folks‐lore 4/19


095


放課後になった。


俺は教室に戻り、カバンを取るとまた旧校舎にとって帰す。


部室に入ると、まだいるのは風子だけ。相変わらず隅の席でヒトデを彫っている。


少し待つと、渚と宮沢もやってきた。


さすがに雰囲気は明るくはなく、昨日みたいに部活初めの挨拶もなし。


渚と宮沢が昼食を食べ終えると、俺たちは風子を囲んでヒトデを彫った。ちなみに彫刻刀は美術室から失敬している。


しかしほんとに、何部だよ。


笑える情景だが、笑える空気ではない。


やがて、雨が降り始める。一瞬だけぱらぱらと降り、すぐに、本降り。


「降ってきたな」


「はい…」


外を見る。時計を見る。一時を過ぎている。約束の時間は二時。


雨脚は、けっこう強い。たしか今日の天気予報ではずっと降ると言っていたから、部活のない生徒はさっさと帰ろうとするだろう。


完全に、逆風だ。俺たちにも、合唱部にも。


精一杯で辛そうな、彼女らの顔を思い出した。


あんな表情で、今も走り回っているのだろうか。たまらない気持ちになる。


やがて長針はまわる。二時を、まわる。



……。

…。



雨音が響いていた。


静かに強く、響いていた。


何かを考えようとしても、その音に思考が吹き飛ばされる。


なんて、嫌な、音だ。


俺は何度も繰り返したように、じっと時計を見た。願わくば、あの時計が狂っていて、まだ時間に余裕があるなら救われる。


だけど、そんなこともなかった。


二時、五分になる。


彼女らはまだ現れない。


俺は席を立った。三人の少女が弾かれたようにこちらを見上げる。


「探してくる」


「そう、ですね」


宮沢が、小さく頷いた。


これは、約束だ。


俺たちは、二時まで待った。正直、もっと待っていたい。新たな部員が揃うまで。


だが、この約束は向こうからの約束だ。


ひとまずは、彼女らと話をしなくてはならない。


「行ってくる」


俺は渚に言った。


「…はい」


肩を落として、彼女は言った。


「すみません、お願いします」


「ああ」


部室を出る。長く続く旧校舎の廊下を見渡す。


…誰一人、姿はない。人の気配もない。生徒たちは、どこへ行ってしまったのだろう?


家に帰ったのだろうとは思いつつ、まるで彼らはなにか邪悪なものにかき消されるようにいなくなってしまったのではないかと思ってしまうような、不吉な、静けさ。


一歩、踏み出す。


ゴム底で響かないはずの足音が、奇妙に、高く鳴った。






096


仁科たちを探して、新校舎へ移る。


学食の辺りを通りかかった時…


「岡崎っ!」


名前を呼ばれる。


振り返った先には、智代。…と、彼女を勧誘しているらしき、三年の男女。


またかよ…。


昨日も同じことがあったよな、と呆れてしまう。


「よぉ」


さすがに無視するわけにもいかず、俺はその二人に歩み寄る。


智代は安心したように笑みを浮かべ、三年生たちは怪訝な顔をした。


「本当にきてくれたな」


呼べば来てやる、と冗談で言った昨日のセリフ。偶然で通りかかっただけではあるが。


「今取り込み中だ」


大柄な男子生徒がちらりとこちらを見やる。


「智代」


俺は彼女の手を取る。


「いくぞ」


「あ…うん」


俺を見つめて、小さく頷く。


俺は視線をふたりの三年生に移す。恨めし気で、困惑した表情。


しばし、彼らと睨みあう。


「坂上さん」


「智代」


男子のほうが智代の名を呼び、俺もかぶせるように彼女を呼んだ。


「行くぞ」


「…うん」


智代は、俺に頷く。


それを見て、勧誘していた二人はばつが悪そうに去って行った。



…。



「感心したぞ。言う時は言うんだな」


「上級生だからな」


「うん。それに、ちゃんときてくれたしな」


「そりゃ、たまたまだ」


壁にかかっている時計を見やる。


「それじゃあな」


早足に歩き出す。


「やけに急いでいるが、どうしたんだ?」


智代は横に付いてきた。


「部活をやっているのか?」


「いや、まぁ」


「なんだ、はっきりしないな」


相談だったら乗るぞ、と智代。


俺二十五歳(心は)。智代十六歳。


それなのに圧倒的に向こうの方が立場が上に見えるような気がする…。


「別に、話すほどの仲じゃないだろ」


「やはり、悩みがあるんだな」


「…」


速攻で裏を取られていた。


「目の前で困っているのだから、見捨てられない。それに、助けてもらったお礼もしたい」


めちゃくちゃ素直な物言いに、反発する気が失せてきた。


合唱部を探すのは、少しだけ後回しにしようという気になってくる。


それに、智代のアドバイスを聞くのは、きっと無駄ではないだろう。


「それじゃ、聞いてもらってもいいか?」


「ああ、私でよければ」



…。



ほとんど生徒もいない学食の一角に座り、演劇部と合唱部のことを話す。


演劇部が昨日三人揃え、合唱部は今日まで二人。そして顧問はただ一人。


互いの夢がぶつかり合い、両者存続するための苦肉の案としての顧問の共有。


両者のしがらみが交じり合っている現状。そしてデッドラインはもう過ぎた。


話していると、程よく頭の中が整理されてくる。


ぐちゃぐちゃと複雑に見えていたが、ある程度系統だって俯瞰できてきている。


智代は親身な様子で話を聞いてくれていた。


「なるほど…」


話を聞き終わると、そう一言言って、考える。


「私も、何かできることがないか、調べてみよう。うん、できるだけすぐに」


「悪い」


「ただ、いい案が見つかるかわからない。そこは保障できないぞ」


「いや、十分だよ」


俺は立ち上がる。


立ち去ろうとして…昨日の、幸村の言葉を思い出した。


「そういえば…」


「どうした?」


「昨日、幸村が言ってたんだけどさ、創立者祭の規則をまとめたのがあるって」


「幸村先生が?」


「ああ。生徒会顧問の教師が関係してるって言ってたかな…」


「そうなのか。うん、それなら、それを調べてみよう」


智代は小さく笑い、席を立つ。


「部室はどこにあるんだ?」


「旧校舎の三階の端。図書室の反対側」


「うん、わかった。それじゃ、なにか見つかればそこへ行こう」


「ああ」


智代は職員室のほうへ歩いていく。俺は一旦、外に出る。






097


雨。


仁科と杉坂は、校門の辺りにいた。二つの傘が、頼りなげに揺れていた。


俺の顔を見ると、気まずげにうつむく。時間を過ぎていることは、向こうも承知だったのだろう。


そして、まだ勧誘し続けているならば、新入部員が見つかったかどうかの答えは聞くまでもない。


「時間だ」


俺は言う。


もう二時半を過ぎている。渚たちは、今も不安に待っている。


辛い宣告だった。彼女らの努力は報われなかったのだ。


これから部室で、どんな話をすることになるのだろう。彼女らはどんな思いで、俺たちの提案を聞くのだろう。


心は暗くなった。


雨音が聞こえる。雑音のように。あるいは、静寂を紛らわすように。


「…すみません」


仁科は、悲しそうに、言った。


「あの、もう少しだけ…!」


「杉坂さんっ」


「…」


杉坂は悔しそうに俯く。今にも泣きそうな顔だった。


俺はよっぽど、今ここであの提案を言いたかった。でも、まだ、できない。


これは俺と合唱部の問題ではない。演劇部と合唱部の問題なのだ。まだ、この話はできない。


「すみません、皆さんを、お待たせしてしまいました」


仁科は無理して笑顔を浮かべた。俺をまっすぐに見た。


「…」


雨が降っている。辺りに人はない。


こんな日だ。多くの生徒は急ぎ足に帰途についたのだろう。彼女らはそれを掬うように声をかけて回ったのだろう。


だが…こんな日だ。声をかけて回っても、ほとんど実を結ばなかったに違いない。


「演劇部の皆さんに、伝えてください」


仁科の瞳は、何も見ていないようだった。俺のことは視界に入っている。だけど何も見ていない。


「頑張って、がんばって、部活を、やってください…っ」


暗い穴の底から、搾り出すような声だった。ばらばらと、傘を弾く雨音ばかりが聞こえる。


危なげに体が揺れていた。


「仁科っ」


「りえちゃんっ」


俺も、杉坂も、弾かれたように彼女に駆け寄る。


彼女が泣き出すような気がした。崩れ落ちるような気がした。消えて、いなくなってしまうような気がした。


だけどすぐに、彼女はすっくと自分で体を支えていた。


…、強い奴だ、と思った。


もし、別の出会い方をしていたら、と思った。だけどのその思いをすぐに振り払う。それは、詮無い想像だった。


「すみません…大丈夫です」


小さく首を振る仁科。


疲れた、表情。


雨音が、空しく響く。


辺りには、誰もいない。


自分たちだけが世界に取り残されたような孤独感。


雨、灰色に塗られた世界、寂しげに揺れる仁科の赤い傘、杉坂の青い傘。


そして、死刑執行人のように不吉に佇むのは、俺だった。俺の、黒い傘。


「すみません。これで、失礼します」


仁科は頭を下げる。彼女らは去って行こうとする。


「待ってくれっ」


二人の後姿に声をかける。ゆっくりと、ふたりの姿が歩を止めた。


「演劇部から、話があるんだ。できれば、部室まで来てほしい」


ぴたりと止まったふたりの姿。


「辛いかもしれないが、来てほしい」


「…わかりました」


仁科がかすかに振り返り、雨音をぬってその言葉はかすかに聞こえた。


彼女のそんな姿を見て、俺は今ここで精一杯の言葉と心で、彼女を慰めたいと思った。


俺はまだ、心からの彼女の笑みを、見ていないのだ。


頭をよぎったそんな考えを、消し去る。演劇部室に、急がなくてはならない。


俺たちは歩き始める。憂鬱な雨降りの放課後。


昇降口に入る。上履きに履き替え、歩き出そうとした時、放送が始まる。





『二年C組、仁科りえさん、三年D組、岡崎朋也さん、至急、生徒会室まできてください』




「…」


『繰り返します、…』


俺と仁科は、顔を見合わせた。


…生徒会室?




その言葉に、胸騒ぎがした。



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