言っている、この子…。


『あ、ほんと、大丈夫ですからっ。テストとかもないですしっ』


「でも、学校休むことになるだろ?」


『普段真面目なので、大丈夫です』


「いや、それはさすがに…」


『いえいえ。岡崎さんは気にしないでください。責任はおにいちゃんにあるって考えちゃってください』


そんな調子よく責任を転嫁できるものでもないが、芽衣ちゃんの話しぶりになんだか救われたような気がしてくる。


焦ってかじりつくように受話器を握っていたが、ここにきて無駄な力が抜けてくる。


芽衣ちゃんは笑って味方になってくれた。


「ありがとう」


『いえ、こちらこそ、ありがとうございます』


「ああ…」


『兄が部活に入って高校生活を楽しめるように、がんばりますねっ』


楽しそうな声だった。


また明日の夜に電話をすると伝えて、受話器を置く。


体の芯からにじみ出るように、充実感があった。


食堂に顔を出し、美佐枝さんに一声礼を言って、学生寮を後にする。






113


「た、た、ただいま…」


自分の家に帰るのに、めちゃくちゃ緊張してしまう俺がいた。


そっと、扉を開けて…中を見る。


「…」


風子が待ち構えていて、いきなり彫刻刀を突き立てる…という猟奇展開はないようだった。


というか、そんなことになったら正しくホラーだ。


俺は胸を撫で下ろして、玄関に入る。


というか、自分で呆れて笑ってしまう。


そりゃまあ、朝に風子を怒らせはした。


だけどもう夕方だ。いくらなんでもまだ怒り続けているというのもないだろう。


俺は手に持ったケーキの箱を握る。俺の手には、強力なアイテム(おみやげ)もある。


これを渡して、ちゃんと顔を見て謝れば、きっと後腐れなく仲直りはできるはずだ。


風子だって、性格はガキだけど決して物わかりが悪いとかそういうわけじゃない。


話せばわかるはずだ。


話せば…


「おかえりなさい、です」


「…!」


廊下の先、台所から風子がひょこりと頭を出した。


俺は、一瞬、さすがにビビる。


だが見た感じ、風子の表情は特に怒っているということもなかった。


俺の顔を見て、ちょっと照れたような表情。


「岡崎さんが帰ってくるの、待ってました」


言いながら、顔だけ出した体勢からひょっこり廊下に出てくる。


そして…


「…」


俺は風子の右手を見る。


彼女の、右手、鈍く、光る…包丁!


「う、うおぉぉぉ…!!」


俺は絶句して…玄関の扉まで、後ずさる。


がしゃん、と耳障りな音、背後は、玄関の扉。


風子の右手。包丁!


がくがくと震える手で、俺は玄関の取っ手に手をかけようとする。手に持ったケーキの箱が落ちる。


「あっ」


風子が慌てたように、駆け寄る。


俺の心臓が連打するように脈打つ。


俺は見る。彼女の右手。…包丁! 包丁!


慌てて後ろ手にドアをまさぐる。開かない、そうか、反射的に鍵をかけていた! 自分の防犯意識が憎たらしい!


「…ごめんなさい!!」


目の前に立ちふさがった風子に俺は深く頭を下げて…


「…」


「…」


「…なんですか?」


しばらく経って、風子の怪訝な声がした。



…。



「岡崎さんは、風子のことを甘く見ています。とても失礼です」


そんな恨み深くないです、と不機嫌そうに言う。


「悪い、ちょっと、ビビッててさ」


状況を確認すると、杞憂とわかる。


風子は俺を待って、夕食の準備をしてくれていたのだ。


駆け寄ったのは、俺がケーキの箱を落としたから、らしい。


つまりは、完全に俺の勘違い、ということだった。


「というか、包丁もって出てくるなよな」


「こっそりした音だったので、念のためです」


「こえぇよっ」


風子は、チキンライスを作っている途中だった。


玉葱と鶏肉をバターで炒めて、米とコーンを加える。塩コショウとケチャップで味を調えて完成。


そんなに難しい料理ではない。


ちょうど鶏肉を切っている段なのが運の尽きというか。そのタイミングだったから、包丁を手に持っていたみたい。


まだまだ作る序盤だったので、俺も手伝う。


俺は鶏肉と玉葱を炒める。風子は缶詰のコーンの水切りや、オムライスにしようと卵を取り出したり。


「というか、料理作って待ってようとしてくれたのか?」


「…」


聞くと、風子はつんと顔を背けた。


頬が、わずかに赤い。照れている。


「自分のご飯です」


「あ、そ」


俺はにやにや笑ってしまう。可愛い奴だった。


風子は風子なりに、俺との妥協点を探っていてくれたらしい。


「…朝のことだけどさ」


じゃん、と炒める軽快な音。木じゃくしで切るように具材をならす。塩コショウの第一陣を投入。


「ごめん、悪気はなかったんだよ」


「…」


しゃん、しゃんとざるに入れたコーンの水気を切る。転がすように黄色い粒を見つめつつ、風子は呟くように言う。


「わかってます」


「…悪い、やっぱ親父に見られる場所に置いとくのはちょっとって思ってさ」


「怒ってません」


ざっ、と力強くざるを揺すった。きらりと光を弾くコーンの粒。


「ただ…」


「ああ」


「…なんでもないです」


「気になるだろっ」


「いえ、言わないでおきます」


「…ああ、そう」


ちらりと横を見る。風子は照れたように、小さく微笑んでいるような気がした。


だから、俺は、ひとまずはこれでいいのではないかと思えた。


ちぐはぐな俺たちの関係だ。


俺たちは同じ状況に直面している。だからといって、感じるすべてを分け合えるわけはないし、そうしようとも思えない。


お互いに、計り知れないところはあってしかるべきだ。


そして、だからこそ。


俺はこいつと、楽しく共同生活をしたいと思えるのだ。



…。



居間で夕飯を食べつつ、今日芳野さんに会ったことを話す。


「祐介さんですかっ」


「ああ、たまたま、知り合ってさ。仕事の手伝いをした」


「そうですか…。岡崎さんは、また同じお仕事をするんですか?」


「…」


風子が無邪気に聞いて、だが、俺は反射的に黙り込んでしまう。


俺は同じ未来を歩むのだろうか。別に不満はない。だが、そうは思っても、やはり未来の見通しはつかない。


「正直、わからないな。先のことだし、それより前に、やることもある」


「はい…」


俺の答えに、風子は曖昧に頷いた。


俺は、はっきりしたことを言えなかった。


…そうだ、未来は、まだまだ深い霧の中にある。


芳野さんも、美佐枝さんも、まだ早いと言った。


…そうだ、まだ、考える時間はあるのだ。


まずはやるべきことをやらなければならないはずだった。


「まずは、明日からのことを考えようぜ」


俺は、勤めて明るくそう言った。


やっと立ち上がった演劇部。いや、歌劇部。


あと五人、だ。まだまだ先は長い。


俺には考えることがある。


今、考えるべきことは、きっと部活のことなのだ。




…そうして、夜は、更けていく。


また、新しい一週間が始まる。




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