folks‐lore 4/19


098


放送を聞いて、俺たちは顔を見合わせる。


彼女らの表情は不安に翳っていた。


以前の嫌な記憶が思い出されてくる。こっちの意見をことごとく無視した生徒会。


渚のポスターをことごとく剥がして回った生徒会。


行ってもろくなことはない気がする。だけど、行かなくてはなるまい。


難民のように歩みは遅い。


途中、俺は、仁科に尋ねる。


「なんで俺とおまえなんだ?」


「…」


俺の問いに、仁科は気まずげに顔を背けた。


…仁科が呼び出されるのは、わかる。部員の勧誘期間を終えてもそれを破っていたのだ。仁科が合唱部の部長職だろう。


だが、だったら、どうして演劇部から呼び出されるのが俺なのだ?


それにそもそも、目立つような勧誘活動はしていない。


合唱部の動きが把握されていたとして、演劇部はそうじゃないはずだった。


そこまで考えて、思い当たる。


あるいは…


俺の存在をだしにして、合唱部は勧誘をしていたのかもしれないとも思う。


不良として顔と名を知られている俺。岡崎朋也を悪人にすれば、合唱部設立は美談になりうる。


そう考えて、俺の心は暗くなる。


合唱部は…そうだ、決して、味方ではない。


俺は目を細めて、仁科を見やる。


心細げな彼女の肩は、一層、すぼまったような気がした。


俺たちは無言で、生徒会室に向かった。






099


「失礼します」


言って、仁科が生徒会室の扉をくぐる。俺も後に続く。


呼び出されていない杉坂は、生徒会室を出た少し離れたところで待っている。


部屋の中で、男がひとり、ワープロを叩いていた。


冷徹な顔をした男。この学校の生徒会長。


「ああ、きましたか」


俺たちの姿を認めると、そっけなくそう言い、顔を上げる。


ノートパソコンを閉じるでもない、立ち上がるでもない。


会議用の長い机が、四角形を作るように並んでいる。


仁科は一瞬、どこに立てばいいのかわからないように立ち止まりかけたが、生徒会長の傍らまで歩いていく。


会長は何も声をかけず、興味なさげにこちらを見ている。


苛立たしい態度だった。襟首掴んで怒鳴りつけたくなる。


仁科は気の毒になるくらい、おどおどした様子だった。


「演劇部の岡崎さん、合唱部の仁科さんですね」


「はい」


「…」


まあ、正確には部ではありませんが、と続ける。こちらの返答を聞いているのかもわからない。


「部員募集期間は終了しています」


「…」


「部員の募集はもちろん、部としての活動の一切を禁止します」


きっぱりした口調だった。鋭利な刃物のような言葉だった。あらゆる反論を、偏見と殺意を持って封じ込めそうな、話しぶり。


「以上です」


「ちょっと待てよ」


「なんでしょうか」


不遜な口調で俺を見る。仁科は泣きそうな顔をしていた。


「いくらなんでも、そんな言いようはないだろ」


「募集が終了していることは告示してあります」


「こっちは一生懸命やってるんだ、少しくらい伸ばせないのかよ」


「募集期間は終了しています」


「おまえはそれしか言えないのかよっ」


「あのっ」


仁科が割って入る。


一歩足を前に出した俺は彼女の体にぶつかる。嫌味な会長をかばうような態度に、腹が立ってくる。


「すみませんでした」


俺にかまわず、頭を下げた。


「本当は、演劇部はもう部員も、顧問も決まっていたんです。ですが、私たちがそれを邪魔していたんです」


震える声で話し始める。


「合唱部はもう活動しません。演劇部の活動を認めてください」


「…」


俺は、反省する。彼女がかばってくれているのは、俺たちだ…。


深い絶望の底から、それでも俺たちを守ろうとしてくれている。


「いいでしょう」


会長は、仁科の態度にさして感心した風もなく、頷く。


「それでは、今ここで必要の書類の記入をお願いします」


「え…」


俺はぽかんと趨勢を見ていた。


顧問の共有案を口に出そうとしたが、それは踏みとどまる。


現時点で合唱部は二人で、更に募集禁止はさっき言われている。


この時点で合唱部は詰んでいるのだ、提案を言っても冷笑で終わる。


だが、ここで部の新設書類を提出してしまう…?


そんなことになったら、顧問の共有の話はどこに行ってしまうのだ?


いや、ひとまず記入してしまって、あとで合唱部が人数を揃えた時に改めて共有という話を立ち上げればいいか?


だがそれでも、合唱部の立場的にはプレッシャーだろうか。それに、勧誘禁止の勧告を無視して新部創設、というのも問題になりそうだ。


今はとにかく、話し合いをしなければならない。演劇部と、合唱部の間で。


相互理解が取れた上で決めたかった。ここで書いて提出は避けたい。


「待ってくれ、今すぐか?」


「今すぐです」


「なら、それ、幸村の了解が必要だったりしないのか?」


「許可は取ってあります」


「…」


書類の、顧問名の欄を見る。


達筆な筆致で、老教師の名が記名されていた。


マジかよ…


俺は天を仰ぎそうになった。


あの人はどうしてここに名なんて書いてしまったんだ?


俺たちの状況はわかっているはずなのに。


…いや、そもそもルール上はもう募集はできないのだ。教師という立場上、それを反故にすることはできなかったのかもしれない


「他の部員と相談したいんだ」


「もう時間はありません。今ここで書くか、設立を止めるかです」


「…俺は部長じゃないんだ」


「あなたの演劇部と、合唱部が部の設立でもめていると聞きましたが」


岡崎朋也の演劇部。…それはおそらく、仁科と杉坂が方便として使った言葉だろう。


たしかに、的外れな言葉では、ない。


「俺は、ただの部員だ。部長は他にいる、だからその指示を仰ぎたい」


「部の設立は、もう決まっているんでしょう? 指示も何もないでしょう」


「なんだと…」


「この件は、できれば今日中に処理したいので」


処理、という言葉が腹に立った。俺たちは夢を砕かれ、また未来を見て、目標を持って、そして決意を抱いてここまできていた。汗をかいて肝を潰して、ここまできていた。


そうやって今にたどり着いているのは、目の前にいるこの男も同じはずだった。決意と、実行。こいつだって、そうやって会長になったのだろう。


それなのに、よくこんなことが言える。


「ふざけるなっ!」


「先輩っ」


押さえようとする仁科を乱暴にどける。目の前の男の襟を掴んで持ち上げる。立ち上がらせる。


「な、なにをするっ」


不遜な瞳が今はなりを潜めていた。


「こ、これ以上乱暴をすると、部の設立を認めないぞっ」


「てめぇはそんなことしか言えねぇのかっ」


男の足がじたばたと騒がしい。苦しげに咳をして唾が俺の顔にかかる。俺の手はぶるぶると震えている。


「俺たちがどれだけ頑張ってきたか知ってるのかっ! 仁科たちがどれだけ頑張ったか、知ってるのか!?」


俺は、


「夢を持ってなにかやろうとしていて、てめぇはそれを杓子定規でしか考えられないのか!」


心の底から、


「それを、てめぇは処理してさばいて終わりかよっ」


叫ぶ。


「生徒の側に立ってやることもできないで、生徒会かよっ!」


今週あちこち飛び回ったすべての思い出が、頭の中に降り注いでいた。決意と、実行。踏み出した一歩を、なぜ問答無用に否定されなければいけないのだ。


「岡崎先輩っ…もう、いいんです、いいですから…っ」


慌てたように、仁科が俺の腕を引っ張る。小さな、力だ。


「ありがとうございます…っ」


「…」


その言葉で。俺の手から、力が抜けていた。


「ぐっ、げほっ」


するりと、襟から手が離される。


解放された会長は、何度か咳き込む。


俺と仁科は、それを見るともなくに眺めていた。


しばし経ち、会長の呼吸は元に戻り、彼は恨めしげに俺を睨んだ。


「岡崎…」


「なんだよ」


まっすぐ、睨み合う。


「よくも、やってくれたな」


「…」


「よくも…」


「失礼する」


がらり、と扉が開いた。


緊迫した空気に水を差され、俺たちは半ば呆然と、ドアに目をやった。


「智代…?」


俺は彼女の名を呼んだ。颯爽と歩み寄る立ち姿。


「どうしてここに…?」


「あの後、いきなり呼び出されたんだ、心配もする」


「…」


「外まで話は聞こえていた」


「坂上さん、それなら、証人になってくれっ」


会長が口を挟む。ぎらりと濁った瞳が俺を見た。


「こいつは僕に暴力をふるった。普段の素行も最悪だ、校内暴力で停学にできるっ」


「…」


智代は無表情で、俺と会長を見比べた。


「私は外で立ち聞きしていた、すまない」


頭を下げる。


「岡崎はたしかに乱暴だったと思うが、最初の非は会長にあると思う」


「なんだって…」


男は呆然と智代を見た。


「君は僕と、非行や、理由のない遅刻を減らしていこうと話をしていただろう」


「岡崎の普段の素行の悪さは知っているが、今の場面では誰だって怒ると思う」


「智代…」


「だから、もし生活指導の先生に聞かれたら、どちらにも非があると答えると思う」


「君はこいつの味方をするのかっ」


「聞いていて、私はそう思ったんだ…」


焦った表情の会長に、智代は少し申し訳なさそうな顔をする。


「こんな奴をかばっても、いいことはないぞっ」


憎々しげに俺を見る。


男の暴言に、智代は少し不快そうに眉をひそめた。


「…こんな奴じゃ、ありませんっ」


口を挟んだのは、仁科。


「先輩は、岡崎さんは、自分たちも大変なのに、私たちのことも考えていてくれましたっ」


視線を浴びて言い辛そうに、だけどまっすぐ男を見ていた。


「…生徒会よりもっ」


「っ!」


男は矢を射られたように目を開く。今始めて仁科に気付いたような態度だった。


仁科は、精一杯、男を睨みつけていた。


「…行こう」


俺は一言、そう言う。もうここでやることはなさそうだった。


ドアへ歩く。仁科と智代も、それに続いた。


「坂上さん」


後ろから、男の声。


「そんな奴らとつるんでいると、君の風評に傷がつくぞ」


「…岡崎はたしかに素行は悪いかもしれない。だけど、人として悪い奴だとは思わない。風評なんて、関係ない」


智代は足を止め、男を見る。


「私は、私の見て、感じたことを信じる」


「…」


「岡崎、行こう」


「ああ…」


「それでは、失礼する」


俺たちは生徒会室を出る。






100


「智代、悪い」


「別に悪くない」


智代は苦笑いを浮かべて、俺を見る。


「私は思ったことを言っただけだ」


「でも、大丈夫なのか? あいつとの関係が悪くなるのは、選挙に影響はないのか?」


「さあ、どうかな…」


さして興味もなさそうに言う。


「それよりもさっきの話なんだが、なんとかなりそうだ。規則を見てみたんだ」


ぱっと顔が明るくなる。会長のことは気に留めた風でもない。


「さっきの話って…」


「両方の部が創立者祭に参加する方法だ」


「あぁ…」


智代はポケットから一枚のプリントを取り出す。


見てみると、創立者祭の規則をまとめたもののようだった。短時間で、手に入れてきたらしい。話が早い奴だ。


「ここを見てくれ」


言われて、覗き込む。仁科もおずおずと顔を近づけた。


「ここ、参加の補則だ」


「ええと…」


読んでみる。


第一項。


『参加は原則として各部につき一団体とする』


補則。


『但し、部員数が十名を超え、顧問が必要と認めた場合に限り、二団体までの参加を許可する』


「……」


俺は、数瞬で読めるその文を、何度も読んでみた。


「軽音部とか、バンドで参加する場合に使うんだと思う。だけど、他の発表では適用外とは書いていない」


「つまり、演劇部と合唱部をあわせて十人をこえれば、それぞれの発表ができるってことか?」


「うん。それなら、毎日活動ができる」


「…」


俺と仁科は顔を見合わせた。仁科の瞳。


「俺たち、演劇部は今三人だ。合唱部は二人。あと、五人」


あと五人。果てしないようにも思える。


俺が最初に想定していた人数よりも、ずっと多い。そんな人数で部活をやるなんて、全く考えていなかった。


だけど俺はすぐに…彼女らと、一緒に頑張るのも、悪くないのではないかと思った。


俺たちは味方ではない。だけどきっとこれから、味方になれる。


そしてそれでも、部の人数は今はまだ、半分なのだ。


俺は仁科を見る。彼女の目を見る。


風に吹かれたろうそくの火のように、瞳が危なげにちらちらと揺れている。


あれだけ頑張っていた後だ。勧誘を断られ続けた後だ。それで、あと五人。彼女の目の前にどれだけの壁がそびえ立っているのか想像もできない。


「仁科」


「…」


「頑張れるか」


「…」


最初、彼女の目の焦点は合っていなかった。どこを見ているのかわからない。


勧誘を断った多くの生徒の姿が浮かんでいるのだろうか。


部員を探して駆け回った、何日かの、だけど長い時間を思い出しているのだろうか。


しばしの、静寂。


「俺たちと一緒に、頑張れるか」


せめてこちらを見ていてくれと、彼女に目線を合わせ、覗き込む。


瞳の奥のその先まで、意思の枯れた泉を掘り返すように深く深く。


「…」


収束するように仁科の目が俺を見る。そしてついっと視線は動かされ、俺の肩越しに向こうの廊下を見る。


「…はい」


俺は彼女の視線を追うように、伸びる廊下の先を見た。


…そこには、


戸惑った表情で、俺たちを見る杉坂がいた。


駆けつけたのだろう、心配そうにこちらを見やる演劇部の面々がいた。


「はいっ…」


彼女らは、そこにいてくれた。


俺たちには、逆風が吹いているにしろ、仲間がいた。


孤独に、一人で歩いているわけではなかったのだ…!


「私、がんばります…っ」


仁科の瞳から、ぽろりとひとしずく、涙がこぼれる。


慌てたように杉坂がこっちに走ってくる。


演劇部員が続いてくる。


「まだ、がんばれますっ」


仁科は、笑った。


うれしそうに笑った。


「ああ…、ああっ」


きっと、俺も、笑顔を浮かべていただろう。


やっと見ることのできた仁科の笑顔は、美しかった。


立ち上がって、立ち向かう、強さがあった。手と手を取り合う、仲間があったのだ。


杉坂が走り寄ってくる。


渚が、宮沢が、風子が走り寄ってくる。


本気で心配している彼女らの表情。俺たちを繋いでいるひとつの決意。


合唱部の夢は、演劇部の夢になった。




そうだ、俺たちは…


きっと、また、一歩を踏み出したのだ。




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