folks‐lore 4/19


090


渚、風子と別れ、授業が始まる前に俺はA組を覗いた。


始業前のざわめき。生徒たちが群れを作って固まって、教師が来るまで歓談している。まだ朝のホームルームには少し余裕がある。


ことみは…いた。


なにをするでもなく座って、前を向いていた。数日前に見た、渚と同じような風景。


周りの生徒は、無視するでもないが、話しかけることもない。


なんとなく、どう扱っていいかわからない感じだ。別次元の人間だと思い、なんとなく避けているし、ことみのほうからも積極的なアクションはない。


壁はない。だけど、薄い膜がある。そしてそれは、薄くても、決定的なものだ。


「…ことみ」


「朋也くん…?」


ことみが、こちらを向く。不思議そうに首をかしげた。


「おはようございます」


ぺこりと一礼。


「おはよ。一応聞こうと思ったんだけど、今日は弁当は…?」


聞くと、ことみはにっこり笑った。


「だいじょうぶ。ちゃんと、用意してあるの」


「そっか」


嫌というわけではないし、素直にありがたい。


「今日も風子が一緒でいいか?」


「うん」


特に気負った様子もなく、頷く。


三人、というのはことみにとってもそれなりに慣れてきているかもしれない、と感じる。


だが、やはり大人数となるとまだ厳しいかな、とも思ってしまう。


まあ…ゆっくり、慣れていけばいいか。


そうしていつか、図書室という閉ざされた空間から出て行ければいい。


図書室。完成されたような閉鎖空間だ。魔的で病的、そんな楽園。


だが、外には、世界がある。


「わかった。あと、今日はいつから向こうにいる?」


「えぇと…」


視線が宙をさまよう。


「今日は、二時間目以外」


「わかった。じゃあな」


「あ、うん。また…明日?」


「いや、また会うだろ」


「それじゃ、また…えっと、今度?」


「ああ。またな」


手を振る彼女に微笑んで、背を向ける。


秀才と不良の会話を、ぽかんと見ている生徒が結構いた。視線をまわすと、彼らは逃げるように目をそらす。


興味惹かれる異様な見世物というような、注目。


俺だって、ことみだって…渚だって、風子だって。別に、なんのこともない人間だ。


大した変わりはない。


そんな言葉を飲み込んだ。


喧騒の収まった教室を抜ける。ホームルームがそろそろ始まる。






091


授業中…。


片肘ついて外を見ていると、校門の辺りにうごうごとする小さな姿が目に入った。


目を凝らす。


小さくて、茶色くて…。


「あ」


つい声に出してしまうが、誰もこちらには注意を払わなかった。


チョコチョコ動く、その姿。


杏のペットの、ボタンだった。


見慣れた姿よりも、嘘みたいに小さい。


ああいうのを見ると、本当にここは過去なのだ、と今更ながらに思ってしまう。それくらい決定的に違う姿なのだ。


小さな今の姿は、かなりプリチーだった。



…。



やがて、授業が終わると、俺は外に出た。


校門の辺りまで来て、辺りを見回す。


この辺りにいたのだが、どこかに行ってしまったのだろうか。


すりすり…


「ん…?」


足元に、こそばゆい感覚…。


すりすり…


下を見ると、小さなウリボウが体をすり寄せていた。


「よぉ」


俺はしゃがみこんで、ボタンの瞳を覗き込む。


「ぷひ?」


「久しぶりだな。おまえにとっては、初めましてだけどな」


「ぷひ、ぷひ」


ボタンはチョコチョコと足を動かして俺の足のあちこちを嗅いで回る。


犬や猫にはない、独特の魅力を持っていた。


可愛い奴だ。


俺は頭を撫でてやる。


「ぷひっ」


嬉しそうに笑ったような気がした。


「ボタン、おまえはいつも幸せそうだな」


「朋也?」


後ろから、声をかけられる。


振り返ると、杏がいた。きょとんとした表情。


「杏?」


「あんた、この子に会ったことあったっけ?」


やべぇ、今のセリフを聞かれていた…。


「いや…」


俺は首を小さく振る、考える。


「ボタン鍋食いてぇ、って言ったんだ」


「その舌を引っこ抜いてあげよっか?」


「こえぇことを笑顔で言うなっ」


でも、誤魔化せたみたいでほっとする。


「こいつは、ボタンっていうのか?」


話を合わせることにした。


「そ。あたしのペット。可愛いでしょ?」


「ま、そうだな…」


「ぷひ?」


二人に見つめられて、首をかしげる。


まあ、首とか胴とかほとんどないと言ってもいいけど。


しゃがんで、ボタンの頭を撫でてやる。


「ぷひぷひ♪」


幸せそうな鳴き声。超可愛い。


「つーか、なんでここにいるんだ?」


「あたしに会いにきたんでしょ」


「まだ授業あるぞ。どうするんだ」


「そうよねー」


そう言って、考え込む。


ちらり、と横目で俺を見て、にやりと笑う。


「…俺、教室に戻るわ」


嫌な予感がして杏の横をすり抜けようとする。


…が、襟首を掴まれた。


「朋也〜、ちょっとお願いがあるんだけどぉ」


「やっぱそうなるかっ」


杏の手を振りほどいて、逃げようとするが…がっちり手を掴まれる。いてぇ。


ぎりぎりぎりと締め付けられるが…杏は涼しげな顔で笑顔だ…。


「この子散歩好きだからどこに行くかわからないのよ。だから、あんたはその監視役」


「あん?」


「どうせ授業なんて聞いてないでしょ。今日のお昼おごるから」


「ずっと見張ってろって?」


「ううん、この子がうちに帰るの見届けて」


「めちゃくちゃ面倒くさいな、おい」


「つべこべ言わず、さっさと行く!」


「そんな暇じゃねぇよ。つーか、昼飯は確保してある」


腕を振って、杏の手を振りほどく。


杏は俺を掴んでいた手をちらりと見やって、半眼の視線をまたこちらに向ける。


「それって、あの子?」


「あの子って?」


「一ノ瀬ことみよ」


「…」


バレバレのようだった。


少しの間、沈黙。


杏はボタンの頭をするりと撫でて、抱きかかえる。


「今日は用事があるんだ」


俺は弁解するように言う。


「連れてくのは無理だけど、学校で預かっておくとかならいいぞ。放課後までとか」


ボタンを受け取ろうと、手を伸ばす。


「いいわよ」


だが、杏はそっぽ向いてそう言うだけだった。


「ぷひ?」


ボタンは不思議そうに彼女を見上げる。


「この子、連れてくわ」


「連れてく…って」


まさか、と思い、俺は校舎を見やる。教室へ?


「そ。こういうピンチを切り抜けられる、とっておきの特技を仕込んであるのよ」


「そんなピンチそうそうこねぇよ」


「今がそうじゃない」


「まぁな…。で、どんなやり方だよ?」


聞くと、杏は得意げに笑う。


「見てなさい。ボタン、『ぬいぐるみ』よ」


「ぷひっ♪」


ボタンは嬉しそうに鳴いて、ぴたっと、止まる。


微動だにしない。


俺はしばらくまじまじと見つめたが、動かない。


「どう?」


「アホだ…」


「なんでよ、すごいじゃないっ」


「ずっと持つわけないだろ。それに、他の奴が触ってきたらどうすんだ」


「ぶっとばすわ」


「こえぇよっ」


「朋也、ちょっと触ってみなさい」


「触るかっ」


「殴らないから、ほらっ」


ぐいっとボタンを目の前に差し出す。


俺はぽん、と小さな体に手を置いた。


ボタンは、微動だにしない。体は温かいが、それを除けば確かに…。


ぽん、ぽんと何度か触ってみる。


「ほら、完璧でしょ?」


「まあ、ぱっと見は…いや、そもそもぬいぐるみを持って授業を受けるのが不自然だっ」


「可愛げがあっていいじゃない」


「おまえのキャラじゃないだろ」


「そう?」


「ああ。棍棒とかならぴったりだけど…」


「そんなもの持つかっ」


ぱーん、と頭をはたかれる。


そうして話していると、チャイムが鳴る…。


「うわ、やばっ」


「ああ、そうだな」


「って、あんたも急ぎなさいっ」


数歩、走りかけた杏が振り返り、早く、と手で招く。


「次サボるわ」


「素直に授業を受けるか、授業サボれるけど保健室行きか、どっちにする?」


固く拳を握る。


「急げばいいんだろっ」


動き出す俺だった。


「あんたも走るっ!」


どたどたと、足音やかましく校舎に戻る俺たち。


ああ、図書室に行くのは、四時間目だな…。







092


三時間目が終わる。さて、旧校舎に行くかな。


俺は自然な動きでぶらりと教室を出ようとする、が。


ぎゅっ…。


制服の裾が、掴まれる。


「ん…」


振り返ると、藤林がいた。


「あの、岡崎くん…」


「藤林? どうした?」


「あの…次が、最後の授業です」


「そうだけど…?」


答えてから、少し考えて気付く。


授業を受けろということか。昨日も同じようなやり取りをしていたな、と思うと笑える。


「あとひとつ、頑張りましょう」


「うん」


「あ…ほんとですかっ」


「うん、それ無理」


「ええっ…」


ぱっと明るくなった表情が悲しそうになる。


昨日と同じ流れでこっちは半ば冗談なのだが、藤林はどうもあっぷあっぷのようで、この繰り返しギャグに気付いていない。


「図書室に行くんだ」


「図書室、ですか…」


考え込む藤林。すげぇ、まだ気付いていない…。


アホというよりも、根がまじめなんだな…。


「よかったら、一緒に来るか?」


俺は笑いをかみ殺してそう聞く。


「あっ…」


そこまで言って、からかわれていると気付いたようだった。


藤林はぱっと顔を赤くして、恥ずかしそうにする。


「はーい、ストップー」


「そこまでよ、岡崎くん」


「うわ、昨日と同じ流れだ…」


「あんたたち、けっこういいコンビじゃない」


わいわいと、クラスの女子たちが割り込んでくる。


「またかよっ」


藤林と仲がいい女子たち…。


「または、こっちのセリフでしょ」


「椋ちゃん、いじめられた?」


「でも、そういうの好きよね?」


「…」


「…」


怪しいネタ振りを始めた女子を白い目で見つめる。


「んー、ゴホン」


恥ずかしそうだった。


「それじゃあな」


俺はさすがに笑ってしまった。軽く手を上げる。


「あ、岡崎くんっ」


藤林がそう言うが、追ってはこなかった。


背中へ、あんまりサボってばっかだとダメよ、と他の女子から声をかけられる。


俺はひらひらと手を振って、教室を後にした。







093


旧校舎へ向かう途中、風子の姿を見かける。


ちょうど昼に誘おうと思っていたところだ。


「風子っ」


「岡崎さん、ナイスタイミングです」


「なんだよ」


「今から、ヒトデの材料を取りにいくところです。手伝ってください」


「そうなの? いいけど、そういえばどこからあの木は持ってきてるんだ?」


「美術室です」


「なるほどね…」


「はい。授業で使っているのを見たので、まだ無事なものを取ってきてました」


「取ったのかよっ」


明らかに教材だった。


「ですが、たくさんあったので大丈夫です」


「ほんとかよ…」


だが実際、それ以外に供給源は思いつかない。買うくらいだ。


俺たちは美術室のほうへ足を向けた。



…。



幸い、美術室は今は使っていなかった。風子に連れられ、隣の準備室に入る。


強い、絵の具のにおいがした。


キャンバスや画材、生徒の作品が大量に詰め込まれていて、ただでさえ狭いのにいっそう圧迫感がある。


絵が好きならば、こういう雰囲気は天国かもしれないな、などと思いながら、隅のほうの一角へ進む。


「これです」


木材が、大きなダンボールのどっさりと入っていた。


「すげぇ量だな」


「はい。全部いただきですっ」


「ばれるばれる」


突っ込みを入れる。


俺たちはダンボールをがさがさとあさる。



…。



「あれ? 誰?」


人の気配を感じたからだろうか…がらりと、引き戸が開いた。


「あ…」


しまった。


教師が、顔を覗かせていた。


「ねえ、今は授業中だぞ」


背の高い優男。よく覚えていないが、美術教師だった気がする。


「わ、わっ」


風子は慌てて俺の後ろに隠れる。マジかよ。


「ども」


とりあえず、会釈する。


「ああ、ども」


教師も頭を下げた。この人は、あまり威圧的な感じがしなかった。


「すんません、この木材がほしいんですけど」


「ああ、これ? なんで?」


「ちょっと、美術に目覚めまして」


「本当にっ?」


嬉しそうに、人懐っこい笑みを浮かべた。


あんたはむしろ授業でろと言うべきだろ…とも思うが、さすがにそれは言わない。


「とにかく材料が必要で、それでできれば」


「うーん…でも、これ教材だからなぁ…」


「あの…」


渋る教師に、風子が俺の後ろから顔を出して、おずおずと言う。


「お願いします」


頭を下げた。


「…お願いします」


俺も、風子に習って頭を下げる。


「うわ、ちょっと、参ったな…」


教師少しだけ考えて、


「うん、わかった、持って行っていいよ」


「ほんとかっ」


俺たちはぱっと顔を上げる。


美術教師は困ったように、照れたように頭をかいていた。


俺と同年代だから、妙に親近感がわいた。…いや、というか俺の精神年齢と、だが。


「運ぶのは、自分たちでやってね。あと、傷んでるのもあると思うから、気をつけて」


まあ、練習用にすればいいと思うけど、と呟く。



…。



「それじゃ」


「失礼しました」


「ああ、ちょっと」


ひとまず必要な分を手に持って出て行こうとする俺たちに、教師は声をかける。


「岡崎」


「はい?」


「ひとつ、課題だ」


「…」


「完成したら、出来がいいのをひとつ僕に見せてくれ」


「ああ…わかった」


「それなら、いい」


「それじゃ」


「あ、あとっ」


「ん?」


彼の顔を見る。


何か言いたげな顔をしていたが、目を合わせていると、その視線から険しさは薄れていった。


「うーん…まあ、いいか」


「?」


「岡崎、せっかくの高校生活だ。楽しんでくれよ」


「もちろん、そのつもりだ」


「それなら、いいかな」


美術教師は小さく笑い、もう行っていいよ、と手をひらひらさせた。


俺たちは再度頭を下げて、美術準備室を出る。






094


「いい人でした」


「まあな…」


この学校、あんな教師もいたんだな。


少し、認識を改めることにしよう。


風子に昼食のことを伝え、資料室に木材を置いたあと、俺たちは図書室へ向かった。



…。



「いただきましょう」


「「いただきます」」


ことみに続いて、唱和する。


「おいしい?」


ことみはまずは俺たちが食べるのをじっと見ている。


「ああ、うまいよ」


「やばいくらいおいしいですっ」


「よかった」


にっこりと笑ってから、ことみも食べ始める。


「とってもとってもおいしいの」


「ああ」


「今日は、ここが自信作」


きんぴらごぼうを手で示す。


「ああ、たしかにうまい」


「風子のお勧めはこれです」


「おまえ作ってねぇ」


穏やかな情景だった。


まだ授業中だから、辺りからは風の音と、木の葉の音くらい。


ひとつのテーブルにおそろいの弁当を広げて昼食、というのもなんだか慣れてきた。


「ことみは、授業どれくらい出てるんだ?」


ふと気になって聞いてみる。


「えぇと…一日、ふたつくらい」


「半分以上出てないのか…」


そりゃ、半ば図書室の守り神と化しているわけだ…。


「朋也くんは、大丈夫?」


「多分な。やばくなったら帳尻合わせるよ」


「うん…。がんばって」


「ああ」


変な励まされ方に、笑ってしまった。


「風子ちゃんは、朋也くんの家に住んでるの?」


「はい。岡崎さんがどうしてもというので」


「言ってない」


「そうなんだ…」


「言ってないからな」


念を押す。


「というかむしろ、ことみの家とか、こいつ預かれない?」


男女が一つ屋根の下、というのはやはり色々と問題がありそうな気がする。


そう思って提案するが、ことみは困った顔をした。


「あ、えっと…」


「いや、悪い。そりゃ無理だよな」


顔だけで、言いたいことはわかった。ことみは学力は高いかもしれないが、決定的に腹芸とかは向いてないよな。


「ずっと置いとくってなると、さすがに、家族がどういうことだって言ってくるからな…。となると、やっぱうちくらいだな」


「ええと…」


「ん、どうした?」


「…ううん、なんでもないの」


ことみは煮え切らない微笑を浮かべつつ、ふるふる首を振った。


ざわりと胸を打つ違和感。それは一瞬だった。


「…」


俺は外を見た。


曇天。


「もうそろそろ、放課後だな」


今にも降り出しそうな、空。



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