folks‐lore 4/16


027


二時間目の授業が終わる。


疲れたというか、もう辛かった。資料室にでも逃げ込もうか…。いや、あるいは、図書室に行こうか。


…。


図書室、俺は考える。


また明日。昨日の少女の言葉。それが、頭の片隅に引っかかる。


なんとなく。


俺はまた、あそこに行くべきなんじゃないかと思えた。


彼女は俺を求めているように思えた。そして俺の心も、彼女を求めている。


感応、と言ってしまうと話がちょっと胡散臭くなる。だがある種の予感を感じるもの事実だった。


…よし。


行く先を決めて、立ち上がる。


「よぉよぉ、お待たせ」


目の前にニヤケ顔があった。


バキッ!


「ぐえっ…っていきなり何すんですかあんたはっ!」


「あぁ…すまん、気持ち悪くてつい」


「開口一番きっついセリフだね…」


「登場が唐突なんだよ」


「まあいいけどさ。それより、さっさと行こうぜ」


「どこに?」


「坂上って女のとこさ」


「ああ、そういえば…」


「善は急げってやつだよ」


「はいはい」


別に今は、春原に付き合えばいいか…。そう思い直して、足音軽やかな後ろ姿について行く。


…。


二階に下りる。


「で、クラスは?」


「B組だってさ」


下調べはしてあるらしい。


一ヶ月前はこの階で授業を受けていたのだ(体感的に俺は違うが)、春原はずんずんと進んでいく。


「さて、ここだ…」


教室のプレートを見上げる。


二年B組。


「それじゃ、いこうぜっ」


「いってこい」


「って、おまえはこないのかよっ?」


「どうせ外で話を付けるんだろ? 早く行ってこい」


「まあね。それじゃ、ちょっと待っててくれよなっ」


そう言って、肩を怒らせた感じに雰囲気を作り、教室のドアを開けようとする。


その瞬間、ドアが開いた。


「あん?」


「ん?」


出てきた女生徒と、春原が肩をぶつける。


「ああ、すまない」


彼女は軽くそう詫びて、また前を向いた…が。


「ちょっと待ちな」


春原が彼女の肩を掴んでいた。その口の端はにやりと歪んでいる。こちらからすれば、因縁をつける手間が省けたといったところだ。


「先輩にぶつかっておいて、すまないなんて言葉だけで十分だと思うかい?」


「…?」


智代は春原の胸の校章を見やる。続いて風体を確認して、顔をしかめた。


「きちんと謝っただろう。それに、敬うべき人間は敬うことにしている」


さらりと一言。


彼女の声、彼女の仕草が懐かしい。


「はっ…」


春原が笑った。やる気か、いい度胸だ、手っ取り早い…。そういう、表情。


「おい、おまえちょっと、顔かせよ」


智代は眉をひそめて、辺りを見渡す。


遠巻きに、何人かがこちらを見ていた。どう見ても、穏やかな情景ではない。ひそひそと話をしたり、伺うように覗き込んだり…まだ、教師を呼びに行っている様子はないが。


視線がつっと動いて、俺を見据えた。敵意のある目だった。俺も春原の仲間だと思われているらしい。仲間じゃないけど。


肩をすくめて言った。


「ま、少し付き合ってやってくれ」


「…仕方がないな」


注目を集めるのは、彼女も本意じゃないというところだろう。小さくため息をつく。


歩き出した春原に、智代、俺と続いた。


…。


場所を移した。旧校舎の一階。


春原と智代は、三歩分くらいの距離をあけて、向かい合って立っていた。俺は春原の後ろで、壁にもたれかかって見守ることにする。


「それで、何の用だ」


「どうやら、まだわかってないらしいね」


「ああ、わからないな。だから教えてくれ」


「ああ…教えてやるよ」


春原の不遜な表情と、智代の怪訝な表情。


「昨日のことだよ」


「どのことだ」


「決まっているだろ」


「…?」


「他の学校の奴らが、バイクで入ってきたことさ」


「ああ…」


合点がいったようだ。小さく頷く。


「それがどうしたんだ?」


「他のひ弱な生徒はだませたかもしれないけど…」


「残念ながら、おまえもひ弱だけどな」


「ちょっと外野は黙ってろよっ」


「じゃあ外野だから帰るな」


「いや、嘘嘘っ」


「それで、なんの話なんだ?」


「…はっ、つまりだ。あれは演技だったんだろ? 示し合わせて、全部予定通りみたいな?」


「どういうことだ?」


「だけどあんなので人気者になれるなんて、バカなことを考えたねぇ。あいつらには何か払ったの? お金? それとも、あっちのほう?」


「…」


「女の子はいいねぇ、そんなので、バカな奴らは扱えるからね」


「…」


ぶち、と、なにかがキレる音がした。俺は心中で合掌。


「…いいだろう」


「へ?」


「この学校では、暴力はふるわないと決めていた。だが、おまえは素行が悪い生徒のようだしな…」


「ふぅん、そうかい。やるってか」


「ああ」


「それじゃ、どこからでもかかってこいよ」


「そうさせてもらおう」


二歩。素早いステップで、身をかがめるようにして春原の懐に入った智代は、足を振り上げる。


春原は、何も反応できていない…


ずがががががががっ!


次の瞬間には、その姿は空を舞っていた。


…。


「うううぅぅ…」


智代の姿はもうない。すでに授業は始まって、俺は動かない春原を見守っていた。


「ほら、本物だっただろ?」


「いや、あれはなにかの間違いだっ」


がばっと身を起こす。


「いてて…ちょっと体がなまってたかな? 寝起きだったからかな」


「無理するなよ」


「してないっつーのっ。ったく、ちょっと油断したな…」


「完全に負けたように見えたぞ」


「ちょっと昨日食べた物があたったのかも」


「どんどん言い訳が見苦しくなってるぞ」


春原は苦笑いをする。


制服に付いた埃を指でつまんで、窓の外に捨てた。


「ともかくだ。このままじゃいけないよね」


「つまり?」


「岡崎、放課後付き合いな。出直して、もう一度チャレンジだ!」


腕を振り上げた。


一人で盛り上がっているところ悪いが、チャレンジってセリフがすでに負けを認めているだろう。






028


秘密の特訓をしてくる、と言って春原はどこかに行ってしまった。


さて、俺はどうするかな…。


この時間から授業に戻る、というのは選択肢になかった。どこかで時間を潰すしかないか…。


幸い、ここは旧校舎だった。さっきも考えていたことだ、図書室に行ってみよう。


ポケットに手を突っ込んで、歩き始める。物音もしないし、温かい風、しっとりと人の雰囲気を感じる、学校の空気だった。


足は向く、旧校舎の一番端の教室へ。


…。


図書室の引き戸は閉まっていた。


誰もいないのだろうか。試しに、手をかけてみる。


「おっ」


するすると、扉が開いた。


中を見てみる。人影はない。物音もない。ひとつ、昨日と同じ窓が開いていて、カーテンがゆるやかにそよいでいる。昨日と同じだった。


少しも変わらない。なんとなく、そんなことに、安心してしまった。


歩み寄ると、少女が本に目を落としていた。じっと文章に視線を注ぐ。時折、ページがめくられる。


同じ時を繰り返しているようだ…なんていうと、さすがに俺には笑えないか。


傍らに立っても、俺に気付く素振りは全くなかった。


なんとなく、邪魔しては悪いかとも思う。


彼女に聞きたいことはある。どうして授業中ここにいるのかとか、そもそも自己紹介をしていないし、彼女自身の浮世離れしたキャラクターにも興味はあった。


だが、別にそう急いた用事でもない。その時になったら、聞けばいい。


椅子をひいて、腕枕をする。少し、眠ろう。


……。


…。


前髪が風に揺れた。ゆっくりと、意識が覚醒する。


「おはよう」


「ん…」


目の前に、女生徒が座っていた。いつからそうしていたのか、弁当が用意されている。というか弁当が二つある!?


「………おはよ」


体を起こす。時計を見ると、四時間目が始まって少ししたくらいだった。一時間くらい寝ていた計算だ。


「こんな食べるのか?」


「ううん、今日は、二人で分けられるように作ってきたの」


見てみると、箸も二膳あった。


「もしこれで、俺が来なかったどうしてたんだ? つーか、昼前に来るとは限らないし」


「あ、そっか…」


今気付いたようだった。苦笑してしまう。やはり、変な奴だ。


「…」


というか、ありえないだろう。どんな変な奴でも、見ず知らずの人間に弁当作ってくるなんて、それはさすがに。


要するに、だ。俺は彼女と知り合いなのだ。多分。それも、弁当を作って貰えるほどに。


俺は目の前の少女の顔を見てみる。


…こんな奴いたか?


さっぱり思い出せない。そこまで記憶力が悪い方でもないと思うのだが。


…だが、いや、待てよ。そこでまた別の可能性に思い当たった。


俺はずっと、自分の意識が過去に遡ってきたのだと思っていたが、そこがすでに誤りなのかもしれない。もしかしたら、単なる過去ではなく、全く別のパラレルワールドに迷い込んだという可能性もないか?


その世界で、俺はまた別の行動をとって、彼女と知り合いになっていた…って、SFかよ。


それはたしかに否定はできない。だけど肯定もできない。可能性のひとつだ。


少しずつ、探りを入れてみるしかない。


「どうしたの?」


「ああ、いや、なんでもない。悪いな」


素直に弁当を受け取る。


「今日は、筑前煮と塩鮭とおひたし」


「純和風だな」


あけると、しっかり詰められた料理が顔を出した。冷めてもおいしいラインナップ。


少女が手を合わせる。


「いただきましょう」


「いただきます」


「はい、おはし」


「おう、悪いな」


妙に馴染んでいる自分がいる。自然なやり取りだった。


俺は各品目を、順々に食べていく。


「うん、うまいな。よく味が染みてる。味のつけ方も、好みだな」


「…よかった」


ほっと、ため息をついていた。見てみると、彼女はまだ料理に手をつけてもいない。じっとこちらを伺っていたようだ。


箸を持って、自分の弁当を食べ始める。


「とってもとってもおいしいの」


「ああ」


黙々と食べる。開いた窓から、体育の授業の声が聞こえてきた、ほんの微かに。別世界の出来事のように。


「なんだか、ふしぎな感じ」


ぽつりと、少女が言った。


「なにが?」


「一緒に、ご飯食べてるから」


「…」


今のセリフについて、考えてみる。つまり、ずっと昼飯を一緒に食べていなかった。昔は一緒に食べていた?


もしかしたら、ずっと子供の頃の知り合いなのかもしれない。


あるいは、数日一緒に食べていなかっただけだが、彼女の視点からすれば長い時間に感じていたとか。正直、どうとでもとれる。


「今日は、粘土じゃないの」


「え?」


なんだそれ?


思わず少女の顔をじっと見つめてしまう。


「???」


どうしたの? という表情で首をかしげた。


「粘土?」


「うん…ふしぎな感じ」


おまえがな、と言いたくなったが、こらえる。


何を言っても墓穴を掘りそうだ。まあ、相手が彼女ならば、そんなつっついてくることもないだろうけど。


「好きな食べ物、ある?」


「……カレーとか」


言ってから、なんだかずいぶん子供じみた答えだと愕然としてしまった。


まあ好物なんて、人が丹誠こめて作ってくれた家庭の味だったら、正直なんでもいいというところもあるけれど。そういう料理を、もうずいぶん長いこと食べていない。いや、というか、よくよく考えれば今現在進行で食べてはいるのだけれど。


「カレーは、お弁当にできないからだめ」


「…」


もしかして餌付けされているのだろうか?


「明日も一緒に弁当食べるのかよ」


「ちがうの?」


びっくりした顔で見られた。


「急な用事が入るかもしれないし、他の奴と食べるかもしれないし…な」


「そうなんだ…」


「そういえば」


「?」


「おまえ、部活入ってるか?」


「???」


きょとんとした顔で、ふるふると首を振る。


予想通りだ。部活やってるなら、部の仲間と食べるだろうし、そもそもここまで浮世離れしていない。


世間知らずっぽいし、うまい具合に演劇部に引きずり込むことができるかも…というと、なんか暗躍してるみたいだな。


「実はおすすめの部活があるんだ」


「…」


「演劇に興味あるか?」


「演劇?」


「ああ」


「オイディプスとかお能とか?」


「古典は予定にない」


「そうなんだ」


「ま、考えといてくれればいいさ。近いうちに、もうちょっと話したいことができると思う」


勧誘するのは俺じゃない。種だけまいとけばいい。


それから食事中、彼女はそのことを考えているみたいだった。


…。


時計を見ると、そろそろ昼休みが始まる。


「行こうぜ」


「うん」


後片付けをする。さっき俺が起きた時点で机の下のクッションとかはしまってあったから、弁当を巾着にしまうだけ。


「あの…」


「ん」


部屋を出ようとする後ろから、声をかけられた。


振り返ると、少女は頼りなさげな表情で、こちらを見ていた。


目にはなんとなく憂いがあった。ひとりぼっちで置いていかれたような寂しさがあった。


「おとといは兎を見たの」


「え」


「きのうは鹿、今日はあなた」


水が流れるように言葉がつむがれた。彼女はまっすぐにこちらを見ていた。


俺はなにかを求められている。それは、わかった。


だが、今のセリフがなんなのか、それは見当もつかない。


「なんのセリフだ?」


「ううん」


かぶりを振る。笑みを浮かべる。


だけど、表情はぎこちなかった。目には失望の色があった。


今の言葉は、彼女の中で、大切なものだったのだろう。


…いや、俺と彼女の間で、かもしれない。


だが、それに応えることはできなかった。答えの兆しも見えなかった。


「…俺は」


「?」


「俺はいつか、そのセリフを、聞いたことがあるのか?」


「…ううん。なんでもないの」


表情は変わらず、俺を追い越して振り返る。


「お昼休み、はじまっちゃう」


「ああ…。ほら、本貸せよ。持つから」


「…うん。ありがとう」


今日は持ち帰るらしい本を受け取る。


図書室を出た。


俺は、前を行く彼女の頭の髪飾りが揺れるのを見ていた。子供っぽい、プラスチックの丸い玉がついている。


彼女が身につけるには、似合っているようでそぐわないような気もする。


そんな小さな矛盾が気になった。俺を知っているような初対面の少女。渚や父さんに関わっていきたい気持ちと避けたい気持ち。変わらずにいてほしいという気持ちと、変わらずにはいられない様々なものたち。


俺は口の中で矛盾だ、と呟いた。そんな空気の固まりは、不快なしこりを残して、体の奥におさまっていった。




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