084
部室に戻るが、このまま部活を続けようという雰囲気ではなかった。
「今日は、すみません…」
「渚が謝ることじゃない」
「ですけど、わたし、どうにもできませんでした…」
じわり、と目の端に涙。
「おふたりは、すごく、がんばってました。わたしなんかよりも、ずっと」
「…」
「それなのに、わたし、ほとんど岡崎さんのおかげでこうしていられるのに、自分だけ勝手なことをしていました。合唱部の方の夢を、邪魔しようとしてます」
「渚さん、落ち着いてください」
「渚さん…」
宮沢が彼女をなだめる。風子は、そっと渚に触れようとして、おっかなびっくり、体を抱く。
「おまえは、がんばってるよ。もっと自信を持てよ」
「すみません…」
「…顧問が、両部を兼任することもできる」
「え…」
渚が、俺を見た。
「絶対に、どちらかの部しか設立できないってわけじゃない。他にも、なにか手はあるかもしれないし、まだやることはある」
「…」
憂鬱そうな瞳を伏せる。精神的に、かなりの負担だったのだろう。
まるで俺たちは、突然現れて合唱部に障害をつきつける悪者みたいだ。実際、持ってる条件は同じだ。だが、そう考えれば、そう見えてしまうのだ。
俺と同様のことは、みんな感じているだろう。
詳しくは覚えていないが、あの仁科という女子は、俺に似ていた。彼女が合唱部を立ち上げようという馴れ初めを、いつだか聞いたことがあった。
俺と同じように何も楽しめなくなっていて、だけど、彼女は、立ち上がった。
俺より、強かったのだ。
だから俺は素直に彼女を応援したい。
だけど、俺たちが出会う道は、対立する道だった。その道しか、なかった。
「両方笑える手はある。それに、演劇部だって俺がなにかしてやったなんてことはない。十分、がんばってる。ほとんどのことは、おまえが決めてきただろ」
渚が。
登れなくなった坂を登ったことを知っている。
決意して演劇部を立ち上げたことを知っている。
そして、今も、無理して先頭に立とうとしていることを知っている。
彼女らの敵意を、一身に受けようとしている。
渚も。俺より、強かったのだ。
だが、今の渚はその強さを、すべて俺ありきで考えてしまっているようだった。
踏み出したのが、自分自身の足なのか、信じられなくなっている。
俺は…、
「まずは明日、だ。あいつらと、ちゃんと向き合おう。できることはそれだけだ」
どうしようもなく、自分の力不足を感じていた。
085
渚を何とか励まして、彼女は先に帰っていった。一緒に帰る、と言ったが、大丈夫です、と断られた。
演劇部室に、俺と、風子と、宮沢が残される。
「くっそ…」
イスに座り込み、空を仰ぐ。無味な天井。憎々しい。それは、自分自身が、だ。
そもそも、合唱部との対立のことは知っていたのだ。
そして、相手が相応の理由を背負っていることだって、覚えていた。
だが…ここまで、こちらに衝撃を与えるとは、思っていなかった。
なんとかかわして和解する?
それができれば、以前だって、やっていた。
俺は何のためにここにいる?
渚と一緒に黙りこくるためじゃないだろう。
かわすなら、徹底的にかわすべきだった。事前情報も何もなしに、彼女らと話をするべきではなかったのだ。
ぶつかるなら、徹底的にぶつかるべきだったのだ。強力な理由をこちらにもこしらえて、真っ向から意見をぶつけ合えばよかったのだ。
結局、今は、相手の意思をくらうだけくらって、相手は、こっちの決意を少しも知らない。
何をやっているんだ、俺は。
俺は…。
「朋也さん」
ぴとっと、頬に、冷たい感触。
「うわっ!」
「考えすぎは、よくないですよ」
宮沢が、にこりと笑った。頬に当てたジュースをとん、と目の前の机に置く。
「岡崎さん、悩んでばかりはよくないです」
と、風子。
俺は、ぽかんとして、彼女たちを見た。
宮沢が、向かいの席につく。
風子が、傍らの席に座る。
「さあ、考えましょうか。他になにか、いい案が浮かぶかもしれません」
「風子も、今だけ演劇部員になります。期間限定です」
「……」
泣きそうになった。
俺は、一人ではなかった。一緒に、背負ってくれる奴らがいた。
「…ありがとう」
できれば、心が伝わりますように。俺は、頭を下げた。
目の前に、缶ジュース。煮えたぎった頭は、少し冷えた。
「宮沢」
「はい」
穏やかな、表情だった。いつもの宮沢だ。救われるような思いがした。
「ごめんな、いきなり初日にこんなことになって」
「はは、わたしもちょっと、驚いてしまいました」
ですけど、と続ける。
「わたしは、演劇部が好きです。力になりたいって思っています。まだ、新入りなんですけど」
「ゆきちゃんがいれば、百人力です。ちなみに、風子もいるので、二百人力です。なので、岡崎さんも入れれば、二百一人力ということです」
「俺は、一人分かよ」
「厳正な審査の結果です」
俺と宮沢は、少し笑う。
「さて、じゃ、どうしようか」
「そうですね…」
「俺からは、あれしか思い浮かばないな。顧問を兼任すると、毎日は活動できないけど」
「あの、それって可能なんですか?」
「できる。それは、保証する」
以前がそうだったのだ。
「なるほど…」
それから、しばらくの間話し合う。
だがやはり、最初に俺が提案した以上の策は、見つからなかった。
顧問になれる教師が幸村しかいないのだ。となると、別の案なんて他から教師を探してくるしかない。だがそうなると、時間もないし労力的にも足りない。
結局、 明日、顧問の共有を合唱部に持ちかけてみよう、という話になる。
向こうだって、両方笑えればそれがいいだろう。
今日の部活は、これでお開き。
あとは、渚が、明日気を張ってきてくれればいいが…。
傍から見ても随分ショックを受けていた。
悶々と考えすぎなければいいけど…。
086
幸村に明日時間をつくってもらう旨を頼みに、職員室へ。
宮沢と風子は、外に待たせる。
「じいさん」
「ん…岡崎か、なんじゃ」
「あんた、俺たちが衝突するって知ってただろ」
「うむ…」
「なんとかしようとか、思わないのかよ」
「まあ落ち着け」
「…」
「岡崎」
「なんだよ」
「それで…おぬしは、どうするつもりだ?」
老教師は、俺を見る。
そう言われて、俺は鼻白む。
「あ、あぁ…あんたに、両部の兼任を頼みたいんだ。明日あいつらと話し合うことになって、その時言ってみるつもりだ」
「ふむ、そうだの…」
手を顎に当てて、撫でる。
「それしか、ないかの…」
「ああ」
「ふむ…」
話は、もう終わったようだ。俺は立ち去ろうとする。
「それじゃ、じいさん、明日頼むよ」
「…岡崎」
「え?」
「創立者祭にはの」
「ああ」
「規約がある」
「…」
眉をひそめる。何の話だ?
「生徒会顧問の教師が管理してるはずじゃ」
その教師の名を教えてくれる。
「今日はもうおらん。明日にでも、訪ねてみるといい…」
なにか策でもあるのだろうか。
それにしても…創立者祭に関しても、細かい規則があるというのか。なんて面倒な学校だ。
「わかったよ」
俺はきびすを返す。
「岡崎…」
背中に老教師の声が届く。
小さな声は、こう言っていたような気がした。
…焦るでない、と。
…。
三人で下校する。会話は、さすがに、弾まない。
ぽつぽつと先ほどの幸村の話をして、だがなんにせよ問題は明日に送るしかない。
途中宮沢と別れ、風子と並んで歩く。
「大丈夫です」
「なにが」
「渚さんです」
「…」
「岡崎さん、言っていました。渚さんは、強い人です」
「ああ」
「だからきっと、平気です」
「…」
「明日、渚さんにプレゼントをします」
「ヒトデを?」
「違います…特製の、スペシャルヒトデですっ」
「…」
ヒトデだった。
「なにが違うんだよ」
「わかりませんか? このスペシャルな感じ…」
「全然わからねぇよ…」
それから、風子に彫りこみの妙味の話を延々とされる。
風子は風子なりに、渚のことを心配しているのだと思う。
しかし、数個しかヒトデを作ってないおまえがそこまで語るか、とツッコミを入れたくなってしまった。
帰宅する。
「ただいま」
「お邪魔しますっ」
延々と風子の話を聞かされて、俺は痩せたかもしれない。
まだ、親父は帰ってなかった。
俺は放課後でぐったり疲れて、すぐに寝始めて、明日の朝まで眠っていられそうな気もしたが、さすがにそれはもったいないと考え直す。
だからといって、これという趣味もないからな…。
結局、俺は風子と一緒にヒトデを彫った。
風子は結構な量の木片を持って帰っていた。どこから見つけてきたのだろうか。
あるだけの分を、ヒトデに変える。
「いいですか、岡崎さん。ヒトデを彫ると思ってはいけません」
風子はない胸を張って語る語る。
「この木から、ヒトデを取り出すんです。ヒトデは、ここに埋まっているんです。土から、石を取り出すようなものです」
おまえはどこの名工だ。
というか、今日失敗して痩せ細ったヒトデを渡したのは、どこのどいつだ。
はいはい、と相槌をうちながら、ヒトデを彫る。
持ってきた分が終わると、並んでテレビを見た。
ずっと、俺は、夜は長いと思っていた。
高校時代の夜も、汐とふたりで暮らす夜も。
それは、なんとか時間をつぶさないといけないものだった。
だが、今は、そうも思えない。
ちんちくりんな少女を思う。
彼女は、本人は否定するかもしれないが、ただ俺にとっては…
家族だった。
そして、夜は更けていく。