folks‐lore 4/17


044


プレゼントを作ります、と言って風子は美術準備室へと資材確保に行ってしまった。俺も付いていこうかと申し出たが、断られてしまった。


「岡崎さんも、今できることをやってください」


…そんなこと言われても、正直今すぐやるべきことがなかった。だがそれではあまりにもかっこ悪いので、「おう」などと答えてしまったが…。


正直行く場所はなかった。この時間だと、授業に戻るにも微妙だ。というか、俺はもう少し真面目に授業に出たほうがいいな…。


だがさしわたしどうするか。


少し考えて、足は登り階段へと向いた。図書室へ。


歩きながら、先ほど胸に浮かんだ情景を思い出す。風子にかけるべき言葉を探しているうちに、ふいに浮かんだ光景。だが、それは今ではほとんど像を結ばなかった。


大切なことだったような気がする。とても、嬉しいことだったような気がする。


俺の中の深海とでもいうべきところに眠っていたなにか。


一瞬だけ、光に照らされたそれは、今は既に元の静寂へと還っていった。


今となっては、それは俺に何も訴えてはこない。ただ、暖かさだけが、まだかすかに残っている…。







045


「…あ」


「よ」


図書室に入ると、読書少女が床をモップで拭いていた。


「もうちょっと、待っててね」


全然驚いたそぶりもなく、声だけかけると作業を再開する。


床を拭いて、クッションを持ち出して、近くの机の上に置いてあった本をまわりに広げて、靴下を脱ぐ。


その間、俺はイスに座ってのんびり外を見ていた。なんか、老人みたいだな。まだ何も始まってないぜ、なんて言っていたのが嘘のようにやることがなかった。いやいや、今はない、というだけだが。


「なあ」


「?」


声をかけると、少女は首をかしげる。


「えぇと、一緒にご本、読む?」


クッションの隣をぽんぽん。


「違う」


「そっか…」


しょんぼりしてしまった。


「名前、教えてくれ」


「…うん」


彼女は目を細めて小さく笑う。座っていたが、立ち上がる。まっすぐに俺を見る。


「ことみ、ひらがなみっつで、ことみ」


「ことみ…」


「呼ぶときは、ことみちゃん」


「いや、ちゃん付けは勘弁してくれ」


「だめなの?」


「もういい年だからな。ことみって呼べばいいか?」


「ええと、うん」


「名字は?」


「一ノ瀬」


「俺は、岡崎朋也だ」


「朋也くん」


「ああ」


「朋也くん」


「…」


「朋也くん?」


「ああ」


「朋也くん朋也くん朋也くん」


「…」


「朋也きゅん」


噛んでいた。いや、わざとか…?


「朋也くん」


最後に、確認するように呟くと、うんうんと頷く。


「なんだか、不思議な感じ」


おまえがだ、と言いたくなったが、やめておいた。


しかし、一ノ瀬ことみね…。名前を聞けばなにか思い出すかもしれないと思ったが、俺の記憶には、ひとつの波紋も浮かばなかった。


「今日はずっとここにいるのか?」


「ええと…うん。お昼休み以外は」


「そうか」


俺は外を見やる。今日もいい天気だ。緑が混じり始めた桜。季節は、移っている。


「俺は今日は、授業に出ないとな。出席がやばいんだ」


「そうなの?」


「ああ。おまえは大丈夫だけどさ…」


…波紋が、広がった。


あれ?


違和感を覚えた。どうして彼女は、内申が平気なんだ? 俺は彼女について、何も知らない。


どうしてそれを、自然に言えたんだ?


小さな波紋は、さざなみへと、変わっていた。


「どうしたの?」


「いや、なんでもない」


頭を振る。なんなんだ、今の焦燥は。心がしぼんだような、俺の存在がかすんだような、異様な不安感。


「でもなにか、お勧めの本でもないか? さすがに今からじゃ授業に戻れないかさ、それまで読むような」


取り繕うように、そう言っていた。


「あんまり読書してなくても読めるような、簡単なやつ」


「入門編みたいなご本?」


「ああ、そういうのがいい」


「少し、待っててね」


にこりと言うと、本棚のほうへ歩いていった。


書棚の中を右往左往して、本を持ってくる。


「これはどう?」


「えーと、『力学・場の理論』?」


「物理学なら、まずはこれ」


「…」


どれだけ高いハードルを用意しているのだろうか。


「いや、物語のほうがいい」


「うん。ちょっと待ってて」


気を悪くした様子もなく、また戻っていって、右往左往。


で、帰ってくる。


「これはどう?」


「『旧約聖書』『ラーマーヤナ』『コーラン』」


「とっても有名な物語」


「旧約聖書とコーランは問題外として、このラーマーヤナってどんな話だ?」


「えーと…」


ちょっと考え込む。


「王子様が、おさるさんの軍隊を率いて、王女様を救う話なの」


「ちょっと面白そうだな…」


ぱらぱら広げると、超難しそうだった。こっちも神話かよ。


「ちょっと…難しそうだな……」


「そっか…」


「短くて一話完結みたいなのがいい…って、リクエストが多くて悪いな」


「ううん」


みたび、ことみは書棚を右往左往。


「はい」


『絵のない絵本』


「…」


もう難しい本は諦めてくれたようだった。なんだか、それはそれで悔しかった。


「すごく短いけど、とってもとっても面白いの」


「まあな」


たしかに、これくらいぺらぺらなら、問題なく読めそうだった。童話だし。


「じゃ、しばらく読ませてもらうよ」


「うん」


ことみはクッションに座り、本を読み始める。


その姿を眺めて、ちょっと和んでから、俺も本に目を落とした。


…。


チャイムが鳴った。俺は顔を上げる。


一時間目が終わったところだった。教室に戻ろうと、腰を上げる。


「おい」


「…」


声をかけても、反応なし。そこには、一心に本を読んでいることみの姿が。


「ことみ」


「…」


名前を呼んでも、やはり意味なし。


もうさっさと出て行ってしまおうか、などとも思うが、それもさすがに、とも思う。


「おい、ことみ…ちゃん」


ふと、思いついた。


呼ぶときはことみちゃん、というわけだ。


「…朋也くん」


信じられないことに、ことみは夢から覚めたように顔を上げた。


…なんだか妙に、気恥ずかしい気分になる。


「ああ、邪魔して悪い…。俺、二時間目から授業行くから」


「そうなんだ」


互いに、時計を見やる。


「お昼は、くる?」


「まさか弁当作ってきたとか、言わないとな」


「ええと…」


ちらり、と視線を巾着に移す…巾着じゃない!? あれは明らかに重箱だ!


「全然反省してないだろおまえっ。いつも一緒に食えるわけじゃないって昨日言っただろうがっ」


「いじめる? いじめてる?」


「いや、いじめてはないと思うんだが…」


涙目になられても。


ぐったりと力が抜ける。そして、なんだか笑ってしまう。


「わざわざ、ありがとな」


「ええと…」


戸惑った瞳が俺に向けられていた。


「せっかくだし、一緒にそれ、食わせてもらうよ」


「うんっ」


ぱあっと、笑顔が広がった。小さな子供みたいだ。本に囲まれて、純粋培養されてきたのだろうか。本に、囲われて。


いじらしい彼女の表情に、だけどどうしても俺は、胸の奥に違和感。


「…でも、ここで食うのはまた今度だ」


「???」


「今日は、資料室で飯を食おうぜ」


「資料室?」


「ああ。図書室に入りきらなかった本が入ってる部屋があるんだ。知ってるか?」


「ううん」


首を振った。


「今日はそこでどうだ?」


「ええと…」


目を伏せてちょっと考え込み、また俺の顔を見た。


「うん…」


「決まりだな」


俺は笑う。とりあえず、彼女をここから連れ出すことに成功だ。


どうしてかわからないが、なんとなく、ここに篭ったままでは、ことみにとってよくないような気がした。まず最初は、宮沢をぶつければとりあえず心配はない。


なんとなく、ことみは、藤林姉妹とかともかなりいい相性なんじゃないかという気もした。


ああ、むしろ、渚も誘ったらどうか、と思いつく。


ことみと宮沢。彼女らは俺の中で演劇部員候補者に入っている。勧誘できる空気になるかわからないが、顔合わせくらいはしておいて、後で渚に人材としてどうかと聞いてみるくらいならいいだろう。


まあ、渚が「あいつはダメ」なんて言うわけないが…。


「昼休みになったら、資料室に来てくれ。旧校舎の一階、一番端だから」


「うん。わかったの」


「じゃあ、またな」


「うん、またね」


図書室を後にする。



最後、振り返ると、ことみは立って小さく手を振っていた。


俺は、その姿を見て、なぜか胸がつまった。そんな姿を、俺は、知っているような気がしたのだ。


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