folks‐lore 4/14


005




教室にはいると、生徒たちの目が俺に向き、そらされる。


この時代。十何年も生きてきて、辿り着いたのがこの場所だった。進学校で浮いてる不良。行く先は見えず、戻る先はない。


またここに帰ってくると、自分の置かれているのはなかなか酷い境遇のような気もした。あの頃は、そんなものだと諦めていたが。


黒板を見ると、隅に今日の日付が書いてある。四月十四日。始まりの日。



…。



あの後、うまく言葉も言えないままに、渚と別れてしまった。そういえば、自己紹介さえしていない。


おかしな男だと思われただろう。なんとかフォローをしたいところだが、さすがにこのままB組に押しかけるわけにもいかない。渚とは単なる顔見知り、もしくはそれ以下でしかないのだ。


視線を感じながら教室を横切り、窓際の自分の席に着いた。懐かしいな。いつも頬杖を付いてここから外を見ていた。


隣は、空席。そう珍しいことではないはずだった。


俺は息をつく。これからどうすればいいのだろうか。そもそも今、俺はなにに巻き込まれているのだろう。


ともかく、未来からきました、なんてことは口外できない。


ただでさえ不良だと避けられているのだ。そんなことを話したら、頭がおかしい奴だと思われるだけだ。ただでさえ避けられているのに、それは最悪。


そういう意味では、緊張感のある日々が続きそうだった。…ま、明日目が覚めても、この日々が続くならば、だが。


一番の懸案事項は、渚との関係だった。


今見ている夢が続くならば。できることならば、再び、演劇部再建の手伝いをしてあげたい。とるべき道は、それ以外には考え付かなかった。


それにしても、以前に俺が彼女の隣に立ったのは、様々な偶然が積み重なっていたのだと、今さらに思う。


渚と知り合い、演劇部の道を歩み出して、やり直すこと。ずいぶんと遠い道のりだ。それをなぞらなくてはならない。


そういえば演劇部の発足にあたっても、他の部との顧問の取り合いだってあったし、バスケ部と対決したのはどうしてだったっけ?


とにかく、一筋縄ではいかなかった記憶がある。


しかし、以前と同じように行動していいのかという疑問もあった。


渚の死因は、汐を出産する際の体への負担だった。巡り巡って、それは俺の肩にものしかかる責務だ。


俺は、渚と関わらず、彼女に無理させないようにした方がいいのかもしれない、という気持ちもある。


俺は自分が渚と仲良くなることよりも、彼女が健全に日々を暮らすことを大事にしたい。


たとえ仲良くなるにしろ、俺は必要以上に彼女に近づかない方がいいのかもしれない。


なんとも言えないところだった。むしろ、近づかない方がいいどころか、また渚の顔を見たら抱きついてしまうかもしれない。


…変態か、俺は。


さすがに自重しようと決意する。


だが、それにしても、俺の意志が時を遡ったことが現実だとして、それに意味はあるのだろうか?


これは、ちょっと普通のことじゃない。そんなことが、無意味に起こったとは思えない。


俺は、もしかしたら、よくわからないが、何か使命でも持っているのだろうか。


…。


…いや、どんな使命だ。


悪の組織とでも戦えというのか。まさか。


悪いが、そんなことをしている暇はなかった。悪の組織なんて、勝手に暗躍していればいい。


俺がやることは、ひとつ。


渚とどのように付き合っていくかは考え物だが、彼女の夢は叶えてやりたい。


演劇部をもう一度。






006


……。


「…」


一時間目の数学の 授業に全くついていけなくて、すこし呆然としてしまったが、まあそれはいい。年をとったから付いていけるなんてものじゃないのだ。今までの積み重ねをしてきたかという問題なのだ。それは、いいのだ。


しかし見たこともない記号を使って授業をしていたな。多分火星語だと思う。


次の二時間目、授業をちゃんと聞くべきだろうか。すこし迷う。


…。


が、少し考えて俺は逃げ出した。いきなりこんな授業を延々聞かされるなんて、ちょっとヘビーすぎる。それにひとりでゆっくり考え事もしたい。


教室を出る瞬間、背中に誰かの視線が刺さる。ちくりとするほどのものではない。飛んできた真綿がぶつかる程度のもの。


考えてみれば、目覚めてから、まだ会話をしていない。渚とだって、会話をしたわけではなかった。


抱きしめて、離れて、言訳がましいことを言ったのみだ。


一度そう考えてしまうと、誰かと話をしたいという欲求がわき起こってきた。もう二十年くらい人と会話をしていないような気がした。


クラスメートにでも話しかけたいと思ったが、俺みたいな奴がいきなり話しかけても相手はいい思いではないだろう。今俺が立っているのはそんな場所なのだ。


急激に沸き起こった気持ちを振り払い、教室を出る。


休み時間で人の多い廊下をくぐり抜け、旧校舎に入った。


こちらは、特別教室と文化系の部室くらいしかない。人の姿は当然少ない。遠く、理科室の方に生徒が見えたが、その程度。


二階に上がる。ボリュームのつまみをまわしたように、しんとする。二階と三階は、部室と図書室くらいしかないからな。こんな時間、誰もいない。


自然、足は三階の演劇部室に向いた。今は元部室という場所。旧校舎の一番端っこだ。


部室の、一つ手前の教室。ふと目の端に動くものが見えた。


教室をのぞき込む。窓際の席で女子生徒が一心に作業をしていた。他に生徒はいない。たった一人だ。


こんな時間、ここに人がいることに驚きつつ足を止めた。


幼い顔立ちの少女は、彫刻刀を持って木を削っていた。手元はどことなく危なっかしい。お世辞にも手慣れているとは言えなかった。


しかし、集中している。教室をのぞき込む俺にもさっぱり気付いていないようだ。


窓際の席で打ち込んでいる姿は、なかなか絵になる図だった。


それにしても、彼女の顔立ちはどこかで見たことがあるような気がした。よく知っている気がする。


えぇと…。


ぼやけたイメージが収束するのは、早かった。


わかってしまえば、どうしてぱっと出てこなかったかが不思議なくらいだった。


伊吹、風子。


公子さんの妹で、かなり愉快な奴だった。会ったのは一度だけだが、かなりインパクトのある奴だったので、よく覚えている。


たしか、事故にあって年単位で意識不明だったと言っていた。ということは、これから先、彼女はそんな事故に遭ってしまうのだろうか。


それにしても、まさか同じ学校だとは思わなかった。正直、もっと年下だと思っていた。


学年章は緑色だった。一年生。


入学早々、サボりかよ…。


俺は苦笑してしまう。俺や春原といい勝負だった。たしかに風子は、同年代に馴染めるタイプではないように思う。うまく立ち回れば可愛がられるかもしれないが、そんな器用じゃない。


大した用事があって演劇部室に行こうというわけではないのだ。興味は目の前にいる風子に傾く。


ドアを開け、教室に入る。黙々と作業をしていた風子が、ぱっと顔を上げる。


なんて声をかけるべきか、一瞬考える。まず、俺は彼女と初対面なのだ。それを念頭に置かなければならない。


「よう、なにしてんだ」


「…」


子供を相手にしてる時の芳野さんくらい爽やかに言ったはずだったが、さっぱり効果はないようだ。


風子はぽかんと俺を見ていた。


「おい、聞いてるか?」


言いながら、近づく。


「っ!」


ばっ! と身を翻して、距離をとった。


「ふーっ」


彫刻刀をこっちに向けて、威嚇する。少し焦る。マジ危ないからやめてほしい。特に風子が扱うとなると、俺より彼女自身に身の危険があると思うんだが。


「おい、ちょっと落ち着けよ、ふう…」


焦ったせいか、口をついて彼女の名が出そうになった。


瞬間冷凍されたみたいに、体が固まる。どっと冷や汗がでた。俺たちは初対面なのだ。


まずい、まずい、なんとかごまかさなくては。


「ちょっと、落ち着けよ。…深呼吸しろ。ふーっ」


深呼吸する。


気づくと、風子の後姿は教室から駆け去っていくところだった。


後には俺が残された。


「…」


なんで、俺が深呼吸してるんだよ。アホだ。自分で思っている以上に、今の俺は余裕がないのだろうか。


ひとり苦笑して、息をつく。


机には風子が削っていた木片が残されていた。


掌をひろげたくらいの大きさの木だった。元は正方形だったのだろう、とがっている部分もある。まだ大まかに形を作っているところだったらしく、でこぼこがある。


いくつか、突き出したような形をしていて、それは…


「ヒトデ」


何故か、そんな気がした。






007


演劇部の扉を開けた。押し込まれていた空気がはき出される。


空気が埃っぽい。ずいぶん長い間、人が入っていなかったことがわかる。


積み上げられた段ボール。整頓もされずに教室の隅に詰められたイスや机。


今は、まだ、これが演劇部室だ。


懐かしさがこみ上げる。小道具たちを見てみる。どれもが、見覚えのあるものたちだった。いじって遊んだ記憶がある。


なんとはなしに段ボールをあけて覗いてみる。魔法のステッキもある。なんだか懐かしい。魔法を唱えて振るとなにかが起こるのだ、たしか。


他に様々な衣装や、小道具や、カセットテープなど。


片付けたいところだったが、変に手を加えない方がいいかもしれない。


俺は暇つぶしに、台本を一冊、手に取る。


さっき風子がいた隣の教室に移動して、ぱらぱらと読んでみた。


昔、創立者祭で演じたものみたいだった。生徒がシナリオを書いたようだ。


…それにしても。


俺は思い返す。


妙に違和感が残っている、渚の演劇。


幻想物語。


終わってしまった世界にたった一人でいる女の子。


そんな少女の姿を見ていた魂が、彼女と共に生きることを決める。


二人は互いをよりどころにしながら、やがて旅に出て、雪の降る中に歌をうたう。


この話はなんなのだろうか。


俺も渚も知っていたのだ、子供心に考えた空想というわけではないだろう。


ならば、誰かが作ったのだ。それにしては物語としての示唆がつかめない。


きちんとした絵本とかじゃなくて、町の誰かが適当に思いついた話を吹聴していて、たまたま耳に入ったのかもしれない。


別に、それだけなら、それで構わないのだ。


だが、俺はこの物語に偏執と言うくらいに揺さぶられるものがある。


それはいったいなんなのだろうか。


風子が残していった木くずたちを手にとっていじってみる。なにを考えてもまた別の思考が脇からするりと入り込んでくる。うまく集中できない。多分、まだ混乱から回復していないのだと思う。


今は演劇の解釈について考えている場合じゃない。それにしても、風子はこんな時期から授業をサボっていていいのだろうか? いいわけがない。別に非行に走るタイプでもないだろうが。そもそも、このことだって、そう大事なことってわけじゃない。今の状況について、これからについてだ。


俺は頭を振る。なにも考えず、誰かと話をしていたかった。こんなにも他人を欲するなんて、そうあることではなかった。


こんな時間だ。春原はまだいないだろう。大体が、来るのは昼なのだ。まだ二時間目が始まってしばらくといったところだ。昼は遠い。


結局台本を放り出す。それにしても、空き教室の割に、演劇部室などと比べて格段に綺麗なのはどうしてなのだろう?


風子がどこのクラスなのか、知りたかった。単純な興味もあったし、話だってしたかった。


共に過ごした時間はそう長くもないが、妙に懐かしさというか、分かり合えるような気がしていた。


一年生に聞いて回るというのも、生活指導の教師に目をつけられそうだ。カツアゲしていた春原に付き合っていたから、俺も目をつけられていたと思う。


となると、生徒の名簿みたいな物はあるのだろうか。


職員室に行けばまずあるだろうが、見ることはできないだろう。図書室にもさすがにないだろうし。


となると、後の選択肢は…資料室。


様々な物が雑多に詰め込まれている部屋だった。よくは見たことがないが、マンガから小説、歴史本、過去の卒業アルバムもあった。プリント類も雑多に詰め込まれていたから、そう悪くない線だと思う。


旧校舎、一階の隅。そこが資料室の場所だ。


歩き出した俺は、一人の女の子を思い出していた。


渚が学校を休みがちになって、怠惰に過ごしていた俺は、資料室に通う時期があった。


いつの間にか、そこは一人の少女が根をおろして、自室のように扱っていた。


彼女の顔を思い描く。なんとなく、思い出せるような。名前は、なんだっただろうか。


それにしても。あそこで過ごす時間は、なかなか幸せなものだった。今ではしみじみ、そう思う。


教室のドアを開ける。もう一度中を見渡して、音もなく閉める。



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