folks‐lore 4/14


008


資料室。


風子の時みたいに、中に人がいるなんてことはなかった。当然だが。


幾つもの本棚。テーブルにイス。隅の低い棚の上には、コーヒーメーカーが置いてある。そして棚の中にはフライパンやらガスコンロがあるはずだ。


懐かしい光景だった。つい笑みがこぼれてしまう。


だが、思い出探しに来たわけではない。俺は隅の本棚から、順にタイトルを読んでいった。生徒の名簿か、あるいはクラスわけのプリントが配られたはずだから、それでもいい。


本棚はさらっと見るだけ見て、むしろプリント類を漁る。


ああ、「保健室だより」なんて、あったなぁこういうの。ちゃんと読んだことないな…いや、今読んでもマジ仕方がないか。



…。



やがて、チャイムが鳴る。二時間目の授業が終わったチャイムだろう。


ずいぶん集中して探してしまった。しかし、なかなか見つからない。まだ半分くらい残っているが…。


伸びをしていると、不意に扉が開いた。


「あ」


「ん?」


目があった。背中までのまっすぐな髪と、清潔そうな身だしなみ。ひとりの少女が引き戸をあけてこっちを見ていた。


その姿を見て、頭の中身が切り替わる。どうして忘れていたのかと思うほど、すんなり思い出せた。


「宮沢っ」


宮沢有紀寧。それが彼女の名前だった。


ひどく懐かしい。同窓会に来た気分だ。


だが、対して彼女はくりっと目を広げて、小さく小首をかしげた。気の利いた女の子は三百種類くらい返事の仕方を知っているのだ。


「あの、わたし、お知り合いでしたでしょうか?」


にっこり笑って、問いかけた。


「あ、ぐ…」


こんな世界に迷い込み、誰かと対話をしたいと望み、その最初のセリフからして失言だった。ああ、まったく。


「いや、なんでもない」


「?」


彼女は不思議そうな顔で、俺をのぞき込む。だが、すぐに切り替えて、にっこり笑った。


「あの…資料室にいらっしゃるのは、初めてですか?」


「ああ、まあな」


話題の転換がありがたい。俺の精神年齢と彼女の今の年齢とでは結構違うはずなのに、宮沢の方が大人のような気がしてきた。


「ちょっと、探してるものがあるんだ」


「そうですかっ」


嬉しそうに笑う。


「それでしたら、わたしもお手伝いします」


「…いいのか? 何か用事でもあるんじゃないのか?」


「いえ、そんなことはないです。ここが好きだから、来ただけですから」


知っている。それは真実だ。


厚意に甘えることにした。


「生徒の名簿っていうか、一年生のクラスがのってるものを探してるんだ。今年の。ちょっとクラスを知りたい奴がいて」


「名簿ですか」


「あるいはクラスがのってるプリントでもいいんだけど」


「ああ、始業式の日に配られましたね」


「わかるか?」


「探してみましょう」


「ああ」


手分けして、探してみる。二人がかりだったので、残りもすぐに探せた。



…。



だが、目的のものは見つからなかった。


「なかったな」


「そうですね、すみません」


「いや、宮沢のせいじゃないって」


「はぁ」


時計を見ると、休み時間はもう終わりそうだった。


「悪い、時間使わせて」


「いえいえ。それじゃ、わたしは教室に戻りますので」


「ああ。…あ、宮沢っ」


「はい?」


歩き出した彼女が、振り返る。


「ありがとな」


「いえ。よろしければ、また、資料室にいらしてくださいね」


お辞儀をして、部屋を出て行った。


俺は閉まったドアを見つめて、息をつく。仕方がない、一年の教室を一つ一つ見て回るか、いや、自分の机を漁ればあるかもしれない。捨ててる可能性が高いが。


さて、これからどうするか…。


俺が未来からやってきて今ここにいること。きっとやるべき事はどこかにあるのだろう。しかし実際、今なにをやればいいのかもわからない。


…教室に戻ろう。


結局、そんな結論しか出てこない。


ふらふらふらふら、いったい何をやっているのだろう。


身の置き場がない。別の群れに紛れ込んだ羊みたいな気分だ。







009


放課後になる。結局、春原はやってこなかった。


それにしても、何時間もわからない授業を聞かされるのはつらい。数学と違って他の授業はそれなりにわかるが、興味が薄いから、集中も散漫だった。


今朝持ってきた教科書を、机の中につっこむ。持って帰ればいいのだが、それも面倒だった。机の中の堆積物がまた増えてしまった。


生徒の流れに乗って、帰途につく。


そして、着替えをすると俺はすぐに家を出ていた。親父に会うのを、なんとなく避けてしまった。


親父になんて言えばいいのかわからなかった。


今の俺は昔の自分ではない。親父を軽蔑していないし、嫌ってもいない。それは本当だ。


だが、今親父に何を言っても、届かないような気がした。


俺は親父と同じような道を辿った。汐を放って過ごしてきた。


俺たちは立場を近くすることによってわかりあえた。汐が共通言語だったのだ。


二人の間を取り次ぐものは、今はない。


俺はなんて言えばいいのだ?


もう恨んでいない、とか言えばいいのか? あんたの気持ちはよくわかる?


突然そんなことを言ったって、それが親父に届くのか?


…期待できそうにない。


時期ではないのだ。すぐに崩せる壁じゃない。俺と親父が協力して作り上げた、高い高い壁だ。強力で、冷たくて、決定的な壁だった。お互いが壁の両側に立って、毎日せっせと塗り固めてきた。


壁の向こうで何が行われているのか、俺は知らない。それが、その後、親父の犯罪に繋がっていくのかもしれない。


俺は耳を澄ませて、向こうの物音を聞き分けようとする。だけど、ざわめきや風音で、ほとんど何も、届かなかった。


それが、かつての俺たちだ。


そしてつまり、今の俺たちだ。






010


結局、俺は家を出て、あたりを散歩することにした。


日は沈み、自然と足は、学生寮に向いた。


寮にはいると、右手、食堂の方が騒がしい。食事時なのだ。


こんな早くに来ることは、ほとんどなかったような気がする。さすがに寮の食事の時間なんて覚えていなかった。


とはいえ気にせず、春原の部屋に向かった。


ドアを開ける。かすかな埃っぽさ、汗くささ、菓子やジュースの残り香、そういった色々が混ぜ合わさって、男の部屋を形作っていた。


こういう種類のにおいは、誰でもそう違わない。男の俺からしたら、そう嫌いなにおいではなかった。


雑然とした部屋だ。周囲を軽く見渡して、こたつと壁に挟まれた空間に入り込む。


すごく落ち着いた。


手頃な雑誌を掴んで、読んでみる。


そして、苦笑。


マンガはこの先の展開まで知っているのだ。ろくな暇つぶしにならない。


新しい趣味でも開拓しなければならないのだろうか。


しかし、よくよく考えてみると、俺は将来のことを知ってるんだな…。


その知識をうまいこと使えば人生バラ色?


といっても、株関係のことはよくわからないし、宝くじなどの番号だって覚えているはずはない。


いや、でも競馬でメチャ勝ちしていた馬とかくらいならわかるぞ。ニュースでも話題になっていた。


「…」


そんなのに群がる自分もどうもなぁ…。元手もないし。


でも一点買いすればそれなりに利益が出るのか?


でも倍率とかかなーり低かったとも聞いたぞ。


つい腕を組んで考えてしまった。



…。



そうこうしているうちに夕飯は終わったらしく、にわかに廊下が騒がしくなる。春原もじきに戻ってくるだろう。


俺の目から見れば、長い時を経ての再会だ。


驚かしてやろうと思って、こたつの中に身を潜めた。



…。



やがて、ドアが開けられる。春原が帰ってきた。


「ふぅ」


息をつきながら、こたつを迂回するように歩いていく。


俺は足音を聞きながら、こたつをそっと持ち上げて、外の様子をうかがいながら…


ずぼっ!


がしっっ!!


思いっきり、春原の足を掴んだ。


「ん?」


…。


「うわあああぁぁぁぁーーーーーーっ!!」


大成功だった。



かくして。


春原が叫び、ラグビー部員が「うるせぇ!」と乱入してきて春原の頬を一発張って、春原は壁まで飛ばされて激突、寮全体に衝撃が走り、美佐枝さんが怒鳴り込んできて、ラグビー部員と春原を絞り、俺はマンガ雑誌を読んでいた。


かくして。


「なに呑気にマンガ読んでんだよっ」


さっきのがこたえたせいか、さすがに怒鳴るほどではなかったが、鼻息荒く詰め寄ってくる。


「いや、ちょっとした挨拶みたいなもんだ」


春原の顔を見る。金髪…。


「ぷっ」


思わず吹き出す。


「やべっ、笑っちまった!」


「ケンカ売ってんのかぁーーっ!」


どしん! と隣室から衝撃。続いて「うるせぇぞ!」と怒鳴り声。


「ひぃっ」


「おまえすごいビビリな」


「うるせぇよ。僕だって、ちょっと本気を出せば、あんなやつらすぐに倒せるさ」


ベッドに乗ってあぐらをかく。


「でも、今は時期じゃないからね。その時になれば、派手にやってやるよ」


「花火みたいにな」


「それ散ってるだろ!?」


春原のツッコミも懐かしい。


良くも悪くも、俺の高校時代の前半分は、こういう空気に生きていたのだ。泥濘に身を浸すような安楽だ。決して誉められるような日々ではない。だけどそれが、居心地よかったのだ。


「ところで、なんでこんな早く来たんだよ」


「たまたまだな」


「ふぅん」


実際、寮の夕食の時間に来た記憶はなかった。いつももっと深夜に来ていたような気がする。


「まあいいけど」


春原はごろりと横になると手近なマンガを読み始める。



…。



「ふわ…」


あくびが出た。様々な疲れが層になってたまっている。今になってぐっと肩にのしかかってきた。


「なに? 岡崎、もう眠いの? まだまだ夜はこれからだぜ」


春原が顔を上げる。


「ちょっとな…。寝るからおまえ出てけよ」


「ここ僕の部屋なんスけど」


「美佐枝さんの部屋にでも泊めてもらえよ」


「それ殺されますからっ」


俺はむくりと起きあがる。


「帰る」


「ふぅん…」


出て行こうとしたところに、後ろから声をかけられる。


「岡崎」


「なんだよ」


肩越しに振り返る。


春原は怪訝で、しかし変に真剣な表情だった。


「…」


「…」


「…」


「なんだよ?」


「…いや」


春原は見慣れないものでも見ているような目をしていた。


「なんでもないよ」


「…じゃあな」


一瞬だけ、交わる視線が互いに鋭くなったような気がした。あるいは気のせいだったかもしれない。


だが、昔の俺と今の俺は違うはずだ。毎日一緒に過ごしてきた春原には、なにか感じるものでもあったのかもしれない。さすがに、時を遡ったと感づくわけもないけれど。


俺は家に帰る。


幸か不幸か、親父は帰っていなかった。家には玄関すらも明かりはない。


手早く風呂に入り、すぐに寝た。


眠りはすぐにやってきた。深い眠りだった。


眠りに落ちる、その間際。


誰かの後ろ姿が見えたような気がした。



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